再来が齎すもの
アルセル侯爵の人物像に関して、補正いたしました。
まだ早朝……そう、まだ日が昇って間もない頃。……まぁ、俺が起床した時間よりは遅いさ。
しかし、確かに彼女はいた。煌びやかなドレスを纏った彼女──スカイティアの異母姉に当たる王女アルトステラはスカイティアとヒカルを捉えると、にっこりと微笑んだ。
ユエに似た美麗な顔立ちに緩やかに巻いた金髪、クラウディアと同じ深い青い瞳。間違いなく、第一王女アルトステラその人だ。
おや、本日は溌剌モードですか?それはそれで嫌な予感がするのですが。
スカイティア様、貴方の部屋は随分と賑やかになりましたね。俺が来た当初、貴方は引き籠りじゃありませんでした?
「お早う、スカイティア、ヒカル」
「お、お早うございます。ステラ様」
ヒカルはスカイティアの異母姉──ステラを捉えると目を瞠った。彼女は一人の従者を連れて現れた。ただし、その従者の腕には多量の高価な箱が積み上げられ、おまけに彼の背後のテーブルにも同じように箱が積み上げられている。……荷物持ちですか、貴方は。嫌な予感はこれですか?
「……何ですか、これ」
スカイティアもやや引き気味だ。積み上げられた箱の数を一瞥したスカイティアが問い掛けると、彼女は「ふふっ」と微笑んだ。
「会食の時に言ったでしょ、ヒカルには銀色が似合うから持ってきたのよ」
「……コレ、全部ですか?」
「えぇ、勿論」
にっこりと微笑むステラは箱からジャラ、と音を立てて銀の飾を取り出した。銀に縁取られた幾つもの宝玉で造られたブレスレット、耳飾りや指輪と銀で造形された鳥や猫などの動物をモチーフにしたブローチがヒカルの目に映る。
(い、幾つあるんだ、これ…!?)
茫然としたヒカルにステラは次々とアクセサリーを飾っていく。……俺は着せ替え人形か。
ヒカルは無言のままステラを見据えた。けれど、彼女はお構いなしに「これも違う、あれも違う」と一人で悩んでいる。
……壁際で置物宜しく立っておられる従者殿よ、貴方の主人は何がしたいのですか?
スカイティア様、感心していらっしゃるようですが、貴方も此方の立場になられると宜しいかと。
「シュテルイン、そっちの箱取って頂戴」
侍従の青年──シュテルインは大人しく従い、指定された箱を空けてはステラが散らかしたアクセサリーを片づけている。左に流された揺れ動く長い前髪が桔梗色の瞳を見え隠れさせる。
やっぱり、左右で目の色が違うんですね、従者殿。とても綺麗です。そう言えば、冷たい印象を受けるくらい整った顔立ちですもんね。
王族とか貴族って、皆、若い頃は顔立ちが整っているよね。それが私腹を肥やすと、ぶくぶくに太るの……で、昔の栄光に縋ってるって無様だよね。
「…姉上、何もこんなに沢山…」
「うん、やっぱりヒカルには銀と青ね。ふふっ…スカイティアと一緒」
すっかりと固まっていたヒカルを見越して助け舟を出そうとしたスカイティアだが、ステラは既に満足そうに微笑んでいた。……あのね、助け舟が遅いの、ご主人様。
「ほら、ティア」
ステラがスカイティアに見せびらかすようにヒカルの方を抱いて振り向かせる。ヒカルの前に片膝をついてヒカルに輝くブローチに目を輝かせた。
「これ、ヴォルファルアの銀細工ですか?」
「えぇ、あの国は様々な装飾品が有名でしょう?隣国のヴェストと共同事業をする話もあるし、価値は上がると思うわ」
ヒカルは鏡に気付いて、その中に自分の胸で輝く銀のブローチを見つけた。
銀の円に雫型のアクアマリンが三つ付いたブローチだ。細かい細工と薄水色の宝玉がきらりと輝く。アクアマリンはスカイティアの瞳の色のようで、ヒカルは思わず見入った。
「……綺麗だ」
「でしょ!あとはね…!」
「まだあるのですかっ!?」
興奮した様子でシュテルインが持った箱のから中身を取ろうとしたステラにヒカルは叫んだ。すると、何かを思い立ったようにステラは飾を箱に戻し、にっこりと微笑んだ。
「そうだ、ティア、ヒカル。今日は私に付き合って頂戴。一時間後に門前で待ち合わせね!」
ステラが宣言した一時間後。
すっかりと日が昇り、気温も上がり暖かい日差しが注ぐ城下。
「あの、姉上?何処へ向かっているのですか?」
城を出た四人は城下を散策していた。ヒカルとスカイティアは白い外套を被り、黒髪を覆っている。こういう点は不便だ。
ざわざわと賑わう城下に居た堪れなさを感じながら問いかけるスカイティアに、彼の異母姉は微笑んだ。
「買い物よ、特に決まってないけど」
「ちょっ……姉上!」
ステラはおどおどしたスカイティアの腕を取ると、颯爽と歩き出した。
見目麗しい腹違いの姉は目を引く。金髪が元々人の目を集めるのだが、ステラの美貌も理由の一つだ。異母姉に集まる視線は隣を歩くスカイティアにも向けられ、スカイティアは表情を強張らせた。
「姉上、この状態はかなり目立ちます!」
「本当におどおどし過ぎ。その引き籠り性を何とかしなさい」
「しかし…!」
異母弟の反論をものともせず、ステラはスカイティアに一層強く腕を絡みつけた。一見すれば恋人同士のようで、街行く人の中に溶け込んでいく。……そう言えば、城下に降りたのって初めてだ。
「……スカイティア様が尻に敷かれてる」
置いてきぼりにされたヒカルは茫然と呟くと、次いで笑みを零した。
少しずつスカイティアの周囲の環境が変化している。クラウディアもステラも、きっとこのまま彼の傍でそうあり続けるだろう。
(……明るく、なったよな)
スカイティアは、きっと元は明るい王子だったのだろう。少し引き攣った笑みも、ステラの言葉に困ったように歪ませるのも、表情が豊かな証拠だ。
「ヒカル様、お二人と逸れてしまいます」
「あ、はい!」
不意に声をかけられ、ヒカルは反射的に背筋を伸ばした。シュテルインに手を引かれ、歩き出す。
(……今朝もあったぞ、このパターン。まぁ、今回は雑踏と言う場なので理解は示しますが)
「あの、従者殿。私に敬称は必要ないです」
「……いえ、これは敬意を込めております故」
「け、敬意…?」
余りにも突飛な言葉にヒカルは愕然とする。貴族の子息に『敬意』を表されるとか、意味が分からない。……脱奴隷とはいえ、小姓モドキなのですが。
「スカイティア様が明るくなられました」
「……そうですね」
一月程前までは考えられない。部屋に引き籠り、誰とも合わなかった第三王子は元・奴隷ヒカルと触れ合い、異母兄弟達と和解するようになった。
「きっかけはヒカル様でした」
「……俺、私は別に」
きっかけ、という点にはなったかもしれない。クラウディアとの関係緩和は無理矢理だったが、ユエの後押しとスカイティアの願いを伝えただけに過ぎない。
……あれ以来、何故か構われる気がしなくもないけど。何故に、あの方は俺の頭を撫でるのが好きなのですかね。スカイティア様も巻き添えにしましたが。照れながらスカイティア様の頭を撫でていたクラウディア様とか、見物だったな。最近は普通に撫でるけど……そう言えば、ツンデレ要素何処行ったんだろう。
「我々にはできないことでしたから、ユエ様もステラ様も喜ばれております」
「……そのようですね」
「だから、ありがとうございます」
柔らかくなった声音に思わず彼を見上げてみれば、シュテルインが笑っている。……笑えるんですね。失礼、能面かと。
「従者殿も嬉しそうですね」
ヒカルが指摘すると、シュテルインは自覚がなかったのか少し驚いたように目を丸くする。照れたのか赤くなった頬を隠すように、ヒカルと繋いだ手と逆の手で顔を覆った。……やはり自覚がなかったのか。
「……えぇ、とても嬉しいです。個人的に、ですが。家族や兄弟が不仲と言うのはとても悲しいですから」
「そうですね、俺も家族は仲が良いと嬉しいです……スカイティア様の部屋にクラウディア様がいらっしゃることで表情豊かになったように思いますし、こうしてステラ様もいらして下さったこと嬉しく思います」
「すべて、ヒカル様のお蔭です」
「そんな大層なことしてないです……従者殿こそ、今日は大変だったのでは?」
「あの程度、問題ありません。私としてはステラ様が本性を現せるようになったことに非常に喜びを感じておりますので」
「あ、やっぱり今日のステラ様が本来のお姿でしたか」
シュテルインとルゼノ王族兄弟間の関係改善に関して話していると、ある店先でスカイティアとステラと合流することができた。……離れるなと怒られた。
その後、城下で買い物をすること半日、漸く城に帰ることができたが、女性の買い物が長いのは世界共通なのだろうか。昔、母親の買い物に付き合って、伯父が「女は買い物が長い」と愚痴を言っていた記憶がある。
……まぁ、城下町では何もなかったんだけど。いや、驚いたことはあったな。スカイティア様、買い物の仕方を知らなかったんだもん。そう言えば王宮に入った後、スカイティア様を連れ出す計画とか考えたけど、実行しなくて正解だった。
あの人、箱入りなんだもん。庶民の生活とか一切できないに違いない。
脱走計画を立てなくて正解、と妙なところでスカイティアの一面を知ったのだった。
◆◇◆◇◆
王都から少し離れた場所に小さな森がある。常緑樹林が生い茂った森には豊かな緑が広がり、リスが木の幹を駆け巡っていた。
「ねぇ、レーウィス。この森にくる前に通る街のこと、覚えてる?」
馬の手綱の手に歩くユエルディーネが背後を歩くレーウィスを呼んだ。
「……えぇ」
レーウィスは空虚な眼で想いを虚空に馳せる。記憶の中にあるのは、金の髪に羨望の眼差しを向ける人々の顔。愚かなほど真っ直ぐ、陽光に輝く金糸を見つめる姿は、滑稽を通り越して哀れにさえ思えた。
「……ああいう風に生まれたら幸せだったかな?」
静かに、けれどはっきりとした声に問われ、現実に引き戻される。レーウィスは淡く微笑んで前を歩くユエに返答した。
「……それはユエ様が何を以てして幸せとするか、ではないでしょうか」
そんなレーウィスにユエは笑うと、手のひらを空に翳した。指の隙間から漏れる陽光にユエは眩しそうに眼を眇めた。
「……この手に掴める『幸せ』は限られてるよね」
ユエがどのように笑っているのか、レーウィスの瞳には映らない。けれど、想像は付く。レーウィスは小さく溜息を吐いた。
「──ユエ王子!」
耳朶を打った声に弾かれたように上を向いた。しかし、ざわめいた風が一瞬にして静寂へと返り、何の音もしない。聞こえた声すら嘘だったかのように。
けれど、その静寂の後。風が木々を揺らすとともに黒い影が目前に迫ってきた。
驚いた馬が嘶く。前足を勢いよく上げた馬に腕を捥がれそうになるが、ユエは冷静だった。黒い影に目を奪われるよりも先に暴れる馬の手綱を引いて宥めた。落ち着きを取り戻した馬の鼻先を撫でると、鋭く落ちて来た黒い影を捉え、青空色の瞳が氷のように凍てついた空気を纏う。
「もう少し静かに出て来てくれればいいものを」
「……申し訳ありません、でした」
黒い影は深緑色の外套を纏った青年だった。黒髪に翡翠色の瞳。ヒカルと同じ奴隷商館にいたジルバートである。萎縮しきったジルバートを捉え、ユエは淡く微笑んだ。
「まぁ、元気そうで何よりだ、ジルバート……アルセル侯爵は?」
「奥で御待ちです、殿下」
ユエの凍てついた空気が少し和らぐと、ジルバートは表情を綻ばせた。安堵したジルバートは森の奥を示し、その先へと進んだ。
森の奥へと進むと、薄暗い森が拓けて光が差し込んだ。明暗の差にユエは眼を眇めた。
陽光の眩しさに目が慣れると、煌々と輝く泉が眼に入った。薄水色の水面が微かに揺れている。泉の中央に浮かぶ島には一本の大木が聳え、何とも神秘的な光景が広がっている。小鳥が囀り、リスが駆け回る。まるで御伽噺の一頁のようだ。
「久しいですな、殿下」
背後から聞こえた声に、ユエは振り返った。金糸から覗く淡青色の瞳に映り込んだのは、淡い白金色の髪を持つ貴族男性である。簡素な意匠だが高貴な衣を纏った彼は琥珀色の双眸を眇め、穏やかな微笑を浮かべていた。
「叔父上…いえ、アルセル侯。御元気そうで何よりです」
「ご無沙汰しております、ユエ様。あちらで皆も待っていますよ」
侯爵の視線の先には古城がある。苔や蔦に覆われた建物は古く、今にも崩壊しそうな危うさがその神秘性を一層増す。嘗て、ルゼノという国が興る前にあった国の城の成れの果てだ。
ユエは眼を眇め、灰色の城からひょっこりと顔を出す無数の人影を捉えた。その人影の数は総勢五十人である。
「それからユエ殿下、先日一人仲間が加わりまして」
侯爵は古城の岩壁に現れた人影を指示した。白い外套にすっぽりと身体を覆った線の細い人物だ。
「あの方ですか?」
ユエの冷やかな視線に、侯爵は頷いた。ユエの視線を受けてか、少し表情が硬い侯爵を一瞥して、ユエは新参者に近付いた。近付くに連れて鮮明になる新参者の容姿にユエは愕然と目を瞠った。
白い外套の下から艶やかな『黒髪』が流れ落ちる。そして、はたと気づく。細身なのは女性だからなのだと。
「──お久し振りです、ユエ様」
凛とした彼女の声音が耳朶を打ち、ユエの表情が綻ぶ。彼の張り詰めいていた空気が一瞬にして和らいだ。
「やっぱり君か……お帰り、レイ」
彼女は被っていた外套を外し、笑みを浮かべて返した。




