罠
深い森の中。ガサガサと木々を掻き分ける音が響く。
赤髪を振り乱しながら、腕に子供を抱いた青年が一心不乱に森の中を駆ける。
雨上がりの森の土はぬかるみ、触れた木々や葉から雫が滴る。湿度の高さも不快さを増す要因だ。
足場が悪い。鍛えた足腰でも地面に足を取られ、転びそうだ。腕の中の子供の体重が徐々に増しているような錯覚に陥る。
それでも青年は腕の中に抱いた子供を手放す気は全くなかった。
「…っ!」
背後から飛んできた飛び道具を避け、二人はそのまま斜面を転がり落ちて行った。腕に抱いた子供を守るように抱きしめて。
青年達の姿が完全に見えなくなった頃、飛び道具を投げたと思われる男が姿を現す。辺りを見回し、青年の姿がないことを確認すると、苛立ちからか武器を地面に叩きつけた。
「──いたか?」
男が青年を襲った飛び道具を回収していると、その背後から仲間らしき男が姿を現した。
「いや、見失った!」
「ちっ!探せ!」
森に現れたのは数人の男達は青年を探しに姿を消した。
すぐ下の斜面で息を潜める青年と子供の姿には気づかずに。
◆◇◆◇◆
ルゼノ城、王宮。
「え、クラウディア様が行方不明?」
昨日から騎士団の仕事で出かけたきり第二王子が戻らないという情報が、第一王子ユエルディーネによって齎された。クラウディアが最後に目撃された場所から少し離れた場所で、人か動物か定かではないが血痕が見つかっていると言う。
嫌な予感程、当たると言うか。つーか、ユエ様、何か企んでない?
「ヒ、ヒカル?大丈夫?」
ジト目になったヒカルの様子にスカイティアが慌てて声を掛ける。
スカイティア様、大丈夫です、起きています。俺は失神していませんので、ガクガクと揺らさないでください。首が痛いです。
「ヒカル…そんなに僕が信用ならない?」
真正面に立っていたユエはヒカルの視線に思う所があったのか、小首を傾げて問い掛けてきた。
「いいえ、そうではなく……何かの計画中ではないのかと」
「……僕はそんなに腹黒く見える?」
ヒカルの馬鹿正直な言葉に、悲しそうに眉を下げるユエはまさに物語の王子様そのものなのだが、その王子様の顔が仮面であることは周知の事実だろう。
ユエが第一王子であることに胡坐を掻いていれば、その地位は簡単に掻っ攫われている。次代の王位に一番近いことと、その地位を守り続けることは別だ。実力を示さなくては、ルゼノ王は新たな正妃を迎え、ユエをその地位から外した筈だ。また実力を示す中でも、それがルゼノ王の意向に沿わなければ、またその地位から外されただろう。
ルゼノ王の意向に沿いながら、髪色の異なる弟達を守ると言うのは大変だったと思う。……それは想像に過ぎないけれど。
「……巧妙な策士だと思っています」
狸だと、どこぞの何某伯爵と被りますし、あの方とは意味が違うので誤解されないように。
まぁ、個人的には生物の狸は可愛いと思いますが、人間を化かすという言い伝えもありますし、悪賢さを意味する言葉でも使われますね。その点ではユエ様にも合うとは思いますが……多分、伝わらないので自重します。
「……策士、か。それでも肯定する輩はいないと思ったけどね」
ヒカルの返答にユエは一瞬呆気に取られ、次いで苦笑を浮かべる。まぁ、褒め言葉とは受け取れないですよね、普通。
「策士って……まぁ、兄上が色々な罠を仕掛けていたりするのは事実だけど…」
否定しないんですね、スカイティア様。でも、それはそれでどうかと思いますよ?……まぁ、貴方も他人のことを言えませんか。
「スカイティア様も相当ですよね?」
「えぇ?俺もそう思われていたの?」
「……先日発覚したことですよ?お忘れですか?」
そう告げると、スカイティアは視線どころか顔ごと背けたが、レーウィスはくすくすと笑っている。彼は別に行動を恥じる気はないらしい。
あれです、クラウディア様の行動を把握していたってやつ。策士や腹黒とはまた別だけど、性格的には結構難アリですよね?レーウィス殿も結構いい性格していますねぇ……俺にはどうでもいいですが。
「それは兎も角、クラウディア様の行方について、ユエ様は予測済みでは?」
「おや?君はクラウディアが心配じゃないの?」
ユエが意外そうに眉を器用に吊り上げる。……それ、クラウディア様がよくしますけど、やっぱりご兄弟ですね。
「クラウディア様はご自分の感情にとても素直な方なので、煽られるままに言質を取られたりしないかは心配ですが、普通の貴族が相手ならば身分では負けませんし、余程のことがなければ力技でも負けないのでは?」
「多勢に無勢、となれば問題だね」
くすくすと笑みを崩さないユエに、ヒカルは肩を竦めた。
「ユエ様が落ち着かれている時点で、クラウディア様の身の安全はある程度保障されているかと思いますが?」
「……その信頼は何処から来るのかな?」
「ユエ様の行動の全て、ですが?」
寧ろ、それ以外に何もない。ヒカルは王宮事情に明るい訳ではないし、クラウディアが自衛できるとしてもユエの言葉通り、数で攻められたり、人質を取られたりすることでクラウディア自身が思うように動けないことだってあり得る。
ユエが腹違いであろうと弟妹を大事に思っているのは知っているから、その彼が余裕綽々としているのであれば、そこまで心配することはないだろう、というくらいには思っているのだが。
「……ヒカルの信頼が重い」
……思いっきり溜息吐かれました。
「実際の所、如何なのです?兄上」
「クラウディア自身に命の危険はない、と思うよ。でも、詳しいことは分からない」
「では、どういう…?」
部分的な保障にスカイティアは怪訝に眉を顰める。……つまり、精神的な保障は何もない、と。
「少し前からそれらしき動きは察していたんだけどね……クラウディアを引き込みたい輩が動き出したってところかな?」
「……セオドア侯爵ですか?」
「おや、知っていたのかい?」
意外そうに目を瞠ったユエに、スカイティアは肯定する。
「三月ほど前、セオドア侯爵とそのご令嬢と会っていたという話を聞いたのですが」
「うん、それも一つだね……と言っても、これにはシーザス公爵家も絡んでいるだろう。セオドア侯爵だけでは成り立たない事件だ」
それ、先日話したばかりですよ?なんてタイムリーな話題だったのでしょうか。
「……兄上は気を付けると仰っていたのに」
「あの子も、結構抜けているからね」
困ったように苦笑を浮かべるユエの言葉は、どうしてだか温かい。
「抜けていますか?」
「だって、あの子は王子だよ?何より自分は守られる立場であることを自覚しなくてはならないと言うのに、この事態……抜けているとしか言い様がないじゃないか」
王族は特別。髪色を理由に軽んじられていても、彼の中に流れる血は王族のもの。その身を危険に晒すなんて許されないのだろう。
「……手厳しいですね」
「これは王族としての言葉だよ。いくら騎士として生きて行くにしても、簡単にその身を危険に晒していいものではない……王族としての自覚がないと判断されれば、余計に彼が軽んじられる理由になる」
ユエの言葉は尤もだ。ただでさえ髪色による差別を受けているのに、その差別を……扱いの軽さを肯定する要素を作るなど以ての外だ。……それなのに、ユエの言葉が暖かいのは何故だろうか。
「ユエ様は、特別怒っておいでではないようですが?」
「…うーん、怒りたいけど怒れないと言うか。王子はそれこそ特別だけど、騎士としても大事なことがあるからね」
ユエは穏やかに笑う。その表情は何処か困ったようだが、嬉しそうで、見ている者を惹きつけてやまない。……カリスマ性、というのだろうか。
「彼はね、迷子を捜していたんだ」
「迷子、ですか?」
「信じられる?王国で一番貴い身分の王族が、迷子を捜しに自ら足を運ぶんだよ?あの子はこの国が何によって支えられているか分かっているんだ……身分を顧みずなんて、この城ではできないだろう?そんなことを思いもしない」
ユエは複雑そうだ。王族としての行動とすれば褒められるものではないけれど、民を案じられずに国の頂点にいる資格はない。行動は早まったが、その根底にあるものは否定できない、ということだろう。……クラウディア様って案外、情が深いと言うか。
「兄上のお考えはよく分かりました……それで、如何なさるお心算ですか?」
クラウディアが見限られた訳ではないということに安堵したスカイティアは事件へと矛先を戻す。
「うーん、それとなくセオドア侯爵に接触したいところだけど……嫌疑だけでは強制的に自宅の捜索はできないからね」
「え、ユエ様は正攻法で行くお心算ですか?」
ユエの至極真っ当な返答に、ヒカルは思わず突っ込んだ。
「……ヒカル、僕を何だと思っているの?」
「策士な王子」
「うん、それは聞いた。まさか、僕が何処にでも部下を忍ばせているとでも?」
「違うのですか?」
だって、何処にでも現れるじゃないですか。いや、これは変な意味ではなく、的確な情報を常に把握しているというか……国中にユエ様の手駒がいると思っています。
「……スカイティア、レーウィス。ヒカルからの期待が重い」
「すみません、俺も期待していました」
スカイティアの正直な申告に、ユエはレーウィスを見た。レーウィスも困ったように微笑むが、彼も期待していたのだろう。
「……確かに、動きの怪しい家の殆どには忍ばせているけどさぁ」
溜息を吐きながら頭を抱えるユエに、期待の目が向く。
信じていましたとも、第一王子殿下、ユエ様!
「でも、困ったことにまだ見つからないんだ。少なくともセオドア侯爵の屋敷にクラウディアが監禁されている事実は確認されていない」
「では、シーザス公爵家の方でしょうか?」
「それなら厄介だね……残念なことに、あの家には僕の手駒がいない」
「……それでは、其方の確認は?」
「問い合わせてはいるよ。あくまでもそれとなく、だけど。……まだ返答はないが、これは返事が『是』でも『否』でも問題なんだ」
ユエの表情が珍しく苦々しく歪んだ。
「クラウディアは王子ではあるけれど、シーザスの血を引く人間である以上、母親の実家に里帰りをしていても問題がない。何か理由をつけて滞在させていることにしているだろう……少なくとも王からクラウディアを呼び戻すように命令が下らなくては、公爵家は引かないだろうね」
「つまり、仮に兄上が監禁されていても、その事実が揉み消される敵地だということですね?」
「そういうこと……逆に、『否』だったら捜索範囲を広げなければならない」
成る程、厄介なことにも程がある。ユエ様の部下が入り込めないと言う点では、流石、三大公爵家の一角なんだけどね……能力を使う方向が間違っているのが難点だ。
「兄上の姿を最後に見たのはどなたですか?」
「一緒に行動していた筈の、シーザス公爵家の三男だよ。目を離した瞬間に姿を見失ったと失態を嘆いていたけど……」
「……兄上の従兄弟殿ですか」
クラウディア様の従兄弟様ですか……それは確かに微妙だ。
暫定敵地の身内では、信用する方が無理と言うもの。疑われて当然。
「そう……面倒なことにね。王族への報告だから、虚偽はないと信じたいけど」
「……どれだけ信用が無いのですか」
「ふっ……この国の中枢にいれば分かるよ」
ユエの冷笑に思わずドン引きする。……ユエ様が怖い。物凄く怖い。
「分かりたくないです、それは」
「さて、どうしたものか……シーザス公爵家との話し合い、なんて悠長なことを言っている場合じゃないからね」
ユエの固い表情にいい案はないかと思案する。ユエの懸念は想像できる。
目的がクラウディアを取り込むことならば、既成事実を作る筈だ。一夜を共にした、と令嬢との噂を流されてしまえば、真偽はどうあれクラウディアは婚姻関係を結ぶしかないだろう。それがシーザス、セオドア両家の陰謀だといても、クラウディアが姿を消した期間に彼の身の潔白を証明する者はいないことになる。
「……セオドア侯爵家とシーザス公爵家の共謀の線であるかどうか、ですよね。クラウディア様の捜索は勿論ですけど」
「あぁ、シーザス公爵家に確認が取れていない以上、疑うにも材料が足りない」
「では、こういうのはどうでしょうか?」
ユエの返答に、ヒカルは思いついた提案をする。
スカイティアとレーウィスは驚いたように目を丸くするが、ユエは面白そうに口角を吊り上げた。
「……そうだね、それでいこうか」
ユエの決定を受け、急いで準備に取り掛かる。ユエの配下の人間にも協力をして貰い、ヒカルの作戦開始である。
さぁ、急げ、急げ。
クラウディア様は丈夫そうだし、案外自力で脱出をしようとしているかもしれないから大っぴらにはしない方が得策だね。
……というか、個人的にはクラウディア様が誘拐されているかも怪しんでいるんだけど、まぁ、そこは知らない。求められた役割が道化だろうと、英雄だろうと、俺にできることは限られているんだし。
ユエはヒカルの策に必要な人員と材料を集めに、その手伝いにスカイティアとレーウィスも駆り出されることになったが、スカイティアはやる気に満ちていた。異母兄の為に自分ができることがあるのが嬉しいのだろう。レーウィスは微笑ましそうだ。
「ありがとう、ヒカル」
不意に耳元で告げられた言葉に、ヒカルは目を瞠る。
全てを見通した上で微笑みを浮かべるユエに、ヒカルは笑みを返す。
俺が訝しんでいることすら御見通しですね、ユエ様。でもね、俺は踊らされようと別にいいんです。
さっさとクラウディア様がスカイティア様の部屋に帰ってくれば、それでよし。
その時には貴方にもいて頂きますからね?お仕事調整して置いて下さい、ユエ様。




