彼が壊した世界
「──クラウディア殿下との不仲は解消された様で安心しました」
ルゼノの王城で久しく会った『黒髪』の第三王子は孤独ではなくなったようだ。その事実がただ嬉しく思える。
息子のレーウィスが側付になっても、スカイティアの心は晴れないことは分かっていた。王子が求める存在にレーウィスはなることはできない。……いや、あの王子がいたい場所には連れていけない。
スカイティアが二人の異母兄とともにいたいと願う傍ら、それが許されない存在であるという枷が『黒髪』の王子にはついて回るのだから。
──だからこそ、諦めていた筈なのに。
彼が壊した。
偶然にも王宮に送られた『奴隷』であった少年が、たった一人で彼らの関係を変えたのだ。
これを『奇跡』と言わずに何と言うだろうか?
曇りのない、偽りのない表情が、言葉が確かに彼らにある。
失った時間を埋めるように、これから時間を重ねていけるのなら、過去の確執もすべて呑み込んでいって欲しいと願う。
悲しい思い出よりも楽しい思い出が、辛い記憶よりも幸せな記憶が彼らの中で息衝くように。
穏やかな微笑を浮かべると、ヘラーザは頭を垂れた。さらさらと流れる様に、金糸が彼女の肩を滑り落ちる。
「……私はこれで失礼致します」
「そうか……またな」
スカイティアが微笑を浮かべると、『黒髪』の隙間から覗く、細められた空色の双眸が輝いた様に見える。
ヘラーザは顔を上げ、踵を返した。石造りの道に一人分の足音が響く。
ヘラーザがレーウィスと会っていた場所は城門から遠い。
レーウィスに『話があるから会いたい』と連絡があったのは数日前。時間の調整はしたが、都合上時間が取れたのは今朝だった。
早朝からレーウィスに街中に降りて来てもらう訳にはいかず──民間に下ったにも拘らず、であるが──久々に城内に入った。……厳重な警備が張られている故に、入るのも出るのも骨が折れるから二度と遠慮したい。
(……あぁ、こういう手続きと空気が面倒だと思う私は、やはりこの世界が合っていなかったのだな)
城の厳重な警備を目に捉え、ヘラーザは小さく溜め息を漏らす。彼女の流れる金糸が人目を惹く事は必然で、見知った顔の兵士や全く知らない者が頭を垂れたのを横目に捉えた。
以前は城に身を置いていた彼女だが、その生活を気に入っていた訳ではない。倹約家と言う訳ではないが、ヘラーザは一般的な王候貴族のように華美な生活を好む質ではなかった。派手に着飾ることも、夜会に出ることも、出来れば控えたかった程だ。
(もし叶うなら、ただ平凡に家族と共に城下で暮らしたかった…)
嘗て見た夢を思い出しながら、ヘラーザは派手な飾り付けを施された城門を潜った。自身の直ぐ後ろで城門が音を発てて閉じられた音を聞き、安堵の息を吐く。
元・夫とは政略結婚ではあったが、仮面夫婦とは異なり、そこそこ上手くやっていたと思っていた。彼は息子を愛し、教育も熱心だった。ヘラーザにも優しく、何も問題なくやっていけると疑いもしなかった。……あの悲劇が起こるまでは。
『お前は私を裏切ったのか…!?』
生まれた子供の髪色が『黒髪』であったことは、貴族の中でも上位に位置する彼の逆鱗に触れた。
何度違うと否定しても、彼は信じてくれなかった。ヘラーザに親しい『黒髪』の男など存在せず、ヘラーザ自身が貴族ともなれば一人で行動することはないのに、である。
彼は一方的にヘラーザの不貞を疑って罵ったが、離縁を言い渡されはしなかった。……その代わりに、『黒髪』の子供はいなかったことにされたけれど。
思い出すだけで腸が煮えくり返る。
彼のことを裏切ったことは一度だってない。……政略結婚であっても彼のことを愛していたと思うし、彼だってヘラーザを好ましく思っていただろう。
けれど、彼は信じなかった。ヘラーザを責めるだけで、自分に原因があるなどと思いもしなかったのだろう。勿論、ヘラーザに流れる血が原因かもしれないが、一方的に責められるのは堪えたし、何より生まれた子への仕打ちは許せるものではない。……あの男にとって、あの子は自分の子供だと思えなかったのだろうけれど。
ヘラーザの中にあった彼への思いが全て憎しみに変わった瞬間、ヘラーザから離縁を申し出た。
当初、彼は渋ったが、不貞を疑ったのだから一緒にいる心算はないと言えば、レーウィスを引き渡すことを条件に引き下がった。……レーウィスを引き取りたかったが、離縁理由が理由だけにヘラーザが引き取ることは適わなかった。幸いなのは、レーウィス自身がヘラーザを信じてくれたことだろう。
両親に流れる血が原因で、子供に両親以外の特徴が受け継がれることがあるという文献をユエとレーウィスから聞かされた時、レーウィスが自分を信じてくれていたのだと知って、喜ぶと同時にレーウィスが信じてくれたのに、夫は信じてくれなかったのだとますます悲しくなった。
所詮、夫とは政略結婚だったのだ。彼の中で、ヘラーザは跡取りを生む女というもの以外の何物でもなかったのだ。
──そう思えば思う程、あの子とともに追い出してくれればよかったのに、と思わずにはいられない。
過去に戻れるならば、亡くしたあの子と、レーウィスを連れて何処かで親子三人で生きる方法を探したのに。思い返しても仕方ないことを、何度も何度も思ってしまう。
青い空には太陽が完全に昇っていた。一歩踏み出す度に揺れる外套に、穏やかな陽射しが降り注いでいる。まだ冬が終わって間もない時期の柔らかな陽射しに双眸を細め、城下に向かう道を進んだ。
(……難攻不落の城、か)
その昔、この国が周辺国と争っていた頃、この城は難攻不落の城とされていた。地形的に有利な場所に建てられた城だ。戦後は密偵や賊が入り込まないように厳重に敷かれた警備が常に周囲を排除して来た。
ヘラーザとて、民間に下ったとはいえ元・貴族だ。だからこそ城に入ることが許された。そうでなければ城で息子が働いていようと入城が許されることはない。
ヘラーザは足を止め、青い双眸で周囲を見渡す。まだ早朝と言う事もあるが、道端には人っ子一人いない。そんな寂しい帰路に、ヘラーザは唇をぎゅっと結んだ。
(王宮に用がある者以外は誰一人、近寄ることもない……まるで、猛獣を入れた檻の様だな)
ヘラーザは王宮を振り返った。城壁や城柱、バルコニーの手摺等の至る所に施された微細な装飾がヘラーザの双眸に映り込む。
風に揺られる金糸を指で払い除け、また城をその双眸に映した。
(……荘厳にして、壮大な城)
美しい建造物だが何処か禍々しい。歴史上、血塗られたことが皆無と言う訳にはいかないからか。
ヘラーザの青い双眸は不安げに、何かを畏怖する様に細められた。
「レーウィス…ユエ様…」
二人の名を呟くと、何かを願うように祈るように首に架けていたペンダントを握り締めた。
◆◇◆◇◆
ヘラーザが退城した同刻、王宮の一室に赤髪の青年がいた。第二王子クラウディアである。
窓に面した長椅子に腰掛け、半身を返して窓辺に頬杖を付いている。外に投げられた彼の視線は王宮の庭園を映していた。無造作に一つに束ねられた赤髪は緩やかな波を打ち、風に揺られている。
「……朝から、仲の良いことだ」
ぼうっとした頭で紡いだ言葉は『黒髪』の青年と少年に向けられた言葉だ。自身の異母弟であるスカイティアと、その小姓モドキのヒカルである。
海風がスカイティアの『黒髪』を拐い、青空へと誘う。その黒髪をクラウディアは目で追った。風は暫く弄ぶ様に髪を靡かせると、遊び飽きたのか、スカイティアの背中に返した。
ヘラーザの一件で、尚も言い合いを続ける彼らを捉える深青色の双眸が緩やかな弧を画く。
「……兄弟、みたいだ」
まだ寝ぼけ眼であるが、それ故に見たままを口にした。
喉を鳴らして笑う。それと同時に、その深青色の双眸を細めた。微かに憂いを帯びた瞳が、黒い髪を捉えた。
端から見れば、ただ兄弟が戯れるようにしか見えない。しかし、それがクラウディアの胸を疼かせる。
異母弟と和解はした。それでも兄弟のように似通い、親しく触れ合うのは血の繋がりのない筈の少年。……『赤髪』の自分は誰とも似ていないそれが酷く空しい。
こんなことを言えば、あの小姓モドキがニヤニヤと楽しそうに笑うのだろうから絶対に言わないけど。
『やはりご兄弟なのだな、と思いまして』
『……スカイティアに似ていると?』
『それにユエ様にも』
『…俺が、兄上に?』
不意に思い出したヒカルに言葉に、クラウディアはふっと苦笑する。腹違いでも兄妹は似る、か。
「兄弟、か。俺より、彼奴らの方が余程『兄弟』らしい」
目に見える姿だけが全てではない。金髪のユエが他の兄弟全員と似ている訳ではないのに、この王宮で黒髪を持つ二人はとてもよく似ている気がする。
「本当に…レイの子なんだよな」
クラウディアの、ぽつり、と呟かれた言葉を聞く者は誰一人いない。憂いを帯びた彼の視線に、黒髪の彼らが気づく筈もない。
頬杖を付くのに疲れたのか、クラウディアは窓枠に腕を組み、その上に顎を乗せた。窓から入り込む風がクラウディアの髪を靡かせる。頬を撫でる風が鬱陶しいのか、くすぐったいのか、片腕で顔を覆い、その上にもう片方の腕を重ねた。
それにしても眠い…あの人、何故、あの時間に来たんだ。公務帰りで疲れてる筈なのに……俺は逃げないのに、ご自分のことを案じてください。本当に。
昨夜……いや、明け方までこの部屋にいた客人に向けて届かない愚痴を溢しながら、それでも嫌でないどころか、またそんな日が来るのではないかと期待していることに自分で驚いた。
そんな自分に苦笑して、誰もいない寝台を見やる。今度は此方から突撃しようか、と悪戯心が芽生える自分にも驚いて、クラウディアは苦笑した。
そうやって少しずつ変わっていく日々を、そんな風に送れるように柵を無理やり壊してくれたヒカルには感謝しているのだ。
「クラウディア様、朝ですよ。寝たのが遅いからって、仕事は待ってくれませんよ?」
もう一眠り、と微睡に委ねようとした矢先に聞こえたのは、クラウディア付の侍女の声だった。
「あと五分」
「駄目です、ただでさえ、クラウディア様の髪は整えるのに時間が掛るのですから」
扉越しに聞こえた侍女の声に、クラウディアは渋々起き上がる。侍女と軽口を叩くような気安さも以前にはなかったが、今ではこんな感じだ。……このまま部屋を出なければ、向こうから突入してくるのが目に見える。
「……あぁ、今行く」
クラウディアは未だに庭園で戯れている異母弟達に──何故か手を繋いでいる様だったが、何をやっているんだと呆れながら──視線をちらりとやってから、窓から離れた。
……仕事が終わったら、行くか。今日見たことで揶揄ってやろうっと。




