アージェスト子爵家
「──態々、僕の弟の部屋まで何用かな、ジョン・アージェスト殿」
優雅な居住まいで、普段殆ど使わない部屋の中に通したユエは、隣にスカイティアを伴っていた。スカイティアは緊張からか、無表情だ。
王子として動くって、同席するだけ?って言うか、俺も必要?
ヒカルはまたもや巻き込まれていた。……いや、必要なことには協力しますけど。
「は……ご兄弟の団欒中にお邪魔をしてしまいまして、申し訳ありません」
引き攣る男の顔。明らかに機嫌を損ねているユエと、散々忌避していた『黒髪』の王子、奴隷上がりの小姓モドキがいるのだから表情が硬くても不自然ではないが、王子の機嫌を損ねてまで昼時に尋ねるのは不審だ。
「……それで?」
「はい、我が家の三男、フィンデルが保護されたと聞きまして。感謝申し上げます」
「保護、された」
ユエは抑揚なく男の言葉を繰り返した。
「は、はい……迷子になった所を騎士に保護されたと」
「依頼は、アルセル侯爵から騎士団へ、だ。貴殿からは依頼も受けていないし、僕とは関係ないね」
ユエの言葉に、男は凍りつく。
(……何をしに来たんだ、この男は)
異母弟が保護されたと言う点に関して、家族として礼を述べることは間違いではない。しかし、その保護をしたのが第二王子クラウディアであることを知っているのか。それならば、何故、ユエの元にやって来るのか。
(……いや、最近はクラウディア様がスカイティア様の部屋に入り浸っていたけどね)
「で、ですが……弟のことですし、私が感謝を述べても不思議では…」
だったら、自分で捜索依頼出せよ。不自然すぎるんだよ、タイミングといい、尋ねる相手といい。
男の態度にヒカルは眉を寄せかけて思い止まった。……俺は貝なの。置物なの。空気……とまではいかないけど。
「貴殿の弟君を捜索していた時、僕の弟が襲撃に遭った」
……はい、不機嫌な理由その一ですね。
「それはっ、ご無事なのですか!?」
「腕を負傷したが、問題ないよ」
「それは幸いです」
男はほっと息を吐いて見せる。が、それがわざとらしく感じる。ヒカルが擦れた原因──奴隷生活の経験からすると、明らかに相手に媚を売っている感が否めない。
いやね?別にそれが悪いとは言っていないよ?強者に媚び諂って生き抜くのは弱者の知恵だよ?
でもね、それが身近に迫ったら振り払うのも身を守る術なの。
「……それでね、何の用だろうか」
改めて問い掛けるユエに、男は意表を突かれたかのように目を瞠る。
「は?あ、いえ、保護された弟を引き取りに…」
「まあ、建前としては当然だよね」
「は…?」
男の目が、今度は驚愕から見開かれる。二の句が継げない様に、それが図星であることを悟った。
「だからね、僕は君の後ろ暗い事を知っているって言っているんだよ?」
にっこりと、お伽噺の王子様は微笑みかけた。
……うん、いい笑顔だ。優しい、まるで菩薩のようですよ。ユエ様。
でもね、多分これは般若になる数秒前だと思うんだ。
「その弟に、後ろ暗いことをしている証拠を掴まれているだろう?」
「っ!?」
「知らないとでも思っているのかな?あぁ、別に君がそれで王家を侮辱しているなんて思わないよ?」
──そのことがなくても、随分とふざけたことをしてくれているもんね?
間近で聞いたユエの声に、背筋が凍る。空色の目の何と冷たいことか。
ほら、やっぱりぃ…!此処で終わらせる気満々ですね!?ユエ様!
見た目だけはお伽噺の王子様!でも、中身は確りと為政者の王子様…!
「のこのことやって来て、あっさりと弟を連れ帰ることができるとでも?」
「それはっ…!」
「お前達に始末されることが明白なのに?」
「何のお話ですか…!?私にはさっぱり…」
「恍けるのは自由だけど、実はね、東にある港に捜索が入っているんだ」
「!!!」
畳み掛けるユエに、遂に男は何も返せなくなった。それでもユエは攻撃の手を緩める気はないらしい。
「だって、クラウディアってば用意周到でね?王宮に帰って来る前に君の弟…フィンデルとちょっと冒険して来たって言うんだよ?」
凄いでしょ、僕の弟!とばかりに語り出すユエの何と楽しそうなことか。
本当に異母兄弟が大好きですね、第一王子ユエ様。
まぁ、俺も、クラウディア様の冒険譚を聞かされて吃驚しましたとも…。
ヒカルは楽しそうに語り出すユエに何処か遠い目になる。
だって襲撃された迷子を連れて、証拠を基に港の船を捜索するとか。
貴方は騎士とはいえ、王子様ですよね?此処にはいない第二王子クラウディア殿下、そして未来のアージェスト子爵様。今、お二人の冒険譚が第一王子殿下によって披露されておりますよ。
「港の船を捜索したら出るわ出るわ、不審物の数々。それも荷の中からは、君のサイン入りの書類も出たそうだよ?」
「……そ、それは!」
「密輸か…それも歴史ある国の、由緒正しい貴族が……どうやら、お父上の、跡取りを選ばれる目は正しかったようだね?」
凍てつく眼差しは、獲物を狩る獣のそれ。
既に暴かれ、差し押さえられているという証拠の数々は全てクラウディアとアージェスト子爵家の三男の主導によって集められたものである。
……ユエ様の帰還時刻予想を裏切って何をしているかと思えば、単独捜査ですか。
いやね?別にそれは許可を得ているだろうからいいんだけど、アージェスト子爵家の三男様、その行動力には敬服したしますよ。
それに付き合っちゃうクラウディア様もどうかと思うけど、あの人も直情型の行動派だから似た者同士なのかなぁ。
次々と上げられる証拠の数々と、弟から得たという証言、それから予てからの疑惑さえも晒されて、男は既に虫の息とも言える。
「兄上、少々その怒気を抑えられては?……お相手が何も話せていませんよ」
既に反論の材料も、弁解の余地もないことなど分かっていて、敢えて話させようとする腹黒いスカイティア様、登場。
(……本当にいい性格しているよね)
それにしても、スカイティアの黒髪から覗く青い目に凍てつく男の何と無様なことか。
三男のフィンデル様とは大違いだ、とヒカルは内心で溜息を吐く。
この男が訪問する前、クラウディアの進言からユエはフィンデルと話すことを決めた。……話し合いに何故だかまた同席させられたけど。いや、見ていただけだけどね?
フィンデルはとても勇敢な少年だった。自分が始末されることを察して家を抜け出した彼が何も持たずに逃げ出す筈もなく、異母兄達の悪事の証拠をクラウディアに提出した。そして、迎えに来た騎士達とともに取引の現場である港に乗り込んだのだ。
そんな話を聞いて、ユエは実に愉快そうだった。
『──我が家の不始末は自分でつけたいと存じます。これが我が家の取り潰しとなる理由になろうとも、それが僕の最後の矜持です』
彼は父親から譲り受けたという家紋が入った剣をユエの前に掲げた。王家への忠誠を違える心算はないと、まだ幼いながらに決心していたというのだから、その英姿には息を呑んだ。
金色の髪から覗く深い緑色の目は何処までも先を見据え、この国の憂いを払うことに真摯に取り組む姿こそ、貴族として、彼が家を継ぐことが相応しいと物語る。
(それに比べて、この目の前にいる男は如何か)
ヒカルはじっと目を据える。既に返す言葉などなく、王子の前で項垂れている男は、あの気高いフィンデルとは似ても似つかない。
「嫌だなぁ、別にそこまで怒ってないよ?」
「あぁ、この程度の輩など見慣れていますか」
納得したようなスカイティアに、ユエの視線は目の前の男へと向けられる。
「序でに断罪の程度もね……国家への反逆者にはそれなりの末路が用意されているけど、お前にはそれですら温かろう」
「そんな…!」
「弟の爵位継承を邪魔したいが為に、後妻であった夫人を手に掛けたそうだな?」
「っ!?」
はい、不機嫌な理由その二です。
「まだ幼いフィンデルには耐え難い事実であろうから、彼には伝えてはいないよ……あぁ、あの子ならば気づいていたかもしれないが、ね?」
口元に笑みを湛えながらも、その青い瞳は笑っていない。お家騒動と言えばそれまでだが、ユエが怒る理由は、彼の異母弟も関わるからだ。
「……何が、いけないのです?」
ぽつり、と男の口から零れた言葉に、ヒカルは表情を動かしかけて思い留まった。此処ではヒカルは貝であり、置物なのである。
空気にならないのは、この髪色と目力さ。
呪い?そんなものはないけど、存在感は抜群です!
「あの継母は……いや、あの女は我が家に転がり込んだ害悪だ!」
意気消沈としていたことが嘘のように力強く声を張り上げる。
「あの女の元の髪色は不幸を齎す『黒』だった!それなのに、あろうことか先代はあの女を奴隷ではなく妻として迎えた!それが知れ渡れば、アージェスト子爵家始まって以来の大醜聞だ!それなのに、その女が産んだ子供を跡継ぎにするなどと血迷ったことまで遺言として残した!!こんなことが赦される筈がない…!!」
男の咆哮が響く。控えていたレーウィスと、護衛の騎士達が剣に手を掛けた。
聞くに堪えない罵倒が続く中、ヒカルはそっと息を吐く。
……はい、差別意識が根付いている階級でしたね。というか忘れがちだけど、此処は差別国家のルゼノ。金髪を美しいと称え、他の髪色を蔑むお国柄でした。しかも、此処はその中枢の王城内です。周囲にいるのは王族と貴族ですよ、当・然。
(なーんて、俺が呑気なのもお隣から物凄く寒々しい冷気が吹雪いているからなんですけどね)
その冷気の出所を伺えば、見なければよかったと後悔するようなユエの姿があった。
「──血迷ったことを口走っているのはお前の方さ。それは、此処にいるのが僕の弟と知っての言葉かい?」
怒りを全く抑える気がない第一王子ユエルディーネに、男は漸く継母であった夫人への暴言を止めた。否、止めざるを得なかったのだろう。レーウィスの顔からも笑みなど消え失せて、真顔だ。怒りも呆れも憐みも全てを無に返して、ただそこにいる。
……吹雪警報発令です。俺が逃げたい、この猛吹雪から疾走して逃げたい。『黒髪』への暴言云々よりもこっちの方が大問題です!
ちらり、とスカイティアの様子を伺えば、彼は既に吹雪の猛威に晒されていた。逃げられない。
「……っ!」
「言いたいことがあるなら聞こうか?」
──此処で何を言おうと、お前の末路は変わらないからね。
息を呑む男に、ユエは全てを曝け出せとばかりに冷笑を浮かべた。しかし、そのユエが纏う威圧に耐えかねたのか、上下する男の喉に音を発する力はなかった。
「つまらないね、本当に……お前の継母が害悪?お前自身の手で、代々続く家を破滅に追い込んでおいて?……自ら破滅を選んで責任転嫁するなんて、貴族としても人間としても最低だね」
ユエの呟くような説教に、男は再び項垂れた。吠える力など残っていないのか。
「──お前が害悪と言う髪色を、僕はとても綺麗だと思うよ」
ユエはそれだけ告げると、男を連れ出すように命じた。騎士に囲まれた男は憑き物が落ちたように大人しかったが、それでもスカイティアやヒカルをその目に映すことはなかった。




