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元・奴隷の少年は王宮を駆け回る  作者: 水月
月の思惑
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セオドア侯爵家

「な、何ですか、これは…!?」


 目の前に差し出された書類の内容に、セオドア侯爵は戦慄した。

 場所は、セオドア侯爵家の屋敷だ。人払いをした応接室で、セオドア侯爵は高貴な客人を迎えていた。


「見ての通り、第二王子クラウディア殿下に対する誘拐計画書ですけど?」


 テーブルを挟んで優雅に微笑むのは、ルゼノ第一王女アルトステラ。そして、その傍らにいるのは誘拐計画の対象──第二王子クラウディアだ。


 夕闇のような、紅の髪。夜空のように深い青い瞳。お伽噺の王子とは対照的な容姿に、それでも流れる血は確かに王族のものであり、その後ろ盾となるのは三大公爵家の一角──シーザス公爵家だ。

 セオドア侯爵は、その血と権力を欲した。

 シーザス公爵家は赤髪の王子を王位に就けるために、高位の金髪の令嬢を欲した。それも聡明な令嬢では都合が悪い。将来の王を生む令嬢が、自分の頭で考えて家を裏切っては困る。家を頼り、言いなりになる娘の方が具合が良い。

 だからこそ、思惑が、利害が一致した両家が共謀して練ったのが、この書類に綴られている計画だ。


(どうして、こんなものが…!)


 地位の劣る侯爵家であるが、だからこそ血判を交した。互いに裏切らないことが絶対だからだ。

 それなのに、何故、その血判を交わした書類が此処にあるのか。


 クラウディアが王城に戻ったと聞いて、セオドア侯爵は一目散にシーザス公爵家へと向かった。

 騎士団の任務で手薄な警護である時に第二王子を襲撃し、攫うこと。その後にシーザス公爵家へと運び、そこでセオドア侯爵の娘と過ごさせる。


 ……そういう計画だった。任務の際にはシーザス公爵家の三男である騎士が襲撃者の援護をし、失敗するようなことでは無かった筈なのに。


 クラウディアが迷子の保護の為に城下に向かったところで襲撃は確かに実行され、手傷まで負わすことができたという、騎士の証言を得た。

 しかし、その後から消息が掴めないところまで逃げられたと言うのだから、クラウディアの腕を見誤ったと言う、余りにも間抜けな回答だった。その結果、事態は真逆の一途を辿っている。


 何故、王子は王城に戻り、襲撃計画者まで知っている?

 何故、王女の手に計画書そのものが渡っている?


 セオドア侯爵の頭は数え切れぬ疑問で埋まっていた。

 焦りと、恐怖と、掴みかけた野望を失うことへの絶望と。忙しく駆け巡る己の感情を整理しようと、頭を巡らせるが、それも上手くいく筈がない。


「──お嬢様!お待ちください!!」


 そんな中、突然開いた扉の向こうからセオドア侯爵の娘が飛び込んできた。


「ミーシャ!」

「クラウディア様…!」


 咎める声など耳にも入らない娘は、その場にいたクラウディアに詰め寄った。

 漸く待ちに待った王子が逢いに来てくれたのだと疑わない娘の純粋なる恋心は、侯爵が己の悪事の証拠を突き付けられた場には余りにも場違いだった。


「やっと、やっと会いに来てくださったのですね…!」


 恍惚とした娘の眼差しに、クラウディアは深青色の双眸を眇めた。

 可憐な容姿だが、彼女の年齢を鑑みればまるで淑女教育を受けていない幼子のような態度。三月ほど前に一度会った時もそうだが、この家の者はそれを何故許したのか。


 父親の言いなりになった娘。政略結婚の駒と考えれば、それもまた一つの育て方かもしれないが、このまま彼女を妻に、と望む者は現れないだろう。少なくとも、家を守るような教育は受けていないのだから。


「何の事かは存じませんが…年頃のご令嬢が、男に易々と近づくものではありませんよ」

「そんな…!」


 恋焦がれていた王子からの拒絶に、娘が驚愕と落胆を滲ませる。その傍らで、愉快そうに笑みを浮かべる王女の存在は娘の目に入ってすらいなかった。


「辛辣ね、クラウディア」


 もう少し優しくして差し上げたら?とステラは小首を傾げて、クラウディアの手に触れる。その手を大切そうに握ったクラウディアに、侯爵令嬢は更に愕然とした。


「どなたなの…?私のクラウディア様に触らないで…!」

「私(・)の(・)…?」


 娘の言葉に、ぴくり、と反応したステラが目を据わらせる。自国の王女を知らないだけでも失態だというのに、更なる失言にクラウディアは眉を顰めた。


「まぁ、侯爵……何時から、クラウディア(私の弟)は貴方の娘のものになったのかしら?」

「い、いえ!それは…!申し訳ありません、王女殿下。娘は少々妄想に囚われることがありまして…!」

「お父様…!?」


 娘の愕然とした、か細い悲鳴に似た声が響く。


 己の娘への仕打ちを棚に上げ、精神病とするか。

 それも一つの手であるが、墓穴を掘ったな。


 セオドア侯爵の弁解に、ステラとクラウディアは互いに目配せをする。

 家の傀儡となる為だけに『蝶よ、花よ』と育てられてきた娘には、この場の状況も分かるまい。いや、そもそも目上の者に対しての礼儀すら学んでいない令嬢など、使い物にもならないだろう。


 ──娘を切り捨てる判断は妥当とも言えるが、それだけで済ます筈がないだろう?


「あら、そう……そんなにも大変な令嬢を抱えて、苦労されていらっしゃるのね?」

「あ、い、いえ……娘の妄想は大したものでは…」


 妄想癖による暴走を指摘され、セオドア侯爵は失言を悟った。その顔から見る見るうちに血の気が引いて蒼くなる。


「──私の弟を、我が国の王子を、高が侯爵令嬢に過ぎない娘が自分のものと口にしておいて?」

「……っ!!」


 指摘に言い淀む侯爵に、ステラは表情から笑みを消す。〈冷静で聡明な王女〉であるアルトステラは幼少の頃から政に興味を持ち、自ら気に入らぬ縁談を壊すような生意気で手のかかる王女だと噂で聞いていた。

 そんな破天荒な王女を周囲は何度も諭し、王家ではなく、母親の実家である公爵家の従順な駒になるように教育しようとしたが、失敗した。


 ──失敗した結果、こんな化け物が生まれた。


 セオドア侯爵の認識と、周囲の認識はそう変わらない。王女が政に関わらない歴史を築いて来た中で、運命の悪戯か、この時代に化け物が産み落とされた。この化け物にその地位を追落とされた者は少なくない。

 それに対し、ステラを消そうとした輩も大勢いた。しかし、その全てが失敗した今、王女アルトステラは此処にいる。


「大変だわ……貴方の娘によって、王家がセオドア侯爵家の所有物だと触れ回られるところだったの」

「決してそのようなことは…!」

「えぇ、えぇ、そんなことはありませんわよね?」


 ──すべては貴女の娘…ミーシャ嬢による妄想、ですものね?


 嫣然と微笑む王女は美しく、同時に恐ろしかった。娘とそう歳の変わらない王女だと言うのに、何故こんなにも気圧されるのか。王女の一言一句、その一投一足がセオドア侯爵の心臓をわし掴む。


「勿論でございます…!」


 上擦りながらも何とか音にできたのは、年の功か。

 それでも、この場でのやり取りがなかったことにはならないが。


「お父様、酷いですわ!」

「黙れ!お前は下がっていろ!!」

「クラウディア様が私を選んでくださったのだと、お父様は仰ったではないですか…!シーザス公爵家の方々も歓迎してくださったと!」

「黙れと言っているだろう…!」


 娘の言葉は全て事実であろう。しかし、この侯爵は認めまい。認めたが最後、己の末路など分かっているだろうから。勿論、認めなくともクラウディア誘拐計画を立てた者の末路は変わらないけれど、今はただ足掻くだけ足掻けばいい。足掻いて隙ができればできる程、此方も策を打てると言うものだ。

 全ては御飾の王子妃に、ひいては己の思うままの未来の王妃にする為だけに育てた娘に裏切られたように映るだろうけれど、それはお門違いと言うものだ。


 ──すべては、己の思うままにしようとした結果。自業自得以外の何物でもない。


「……哀れねぇ」

「どちらが?」


 ぽつり、と呟かれた王女の言葉に、彼女の異母弟は問いかける。


「野望を抱いたが為に落ちる侯爵も、そんな侯爵に利用された令嬢も」

「……後者は兎も角、前者は自業自得では?」


 巻き込まれたならばまだしも、自ら望んだ勝負に負けただけの話だ。哀れむ必要など何処にもない。


「じゃあ、敢えて無様とでも言いましょうか?」

「……申し訳ありません、オブラートに包んでくださったのですね」


 クラウディアは表情どころか眉一つ動かさない異母姉に失笑する。


 第一王子派は一枚岩ではない。虎視眈々と、自己利益を狙っている輩の塊だ。そうして野望を抱き、こうして転落する者も後を絶たない。


(さて、兄上は如何なさるお心算なのか)


 実質的な王太子であるユエルディーネと、対抗勢力の旗頭であるヴァイスルナハルト。二大巨頭の戦いは水面下で行われているが、クラウディアを推す声も少なくない上に、王弟の動きも不明だ。

 ルゼノ王の意向は、息子とはいえ王子の分際で推し量れるものではない。しかし、ユエを王太子に決めてしまえば、あからさまな対立は消えるだろう。


 ──だが、そうされない理由が、陛下の中にあるのだろう。


「……そろそろお暇しましょうか」

「そうしましょう」


 親子喧嘩へと発展した侯爵家に長居は無用。既に令嬢は幼子のように泣き出しているが、罪を認められない侯爵は聞く耳も持たないだろう。後は裁きを待つ身だと言うのに、往生際の悪い。

 そんな侯爵に利用され、果ては精神病扱いされた令嬢に憐憫の情は抱くが、それでも助けてやれるほどクラウディアはお人好しではない。

 まして何不自由なく過ごし、周囲から打算込とはいえ愛され甘やかされて育った令嬢と、王の子でありながら髪色で蔑まれ、敵を自分の手で屠って来たクラウディアは余りにも対照的過ぎた。


(箱庭の夢は、最早これまでだ)


 セオドア侯爵の呼び止める声を無視して、ステラとクラウディアは屋敷を後にする。表の馬車には何処からか現れた、何処かで見た使用人がいた。


「もしかして、令嬢があの場に現れたのって」

「さぁ、何のことかしら?」


 素知らぬ振りをする異母姉と、まるで客人をお送りする為に現れただけとばかりに使用人然とする青年を前に、クラウディアは少し、ほんの少しだけ先程よりも令嬢を哀れんだ。


 ……だって、あの令嬢を利用したのは此方も同じ。この異母姉と、今頃、異母弟とともに王城でアージェスト家の者を窮地に追い込んでいるであろう異母兄は何時からセオドア侯爵に目をつけていたのか。


 令嬢にクラウディアの訪問を告げたのは、この使用人に扮した異母姉達の手駒だ。そうでなければ、あの時機を見計らった様に令嬢が現れるなど有り得ない。


「……やっぱり、優しいのね」

「誰がです?」

「貴方のことよ、クラウディア。私の可愛い弟」


 ステラににっこりと微笑まれ、クラウディアは何のことかと首を傾げる。それでもステラはそれ以上の言葉を告げることなく、迎えの馬車へと乗り込んだ。

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