不穏な噂
──第三王子スカイティア殿下は、ルゼノ王の子供ではないかもしれない。
場所は、第四王子ヴァイスルナハルトの宮殿の一室。
部屋の主であるヴァイスと対面しているのは、第三王子スカイティアの小姓モドキ、ヒカルである。広々とした部屋で向かい合って座る二人の間で交されていた会話は、ヒカルの認識を揺さ振るものであった。
──さて、そんな疑惑をちらつかされて、君はどう思う?元・奴隷君?
ヴァイスは内心で問いかけ、密かに口元に笑みを浮かべる。深緑色の双眸は気怠そうに、しかし、確かにヒカルを捉えていた。
目前の黒く艶やかな髪から覗く黒い目は驚きからか、微かに見開かれ、動揺を如実に表している。考えたことはなかったのだろう。
尤も、これは実際にある噂だ。ルゼノ王の言葉である以上、疑うことも烏滸がましいと言うのに、王族の言葉を疑い、ルゼノ王を貶めようとしている動きさえ見える。
(ま、この王宮が一枚岩である筈がないけどさ)
陰謀渦巻く王宮は、何時だってドロドロとしている。そんな中で何事もないように振る舞えるのは、全く関係のない人間だろう。
しかし、ヒカルは違う。畏れられ、疎まれ、蔑まれる髪色を持ちながら、彼は誰かに対する恐れや怯えを見せない。使用人達と対峙していた時も、そうだ。『黒髪』を最下層とするルゼノで、まるでじゃれる子供を仕方なしとばかりに、まるで呆れたように眺め、ただそこに佇んでいた。
(身体つきは勿論、身分さえも負けると言うのに、何故そこに負の感情がない?)
あの場で声を掛けたのは、興味が湧いたから。人間の本能というべき、格上の者に対する恐怖や畏怖が顔に出ないと言うならば、少し揺さ振ってみようか。
(君の堂々とした態度の裏側に仕えている第三王子の威光に縋る心算があるならば、もし、それの威光が揺らいでいるとしたら?)
己の疑問に対する答えを求めるヴァイスは、ヒカルの反応を伺い見た。
──君は、その本性を見せるのかい?
「……スカイティア様に関して、そのような噂があるのですね」
「あぁ…そうだよ」
ぽつり、と確認するような言葉に、ヴァイスは頷いた。
ヒカルは軽く目を瞠る以外に取り乱した様子はなく、それは流石王子達に目を掛けられているというべきか、と素直に感心する。……感心はするが。
「……それだけ?」
「はい?」
他に何も問おうとしないヒカルに、ヴァイスは確認するように問う。しかし、ヒカルは何のことかと首を傾げるだけだ。
「いや、それによって何があるって訳ではないけど、もう少し焦ったりしないの?」
「何故ですか?」
「一般的に、仕えている王子に良からぬ噂があったとして、その噂の事実確認をしようとか、しないの?」
「何故、確認が必要なのですか?」
返って来るヒカルの言葉の一つ一つが、ヴァイスの想像もしないことばかりで、表情を繕いつつも困惑を抱く。
何故?何故って、此方が聞きたいよ。
君はこの間の忠告に関して、僕をあしら…いや、言い包めただろう。
つまり、僕の考えるようなことが想像できないような馬鹿じゃない筈だ。
ヴァイスの思考は混乱を極めた。気怠そうに、努めて平静を装う表の仮面はそのままに、ヴァイスの頭の中はヒカルへの問いでいっぱいだった。
何故、冷静でいられる?
そんな噂があることを知っていた訳ではないのだろう?
それなのに、どうして何も聞かないの。
余りにも慮外な反応に、ヴァイスは逡巡した後、諦めて降参した。
「……不安じゃないのかい?」
「あぁ、立場がですか」
納得したように、ヒカルは呟いた。しかし、やはり不安や焦りといったものが浮かばない。
何故、とヴァイスは双眸を細める。
「……分かっているじゃないか。君の立場は、第三王子殿下の小姓だろう。それならば主人が、その地位を失った時のことを考えるんじゃないのか?」
元・奴隷ならば、何処かに取り入っていなければ、主の地位喪失によって自分が処分されることくらい分かっているだろう。
ヴァイスはヒカルが奴隷になっていた期間など知らないが、奴隷は主ありきの存在だ。主の処分とともに、人間として扱われることのない奴隷に残された道は、失脚した主とともに処分されるか、奴隷商館送りの二択だ。将又、そのまま外に放り出されても、頼る場所がなければ奴隷商館送りよりも悲惨な末路だろう。
勿論、これは奴隷だけではない。仕えている者が失脚した場合、頼る実家や伝手がなければ、職を失った使用人達も行き場を失うことになる。
この王宮に於いて、誰一人、絶対に安全な場所にいる人間なんていない。
それを理解していないならば兎も角、理解し考える頭があるのに、何故、それを問わない?
「……第四王子殿下」
「ヴァイスでいいよ」
こうして向かい合っているのに、名を呼ばれないのは久しぶりだ。誰しもが、ヴァイスルナハルト王子に取り入ろうとするのに、彼は全く靡いてこない。
(ユエ兄上がいるから?姉上やクラウ兄上とも親しいから?)
彼のこれまでの生活を知る限りでも、ルゼノ王城の主要人物を押さえているとも言える。
──だから、君は自分に自信があるのかい?
目の前で、凛とした居住まいを保つ異母兄の小姓は、その顔に微かに笑みすら浮かべていた。
「では、ヴァイス殿下……王国において、絶対となる方はどなたでしょう」
「王国?そりゃあ、王だよ」
「では、この国の王は」
「ルゼノ王陛下だよ?」
まるで禅問答のような問いに掛けに、ヴァイスは微かに眉を顰めた。
「はい、そうですね。で、その方が、スカイティア様をご自分の御子だと仰った。だから、王子の地位を賜ったのですよね?」
「……そうだね」
──だから、変わる筈がないと言いたいのか。
尚も翳ることのない真っ直ぐな黒い瞳に、ヴァイスは思案する。
王の言葉である筈なのに、それは不可逆で覆ることのない言葉である筈なのに、それが細波のような一言から広まったであろう不穏な噂に踊らされ、その根も葉もない噂は既に王宮を蝕んでいる。
王の言葉が覆ることは、ない。それは永久的であり、不可逆的な不可侵の領域だ。
それでも確かに、歪な、誹謗中傷であろうとも、悪意という名の火種が燻っている。
王の言葉が揺らいでいることに気付いていないのか。それとも気づいて尚、現状に甘んじているのか。
これは聡明だと、思う。しかし、ある意味では諦観しているような、シビアな面もあるようだ。……気づいていても、己の力では逆らえないと諦めているのか。
「……それに、もし、ですよ?」
「うん」
「仮に、そのようなお話となったとしても……私にとって、スカイティア様は主という立場ではありますが、替えが利く方ではないのですよ」
真っ直ぐに向けられた黒い瞳は全てを理解しているというように、ヴァイスを映し込む。
ヴァイスは、その言葉の意味を酌んで苦笑を浮かべた。
「それならいいよ……君は面白いね」
そうですか?と何故か乾いた笑いを浮かべるヒカルに、今度はヴァイスが首を傾げた。
◆◇◆◇◆
第四王子ヴァイスルナハルトにより思わぬ爆弾を投げ込まれたが、無事に回避に成功した。
……成功したよね、話は終わったしさ。
スカイティア様がルゼノ王の実子だろうとそうでなかろうと、本当のことを誰が知っているんだって話だし。そもそも、第三王子はそんなことは関係ないだろうし。
ルゼノでは、生まれよりも髪色で王位継承権の優先順位が決まるのだ。継承権が殆どないとされる『黒髪』の第三王子が、今更ルゼノ王の実子ではないと糾弾されたところで、継承順位が変動する訳ではない。
王宮の人間は、互いに足の引っ張り合いなど日常茶飯事だろう。しかし、人間関係が利害の一致や自己利益で完結するならば、王位継承という問題の枠組みの中で蚊帳の外にあるスカイティアに関して糾弾してもメリットがない。
それならば、寧ろ心配するべきは、スカイティアを庇護しているユエとステラの方だ。スカイティアの王位継承の可能性が皆無でも、何かを切っ掛けに、第一王子と王女の足を引っ張りたいと考える輩はいる筈だ。
…………ねぇ、今更ですけど、何でそんなことに気付かせるの?苛め?小姓苛めですか?第四王子ヴァイスルナハルト殿下。元・奴隷の小姓モドキの俺が気付いたって、どうしようもないじゃないですか。
一人何処か納得したと言うか、平静を装う仮面を脱ぎ捨てて満面の笑みを浮かべる王子に、ヒカルは表情を顰めるの堪えた。……何故、そこで喜ぶのです。
「…………ヒカル様、お待たせ致しました」
「従者殿、お手数をお掛け致しまして申し訳ありません」
そこへ、迎えの手配をしてくれたシュナイザー伯爵と、王女から派遣されたのだろう従者シュテルインが入室してきた。……タイミングが良過ぎない?図ってた?って訝るのは俺の悪い癖?
「いえ。ただステラ様からは、ヒカル様を人目に触れさせない様にして連れ帰るように、と申し付けられておりますので、少々窮屈で手荒なこととなりますが」
「……構いません。此方こそ、ややこしいことにしてしまい申し訳ありません」
でも、お手柔らかにお願い致します。ですが、従者殿。何時もの能面のお顔が何時もより真顔です。
お手数をお掛けしたことに怒っていらっしゃいますか?
嫌な予感に引き攣りそうになるのを堪え、ヒカルはシュテルインの方へと移動する。
「それでは、第四王子殿下、シュナイザー伯爵、御前を失礼致します」
毅然とした様子で退出の礼を取ったシュテルインに連れられ、ヒカルは部屋の外の回廊へと出た。
「それで、どう……」
如何すれば宜しいですか、と続く筈だった言葉は音にならずに消えた。ヒカルはシュテルインに抱き上げられ、外套の内側に抱き込まれた。
「お静かにお願い致します」
了承の意味で彼の服の上から腕に「是」と書く。……手荒、確かに。
「此処からは最短距離で向かいます。舌を噛まないように気を付けてください」
……物凄く恐ろしいことが聞こえた。
しかし、他に帰る術がないので再び腕に「是」と書く。その瞬間、ヒカルは自分の身体が今までにない浮遊感を感じた。心臓が浮くような、身体と分離するような、嫌な感覚。
ごう、と唸り声のような風の音が耳を劈く。しかし、外套に包まれたヒカルからは外は見えない。
……落下?落下していませんか?していますよね!?聞けないけどさ!!
落下の後は無事に着地したらしい。安堵はするが、気持ちが悪い。
白い外套に包まれたまま、何処をどのように進んだのかも分からないまま、シュテルインに落とされないようにヒカルは必死にしがみ付いた。……物凄く足が速いのですね、俺を抱えていても尚。
「──お疲れ様でした、ヒカル様」
外から声を掛けられ、そっと地面に下される。外套を捲って外に出れば、漸く見慣れた第三王子の宮殿前にいた。
「あ、ありがとうございました。お手数をお掛け致しまして、申し訳ありません」
「いえ、それはシュナイザー伯爵からも謝罪を頂いておりますので……参りましょう」
真顔のシュテルインに促され、ヒカルは主である第三王子の元へと急いだ。
爆弾を投げ込んだ結果は不発でしたが、ヴァイスは満足しました。
ヒカルは爆発を回避したが、火種に恐々としています。
◆【元・奴隷の少年は王宮を駆け回る】は毎週水曜日更新中です。
◆同時に【自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る】を毎週金曜日に更新中です。此方も宜しくお願いします。




