再会3
「スカイティア様…!」
ルゼノ王宮の庭園に姿を現したのはヒカルの主人──第三王子スカイティアだった。
スカイティアはヘラーザの存在を訝しむこともなく微笑むと、ヒカルの元へと歩み寄ってくる。
「早起きだね、ヒカルは……ヘラーザ殿は随分と久しいが」
「ご無沙汰しております、スカイティア殿下」
頭を垂れたヘラーザを暫し見据えると、スカイティアは苦笑を漏らした。
(……既知の仲らしいな。まぁ、レーウィス殿の母親だしな、知っていても不思議はないけど)
「俺に頭を垂れるのは貴女くらいだ」
「……私のような者が烏滸がましいと存じますが、私は殿下に特別な感情を抱いております。他人はどうあれ、私は私が思うままに」
「……そう、か」
スカイティアは驚いたようだが、ヘラーザがレーウィスの母親だからか素直に受け入れた。……恋愛感情でないことは分かっているからだろう。
そんな様子を、ヒカルは静観していた。
(……子どもと同じ髪色だから、か)
ヘラーザが抱く感情は敬愛や畏敬ではない。まぁ、多少はあるかもしれないが。
だからと言って、一般的な男女間の恋愛感情でもない。聞こえは悪いかもしれないが、スカイティアもまた亡くした子供の代わりだったのだろう。
「貴女は変わらないな……こんな俺を、か」
相変らず否定的な主人にヒカルはムッと眉を顰めたが、先に切り返したのはヘラーザだった。
「御身を卑下なさることは、元とはいえ臣下の一人として悲しいことに思います。どうか、御身を大切になさってください」
「大切に、か……まぁ、前よりは無謀なことはしなくなったと思うよ。今は、俺の身を案じてくれる人間が増えたから」
スカイティアはヒカルの頭に触れると、ニッと笑った。……嫌な予感がするのは気のせいですか。
「まぁ、泣くほど想ってくれるのはありがたいが、慰め方が解らないのが難点だな」
「な、泣いてません!」
揶揄するように目を眇めるスカイティアにヒカルは真っ赤になって否定した。
「ん、そうだったか?あの時は何と言ったかな?」
……確かに泣いた。それは否定しようもない事実だが、改めて言われると恥ずかしいものがある。
何故、此処で言うかな!?もしかして、勝手に抜け出したこと怒ってますか……?
あぁ!誘拐された時に勝手になくなるなって言われた!!意趣返しかよ!?
……良い性格になったよ、本当に!あ、そうだ、この人、クラウディア様の弟だった!!
クラウディアに聞かれれば「何故、俺が出て来る?」と眉を顰められるか、「今更だな」と呆れられるかのどちらかであろう。……ちょっとまだ反応が予測しきれないけど、二択までは絞れる。……うん、あの人は割と単純なんだ。
「あの時は、その!スカイティア様がいけないんですよ!」
「うん、あれは俺が悪かったんだけどさ。嬉しかったんだよ」
……畜生、本当に嬉しそうだな。
揶揄されていることには変わりないのに、嬉しそうに笑っているから。
翳っていた表情が明るく朗らかに、様変わりするから。
少しくらいいかいと思ってしまう程に……ヒカルはこの主人が大切なのだ。
ヒカルのこの抗議すら、スカイティアとの戯れだ。……こんな他愛もない、けれど日常に欠かせない絡み合いが何時までも続くと思っていたんだ。
◆◇◆◇◆
ヒカルの必死な抗議に、楽しそうに嬉しそうに応じるスカイティアを、ヘラーザは少し意外そうに、けれど微笑ましそうに穏やかな眼差しで眺めていた。
ルゼノで『黒髪』を見かければ誰もが眉を顰めて嫌悪や恐怖心を示すが、ヘラーザにとっては微笑ましい光景だった。
ヘラーザの存在を忘れているのか、ヒカルとスカイティアは口論を繰り広げている。まるで、長年連れ添った兄弟のように。
──もし、あの子が生きていたら……あの子は笑っていられただろうか。
ヘラーザは心の内でそう呟く。そして、首を振る。
もし、などと考えるだけ無駄だ。過去は変わらない。
そして今も尚、煮えたぎる怒りを、憎悪を消すことなど出来る筈もない。
己の保身ばかりに気を取られ、産後間もないヘラーザを怒鳴りつけ、不貞を疑った男。己に流れる血が嘗て『黒髪』の者と交わった可能性を考えず、ヘラーザだけを疑った。
(……あぁ、本当に忌々しく浅ましい男だった)
「──ヘラーザ?」
不意に名を呼ばれ、ヘラーザは顔を上げた。何時の間に口論が終わったのか、二人してヘラーザの顔を覗き込んでいる。
「どうした、体調でも悪いのか?」
眉尻を下げ、心配そうに尋ねるスカイティアにヘラーザは居た堪れない気分になった。スカイティアの傍にいるヒカルも同じ様な表情でヘラーザを見上げている。
「申し訳ございません、少し考え事をしていただけです。ご心配なく、スカイティア様……ヒカルも、すまないな」
「具合が悪いなら無理しない方がいい」
ヒカルの心配そうな声音に、ヘラーザは溜息が付きたい気分だった。
大丈夫だと笑って言えば安心するかと思えば、ヒカルは「だけど…」と尚も心配する。そんな少年の姿を捉え、ヘラーザは肩を竦めた。
「お前、私が奴隷商人だと言うことを忘れていないか?」
「忘れてないけど?」
きょとん、と首を傾げるヒカルにヘラーザは呆気にとられた。ヒカルは良くも悪くも純粋だ。ヘラーザはそれが原因で奴隷狩りに遭ったのではないか、と推測している。
……少しくらい捻くれても……いや、捻くれてはいると思う。何というか、優しくされると絆され易い、と言えばいいのか。……この状況は頭が痛いのだが。
「お人好しが……一体何処まで……」
思わず呆れて言葉にすれば、ヒカルは反論する。
「何だよ、ヘラーザだって」
私?と目を瞬かせるヘラーザにヒカルは眉を顰めた。……私が何をしたというのだ。
「奴隷商人でヘラーザみたいな奴いなかった。奴隷に対して乱暴なことしなかったし、他の商人から守ってくれてたでしょ」
何の話かと思えば……まぁ、私達の共通の話は奴隷商館しかないけれど。
「……私は商人だ。商品に傷が付いたら困るから」
「そう思うのは、ヘラーザが優しいからだよ」
ヒカルは断言した。真っ直ぐに黒い瞳に見据えられ、ヘラーザは瞠目した。青い瞳が映し込んだ少年は無邪気に笑っている。
だから、他人を安易に信じるな。あの話で絆されるとか、お前はこの先王宮で生きて行けるのか?物凄く不安なのだが。……レーウィス、心配の種が増えたのだが、どうしてくれる。自分で蒔いた種は自分で刈り取ってくれ。面倒は見切れないぞ。
嘗て憎悪の対象であった筈の奴隷商人は、ヒカルに恨まれていないどころか無邪気な笑みを向けられて戸惑った。
「……おかしな子だ」
思わず漏れた感想に、ヒカルは途端に眉間に皺を寄せ、怪訝そうな視線をヘラーザに向けた。……まぁ、褒め言葉ではないし、気に障ってもおかしくはないが。
「……スカイティア様やクラウディア様達にも言われたけど、俺、そんなに変わってる?」
「は…?」
拗ねた子供の様に頬を膨らませたヒカルに、ヘラーザは耳を疑った。余りにも予想外だ。
「だからクラウディア様だよ、第二王子の。スカイティア様にも言われたけどさ」
「クラウディア殿下が…?」
ヘラーザは目を丸くしたまま第二王子の名を繰り返した。
その名で辿る記憶の中にあったのは、孤独な『赤髪の王子』の姿。己の『赤髪』を憎み、『黒髪』を疎みながらも何処か羨む稀有な王子だった。……その理由が、分からないこともなかったが。
「…お前は、クラウディア殿下とも親しいのか?」
ヘラーザの問いにヒカルは「親しい……まぁ」と言葉を濁した。迂闊に王子と親しいなどと口には出来ないのだろうが、複雑そうなヒカルにヘラーザは笑みを溢す。
「そう、か……それは良かった」
どうやら、あの孤独な王子との関係も改善されたようだ。
この歪んだ歴史の犠牲とならず、未来へと進み行くことを望んだ王子達に幸多からんことを、ただ願う。ヘラーザにできることは祈るだけだ。
時は戻らない。一方的に未来へと進むだけ。
それでも、だからこそ変わりゆくものは止められず、また自ら動くこともできるのだ。
……戻れないならば、せめて、無為に過ごすのではなく最良の未来を。
◆◇◆◇◆
「そう、か…それは良かった」
安堵の表情を浮かべ、呟く彼女にヒカルは過去の二人の王子の関係と、それまでの状況を何となくを想像できた。
彼女の目から見ても、第二王子と第三王子は不仲だったのだろう。いや、それだけではなく二人を仲違いさせる要因もすべて知っていたのだろうから、この関係の変化には安堵もするか。
(そう言えば…何で急に優しくなったんだろう。いや、その昔は仲良かったみたいだけど、本当に切り替えが早かったしなぁ…)
クラウディアの心境の変化の理由は分からないが、兄弟が仲良くなったのだから良しとしよう。
(……下手に追求すれば機嫌を損ねそうだ。あの王子、本当に直情型なんだよな。煽り易いけど、やりすぎると手に負えなくなるだろう。そういう時はユエ様を呼ぼう。ストッパー、大事)
「クラウディア殿下との不仲は解消されたようで、安心しました」
穏やかな表情を見せるヘラーザに、スカイティアは心配を掛けたことを詫びた。そんな穏やか笑みにヒカルは安堵し、スカイティアも笑っている。
「それでは、私はこれで失礼させて頂きます」
ヘラーザは首を垂れると、その場から立ち去った。
風に靡く金糸を捉えても、以前のような嫌悪感は沸かなかった。
「……ヘラーザ殿にも心配を掛けてたのか」
ポツリ、とスカイティアが零した言葉に、ヒカルはじとっとスカイティアを仰いだ。
「スカイティア様は御自身の存在をぞんざいに扱い過ぎていますからね」
「一月余りの付き合いでそう思われるとなるとは相当だな」
スカイティアは苦笑を浮かべ、ヒカルの頭を撫でた。まるで犬か猫を扱うように。
(……おい、またか。だから、何故頭を撫でるのです。ユエ様もレーウィス殿も、クラウディア様も……俺は愛玩動物ですか)
「あの時は死んでもいいようなことを仰っていましたよ。心臓に悪かったです」
ぶすっとした表情で告げれば、上から軽い笑声とともに「ごめん、ごめん」と全く悪気の無さそうな謝罪が上から降ってくる。
優しく撫でる手から髪越しに伝わる熱が温かい。吐息が白いことに今更ながら気づいた。海からの冷たい風が頬を撫で、何時の間にか身体は冷えていたらしい。
「──さて、もう戻るか」
スカイティアは王宮に戻るように促すと、冷えたヒカルの手を取った。温かい熱が伝わってくる。
ヒカルは大きな手を一瞥し、スカイティアの背を見つめた。
「今更ですが、スカイティア様。身分を考慮して…」
「クラウディア兄上には肩車されているのに、俺とは手も繋げないのか?」
……それはどんな言い分ですか、スカイティア様。クラウディア様もそうですが、王子様達は強引ですね、俺に拒否権はないのですが……文句を言う権利はありますか?
そう思ったが、ヒカルは大人しく手を繋いだまま歩いた。ほんの数十メートル。迷子になるような距離でも雑踏でもないのに。
「変なの」
ヒカルは呟いた。その言葉が届いたどうか分からないが、スカイティアは繋いだ手をぶんぶんと振った。
(……時々子供じみているよな、この王子。実年齢は知らんが)
王宮に戻る途中、スカイティアがふと口にした。
「あ、そうだ…ヒカル、姉上がお前をお呼びだったぞ」
「はい…?」
唐突な言葉にヒカルは目を瞠った。
姉上様…あぁ、ステラ様ですね、早起きですね……もしかして先日のお話は本気でしたか?
俺は承諾しておりませんし、お約束した覚えもございません。今現在スカイティア様に連行されておりますが、事情説明を先にお願いしますね、姉上様。




