月と星が並ぶ時
『何故、何故、何故……!』
狂気に似た叫びが木霊する。女は気が狂ったように髪を掻き乱した。瞳は血走り、白い肌が真っ赤に染まる程興奮し、腹の底から湧き出す怒りを吐き出した。
『どうしてなの…!』
般若の如く、怒りを露にした女は王の妃の一人だった。後宮に迎えられた妃の中でも一、二を争う権力と美貌を誇る妃はつい先日、王の子を産んだばかりだった。
産後で気が立っていたことは確かだろう、妃はあらゆるものに当たり散らした。そんな彼女に侍女は怯え、手が出せぬ状況だ。
──尤も、彼女の怒りの原因を取り除くことは不可能だったが。
『何故、お前は…!お前は女に生まれたのだ!』
彼女が産んだ赤子は王位継承権を持たぬ姫だった。妃は揺り籠に眠る王女を憎々しげに忌々しげに睨み付ける。
妃は嘆く。己の天運の無さに。
女は怯える。己の立場の危うさに。
『お前が…お前が女に生まれて来なければ──!』
生まれたばかりの王女が最初に聞いたのは、母親である女の狂気に満ちた呪いの言葉だった。継承権がないその王女は、その瞬間から望まれない子供となったのだ。
◆◇◆◇◆
「──懐かしい夢ね」
執務机で転寝をしていた第一王女アルトステラ──通称ステラ──は、ぼんやりとした頭で呟いた。
その夢は、ステラが生まれたばかりの頃のことだと聞く。それでも何故か、耳に張り付くように残っている母親からの罵倒は鮮明に覚えていた。……恐らく、その後も罵倒は続いたのだろう。生まれたばかりの頃から、その後もずっと。
だからこそ、耳に残った言葉は呪詛のようにステラの耳に残り続けるのだろう。……何とも迷惑な話だ。
女に生まれたステラなど必要ないと、価値がないと呪詛のように繰り返したかと思えば、年頃になったステラに権力強化のためと縁談を押し付けてくるのだから、始末に負えない。
(……まったく、夢の中でくらい大人しくしていて欲しいものよ。あの母親の顔を見るなど、現実だけで十分だというのに)
ふっと、美しく艶やかなステラの顔に浮かんだのは、その美貌故に恐ろしさを加える嘲笑だった。
「アルトステラ殿下、お手紙が届いております」
不意に聞こえた扉を叩く音に、ステラは入室を許して従者から手紙を受け取る。転寝をしていたステラだが、仕事なれば頭の切り替えは早い。さっと手紙の内容を確認すると、口の端を吊り上げた。
「……これで準備はばっちりね」
ステラに届けられたのは隣国からの親書だ。
彼女には隣国の王子との縁談が水面下で持ち上がっていた。王女の責務としては当然の流れだが、彼女は隣国に嫁ぐ気は更々なかった。
国の為と言うならば話は別だが、この国との関係──現在、貿易摩擦が起きている状況──はステラが嫁いだところで変わらない。寧ろ正妃として擁立しなければならないステラの身分は、彼の国との関係を悪化させかねなかった。
(関係を深めるには手っ取り早いとはいえ、安直ですわ。あちらにも都合がある訳ですし)
ステラはふっと溜息を吐いた。漸く話し合いの目途が着いた……後は結果を出すのみだ。
隣国との貿易摩擦は、早い話が独占契約の問題である。それも、ステラの母親の実家であるミストリア公爵家も絡んだものだ。
ミストリア公爵家と、先に断罪されたバッヘン伯爵は癒着関係にあった。寄り親と寄り子と言えば、貴族間では一般的──つまり、傘下に下るようなもの──だが、そこに発生する諸問題が国に掛かるとなれば、捨て置けない。
ステラが王家の人間とは言え、ミストリア公爵家の血を引いていることは事実だ。母の実家を潰す為だけを考えては、国内の均衡が崩れ、更にはそこに着け入れられる危険性がある。実家を潰す算段は着けているが、今そこには踏み切れない。現在においては、力を削ぐことが重要なのだ。
今後、ステラが『没落したミストリア公爵家の血を引く王女』となる点においては問題ない。既にステラの実績がものをいい、ミストリア公爵家とは関係ない人間となっており、ミストリア公爵家そのものがルゼノ王家の血を引く姪である王女に冷遇されているということは周知の事実だ。
『ミストリア公爵家は血の繋がった王女に見捨てられる愚かな者の集まり』
ステラにとって、その事実さえ作ることができればいいのだ。
正直、伯爵とミストリア公爵家の繋がりを潰すことに関して隣国との縁談まで絡める計画は、初期の段階ではなかったのだが、伯爵が呼びつけた取引相手の隣国の領主が偶然にも縁談相手とも知り合いだったこともあって、ミストリア公爵家とバッヘン伯爵に関して情報提供してくれるならば、貿易摩擦の根源である農作物の契約の内容を見直してもいい、と持ち掛けたのだ。
ミストリア公爵家の血を引く王女直々の言葉に驚いたようだが、領主は聡明だった。領主自身、沈むことが明白な泥船に乗り続ける気はないという点と、王女でありながら自国に貢献し続ける王族には国を問わず尊敬の念を抱く、何とも生真面目な性格をしていたお蔭で、あっさりとバッヘン伯爵を裏切ってくれたのだ。流石、利害の一致で成り立つ、情のない関係。……了承を得た時、思わず笑みが零れそうになったが、それは王女の矜持で耐えたことは記憶に新しい。
ヒカルが誘拐された点に関しては、伯爵が何かしら行動を打つだろうと予測を立てつつも、まさか一度接触するところを見ただけで、ヒカルを脅迫材料にするとは驚いたが、他よりも警備が緩いように見せかけている以上、『狙っていない』とはステラには言えないけれど。
それはさておき、誘拐事件を起こしてまで切羽詰まっている伯爵には断罪を下したし、伯爵を裏切るように仕向けた隣国の領主には相応の報酬──独占契約の見直しの為の会談の場を設けさせた立役者という存在になることで、誘拐事件そのものは片付いた。
(あとは、ミストリア公爵家からどれだけ力を削げるか…ね)
ミストリア公爵家そのものが首輪付きになった以上、これ以上の勝手はできまい。しかし、領地そのものの力を削がねばならない。
今回の一件では、ミストリア公爵家が独占する契約の一部は見直しが決定されている。それだけでも財力を恒久的に減らせるのだから、良い一手だっただろう。
(あぁ、今までの権力を笠に着た独占契約が当代で、それも自分の力で切り崩せるとはなんと気分の良い事か)
ふっと、ステラは冷たく笑む。
高貴なる血縁に拘りながら、親や親族が子らを躾と称して虐待し、手に負えなくなったら勘当することは良しとされながら、子が親や親族を見限ることは『薄情』だとか『血も涙もない』などと言われるのは余りにも不条理だ。
その不条理に晒されているのが自分だけならば、まだ運命に翻弄された哀れなお姫様を演じる王女になっただろうか、と有り得ない仮定を想像しては失笑する。
思い出すのは、日頃から耳にする悪意に塗れた噂。直近では行動が変わった異母弟クラウディアのへの『恩ある家を裏切った、愚かな赤髪の第二王子』という上辺だけをなぞった、事実無根の戯言。
恩がある?幼い頃から自身を冷遇した家に?
一人の侍女が手を差し伸べなければ、幼少の頃に儚く消えたとしか思えない環境を与えたシーザス家に?
嗤わせるな。事実を知らない有象無象も、何を見てクラウディアが公爵家に恩を感じるというのか。
あの家も、失脚させるだけでは生温い。何より、今日に至るまで己と似た境遇の異母弟にすら手を差し伸べられなかった自分を恨んだ。
不条理、理不尽、この世の理は古の権力者の都合の良い様に作られた悪習だ。しかし、その不条理で理不尽で悪習ゆえの、稀代の『薄情』で『血も涙もない』王女になってやる、とステラは幼い頃から決めていた。
──血の繋がりだけで、家族を語るな。
ステラの海底のように深い青い目に、ほの暗い影が見え隠れする。沈黙した室内。音を立てるものは何もない、筈だった。
「……上手く話は着いたのかい、ステラ」
「えぇ、これで関係悪化は防げますわ」
唐突に、ステラの部屋に姿を見せたのは第一王子ユエルディーネ──通称、ユエ──であった。
灯に照らされた金色の髪が神々しく輝き、明るい空色の目が柔らかな弧を描く。ステラの前に現れた王子は正しく物語に登場する王子そのものだ。
「そう、よかった…君には苦労を掛けるね」
「何を仰います、兄上。私はすべきことを全うしただけですわ……本番はこれから、ですもの」
「そうだね、次は僕の番だ」
「ふふっ、準備に抜かりはありませんことよ」
「頼もしいね、我が有能な補佐殿は」
ユエとステラは互いに笑みを浮かべる。彼らの関係は常に協力者であり、共犯者だ。国の為、王の為、兄弟の為……目的は様々だが、二人は常に同じ方向を向いている。しかし、目的を果たす手段が常に正攻法とは限らない。だから、彼らは協力者であり、共犯者なのだ。
「これが片付いたら、漸くだね」
「えぇ、今から楽しみで仕方ありませんわ」
その二日後、彼らは隣国との関係を見事改善させるに成功した。勿論、ルゼノに不利になることはなく円満な解決策で、だ。隣国とは、これからも有効な関係を続けられることが約束された。
会談を終えて王宮に戻り、王へと報告を終えた二人──ユエとステラはすっかりと月が昇る時刻に、漸く自室のある区画へと戻ってきていた。
「これで隣国との契約は完了ですわね。これで私も自由だわ!」
ステラは溌剌として疲労の欠片も感じさせない。今にも陽気に踊り出しそうな異母妹の姿に、ユエは仕方ないとばかりに苦笑する。
「もう時間も遅いけど、そのまま行くのかい?」
ステラは空元気としても、これから訪問される側は大変だ。兄弟達は床には就かなくとも、既に湯あみを終えて就寝の準備はしている頃だろう。
「えぇ、何年越しかしら?これで私もユエ兄上に嫉妬しなくて済みそうです!」
「……嫉妬していたのかい?」
異母妹の思わぬ言葉に……いや、その片鱗がなかった訳ではないが、それを明確にされてユエは表情を引き攣らせる。
そう、この妹はユエに負けず劣らず異母兄弟が大好きなのだ。しかも、ユエよりも異母弟達との接触を制限せざるを得ず、いつも不満を漏らしていた。これが解放されたらどうなることか。……つくづくこれから突撃されるであろう異母弟達を哀れに思うユエであった。
「勿論です!私だって、弟達を構いたい、弟達と遊びたい!」
「……分かった、いってらっしゃい」
本性を表した異母妹の勢いに圧倒され、ユエは引き攣りながらも笑みを浮かべる。
この妹は一度決めたら梃子でも曲げない。この気の強さと、彼女の目的を果たす為ならば手段を選ばない容赦の無さは兄弟一の苛烈さとも言えるだろう。
──もし、この国に王女にも継承権があったならば、或いは彼女自身が王子だったならば、ステラは間違いなく、ユエの一番の敵として対立し、相容れることはなかった。
(まぁ、今回は継承権の無い王女だからこそ巻き込まれた案件ではあるけれど)
今回の隣国との関係改善は、彼女が率先して動く必要のない案件ではあった。ルゼノの王女が隣国に嫁ぐだけで関係が改善される筈がなく、ユエや貴族が使者として国同士の話し合いをすることが考えられていた。
先走った輩がステラの母親の耳に入れ、実家ともども隣国との繋がりを考えたようだが、見事に娘の手によって破壊された結果だ。ステラが巻き込まれて大人しくしている筈がないだろう、とユエは思う。きっと、ユエ自身が彼女の一番の理解者だ。
「エトワリス妃も血迷ったのかな……貴女の娘が大人しく嫁ぐ筈がないだろう」
嘗て、今は亡き正妃──ユエの母親と王妃の座を競い合った妹の母、エトワリス妃の姿を思い出しながら、ユエはぼやく。今でもユエはエトワリス妃に敵視されているし、それはユエの母親に負けたことに対する屈辱の延長としか思えない。
(まぁ、他の妃からもそういった視線がない訳ではないけれど)
ユエのぼやきが聞こえたのか、先を行っていたステラが振り返った。
煌々と輝く金糸が流れ星のように舞い踊る。夜空のように深い青の瞳がユエを捉え、半月を描いた。夜に舞い降りた天女の如く、その美貌に柔らかな笑みを湛えてユエに微笑みかける。
「何か、言いまして?兄上」
きっと、聞こえていただろうその言葉を敢えて繰り返す気はない。彼女が湛えた笑みが、その答えだ。
「いや、君が兄弟を好いていてくれて嬉しいよ」
「あら、嫌う理由がありまして?可愛い弟妹と、優秀で優しい兄がいて、私は幸せ者ですわ」
ユエの言葉にステラは朗らかに笑う。それが嘘偽りのない言葉だと、ユエは知っている。
「──君が僕の妹に生まれてきてくれて、僕は嬉しいよ。君は誰より頼もしい協力者であり、共犯者だ」
その言葉は必要とされない存在として生まれ、ただ政略結婚の駒であることを望まれたステラにとって、この上ない賛美の言葉だった。
「……私も、兄上が私の兄として、私を導いて下さる存在であることを嬉しく思います」
己の存在意義は、分かっている。王女として生まれた責務を放棄する心算なんてなかった。
ただ、今回はほんの少し上を目指しただけだ。国を支えるものと同じ目線で、国を見て行動しただけのこと。
この国の王女として、そしてユエルディーネの妹として生まれたことを今なら誇れる。政に関わったことも武術を嗜んだのも、すべてアルトステラの意思だ。そんな彼女に、政略結婚の駒だけで終わる心算などある筈もない。
──国と国を繋ぐだけの王女なんて、誰にでも成れるでしょう?
これは、アルトステラの人生だ。
決して誰かに定められた運命ではなく、すべてはステラが自ら決めたこと。
だからこそ、これからもステラはユエの協力者であり、共犯者であり続けるだろう。
二人が袂を分かつ時が来るまで。
月の名を持つ王子と、星の名を持つ王女は隣り合って笑い合う。
目指す場所は異なるが、今、お互いは確かに隣り合う場所にいる。
ステラの人生はステラの手によって、ユエの人生はユエの手によって紡がれる。
この物語は誰に邪魔されても、彼ら自身の意志で貫かれる最高傑作となるだろう。
──例え、その結末がどのようになったとしても。
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
◇同時に『自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る』を毎週金曜日に更新中です。此方も宜しければお付き合いください。




