罠3
森の中にある小さな小屋は普段使われていない。毎年の秋頃、山から下りて田畑を荒らす動物を狩る時に使われるだけだが、毎年使われているためか整備は行き届いていた。備蓄された食料と、寒さ除けの毛布があるだけでも万々歳だ。長居する心算はないが、あるには越したことは無い。
「さて、此処からどうするか」
「申し訳ありません、殿下」
ぽつり、と呟いた第二王子クラウディアに頭を下げて謝罪するのは迷子の少年──という体で保護を依頼されたアージェスト子爵家の三男フィンデルである。
そう、騎士団が依頼された内容では迷子の捜索なのである。知り合いのアルセル侯爵の元を訪れる筈だった子爵家の子息が約束の時間にもなっても現れず、子爵家に確認取ったところ屋敷を出たきり連絡がないとのこと。それを心配した侯爵により、騎士団に捜索依頼が舞い込んだのだ。
……この時点で、色々おかしい。アージェスト子爵家とアルセル侯爵家は縁戚関係もなく、ましてはまだ十歳の子爵家の三男が侯爵に個人的な話があることも客観的に見ればおかしいし、捜索を依頼するのが実家である子爵家ではなく、アルセル侯爵であるのが不可解極まりないだろう。
本来、クラウディアはこの依頼を受ける担当になかった。王位継承権が低いと言っても、クラウディアは王子なのである。王族である以上、自分の身を守らねばならないことは分かっていたが、依頼の不自然さに名乗りを上げていたのである。そもそも依頼の内容に続いて、捜索する騎士の大半が伯爵家以上の高位貴族で構成されていたのだから、訝しまない方がおかしい。
……これ、絶対にユエ兄上の差し金だよな。アルセル侯爵は兄上を前面に出さない為の替え玉か。用心深いことで。
アージェスト子爵家の一部に因るきな臭い噂は耳にしていたが、とフィンデルを見やる。
市井の出の母親を持つと聞いたが、随分と確りとした少年だ。ユエが上二人を押しのけて後釜にした子爵を支持した理由も理解できる。
「元々これは騎士団の使命だ。保護の対象である君が気に病むことは無い」
「ですが、まさか殿下が襲撃されるなど…!」
クラウディアの腕は彼を庇った時に追った傷がある。既に止血しており、幸い毒は含まれていなかったので大事には至っていない。襲撃からは逃れたが、追手は諦めていないだろう。護衛である〈影〉は襲撃を受けた時に逸れて以降、まだ追いついていない。まだ襲撃者の方を追っているのだろうか。……まぁ、その内来るだろう。
「その件に関しては兄上達が動いて下さるだろう。君は兎に角、食事を摂って明日に備えてくれ」
正直、一人で子供を抱えて走り回って疲労が堪っている。城に向かうには体力の回復が絶対条件だ。クラウディアは馬でも借りられれば夜通し馬を駆れる自信があるが、それを子供に強いるのは気が引ける。
同じ年頃のヒカルならば、じとっと物言いたげな──それこそ目は口ほどにものを言うとばかりに──目をクラウディアに向けて「クラウディア様は成人される前も、さぞ体力には自信がおありだったのでしょうね」とか、直接的に「ご自分の体力と、子供の体力が同等だとでも?」とか言いそうだ。……あぁ、本当に遠慮がない子だと想像した自分に笑えてくる。
「……お怒りにはなられませんか?」
緩みそうになる頬を隠して携帯食を取り出したところで、フィンデルが震えた声で問い掛けてくる。
「……何を?」
「私どもの兄弟喧嘩に王家の方を巻き込んでしまったことに関して、です」
フィンデルは頭を下げたまま言葉を紡ぐ。
「私は王家の方々に保護して頂けるような身分ではございません。今回の一件をお家騒動と片付けられてしまえば、それまでです。しかし、私にはやらなければならないことがございます……分不相応なお願いをしてしまったこと、大変申し訳なく思っていますが……何卒、私をユエ殿下の元まで連れて行ってくださいませんでしょうか」
「兄上の元に?」
……成る程、彼自身の伝手は分からないが、やはりユエ兄上が関わっていたか。
もしかしたら、ユエの都合次第では後日会う約束をしていたのかもしれない。しかし、その前に襲撃を受けることを察して家を出た。そのまま王城に行っても門前払いになる可能性と、道中の危険性を鑑みて、迎えを寄越して貰うことにした結果が、この迷子の保護、という建前なのだろう。
連絡手段は謎だが、指示通りに向かった先にフィンデルがいたのだから、それなりに打ち合わせはしていたのだろう。……さて、帰ったら答え合わせでもするか。
未だに額を床にこすり付けるように頭を下げているフィンデルを見やり、クラウディアは溜息を吐く。その拍子に子供の肩がビクリ、と揺れた。
「先程も言ったように、私は依頼を受けて君を保護しに来たんだ。君から頼まれなくてもやることは変わらない……ユエ兄上に会えるかは私の一存では分かりかねるが、依頼人がアルセル侯爵である以上、兄上にも話は通るだろう」
「分不相応な身で、大変申し訳ありません」
フィンデル、と名を呼んで、顔を上げた彼に携帯食を手渡す。
「食べて寝なさい。明日は下手をすると強行突破になる」
「はい、お心遣いありがとうございます」
王子の傍で眠ることは不敬だと思っているのだろうが、寝不足では却って足手纏いになると諭せば、漸く力が抜けたのか糸が切れたように直ぐに眠り込んだ。ずっと緊張していたのだろう。
どのくらいの間、一人で襲撃に怯えていただろうか。
ふと、そんなことを思う。王宮で育ったクラウディアとて己の身を守るために屠ってきた襲撃者は数知れないが、それでもこんなにも幼い子供を手に掛けようとする輩が気に入らない。その理由が、自分勝手な理由であれば猶更だ。
「……さて、兄上達は気付いて下さいますかね?」
自力で帰還できればそれに越したことは無いが、仲間と合流できるなら早い方が良い。
残してきた目印と、実験段階ではあるが、あれが出て来るならば、明日にでも見つけてくれるだろう。
楽観的な見方は危険だとユエには叱られるかもしれないが、それくらいには信頼しているのだ。
あぁ、帰ったら、何をしようか。
兄上とスカイティアからの叱責が真っ先に行われるかな、と頭の端で思いつつ、それでも最後は「お帰り」とでも言ってくれるだろう。姉上は……体当たりかな?まだ此方から突撃していないのに、やられる前に仕掛けるか。あの姉なら、笑って受けとめてくれるだろう。
そんな悪戯心さえ湧く程に腹違いの兄弟達から愛されているのだと、自分が認識していることに改めて驚いて、また苦笑する。それと同時に、この子供が置かれている状況が残酷なまでに己と対照的だと思う。
クラウディアは、まるで身を守るように丸まって眠る子供に手を伸ばす。さらさらと髪が流れ、すやすやと寝息を発てる子供の顔には薄らと隈が浮かんでいるのが見て取れた。
……あぁ、早く帰りたいな。
悪意渦巻く王宮の中で漸く見つけた安寧の元に。
◆◇◆◇◆
一方、夜が明けたルゼノ城の一角では。
「はーい、質問です」
まるで学び舎の教師に対するように、ヒカルは手を挙げてユエに声を掛けた。
場所は王宮の敷地内の森の一角。最近よく利用する馬場や弓の的などがある場所とは別に設けられた鳩舎のような小屋がある区域に、何の説明もなく連行されたヒカルが質問をしたくなるのも無理はない。
俺、必要?だって、此処にはユエ様は勿論、ステラ様、スカイティア様にレーウィス殿……さらには王女の従者であるシュテルイン殿を初めとした騎士達もいるし。
ちらり、と視線を向けて確認するが、誰もヒカルの存在を気にしていない。序に、ヒカルの状態も気にされていない。
何?空気?俺、空気扱いなの?
あの、忘れられていそうだけど、俺は元奴隷。今では小姓モドキですが、明らかに身分差あるの。浮いてるの。……何故に、俺はお部屋でお留守番という選択がないのでしょうか。
ヒカルが部屋に残されることがない訳ではない。スカイティア達に仕事を強請って、部屋の掃除や兄弟間で借り貸しされる本の整理する時にはスカイティアを馬場や城下に追いやるのだ。
え、酷い?だって、下手に手を出されると順序が狂うんだもの。
と言うかね、スカイティア様は王子様なんだから、貴方は大人しく座っているなり、他の部屋で過ごしていてくださいな。掃除は貴い身分の方がやることではないのですよ。……そういう点では伯爵子息である筈のレーウィス殿が妙に手慣れているのも謎ですが。
スカイティアはユエの部屋に比べれば本の数は少ない。というか、ユエの部屋が丸ごと書物専用の倉庫になっている時点で、その膨大な量を察して欲しい。しかし、読みたい本を読みたい時に読むという考えの元、あちらこちらに読みかけの本が散らばっているスカイティアの部屋も大概である。できる時に整理しなければ、と妙な使命感に燃えたのは仕方ないことだろう。
まぁ、そこはさて置き、現実に目を向けよう。
この際、何故か右手がスカイティア様に確保……基、繋がれているのもスルーします。
「……此処は何の為の場所でしょうか?」
自分のことを気にしていたところで変わらないだろう、と半ば諦めて、クラウディアが行方不明である以上この場に集合したことに意味があるだのだろう、と問うことにした。
目の前に存在する建物は鳩舎にしては大き過ぎる気するが、その中に見える影は鳥類特有の形をしている。……鳴き声も、鳥だね、多分。
「此処はね、シュテルインを初めとした精鋭部隊の訓練場だよ」
「……鳩ですか?」
「鷹だよ」
「……シュテルイン殿は鷹匠でしたか」
無表情が常の王女の従者が建物の中に入ると、腕に大きな鷹を乗せて出て来た。猛禽類特有の大きな爪ががっしりとシュテルインの腕を掴んでいるが、痛くはないのだろうか。ギロリ、と鷹の目が辺りを伺うように動く。よく見ると愛らしく円らな瞳だが、猛禽類の鋭い嘴が相殺している。それ所かマイナスポイントです。
「そうそう、昔からシュテルインの相方だった鷹が凄く有能でね。王宮でも取り入れられないかと、試験段階だったんだ」
「今回は鷹を使うと?」
「あぁ、念の為にクラウディアには笛を持たせているからね……クラウディアも定期的に笛を吹いてくれると思う。シュテルイン、頼むよ」
「はい」
シュテルインは鷹と視線を合わせて何かを呟くと、大きく腕を振って鷹を空へと羽ばたかせる。大きく弧を描いて旋回し、その姿は雄々しくも美しい。青い空にはためく鷹の姿は徐々に小さくなっていく。
「さて、君達も宜しく頼むよ」
「「「はっ!!」」」
ユエの期待に応えるべく、騎士達はすぐさま方々へと散った。鷹が戻ったら、互いに知らせる笛を吹くのだろう。この場に残ったのは最早お決まりの面子である。
「俺、此処に来る必要がありました?」
「折角だから、見せておこうと思って」
「……スカイティア様に、ですか?」
恐らくヒカルとスカイティアの二人に、だとは思う。しかし、隣の様子を知れば却って冷静になってしまうのは仕方ないだろう。
「君は冷静だね……まぁ、まさか、スカイティアがあんなに食いつくとは思わなかったけど」
シュテルインが空に解き放った鷹の影は既にもう見えない筈だ。それでも尚、空を見上げて目を輝かせるスカイティアの様子は正に純粋な子供の様だ。
しかし、それも仕方ないのかもしれない、とヒカルは思う。
羽をもがれた鳥だと、嘗ての彼は言っていた。
広い筈の部屋の中、まるで猫のように部屋の窓辺に居座り、空に焦がれるように向けられる視線は、まるで籠に閉じ込められた鳥のようにただ外の世界に焦がれていた。
……今では見る影もないけどね。
『黒髪』に生まれた境遇を、その立場故に己の死すら肯定して。
それでも憧れがない訳ではなくて、ずっと見ていた空に、焦がれていた外の世界に足を踏み出す機会を得た彼が、無邪気な子供に帰るのは当然だろう。そのきっかけともいうべき彼……赤髪の異母兄の姿はないけれど。
「……早く帰ってきませんかねぇ」
「ん?クラウディアのこと?」
ぽつり、と呟いた言葉をユエが拾って聞き返してくる。ヒカルは頷いて肯定した。
「クラウディア様はスカイティア様のご様子を嬉々としてからかわれるか、と」
「そうだねぇ…とても楽しそうにからかいそうだねぇ」
ユエはそんな光景を想像したのか、穏やかに笑う。
スカイティアはレーウィスに鷹に関して聞いているのか、興奮した様子が見られる。ステラとシュテルインも加わって、より賑わいを見せる。……そこに見慣れた赤髪の王子の姿はないのが、酷く寂しい。
「帰ってきたら、お説教ですか?」
「クラウディアに、かい?」
何処か面白そうにユエが聞き返してくる。……楽しそうですね、ユエ様。
「だって、皆様に心配を掛けた上に、捜索の時間と労力を割かせているんですよ?」
「そうだねぇ、それもいいかもしれない。手土産くらい持って帰って来てくれると思うけど、それ次第かな?」
「手土産、ですか?」
「さて、気づいているかなぁ?」
くすくすと楽しそうに笑うユエに、ヒカルは乾いた笑いを浮かべた。
この王子、理解不能。
いや、策士と言うか……罠に罠を重ね、更には異母弟には試験でも与えているのだろうか。
クラウディア様、ご愁傷様です。今回は貴方に味方したいところですが、この王子は敵に回したくないです。頑張って下さい、その手土産とやらをお忘れずに!
「ヒカル、ヒカル!」
「はい、何でしょうか?」
きらきらとした顔で話しかけてくるのは、勿論スカイティアである。生き生きとしたその表情が、歳以上に彼を幼く見せる。
「鷹ってすごいね!」
「そうですね」
「シュテルインはね、もう五年以上も鷹を扱っているんだって!」
興奮冷めやらない様子でヒカルに話し掛けるスカイティアを、周囲は微笑ましそうに眺めている。あの無表情が常のシュテルインですら口元を緩めていた。
「微笑ましいですわね、ユエ兄上」
「本当にね」
少し離れた場所で言葉を交わすのは第一王子と王女だ。
シュテルインに何かを問うスカイティアに、ヒカルが何かを言って、笑い合う。シュテルインの表情は穏やかなまま固定されているが、それさえも気づかないのか、それとも彼らの中でシュテルインの表情が変わることが当然となっているのかは定かではないが、スカイティアとヒカルはシュテルインと鷹匠談義をしていた。実に珍しい光景である。
「此処にクラウディアがいれば完璧なのに」
腰に手を当てて何処か呆れているようなステラに、ユエは目を眇めた。
「……この中に、彼を引入れようとは思わないんだ?」
「あら、それは此方の台詞ですわ。……彼には彼の役割があるでしょう?」
「そうなんだよね……どうしたものかな」
何処か寂しそうに、悲しそうに。眇められた青い瞳は虚空に馳せられ、風に導かれた金の髪が空を舞った。




