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元・奴隷の少年は王宮を駆け回る  作者: 水月
金の貴婦人
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再会

『変な髪だな、奴隷』

『気味が悪い!さっさと処分して頂戴!』


 悪意ある無数の目と言葉。せせら笑う声が耳に張り付く。


 ──五月蝿い、五月蝿い!俺は貴様らの玩具じゃない!


 言葉を、視線を振り払うように首を振る。殴りつけるように腕を振るう。闇の中に浮かぶ無数の目を追い払うように目を閉じた。大嫌いだ、『金髪』の人間なんて!


 ──ごめんなさい。

 ──貴方を苦しめたのはこの髪色…私が貴方と同じ髪色なら貴方の気持ちをもう少し理解できたでしょう。


 聞こえた声に、ふっと笑う。


 ……あぁ、貴方はおかしな人だ。でも、ありがとう。


◆◇◆◇◆


「……朝、か」


 ヒカルが目を覚ましたのは、夜が明けて間もない頃だった。カーテンの僅かな隙間から光が射し込んでいる。ヒカルは寝台から飛び降り、大きく背伸びをした。

 時計の針は五時を回った所を差している。西の空はまだまだ暗いが、長きに亘り暗黒の中で生活をしていたヒカルにとっては僅かな光さえ眩しく感じるのである。


(嫌な夢だった。……何時の話だし、もう一月も経っているのに)


 まだ慣れないのかな、と苦笑を浮かべてヒカルはふと手首を見た。

 何処までも白い手首には枷の痕が付いていない。ヒカルはその場でくるくると動き回ると、にやっと笑みを浮かべた。


(鎖の音がしない……俺、自由だ)


 枷が外れてから早一月が経った。枷を外した当初は赤々とした跡が残っていたが、日に日に薄くなっていた。消えた枷の痕が、動いても聞こえない鎖の音が、自由だと実感させる。

 ヒカルは扉へと視線を向けた。一枚の扉を隔てた先にレーウィスの部屋がある。


(レーウィス殿はまだ寝てるよな……スカイティア様も)


 ヒカルは扉に手を伸ばし、部屋を出た。赤い絨毯に金糸が紡がれ、模様を画いている。

 静寂な回廊。まだ使用人達が起き出す前だ。

 暁の空が視界に飛び込んでくる。青と赤の境目が紫に染まった空に星が点々と輝いていた。


「……綺麗だ」


 ヒカルは呟いた。足早にバルコニーへと出ると、空、海、城下が見渡せる。上から順に視線をずらしていくと、綺麗に手入れされた王宮の庭園が眼に入った。庭園内に人影がある。金色の髪が風に揺れ、陽光に輝く。


「こんな朝早くからご苦労なこった」


 ヒカルは呆れ交じりに溜息を漏らした。バルコニーの欄干に肘を付き、朝から働かざるを得ない憐れな役人を見下ろしたが、その瞬間、ヒカルは眼を見開いた。

 まさか、と無意識に言葉が漏れた。


「ヘラーザ……?」


 ヒカルの目に飛び込んだのは金色の髪を靡かせた女だった。遠いけれど、確かに見覚えのある──いや、忘れる筈もない奴隷商人の顔だ。


「何で、此処に…!?」


 王宮に誰かが売られたのだろうか。嫌な予想が、忌まわしい過去を引き連れてやってくる。

 赤、赤、赤。奴隷の血だ。記憶の中の悲鳴が鼓膜を通り越して脳を劈く。


(消えろ…!消えろ…!消えろっ!!)


 ヒカルは首を振って脳裏に浮かぶ映像を消そうと試みたが、そう都合よく消えてはくれない。嫌だと思うほどに脳裏に焼き付いて離れない。


(ヘラーザが何で此処に!?)


 見間違いだと、そう思いたかった。ヒカルはヘラーザと、彼女と話している人物を捉えた。若い男だ。そう確認して、また息を呑んだ。


「レー、ウィス殿……?」


 ヘラーザと共にいる若い男は、紛れもなくレーウィスだった。

 ヒカルは忌々しい記憶をすっかりと忘れ、レーウィスの姿に釘付けになった。彼が起きていたことにも驚きだが、何よりあのレーウィスがヘラーザに微笑むとは思えなかった。

 ヒカルは庭に降りようとしたが、流石に王宮のバルコニーから飛び降りる訳にはいかず、一度廊下に戻って階段を探した。何処も同じような模様が描かれ、自分が何処から来て何処にいるのか分からなくなりそうだ。逸る気持ちを抑え、誰もいない回廊を進んだ。


(見つけた!)


 回廊の先に階段を見つけ、一段抜かしで階段を降りた。此処にも使用人の姿はない。

 静まり返った回廊には無言の圧力を感じる。薄暗く静寂を保った通路は何処に何があるかなど教えてはくれない。


(外に出るにはどうしたらいい?)


 兎に角今は進むしかない、とヒカルは左手の道を選んだ。そこではた、と気づいた。


「あ、人間は困った時には左に行くんだっけ…」


 ヒカルはふっと笑った。奴隷であった、つまり人間ではなかった筈の自分に、人間の習性があるとはなんとも面白い。


(『奴隷』…そうだよ…俺は『奴隷』だ)


 回廊を進みながら呟いた。手足が重くなった気がした。まるで鎖に繋がれたように。


 ──ごめんなさい。


 脳裏にレーウィスの言葉が木霊する。初めて王宮に来た時、レーウィスが言ったのだ。ヒカルたち奴隷を苦しめているのは自分と同じ『金髪』だと。同じ髪色ならば少しは気持ちを理解できただろう、と。


 悲哀に満ちたレーウィスの瞳が鮮明に記憶に残っている。

 あの時のレーウィスの言葉は、あの瞳は嘘だったのか。


 回廊の先にある扉を開けると、眩しい朝日に眼が眩んだ。真っ白になった視界が徐々に鮮明化し、ヒカルは二人の姿を探した。先までいたバルコニーの位置を確認し、レーウィスの姿を求めた。

 二人はすぐに見つかった。息を潜め、木々に身を隠す。木々に剥き出しの肌を擽られたがヒカルはくすぐったいのを我慢し、二人の姿を捉えられる位置まで移動した。

 生い茂った緑色の中に一際目立つ金の糸。陽光に照らされ、眩しいほどに輝く色。忌々しい美しさだ。


(そうだ、ずっと嫌いだった)


 美しいと讃えられる金の髪は常にヒカルに嫌悪を、憎悪を抱かせた。


(それを変えてくれたのは、彼なのに…誰もが忌避する『黒髪』を嫌わないでいてくれた人なのに)


 胸が疼いた。裏切られたことに対する失望?嫌悪?憎悪?

 ぎゅっと胸の辺りを握りしめ、疼く胸に生まれた感情は何かと問う。


「シ(・)ュ(・)ヴ(・)ァ(・)ル(・)ツ(・)は元気にやっているか?」


 声が聞こえた瞬間、目を瞠った。嘗ての名を呼ばれることは兎も角、様子を聞かれたことに驚いた。奴隷は売ってしまえば終わりだ。その後のことを聞かれるとは思っても見なかった。


「えぇ、とても」


 レーウィスはふふっと微笑んだ。柔らかな微笑は何時もと変わらない。スカイティアやヒカルに向ける笑みと同じだ。


「それはよかった」


 風に揺られた金糸を繊細な指が耳へと導く。雪のような白い肌に煌く金糸が映える。春を迎えたとはいえ、まだ朝の早い時間。肌寒い空気にヘラーザの頬が薄紅色に染まっている。


「……お前が手引きしたの?」

「まさか、偶然ですよ」


 微笑むレーウィスにヘラーザは肩を竦めると、手を伸ばしてレーウィスの頬に触れた。

 レーウィスはその手に自分の手を重ねて眼を眇めた。ヘラーザは優しく慈しむように、レーウィスはその愛情を受け止める。


(……何、この状況)


 ヒカルは居た堪れない気分になった。ヘラーザは奴隷商人、レーウィスは王子の側近だ。人目を忍んで密会しているのだろう。


(……確かめに来なれば良かった)


 誰が誰を愛そうと勝手だ。例え、それが身分違いの恋でも。

 それでも、胸が疼く。ヒカルは胸を抑えるように服を握りしめた。


 許せない?奴隷商人であるヘラーザを愛することが。

 悲しい?裏切られた気がして。


(どうして、ヘラーザなの…?)


 ヘラーザは『金髪』で奴隷商人だ。

 奴隷を虐げる立場である彼女と、奴隷に対する扱いを嘆いたレーウィスが恋仲?


 ありえない、と首を振った。けれど、眼の前に映った光景はどう説明しようか。

 二人の姿に釘付けになっていたヒカルは、背後から忍び寄る影に気付かなかった。


「──見ていたのか」


 不意に聞こえた声にギクリ、と身体を軋ませた。その拍子に生い茂った葉がカサリ、と音を発てた。

 背後を振り返れば、朝日の中に金糸を靡かせる青年がいた。雪のように白い肌に青い瞳がヒカルの黒い瞳に映り込む。第一王子のユエルディーネだ。


「ユ、ユエ、様……」


 ヒカルは表情を強張らせた。陽光の角度のせいか、ユエの青い瞳が氷のように凍てついた空気を纏ったように感じ、ゾクリ、と冷気が背筋を這う。肌が粟立った。


(ユエ様が、怖い…?)


 ドクン、と心臓が跳ねる。風に髪が靡き、青い空に映える金糸がヒカルの瞳に映り込む。まるで催眠術でも掛けられたかのようにユエから目が離せない。

 初めて会った時に感じた、畏怖。クラウディアに比べて小柄ながら、彼の纏う空気に威圧される。牽制、だろうか。


 ──俺は、触(・)れ(・)て(・)は(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)何(・)か(・)に(・)触(・)れ(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)のだろうか。


「ユエ様?…ヒカル?」

「すまない、話を遮ってしまって」


 声がした方へとユエは微笑んだ。その微笑が氷のような瞳を空色へと返す。纏う空気が変わり、ヒカルはほっと息を吐いた。視線をずらせば、レーウィスが少し驚いた表情で寄ってくる。

 しかし、ヒカルの瞳に映り込んだのは、彼の後ろで軽く目を見開いたヘラーザだった。


 忘れもしない、冷たい印象を受ける美しい顔立ち。

 レーウィスに向けた甘く優しい表情など消え失せて、忌々しい冷笑が浮かぶ。

 嘗て薄暗い部屋の中で光沢を放っていた金髪が、今は陽光の中に煌いている。


「ヒカル、というのか」

「えぇ、相応しい名前でしょう」


 少し意外そうに呟くヘラーザに、レーウィスが微笑んだ。


 以前にも言っていたけど、俺の名前ってそんなに合ってる?

 特別珍しい名は目じゃないと思うんだけど……というか、皆、東洋の言葉って言いながらよく知ってるね。博識だ。ユエ様もスカイティア様も、何で俺の名前当てるかな?謎だ。


「話の邪魔をして悪かったね、レーウィス。ヘラーザ殿」

「いえ、お待たせしてしまい申し訳ございません」


 レーウィスはユエに謝ると、ヒカルに向き直った。ヒカルに向けられたその笑みは何時ものように優しく穏やかだ。


「ヒカル、申し訳ありませんが、今日はお留守番をお願いします」


 レーウィスはユエと出かける予定があり、それはスカイティアに伝えてあるそうだ。二人は夜には帰ると告げると、手を振って王城を出た。

 ヒカルはヘラーザとその場に残され、隣に立つ奴隷商人を横目で伺った。


 さて、久しぶりの再会だけど。まさか、こんな場所で会うとはね…納得のいく説明をして貰おうか?ヘラーザ。

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