奴隷商館の貴婦人と噂の予言者
月が浮かぶ夜がまるで昼間のように明るい。地上のあちらこちらに消えぬ街灯や館の灯が燈れば、夜空の星すら消してしまう。
それでも、それはごく一部。街灯の届かぬ裏路地には月と星が頼りの暗闇が広がり、静まり返った路地の沈黙が重い。人影などある筈のない、この裏路地に現れたのは闇の中でも輝く金の髪を持つ美女だった。月明かりだけでは到底歩くことなど無理な暗闇を、一つのランプを手に奥へと入って行く。
路地の奥には廃墟と化した建物の残骸がある。十数年前、ルゼノを襲った津波により港町の一部が崩壊した。その跡地だ。新たに港を建設して以降、誰も見向きもしない廃墟と化した街並みは闇と静寂の中に、何処か厳かな空気を纏っていた。
「──やぁ、ヘラーザ。久しぶり」
聞こえた声に金髪の美女──ヘラーザは足を止める。倒壊した瓦礫の前に立ち、月を背にした人影は妖しくも何処か幻想的だ。
そこにいたのは、フード付のローブを纏った壮年の男だった。フードに覆われた顔は窺いしれないが、元々この闇では人相など判別しようがない。年の頃が分かるのは、彼が既知の人物だからに過ぎない。……下手をするとこの男、実年齢から一回り下にしか見えない童顔なのだ。本人曰く、そういう人種らしいが。
「……まさか、戻ってきているとはね。驚いたわ、ルイ殿。久しぶりね」
ヘラーザはふっとその美貌に笑みを浮かべた。
「昔の伝手を頼りにしてね、この国に探し物があると分かったんだ」
「探し物?」
ルイは、嘗てルゼノ一の情報屋であった。黒いローブがトレードマークの、知る人ぞ知る優秀な情報屋だ。そのトレードマーク故に忌避される傾向にあったが、貴族において彼と取引ができることは一種のステータスだった。
しかし、彼はとある時期を境に、このルゼノから姿を消していた。
「あぁ……だけど、その先の情報がぱったりと途絶えちゃってね」
「あら、嘗てルゼノ一の情報屋と呼ばれた貴方が一般人の私を頼るの?珍しいこともあったものね」
ヘラーザは揶揄するように片眉を吊り上げて、大仰に驚いて見せる。昔馴染みのこの男は何時も飄々として掴み所がなかった。ヘラーザが彼に頼られたことなど、今までに一度もない。
「……僕にだって、知らない情報はあるよ。僕の仕事は情報収集をした上で、それを必要としている人に売りつけるんだから」
「それもそうね……ところで、私に連絡を寄越したのはその探し物の件について、かしら?」
くすくすと笑うヘラーザに、ルイは肩を竦めた。
「あぁ、君の勤め先に運ばれたことまでは掴んだんだ。その先を知りたい」
「……私の勤め先?まさか、貴方の探し物って、奴隷なの?」
「……そうだよ」
何処か困ったように答えるルイに、ヘラーザは訝しそうに眉を顰めて先を促す。
「話が見えないわ。まだ情報屋をしているの?」
「いや、今回は個人的に必要な情報」
首を振るルイに、ヘラーザは暫し考えた。奴隷商人として顧客の情報は渡せないが、貴族として生きた時代、ルイには助けられてきたことが頭を過る。
「……言っておくけど、個人情報は渡せないわよ」
「……そうか、そっちも客商売だもんね」
ルイは肩を竦めて嘆息した。どちらも客商売である以上、安易に顧客の情報を漏らすことは無い。……勿論、彼は情報そのものを扱っている以上、依頼された情報ならば別だが。
ヘラーザの返答に珍しく行き詰っているのか、ルイは少し考えるように顎に手をやって沈黙した。
「……じゃあ、一個だけ。『ヒカル』と言う名の黒髪黒目の少年を見たことはある?」
これならば顧客情報漏洩には当たらないだろう?とルイは口角を吊り上げる。……憎らしい。断れないことを分かっているからこそ、ぎりぎりまで攻めて来るのだろう。
「昔の借りを返すだけよ。名前は定かではないけど、確かに黒髪黒目の少年がいたわ。年は恐らく十歳くらい……私が担当した訳ではないけど、一月ほど前、売買契約が完了して引き取られた。行先は王城よ」
「成る程、どうもありがとう……さて、あとは自力で探すか」
王城かぁ、と何ともやるせない声が響く。彼にも王城に嫌な思い出があるのだろう。いや、ルゼノに彼にとって良い思い出があるとは思えない。
「……近々、王城に行く予定があるから名前を確かめてこようか?」
「いいのかい?」
ルイは驚いたように聞き返してきた。顔が見えない分、彼の声音が彼の感情を詳細に物語る。
「貴方には借りがあるって言ったでしょう。それくらい安いものよ」
「義理堅いというべきか……君はつくづくこの国が合っていないんじゃないのかい?」
ヘラーザが序だと言えば、ルイは苦笑する。
「……さらっと祖国を貶さないでくれる?」
「君だって、何時までもこの国に囚われている必要はないだろう?」
「……そうね」
ヘラーザはルイから視線を逸らした。彼の目はフードに隠されて、彼の目を見ることはできない。しかし、彼の視線が真っ直ぐヘラーザを捉えていると感じられて、酷く居心地が悪い。
「……貴方は何が目的なの?」
「目的?」
「この国に戻ってきたのは、本当に探し物の奴隷だけが理由?」
「……聞いてどうするの?」
ルイは口角を上げて、焦らすように問いかける。……変わらない、この男は。
「……この国に貴方が何をしようと、私にはもう関係ない。でも、知っておきたいとは思うわ」
「……少なくとも、僕は何もしないよ。妹はどうか知らないけどね」
ルイはヘラーザの真っ直ぐな視線を受けて、苦笑する。
彼自身の行動は否定しつつも、続けられた言葉は不穏だった。
「妹…?」
「彼女はルゼノを恨んでいると言っても過言ではないからね……僕以上に、この国に傷つけられてる」
だからこそ戻らせたくはなかったとばかりに、ルイはローブの下の表情を顰めた。彼は一人で探し物を追ってルゼノに戻ってくる心算だったようだが、彼女が着いてくると聞かなかったのか。
「……そう、ね。きっと、この国は多くの恨みを買っているわ」
ルイと、彼の妹だけではない。ヘラーザとて、奴隷を扱う商人である以上、人々に好ましく思われているとは言い難い。
金色の髪を特別視するルゼノはそれ以外の髪色を持つ者を蔑み、奴隷として所有することに疑問を持たない。その扱いが人並であればまだいいが、奴隷でなくとも金髪の人間には誰も逆らえないのが現状だ。街中で貴族が乗った馬車が赤髪や茶髪の子供を撥ねたところで、乗っていた貴族は罪に問われない。身分が絶対だからだ。
身分制度というものは王を抱く国なら何処の国にもあるが、ルゼノでは特に髪色を重視される。
ヘラーザのように貴族の身分を捨てた『金髪』の人間でも、やはり一般庶民とは扱いが異なる。ヘラーザに媚び諂う輩も少なくない。
街中には、ヘラーザの他にもちらほらと『金髪』の人間がいる。ヘラーザのように自ら身分を捨てたのではなく、生れながらに父親を持たぬ、貴族の落胤達だ。彼らは庶子とはいえども、貴族の血を引く可能性がある。それだけに扱いが非常に難しい。
(……とはいえ『金髪優遇』がこの先も続けば、不満の火種が何時までも水面下にあるとは限らない)
そう、既に不穏な影は動いている。連日、街中の人間が失踪する事件が相次ぎ、遂には遺体で発見された事件もある。犯人は行方知らずだが、殺されたのが庶民では国は動かない。街中の警邏兵は賄賂を与えなければ、一日中突っ立っているだけ。使える筈もない。
……いや、一応、動いてはいた。まさか、第二王子が騎士達を率いて来るとは思わなかったが、それも何時まで続くか。あくまでも体面を気にした動きだと、ヘラーザは読んでいる。どちらかと言えば、その失踪事件における不満が、貴族へ向かないように繕っているようにしか思えない。
──そうでなければ、態々『赤髪』の王子を前面に出して来る筈がない。
第二王子は騎士団に所属している、王位継承権の低い王子だ。『金髪』ではないが、王子が捜索の指揮を執っているとなれば、都民は安堵するだろう。そうでなくとも、不満の矛先が『赤髪』の王子に向かうなら、『金髪』の人間は安泰だ。
自分でそんな想像して、ヘラーザは溜息を吐く。何処までも腐っているとしか思えない。
嘆息するヘラーザに、ルイは「まぁ、否定できないね」と肩を竦めた。
「その結果がどうなるかは未知数……元ルゼノ一の情報屋でも、未来は見通せないよ」
「あら、あの時は見通したじゃない」
過去の出来事を、ルイにとっては忘れようとしても忘れられない出来事であろうことを引き合いに出せば、ルイは彼の背にある瓦礫を眺めるように半身を返した。
「あれは統計上の予測……それで言うなら、この国は近々崩壊する可能性があることを示しておくよ」
月が浮かぶ闇夜を背に、ローブを纏った彼は嘗て『黒の予言者』と呼ばれた時のように不穏な未来を予言した。




