誘拐事件3
ドスドスと重そうな音が響く。
それが禿げ頭の何某伯爵の足音だと気付いたヒカルは、床に広げていた書類を慌てて掻き集めた。
(おっと、従者殿のお迎えより早いね、不意打ちしないとダメかな?)
油断していたな、とヒカルは武器になりそうなものを探すが、生憎とこの部屋にはヒカルを拘束していた縄と木箱くらいしかない。……木の蓋で頭を叩けばいけるかな?
しかし、幾ら伯爵に非があろうと、今の身分差では問答無用でヒカルが罰せられる。最悪、死刑だ。……こういう時の身分差って残酷だよね。
王女が絶対優位で、伯爵を罪人にできるならば、ヒカルが伯爵に被害を与えても不問にされる可能性は高いが、今の時点ではヒカルが手を出した時点で首が飛ぶ。
うーん、俺に害されたことに気づかれないようにするって、無理ありすぎじゃね?やっぱり悠長に構えている場合ではなかったかな。反省……している暇はないな。仕方ない、木箱の蓋でいいや。
がちゃがちゃと音を立てて――かなり梃子摺っているようですが──恐らく南京錠か何かだと思う施錠が外れると、バン、と勢いよく扉が開いた。……おや?お一人ですか。お仲間は外ですかね?
「ふん、最後の抵抗か。生意気な!」
木箱の蓋を構えているヒカルを捉えると、何某伯爵は鼻で笑った。
いまいち大物感がない。台詞に威厳がないっていうか……いや、笑いのネタを探してる訳じゃないよ?笑いのネタなら頭と腹で十分だし。
「命が掛かっているので」
「儂に怪我をさせれば同じことだ。大人しく始末されろ」
「嫌です、どうせ同じなら盛大に噛み付きます」
お前だけ無傷とか許す訳ないだろう──とヒカルは冷めた目を向ける。元奴隷の根性を思い知らせてやろう。
何某伯爵は何か気に障ったようで、顔を真っ赤にしてヒカルを睨み付けた。
そこそこの巨体なのに迫力が半減しているのは何故だろうね?あぁ、丸いお腹の割に縦にないからか。お腹の大きい狸の置物もそれに近いのかな?
なーんて伯爵を考察していると。
「──あぁ、此方にいらっしゃった」
場に不似合いな軽やかな声が聞こえてきた。ヒカルの位置から声の主は確認できないが、その声を聞いた途端に何某伯爵の顔色が蒼くなる。……うん、まさかだよね。
伯爵が振り返れば、入り口に佇む人影が鮮明に映る。それは物語のようにお姫様の危機に颯爽と現れる王子様……ではなく、騎士様……でもなく、王女様──アルトステラ様でした。
「ア、アルトステラ王女殿下!?何故ここが……!?」
顔面蒼白の何某伯爵に合掌。
彼の視線の先、部屋の入り口に佇む人影──アルトステラがヒカルの目に鮮明に映る。
アルトステラは現在、馬場にいる時のように男装のような格好だ。装飾は少ないが、煌々と輝く金の髪に、思慮深い青の瞳、美麗な顔立ち。お伽噺の騎士様のようだ。……因みに既に抜身の剣もお持ちです。見た目は立派な女騎士。
物語の救出劇の配役的にはどうかと思うけど。だって、捕えられているのが姫じゃなくて、小姓モドキだからね……いや、奴隷を救出する感動物語ならありか。……でも、男女逆転かぁ。脚本家がいるなら、少々話し合いたいところだね。
いえ、俺のことは兎も角カッコいいですよ、ステラ様。それが王女としてどうかという問題は俺、関係ないしね!
「ふふっ、まさか、こんなにもあからさまな罠に引っかかってくれるとは思わなかったわ」
「わ、罠だと!?」
「知りたいことは後でたっぷりと教えて差し上げるわ。貴方には沢山の時間ができますもの、ね?」
王女の意味深な言葉。冷たい微笑。今の王女はまるで断罪者だ。……うん、見た目は天使なのに、纏う雰囲気は死神かな。
「み、見張りは……」
「あら、知りたい?……私が此処にいる時点で察して下さらないかしら」
「っ…!」
何某伯爵が息を呑む。怜悧な双眸が眇められ、一層冷たい笑みがステラの顔に浮かぶ。
「貴方は、貴方の部下も含めて私達の配下に見張られていたのよ……ヒカルに手を出したのは運の尽きね?」
「な、こんな餓鬼がなんだというのだ!ただの奴隷じゃないか!わ、儂がこの奴隷をどうしようと…!」
確かに王子の小姓モドキを誘拐しようと、拉致監禁しようと、或いは殺害しても、伯爵なら大した罪にはならないだろう。……精々第三王子へ賠償するくらいか。奴隷は主人の所有物だからね。
「何も知らないのね……それこそ、貴方が誰にも見向きもされていない証拠。必死に這い上がろうとしても無駄よ」
……いやね、ステラ様。俺に手を出したのが問題と言うか、手下を見張ってた所で俺を拉致したってだけでしょ……別に水を差さないけど。
「──アルトステラ様」
「シュテルイン……あぁ、話し過ぎたわね。連行して頂戴」
従者の青年──シュテルインの登場に、話をさらっと流したステラの命で何某伯爵はあっさり拘束された。顔面蒼白の伯爵は力なく連行されていく。
「……それにしても、ヒカル」
「は、はい!」
ステラは屈み込んでヒカルと視線を合わせた。深い青の瞳が鏡のようにヒカルを映し込む。
「巻き込んでごめんなさいね」
「いえ、助けて頂きありがとうございました」
確かに、予想外だけどね。ユエ様に忠告されていたとはいえ、標的がスカイティア様でもクラウディア様でもなく、ステラ様……いえ、最後に接触したのはステラ様ですが。
まぁ、今更何を言っても仕方ないし、拉致されたのはヒカルの失態だ。彼女が救助の手を伸ばしてくれただけでも奇跡に近い。
監禁が解けたところで、聞きなれた声が響いた。
「ヒカル!」
「スカイティア様!」
そういえば、何も言わずにステラを追いかけて拉致監禁されていた。心配をかけた謝罪のため床に手を付こうとすれば、その前にスカイティアに抱き込まれた。
……ステラ様、避けましたね。まぁ、スカイティア様はほぼ猪突猛進で突っ込んでこられましたし、反射的に避けるのは仕方ないか。
それはさておき。嘗て、此処まで対処に困ったことがあっただろうか。
ヒカルは、細身の身体全てでヒカルをぎゅうぎゅうに抱き締める主人に途方に暮れた。
スカイティア様が『死にたい』と口にしていた時も困ったが、無意識に流れた涙が功を奏した。……図ってないからね。意図的に涙を流せるほど器用じゃないと言っておくよ?
クラウディア様とスカイティア様の仲を取り持とうとして、策がなかった時……あれはクラウディア様の性根まで曲がってない性格に助けられたな。……肩車は余計だけど。
……などと現実逃避し掛ける程の主人の奇行に、それだけ心配をかけた自覚はあったので、顔は見えないが謝罪をする。
「何処行ったのかと…本当に心配したんだよ…」
「はい、申し訳ありませんでした」
再度スカイティアに謝罪を述べると、部屋の扉からレーウィスが入ってくる。
「スカイティア様、ヒカルは無事です、か?」
入室した途端、彼は目を丸くしたかと思えば苦笑を漏らした。
「…はい、無事です。ご心配をお掛けしました」
未だに離してくれないスカイティアの肩越しに謝罪する。……まぁ、笑うしかないよね、この状況。
「あの、王女殿下…?」
「今はスカイティアの好きにさせてあげなさい。居場所が分かっていても飛び出さなかっただけ、十分頑張ったでしょう」
くすり、と笑ったステラは颯爽と部屋を出ていく。後ろ手に手を振っていく姿はカッコいい……のだが。
「……あの~、スカイティア様?」
呼び掛けるが、スカイティアから反応はない。……こりゃ、暫く返事ないかも。
「スカイティア様、ヒカルが困っていますよ。お部屋に戻りましょう」
「……心配、したんだ」
ぽつり、と洩れた言葉がヒカルの鼓膜を揺らす。
「はい、申し訳ありませんでした」
「……勝手にいなくならないで」
力ない声で紡がれた懇願に、ヒカルはどうしたものかと思案する。言葉だけの約束など、気休めにもならないだろう。
「……ご心配をおかけしました。俺は此処にいますよ」
自分よりも大きな背中に両腕を回して、背中を叩く。……何だろう、子供を慰めているみたいだ。失礼、相手は王子様でした。
「……うん」
スカイティアの返事は短く、覇気がない。逆にぎゅっと抱き締められた。……やはり気休めにもならない模様。暫くスカイティアの腕の中で大人しくしておくことにした。
◆◇◆◇◆
「……どうかしましたか、ステラ様」
「別に。面白いものを見たって思っただけよ」
従者の問い掛けに、ステラは王女然として表情を崩さない。それでも彼の主人である王女が何処と無く嬉しそうな、けれど何処か愁いすら纏っていた様子に気づいていた。
星の名を持つ王女は煌々と輝く金の髪を揺らしながら、その夜空のような瞳で遥か先を見据える。
「……あの伯爵は時期に潰れます」
「そうね」
「殿下のお望みも叶うでしょう」
「そうね」
侍従の問いにステラは単調に応じる。〈冷静で聡明な王女〉の仮面を被った彼女は人前で喜怒哀楽を示さない。そうあらなければならないと、彼女は理解している。
誰かの前で彼女の感情が態度に示された──〈星が光る時〉と陰では畏怖される──時こそ、王女が何かを仕掛けているのだと、彼女を知る者は言う。それを知らない者が引っかかるのだ。……今回の一件のように。……けれど、それだけではないと彼女の従者は知っている。
「……罪悪感ですか?」
「……何が言いたいの、ルイン」
カツン、と踵が音を立てて、ステラは振り返る。下から覗き込む形で従者の青年――シュテルインの顔を窺えば、ステラの瞳より濃い、紺碧色の瞳がステラを捉えた。
「いえ、殿下方の願う未来の為には必要な犠牲でしょう」
「分かったようなことを言うのね……流石、兄上から送り込まれた私の監視役」
くすり、とステラは不敵に笑う。
彼女は箱入りのか弱い姫でもなければ、政略結婚の駒だけに育てられた綺麗なだけの王女ではない。自分の耳目で見聞きして、己の頭で考え、その口で答えを出す。
だから、彼女の前では細心の注意を払わなければならない。一挙一動、言葉の端々に気を使わねば何時だって、その中にある感情や情報を彼女の手に掬われてしまう。
「……私は監視ではありません」
「あら、私の行動を報告しているのでしょう、兄上に」
彼はステラの従者──護衛の騎士ではあるが、その正体はユエの腹心だ。スカイティアの側近レーウィスと同じく、ユエの手駒の一人。クラウディアの傍には見当たらないが、恐らくあの侍女がそうだろう。あとは遠巻きに……あくまでも気づかれないように見守る者が数名。クラウディアは武術に関しても特化した分、護衛は要らないが、それでも危険から遠ざける必要はある。
常に見守られていたことに、彼は気付いているのかしらね?
兄弟間の関係改善後は良好だ。あと数日もすれば城下の治安問題から、クラウディアは手を引くだろ。そうなれば、クラウディアはスカイティアの元へ帰って来る。
一体、誰が想像しただろう?
異質とされた第二王子と第三王子が仲良く語り合う日が来るなんて!
「……ユエ様はご兄弟を皆等しく愛され、心配されておられるのです……ステラ様、貴女もユエ様からすれば守るべき、庇護の対象なのです。私は殿下の剣であり、盾なのです。それは貴女を守るものであり、それがユエ様のご意思です」
「知っているわ……でも、今、あの子の気持ちが分かった気がする」
ステラが浮かべた苦笑に、シュテルインは双眸を眇めた。月光に照らされた紺碧の右目が妖しげに輝いて、ステラは緩く首を振った。
「……あぁ、だからって、兄上に反旗を翻すなんてことは天地が引っ繰り返っても有り得ないから安心して?」
「そのようなことを疑ったことなど、一瞬たりともありません」
「そう、それはよかったわ。私達は数少ない共犯者だもの……疑われたら、先に進めないわ」
ステラは不敵に笑う。それが、彼女達の全てだと。
そう、この関係はあくまでも共犯者……そして協力者だ。
目的を果たせば容易く崩れ、無に返る、そんな関係だ。一種の契約とも言えるだろう。
笑みを浮かべたまま、踵を返して回廊を歩み出した王女の背を、従者は何処か悲しげな眼差しで見つめていた。
──この関係は何時か終わるのだと、彼自身も分かっていたから。
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
◇同時に『自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る』を毎週金曜日に更新中です。此方も宜しければお付き合いください。




