逃走
第四王子の宮にある、シュナイザー伯爵の部屋。
「──ヴァイスルナハルト殿下が行方不明?」
仕事を一段落させて自室に戻った矢先、そんな報せを受けたシュナイザー伯爵は眉を顰めた。眼鏡を指で押上げて報告を繰り返すと、深々と溜息を吐く。
「は、従者も付けずに何処かへと向かわれて…」
「まったく、あの王子は…」
この間も一人で出かけて、使用人に言いがかりを付けられた第三王子の小姓を連れ帰って来たばかりだと言うのに、今度は行方不明とは。
自由奔放なのも歳を重ねれば落ち着くかと思えば、まだまだ先のことらしい。誰に似たのだろう、と頭を抱えるくらいは許して欲しい、と誰にでもなく思う。
「……まぁ、あの王子達には恐ろしい守護者が付いていますからね」
直ぐに帰って来るでしょう、と伯爵は気に留めることもやめた。侍従にもそう告げると、何処か曖昧な表情を浮かべて下がった。
恐ろしい守護者が誰だかよく分かっている故、引き攣る従者の表情には目を瞑ろう。
「シュナイザー伯爵閣下!!」
それからも間もなくして、此処が宮廷内であることすらも忘れたかのような騒々しい声と足音に、シュナイザー伯爵は眉を顰めた。
やって来たのは先程の侍従とは別の男──宮殿の警備を行っている騎士だ。その慌て様に火急の要件であることは察するが、それが周囲に知られてはならないことならば、猶更平静を装うべきだと言うのにそれすら頭から抜け落ちたか。
呆れ、眉間に手をやるシュナイザー伯爵に届いたのは、一通の手紙だった。
第四王子を誘拐した、と。
要求は王位継承権の破棄、そして身代金。それもシュナイザー伯爵の全財産を擲っても賄えるようなものではない金額である。
そんな要求書という名の脅迫状を見て「愚かだなぁ」と伯爵は嗤った。
(どうやら、本気で守護者達を怒らせたようですねぇ…)
私は知りませんよ、と未だに慌てる騎士のことなど視界にも入れず、シュナイザー伯爵は少し冷めた紅茶に手を伸ばした。
◆◇◆◇◆
一方、草木が生い茂る森。深緑の木々に覆われた森を、夕闇がより一層深い闇へと変える。
「おい、まだ見つからないのか?」
「何で餓鬼二人が見つからないんだ!」
ヒカルとヴァイスは塔の隠し通路を抜けて森の中を進んでいた。追手は直ぐに掛かり、二人はただいま逃走中である。……追手の物凄く近くにはいるけどな。心臓の音が煩い。
「此処まで早いとはね」
努めて冷静を装うヴァイスだが、その顔には焦りが浮かんでいる。
「ヴァイス様、私に外套を」
「いや、これは置いていくよ」
「は?」
「着て走るには重いし、何より闇が深まれば目立つ。折角だから、これその物を囮にしよう」
あくまでも、俺を囮にするのは最終手段ってことね。その気遣いが裏目に出ないといいんだけど。
外套に縄を引っ掛け、木に吊るす。ざわめく風に外套が翻った。外套の重みもあり、強風と相まって草木を思い切り揺らした。
「何だ、あれは?」
追手の視線が外套に向いた。その隙に移動するが、音を立てては気づかれるとゆっくり、しかし着実に追手から離れる。
「撒けました?」
「何とか……でも、気を抜けない」
息を潜めながらも、王宮へと向かう。外套に気を取られたのか、背後に追手の気配はないが、深まる闇に心音が加速する。
風にざわめく草木。ザワザワと音を発てる葉が、妙におどろおどろしい。まだ後方に見える罪人を閉じ込めていたと言う塔が、まるで追手のようだ。
どうしてだろう、過去のことなのに。まるで罪人の怨念が、今もそこに在るかのように、そのおどろおどろしい雰囲気が胸をざわめかせる。その矢先、耳に飛び込んできた音にヴァイスが硬直する。
「馬の、足音と嘶き…!?」
「え、追手ですか?」
ザワザワと。ガサガサと。音を潜めることもなく、木々を揺らして迫る追跡者の気配。ざわめく木々が発する音が次第に大きくなり、ザアァ!と草木を掻き分けて現れたのは馬と、追手と見られる数人の男達だった。
「──何で、こんなところまで…」
「まったく…監視しなくていいなんて、誰が言ったんだよ」
二人を見つけたことで余裕が生まれたのか、男達は軽口を叩き合う。ヴァイスとヒカルを馬場から拐った男達だ。
「ま、見つけたんだ。文句はないだろう」
「手間取らせやがって…おい、餓鬼ども、俺達は手前らを『まだ殺すな』とは言われているが、『傷付けるな』とは言われてねえんだよ」
苛立ちを見せる男に、ヒカルは咄嗟にヴァイスを背に隠す。……まぁ、身長差があるので隠れてはいないけど。
「王子様だけでも助けようって?」
「奴隷の鑑だな」
はっと嗤う男達に、ヒカルは思考を巡らせる。
ヴァイスを逃がしたところで馬の脚に勝てる筈がない。しかし、大人しく捕まるようなことはしたくない。
「さて、追いかけっこは終わりだ」
「今度は俺達がいるから退屈しないぜ?暇だからって、勝手に出てっちゃあ駄目だ」
王子相手に不遜な態度。王宮の人間でないことは確かだ。
「退屈とかの問題じゃないし、勝手に監禁したのは其方だ。文句言われる筋合いないけど」
「そうだね……誰に雇われたかは知らないけど。何…僕とユエ兄上を失脚させたいのは、王弟殿下?」
ヴァイスの核心を突く言葉に、男達が僅かに眉を動かす。夕闇に染まる森の中、相手の顔が分かるのは、ヴァイスとヒカルを生かして返す心算がないということの表れか。
「あぁ?」
「話すことはねえよ、勝手に考えを巡らせるのは自由だが、自分の立場が分かってるのか?」
男達の語気が荒くなる。片手で馬の手綱を握り、もう一方の手に剣を構えた。
もう時間稼ぎもおしまいか。嫌な汗が背中を伝う。
どうすれば、ヴァイス様だけでも逃がせる?
馬の脚には敵わないし、足止めするならば馬を狙って怪我をさせるべきか。
手持ちの小道具を探りながら、頭を巡らせる。武器を手にして近づく男達に心音が加速する、その矢先だった。
「──下賤の身で、王子に向かって随分な口のきき方だな」
黄昏時の、森の中に聞こえる筈のない声が響く。……何故、此処に?
「陛、下…?」
「な…!王、だと?」
瞠目したヴァイスの呟きに、男達の顔に動揺が走る。
夕暮れ時にきらきらと棚引く白金色の髪に、空色の双眸。そこにいるだけで、存在を知らしめる男──ルゼノ王その人だ。
……いや、此処は王城内らしいですけどね?でも、宮殿からはかなり離れていると思うのですが?
その場に現れた王の姿に、ヒカルは困惑した。颯爽と現れたのは、正しく会食の席で見た王その人で、しかし、あの顔には何の感情も浮かんでいない。
「ダクハイナ、だったか?貴様らの様な輩が王城に入り込んでいるとはな」
「ダク、ハイナ?」
「裏稼業の組織だよ…というか、陛下、流石です。僕も今気づいた。あの男達の入れ墨」
ヴァイスに示されたのは、男達の首や顔、手の甲に小さく入れられた犬を象ったような紋様だ。
それ、組織の紋様を象ったの?証拠を身体に彫り込んでいるようなものだけど、それって如何なの?別に、その組織の方針とか知らないけどさ。
「王が、こんな所に?」
「はっ、何でも構わねえよ。俺達は依頼を全うするだけだ!……王の首なんて、そうそう取れるものじゃねえぞ」
王にすら牙を剥くか。逃走する素振りも見せず剣を振り上げる男達を、ヒカルは何処か哀れに思う。
「……愚かな」
ヒカルはぽつり、と呟いた。
その瞬間、ヒュン、と風を切る音が二つ。次いでドス、と鈍い音とともに何か固い物が男達に突き刺さり、男達は呻いて馬から転がり落ちた。
音にか衝撃にか、驚いた馬が嘶いて、その場を走り去る。乗り手を失った馬が何処へ行くかは分からない。
「うっ…」
「ぐぅっ…!」
矢が刺さった肩から血が流れ、男は力なくも起き上がる。しかし、身体の自由は利かないようだ。その男達に向かって鋭い剣が突き立てられた。男達は眼前に迫った剣先に「ひっ!」と眼を見開いて声を漏らすが、その様子にヒカルは呆れた。
王に護衛がいない訳がないだろう。……その護衛に当たるような身分でない人もいるけど。
「その仕事熱心さは本当に感心するよ」
「だが、その熱心さを向ける場所を間違えた」
男達の背後から剣を突き付けて現れたのは、ヒカルのよく見知った顔だ。
……いやぁ、本当に出て来る時機を図っているかの様な登場ですねぇ。でも、この組み合わせって珍しい。
男達に剣を突き立てるのは、第一王子ユエと、第二王子クラウディア。そして、別方向から駆けて来るのは第三王子スカイティアだ。御付の騎士もいるが、王子達の剣幕に若干引いている。
ユエは口元に笑みを浮かべつつも、少しでも動けば息の根を止めるとばかりに男達を見据える空色の目は笑っていない。
クラウディアは嫌悪を隠さずに眉を寄せて男達を睥睨し、その男の腹を足で踏みつけている。
スカイティアは男達からヒカルとヴァイスを庇うように腕を広げ、威嚇するかのように睨み付けていた。
ルゼノの王子全員集合?あれ?もう一人いるんだっけ?……まぁ、何にしても豪華なメンバーですね。
あと、スカイティア様。俺は貴方に庇われる立場じゃないんですけど。
王子達に動きを封じられた男達は騎士に連行された。塔の方にも騎士が派遣されているのだろう。
「ヴァイス、ヒカル、無事?」
「あ、兄上達も…?どうして、此処が?」
ヴァイスは困惑からか、元々大きい目を丸くしていた。
「遅くなってごめん……ヴァイスを攫った容疑がティアに、いや、僕と絡めて言い掛かりをつけられてね。黙らせて、君達を捜索していた所にシュテルインの鷹が二人を見つけてくれたんだ」
音が響かない笛だったので、定期的に吹いていたのが功を奏した模様。……没収されなくて良かったよ、本当に。
「シュテルイン、が……では、あの矢は…」
「あぁ、勿論ステラだよ!凄いでしょ!」
「…えぇ、相変わらずのご様子で」
相変わらず、ユエ様は妹自慢をしたいようです。いえ、ヴァイス様にとっても姉上様ですが。
確かに、矢を正確に馬に乗った敵に打ち込んだし…馬場でも正確に的を撃ち抜いていましたが、王女というより騎士の様ですね。
「──兄上!第四王子殿下!ご無事ですか!?」
そこへ、何処かで聞き覚えのある声が聞こえてきた。森の中から現れたのは、燃えるような赤い衣に金の刺繍を施した衣装を纏う、何処かで見覚えのある金髪の男だ。……あぁ、件の晩餐会ですね。
「……貴様が何故、此処にいる?」
王の青い目が、冷たく眇められた。その凍てつく眼差しが向けられた先にいたのはヴァイス曰く、王弟である。
「何故だなんて……第四王子殿下が拐われたと聞いて、王城中を駆け回っていたのですぞ!」
「ほう…見ての通りだが、王城の警備は見直さねばならんな」
まるで心外だとばかりに声高に主張する王弟に、王は冷たい眼差しを向け続ける。しかし、王弟は気に留める様子もなく、呆れたように肩を竦めた。
「左様で。まさか、賊の類が入り込んでいるなどとは…」
「私が何時、賊だと言った?」
「情報を得ているのですよ、陛下。まさか、私を疑っておいでで?」
「…そうだな、お前には何の利益もないだろう」
ルゼノ王はそれだけ告げると、王弟から視線を逸らす。王弟との話は終わりということか。それを察して、王弟は大人しく退いた。
ヴァイスの証言だけ──それも派閥そのものは従兄弟の派閥──では、王弟がヴァイスの誘拐に関与していると言う決定的な証拠にはならない。仮に、あの声が王弟のものであったとしても証明できるのは「王弟があの塔にいた」というだけであり、直接ヴァイスの誘拐を指示した証拠がなければ、相手が王族である以上、嫌疑が掛かるだけだ。簡単には断罪できないだろう。
思いっ切り舌打ちをしたくなったが、身分の差もあるので我慢する。その代わりに、既に消えた王弟の後ろ姿に向けて、べぇー、と小さく舌を出す。
散々な目に遭ったんです、そのくらい許されるでしょう?
ま、あとは王子殿下方のお仕事ですし、取り敢えず暗くなる前に帰りましょう……ん?ちょっと待てよ?
ヒカルは改めて残ったメンバーを見渡す。王族の頂点である、『金髪』の王、『金髪』の第一王子、『赤髪』の第二王子、『黒髪』の第三王子、『金髪』の第四王子がそれぞれ独特な空気を纏っている。
あれー?今更だけど、何故こんな王城の外れの森の中に王族の主要人物ばかりが揃ってるの?
何で、此処にレーウィス殿がいないの?小姓モドキの防波堤役は?
うっかり、王に噛み付いちゃったらどうしよう…いや、気を付けるけど。空気に、貝に、なりきれるだろうか。
そんなことが不安になるくらい何だか物騒な雰囲気なのですが、俺、どうしましょう?
王族大集合。会食以来の集合率です。
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◆同時に【自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る】を毎週金曜日に更新中です。此方も宜しくお願いします。




