再会2
青空に靡く、金の髪。
それは、この国で美しいとされる色だ。
「……ヘラーザ、随分と久しぶりだけど」
ヒカルはじとっと、美貌の奴隷商人ヘラーザを睨みつけた。奴隷商館の女主人である彼女の顔には薄らと微笑が浮かび、妖艶な空気を纏う。赤い唇は艶を放ち、蠱惑的だ。
(こういうところが多くの下僕を引き寄せる要素なんだろうね。俺は悪寒しかしないけど)
すり、と腕を摩った。寒空のせいか、それとも彼女との再会が原因か、ヒカルは急激に身体が冷えた気がした。
「あぁ、一月ぶりだな」
「……二度と会わないと思ってたのに」
忌々しく思い眉間に皺を寄せれば、ヘラーザは笑みを深めた。吊り上げられた口角がふっくらとした唇を艶めかせる。
「私は楽しみにしていたがね」
「……あっそ」
ヒカルはぷいっと視線を逸らした。
(……しまった、聞きたいことがあるのに聞けない)
ヘラーザは何故此処にいて、レーウィスと何を話していたのか。そもそもレーウィスとの関係は何なのか。
「では、私はそろそろ帰るとしよう。元気でな、ヒカル」
「ちょ、ちょっと待って!」
翻った外套を掴み、ヒカルはヘラーザを呼び止めた。肩越しに振り返ったヘラーザは軽く目を見開いたが、直ぐに揶揄するように口角を吊り上げる。
(……うぬぬ、一筋縄ではいかない奴だった)
「どうした、私に気でもあるのか?」
「何でそうなる!…そうじゃなくて、聞きたいことがある!レーウィス殿のことだ…!」
奴隷商館で軽く口付されたことを思い出し、ヒカルの顔に朱が散った。ヘラーザは揶揄するような表情をそのままにヒカルの顎に手を掛けると、空色の瞳にヒカルを映し込んだ。
「聞かない方がいいと思うぞ」
「……何で」
間近に迫ったヘラーザから甘い匂いがした。香水だろうか。マッドとは違い、微かに着けられた香水は彼女の魅力を引き立てる。
「お前は私が嫌いだろう?私とレーウィスの関係を知ったら、レーウィスのことも嫌いになるかもな」
「レーウィス殿はレーウィス殿だ!俺が彼を嫌いになるかどうか、お前が決めることじゃない!」
揶揄されている。そう確信したヒカルはヘラーザの手を払い除け、きっぱりと言い放った。手を払われたヘラーザは目を丸くしてから──見間違いでなければ一瞬泣きそうな顔をして──そして、笑った。
「……そうか、だから私はお前が好きだよ」
何故、泣きそうなんだ。何が嬉しいんだ。
既視感を覚えるのは何故なんだ。
「別に、好かれる様なことを言った覚えはない……で?」
嫌悪して憎んでいた筈の彼女の表情の変わり様に動揺しつつ、じとっと睨みつけて返答を催促すれば、ヘラーザは肩を竦めた。観念したように小さく溜息を吐くと「親子だよ」と答えた。
「親、子…?」
「信じられないか?」
眼を見開くヒカルに、ヘラーザはまた揶揄うように笑った。
「……嘘、じゃないよな?」
聞き返せば「さぁ?」と首を傾げる。ヘラーザは相変わらず微笑を湛え、ヒカルの反応を楽しんでいる。……二人が似ているかと言われれば、確かに似ている。既視感を覚えたのは、彼らが親子だからと言われれば納得できるくらいには。
「……レーウィス殿に聞いて来る」
しかし、ヒカルの心境としては否定したかった。
レーウィスは出掛けたばかりだ。今から追えば追いつけるかもしれない。ヒカルは踵を返し、二人が向かった方へと足を向けたが。
「馬に乗って行ったレーウィスに、か?お前、馬に乗れるのか?」
そもそも何処に向かったのか分かっているのか?と至極真面目に問われ、ヒカルは足を止めた。
「そうだった……馬!と、目的地!」
馬には未だ補助者がいないと乗れない。そして、向かった先も分からない。諦める以外にないが、レーウィスが帰って来るのは夜だと聞いたし、これから悶々と過ごすのは頂けない。……こうなっては聞き出すしかないだろう。
「ヒカル、お前は頭が良い割に、時々馬鹿なことをしようとするな」
にっこりと、けれど揶揄するような生温かい眼を向けられ、ヒカルは頬に朱を散らせた。
時々、この女のことが分からなくなる。忌むべき対象なのに、何故か時々愛しそうな優しい目を向けてくるから。
「……じゃあ、はっきりしろよ!」
「親子と言うのは事実だ。レーウィスの父親とは離婚しているが、ね」
ヘラーザは笑う。穏やかに優しく、けれど悲哀に満ちた微笑だとヒカルの目には映った。チクリ、と何かが胸に突き刺さる。……以前なら、こんなにも気にならなかったのに。
「……何で、離婚した」
理由を問えば、気になるか?と揶揄する笑みに変わる。
ヒカルはムッと眉を顰めた。興味を持っていると思われるのは癪に触る。
「……やっぱりいい」
ぷいっと顔を背ければ、ヘラーザの笑声が聞こえる。ヒカルは視線だけ戻すと、笑うヘラーザを捉えた。
「私はね、レーウィスの弟を生んだんだ。けれど殺された……夫に、ね」
「は…?」
ヒカルは眼を見開いた。聞いても応えるような女ではないと思っていたこともあるが、何より驚いたのは彼女が自嘲とも苦笑とも取れる微笑を浮かべたことだった。それと同時に、空色の双眸を眇めた彼女は理由を付け足した。
「……その子は『黒髪』だったから」
その瞬間、強い風がヘラーザの金糸を巻き上げた。ルゼノは冬から春にかけて強い風が吹く。舞い上がる金糸が彼女の顔を隠し、彼女がどんな表情を浮かべているのか分からない。
軈て舞い上がる髪が離れると、ヘラーザは微笑んだ。すっと口の端を吊り上げ、変わらない涼やかな笑みを湛えている。
「『黒髪』…?」
瞠目して呟くヒカルを可笑しそうに笑うと、ヘラーザは風で乱れた髪を繊細な指で梳いた。さらさらと指を抜ける髪質はレーウィスと同じで柔らかいのだろう。
「この国で『黒髪』が忌避されることは十分に理解しているだろう?偶に、そう言う曰く付きのものを所有したがる輩もいるが……あの男は私の不貞を疑ったようだが、それより何より王族の怒りを買うことを恐れて、子供を殺した」
淡々と彼女は語る。感情の起伏はなく、ただ物語を読むように。
ドクン、と心臓が高鳴った。ゆっくりと大きな音が聞こえた気がした。
黒い眼を見開いたヒカルを捉えて何を思うのか、彼女は笑う。悲哀に満ちている訳でもなく憎悪を孕む訳でもなく、ただ平然と微笑を浮かべている彼女から目が離せなかった。
「……どうして、笑える?」
『黒髪』の子を殺すことを肯定するならば、彼女は夫と別れなかっただろう。……けれど、彼女は平然としている。
「……もう過ぎたことだ」
ヘラーザは空を見上げた。まるで自分に言い聞かせるように。
朝日が彼女の瞳を照らす。薄らと潤んだ瞳に光が反射した。
過ぎたことだと口では言いながら、我が子を失ったとなれば夫の仕打ちに耐えられないだろう。
ヘラーザに対して良い印象がなかったヒカルでさえ同情した。奴隷商館にいた頃にその事実を知ったならば彼女を嘲られたが、今の彼女に追い打ちを掛けるような真似など出来なかった。
我ながら単純だと思う。きっと此処に来る前ならば冷やかに彼女を捉えていた筈なのに。ヘラーザは奴隷商人なのに。
ヒカルは忌々しい記憶を辿った。気持ちが揺らがないように彼女から受けた仕打ちを思い起こそうと試みる必要があった。
(許すな、哀れむな、この女は……!)
けれど、ふと(……あれ?)と首を傾げた。記憶を何処まで辿っても、ヘラーザが出て来ない。記憶の中の彼女はいつでもマッドが、或いはその取り巻きが奴隷を玩具にする前に現れ、そして何かと理由を付けて追い払う姿ばかりだ。
(……え?……えぇ!?)
ヘラーザには揶揄されたりはした──そして、そのとばっちりを受けることはあるが、それ以上には何もないことに気付く。多くの元凶はマッドでその取り巻きに過ぎない。場合によっては彼女が間接的原因ではあることは否定できないが。それは兎も角。
(……もしかして、俺、何か勘違いしてた?)
彼女に抱いていた嫌悪は『金髪』に対する偏見なのか。
彼女の行為に感謝することも忘れ、憎悪に呑まれていたのだろうか。
そんな考えが浮かんだ瞬間、ヒカルは自分のいい加減さに虫唾が走った。
──ヘラーザは何時も守ってくれていたのに。
ヒカルは自分が情けなくなった。己に対する嫌悪に呑みこまれかけ、彼女の存在を思い出す。今は寧ろ晴れ晴れとした様子だが、彼女の内心を慮れば、言えることは一つだった。
「……悲しいなら」
「泣けばいいって?御生憎、そういう弱さを見せる気はない」
泣けばいい、と言いかけた矢先に台詞を奪われ、ヒカルは口籠った。……まったく素直じゃない。
「昔は泣いたけど、もう涸れたよ。今は……あの男に対する憎悪しかない。まぁ、あの男は私に恨まれていることすら忘れているだろうけど」
そう続けて彼女は王城を見上げた。まるで恨み辛みを重ねた、別れた夫がそこに居るとでも言うように。鋭く眇められた瞳は氷のようだ。
「……愛して、いたんだ」
呟いた言葉にヘラーザは弾かれたようにヒカルを捉えて目を丸くしたが、次いで双眸を三日月の形に眇めた。失くした子への愛情か、優しい眼差しがヒカルに向けられる。
……この瞳だ。きっと、彼女は俺を通して亡くした子を見ていたんだ。それが俺を構い、庇う理由だったのかもしれない。軽く触れるだけの口付も、意味もなく声をかけるのも子供にできなかったからこそ向けられたものだったんだ。……とばっちりも受けだがな、これは忘れないぞ。
「ヒカル、女にはね、男には分からない子への愛情というモノがあるのだよ。お腹が大きくなるに連れて『早く出ておいで』と思うのに……あの男にはそれが分からないのだろう。お腹の中で育った子がどれだけ愛しいか」
ヘラーザは嘗て子が宿っていた腹を優しく摩った。まるで生まれて来た子に与えられなかった愛情を注ぐように。
そんな光景がヒカルの目に焼き付いた。自分の母親もそうやって愛してくれていたのかと思うと、込み上げる感情があった。
帰りたい。会いたい。頑是ない子供みたいに泣きじゃくってしまいたくなる。
けれど、同時に虚しさが込み上げた。ヘラーザのように失くしても尚、子を想う母親がいるのに、どうしてクラウディアやスカイティアはそんな母親に恵まれなかったのだろう。
「……なぁ、変なこと聞いて良いか?」
ヘラーザを見上げると面倒そうに溜息を吐かれたが、ヒカルは構わずに続けた。
「母親っていうのは、子供を大事に思うのか?」
「当然……と言いたい所だが、どうかな」
ヘラーザは答えを明確にしなかった。愁いに満ちた瞳を伏せ、行き場のない手を髪に伸ばして髪を梳いた。
(あぁ、愚問だった)
奴隷商館には我が子を奴隷として売る親もいるくらいだ。例え『黒髪』に生まれた子でも愛していたヘラーザから見れば、さぞ気持ちの晴れない取引だっただろう。そんな彼女が何故、奴隷商人になったのかは知らないが、それでも彼女なりの理由や思惑があったのだろう。
ヒカルは目を伏せた。風に舞う髪が視界を覆う。嘗て布に覆われた檻の中で過ごしていた時のように目の前が真っ暗だ。そんな真っ暗闇の世界が懐かしいとすら思った。
──カシャン……。
何処かで金属がぶつかる音がした。檻の中で何度も聞いた音。鎖に繋がれ、狭い檻に閉じ込められていた記憶が甦る。
今朝確認したばかりなのに、自由だと喜んだというのに。
今は途轍もなく身体が重い。また鎖で繋がれているみたいだ。
──重々しい気分のせいだろうか?
他人に振り回されるなんて馬鹿らしいと思っていたのに、此処に来てもまだ冷酷になりきれない。いや、彼らに出会ってしまったから、人の温もりに優しさに期待してしまったのだろう。
ヒカルは唇を噛んだ。此処に来る前なら気にしないようなことに揺り動かされる自分が愚かしい。他人を利用することで生き残って来た筈なのに。
「──ヒカル?」
不意に名を呼ばれ、ヒカルは弾かれたように顔を上げた。ヘラーザの声ではなく、男の声だ。反動で髪が跳ね上がり、その向こうに同じ髪色の青年の姿を捉えた。
「スカイティア様……!」
そこには、ヒカルの主人である第三王子──スカイティアがいた。




