第四王子とシュナイザー伯爵
場所は、ルゼノ城の一角。
煌びやかな年代物の調度品が並ぶ中、部屋の隅っこの椅子に腰かけた少年──第四王子ヴァイスルナハルトがいた。
「これでアージェスト子爵家は完全なる第一王子派に……セオドア侯爵家は失脚。序にシーザス公爵家は領地の広大さも考慮してか、取り敢えず首輪付、ですか。これにより、実質的に第二王子派は消滅……第一王子派の不穏分子も身動きは取りづらくなった、と」
確認するように口遊みながら、ヴァイスは与えられた情報を紙に書き起こした。
その傍にあるテーブルで紅茶を嗜むのは、情報源であるシュナイザー伯爵だ。白金色の髪を束ね、眼鏡を掛けた初老の男はペンで必死に書き綴る王子を黄緑色の瞳で一瞥しただけ。
「さて、これを聞いて、第四王子派はどう動く?」
「……動きようがない、です」
まるで教師のように問いかける伯爵に、ヴァイスは答えづらそうに口にした。
「でしょうね。第四王子派によって、第一王子派の陣営を崩したならば兎も角、自浄されては派閥の結束が強まる上に、第一王子殿下の手腕を見せつけられただけ。アージェスト家の密輸事件も、セオドア家とシーザス家の動きも読み切れなかった第四王子派に勝ち目はない」
ヴァイスの答えを肯定した伯爵はまるで他人事のように、冷静に口にする。
「以前から思っていたのですが、お爺……シュナイザー伯爵は如何いうお心算なのですか?」
「何がです?」
孫にあたるヴァイスの問いに、シュナイザー伯爵は茶器をテーブルに置いて聞き返した。
「──貴公は、僕を王位に就けたいのですか?」
まっすぐに、薄緑色の瞳を伯爵へと向けるヴァイスの問い掛けは、場合によっては反逆の意思とも取れる。しかし、シュナイザー伯爵は全く動じず、寧ろ呆れたような眼差しを返した。
「逆に問わせて頂きますが、第四王子ヴァイスルナハルト殿下、貴方は王になりたいのですか?」
「っ!」
問われたヴァイスは息を呑む。
そんな反応に、シュナイザー伯爵は呆れとも落胆ともつかぬ溜め息を吐いた。
「……その反応では、私が何を言っても無駄でしょう。私が殿下を王に、と望んだところで、殿下にはそれに答えるだけの意思も覚悟もなく、また私に問うばかりの状況では貴方が望んでいるとも思えない」
「それは…!」
ヴァイスは言葉に仕掛けて言い淀む。
──王になりたいか、なりたくないか。
その選択はヴァイスの意思によるもの。即ち、全てはヴァイスの手腕により左右されるもので、その責任を負うのも当然、ヴァイスだ。
誰かに望まれたのではなく、己の意思だというならば、その先にあるものまで背負う覚悟はあるか、と問われているのだ。
勿論、望まれようと望まれなかろうと、己の手腕だけで乗り越えられなければ、その地位からも、果ては命さえも落としかねない。
──敵対しているのは、あの第一王子ユエルディーネの派閥なのだから。
それが嫌ならば、大人しく王位を望まず、目立った功績を作らず、王籍を外れ、爵位を賜って静かに地方で暮らす。
ヴァイスには、まだその選択肢は残されている。
「……どなたかに発破を掛けられましたか?売り言葉に買い言葉?貴方が明言した場所が、口が固く、貴方を可愛い弟だと想う第一王女殿下の元で助かりました」
シュナイザー伯爵の言葉に、ヴァイスはびくん、と肩を跳ね上げる。
ヴァイスは異母姉の部屋で、アルトステラに向かって『王になる』と明言した。それ以降、アルトステラは変わらず接してくれているし、他の兄弟とも特に波風は立っていない。そして、その派閥達からも接触はない。
──つまり、第一王女アルトステラはそのことを話していない。
彼女がその一言を漏らせば、ヴァイスの命は既に奪われていたに違いない。
ヴァイスが異母姉に対して『王になる』と明言したと聞いて、シュナイザー伯爵は呆気に取られた。何の準備もなくそんなことを口走れば、第一王子派か、或いは他の派閥に消される未来しかなかった。
まだ成人前とはいえ、ヴァイスは王位継承権第二位の地位にいるのだ。危険な火種は消しておくに限るとばかりに、動く勢力とているのだから。
「姉上は、僕に、何を望まれているのでしょうか…」
「存じません」
そこにあるのは、異母姉に救われたという事実だけ。
彼女の思惑がどうあれ、ヴァイスはまだ残されている。しかし、彼女の思惑からヴァイスの言動が外れたならば、幾ら身内とはいえ、どうなるかは分からない。
「……少なくとも、貴方があの第三王子殿下の小姓殿にあしらわれている様では先が思いやられますね」
「小姓、殿…?」
大きな目をゆっくり瞬かせるヴァイスに、伯爵は溜め息を吐く。
「お忘れですか、ご自分で態々喧嘩を売りに行かれたのに。……あれだけ王族と接しながら上手く立ち回る小姓殿は、本当に尊敬するに値します」
「……あの、奴隷か」
ぽつり、と呟くヴァイスに、伯爵は柳眉を顰めた。
「……その単語も、あの方々の前ではお止めなさい」
「何です?」
「少なくとも、あの第三王子殿下が彼を奴隷として扱っていないことは明白……周囲の認識はどうあれ、貴方がそう呼ぶ限り、第一王子殿下も第一王女殿下も、貴方に気を許してはくれないでしょう」
「何故、そこに姉上まで出て来るのです…!」
「……まだまだ子供ですね」
まだ可愛い弟だから許されているのだ。
〈冷静で聡明な王女〉が適用されるのは、何も敵だけではない。彼女がヴァイスとユエを天秤に掛けているとしたら、迂闊なことを口にすべきではない。
ヴァイスとて、頭が悪い訳でも洞察力がない訳でもない。しかし、それ以上に感情を優先してしまう傾向にある。制御できなければ、王族として、それ以上に王として使い物にならない。……正直、王女の前で格好をつけ過ぎて、王女に過大評価されていないか不安だ。
「姉上様の前で格好つけたいお年頃なのはわかりますが、それで王女殿下の理想の駒になれなければ、捨て置かれるだけですよ」
「姉上はそんなことはされない!」
反射的に噛み付いた言葉に、伯爵は小さく溜息を吐いた。
「……優しい姉上様が、この王城で〈冷静で聡明な王女〉と呼ばれる方であることをそろそろご理解ください」
ヴァイスの明言を受けて、第一王子派の者は兎も角、ユエ本人とステラがどのように動くのか。彼らの中でヴァイスの位置付けがどうなっているのか。不透明な事柄が多く、身動きが取れないのはヴァイスも同じことだ。
「それから、貴方の明言が『ユエ兄上を思ったが為』であったとしても、第一王子派はそれを認めないでしょう」
「…っ!」
ヴァイスは息を呑んだ。
ユエは王位を望んでいる訳ではなく、その生まれ故に、周囲の期待と、代わりの人材がいないから、と諦めてその地位にいるだけだ。……それを理解しているから、ステラには洞察力が優れていると評価されているのだ。
だから、ヴァイスが王位を望み、ヴァイスに王の適性を認めたなら、あの実質的な王太子はその為に働いてくれるだろう。今回のように不穏分子は叩いて失脚させるか、裏取引でも持ち掛けることが、あの王子と、彼の右腕である王女にならばできる。後ろ暗い貴族など沢山いるだろうし、その尻尾を掴む腕を確かに彼らは持っているのだから。
だが、それは今ではない。
王女がヴァイスの言葉を、幼さ故の戯れ言と受け取ったかは定かではないが、彼女を含め周囲の動きからすれば、彼女から『ヴァイスには未だ早い』と言われているようなものだ。
「姉上様に格好つけたいならば、不要な接触は避けてください。手に負えません」
「……手厳しいですね」
ばっさりと言い切られ、ヴァイスは項垂れた。
異母兄弟間の接触は難しい。派閥争いのことがあってからは接触は控えるしかなかった。特にユエとは水面下で派閥同士が争っており、妙な憶測を呼んでも困る。髪色の異なる二人の異母兄──クラウディアとは家の対立があり、スカイティアは宮が離れている上に、彼自身が宮殿に引き籠ったことで最初から関係性など断絶状態だ。
だから、ヴァイスが唯一接触できる異母姉に懐いたのは無理もない。しかし、それでも彼女がヴァイスをどう思っているかなど分からない。相手は〈冷静で聡明な王女〉と呼ばれる異母姉だ。優しく頭を撫でる中で、如何してくれようかと頭を巡らしているのかもしれない。……あぁ、考えたくなかった。
「……或いは、素直に当たって砕ける覚悟でぶつかってみますか?第一王子殿下と第一王女殿下の本音を聞くことができれば、道が開けるかもしれませんね」
「真逆なことを言いますね!?」
「仕方ないでしょう、動きようがないのですから」
投げやりな伯爵に、ヴァイスは愕然とした。
「正直、あの第一王子の前で自由気ままに振る舞っていられる方々が稀有だと思いますよ。貴方も第一王子殿下の前では怯えているでしょう」
「怯えてなど…!」
いない、とは言えなかった。ユエの機嫌一つで、言葉が喉奥に貼りついたように出て来なくなる。異様に乾く口内、思うような言葉を乗せられない舌に気付いた時、何を言おうとしたのか、何が言いたかったのかも忘れてしまう程、その場の空気に圧倒されてしまう。
「第一王子殿下が王に望まれる理由は、それも一つですよ。貴方にはない、王の風格とでも言いましょうか」
歯に衣着せぬ物言いに、ヴァイスは思わず半目になる。
「シュナイザー伯爵、僕は時々貴方が誰の味方なのか分からなくなりますよ」
「味方?おかしなことを言いますね。私が何時、どなたの味方と公言しました?」
あっさりと、まるで切り捨てる様な言葉に、ヴァイスは唖然とし、ぐっと唇を噛んだ。
「……それは、僕の味方でもないということか」
「時と場合によります。全面的に応援し、信頼するというのは難しいでしょうね」
ばっさりと言ってのける祖父の存在に、ヴァイスは顔を顰める。
昔から手厳しい祖父ではあったが、孫を無条件で信じ、応援する気は更々ないらしい。……いや、だからこそ伯爵でありながら、周囲に畏れられ、王に見込まれているのだろうけれど。
「そういう点では、正直、第一王子殿下と第一王女殿下の関係性にも疑問を覚えます」
「関係性?」
「私は、第一王女殿下が第一王子殿下の手駒になっているとは思えない」
「その表現は如何かと思いますが……姉上はユエ兄上の右腕と…」
「政に関する事柄では、ね。ですが、それ以外……そう、例えば、貴方と第一王子殿下の敵対関係が明確になった場合、王女殿下はどちらに付くのでしょう」
「……それは、ユエ兄上では?」
ヴァイスは言いづらそうに異母兄の名を上げる。異母姉が自分を選ばないことは分かっているのだ。
しかし、シュナイザー伯爵は言葉を濁すことを許さない。
「何故です?第一王子殿下が王に相応しいと思っていると、王女殿下ご自身が明言なさった?」
「それはありませんが……少なくとも姉上はユエ兄上と親しくしておられますし、兄上の手腕を間近で見ているのは姉上です」
「確かにそうですね。愛国者の王女殿下は、王に最も相応しい方を応援されるでしょうけど……」
「……伯爵、僕には貴公が何を仰りたいのか分かりません」
結局は、伯爵から見てもヴァイスは王の器ではないと言いたかったのか。
「…………そうですね、私も分からなくなりました」
……老化ですか?……睨まないでください、思っただけなのに、何故分かるのですか。
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