誘拐事件2
──閉じ込められてから、どれだけ時間が経っただろうか。
気絶していた時間が不明である以上、正確には分からないが、明り取りの窓から差し込む月光に夜になったことを知る。
(……ふむ、取引の材料にされるのは頂けないが、現状の部屋は逃げ出すにも難しいようだな)
施錠された扉以外には出入りできるような場所はなく、明り取りの窓には鉄格子が嵌め込まれ、その隙間を抜けることはできない。そもそも此処は何階だろうか。部屋の中を漁ってみたが、鉄格子を折る耐久性が見込める頑丈な道具などありはしないし、そもそもヒカルの体力が持たないだろう。……あれ?意外に危機的状況だったりする?
(そういえば、スカイティア様とレーウィス殿は大丈夫だろうか。何気に心配性だからな、あの二人)
ヒカルは囚われの身であるにも拘らず、今頃心配しているだろう己の主人とその側近を案じた。……だって、お二人とも優しすぎるんだもん。ちゃんと夕食は召し上がっていますかね、もういい時間ですが。
奴隷など、数いる使用人以下の存在である。スカイティア達が、ヒカルがいなくなったことを気にも留めずに過ごせるなら、ヒカルとて、こんなにも彼らを気にしなかっただろう。情が移ると厄介だ。……というか、情が移る程、離れがたくなる程、主人に優しくされる奴隷なんて、そうはいまい。というか、経験上。だからこそ、ヒカルは奴隷でないと言えるのだろう。
奴隷と言う身分から解放され、傍にいることを決めた。それでも忠誠を尽くしている訳ではない。いつかは、此処を──彼らの傍から離れることを考えているのだから。
不意に、見上げた窓から欠けた月が浮かんでいるのが見えた。この月を彼らも──スカイティアも、レーウィスも、クラウディアも……そして、母や伯父も見ているのだろうか。
「……一人になると、どうにも、ね」
このルゼノ王宮に来て、彼らと出会ってからまだ一月も経っていない。それでも濃い時間を過ごした。実に波乱万丈だと言えるだろう。その間には一人になることがなくて、郷里を望むことなど数える程しかなかった。
今でも母達に会いたい、と思っている。彼女達の元に帰りたい、とも思っている。
それでも、スカイティアやレーウィスとの日々が当たり前となっていて、日に日に母や伯父を恋しく思う可愛げも失った。
その証左とも言えるのが、引き離されて一番に思い起こすのが故郷の母や伯父ではなく、まだあどけなさの残る優しい主人と彼の側近だったことだ。それにはヒカルは驚くと同時に納得する。……ふむ、親離れするには次の心の寄生先がいる訳か。実に可愛げのない。いや、元奴隷に可愛げなんて求めないでね。
それは兎も角、どちらにしても逃げ出さなくては誰に会うことも叶わない。
思考を切り替え、再度、部屋を見回す。
少なくともステラが取引に応じようと応じまいと、ヒカルは始末される。ということは、もう一度だけこの扉が開くことは決定事項だ。勿論、この部屋が何処かの離れで、全ての証拠隠滅として放火されない限り。
…いや、奴隷一人始末する為だけに放火する可能性は低いな。二次災害が起こりかねない。
と言う訳で、この扉が開く時に備えて準備をするべきだろう。逃げ道がないなら作るしかない。
ヒカルを始末しに来るであろう輩を迎撃するには、まず不意打ちをするのが確実だ。杜撰な拘束方法であった以上、ヒカルをただの子供だと思っているだろう。……まぁ、実際に恐れられるような特殊能力がある訳ではないので、普通はヒカルほど冷静ではいられまい。肝の坐り様がものを言うだけだ。
「一人は隙を突くとして…いや、問題は二人目以降にある」
何某伯爵自ら始末しに来ることはないだろう。しかし、子供相手とはいえ、逃亡防止・見張りを兼ねて二人以上の人員は割くと考えられる。それから此処が何処か分からないのが問題だ。
この部屋がある場所──恐らく王城内の何処かだとは思う。王宮の一角が窓から見えた──が何某伯爵に与えられた区画……いや、管理下と言う意味ね?王族じゃないのに自分の手の内の者だけで王城の一角の警備を揃えられないよ、普通。……あの伯爵が騎士団長とか有り得ないし、体格からして。
それは兎も角。この先、知っている場所に着くまで、誰が味方──この場合はユエやステラの味方、或いは何某伯爵との確執がある者──か、ヒカルには分からない。少なくとも、助けを求められるのは自分が知っている者に限られるのだ。……無闇に逃走しても、何某伯爵の手の者や、ヒカルを奴隷と認識する者の手に落ちたら笑えない。
「……あれぇ、マジで危機的状況か」
ぽつり、と呟いてヒカルは口角を吊り上げる。此処で絶望なんてする訳がない。
危機的状況?だから何?俺の辞書に何もしないで諦めるなんて言葉は載っていません。
そんな過酷な状況でもやれるだけやるのがヒカル流。奴隷時代に学んだ諦観の意味は、一時凌ぎという意味さ!
何もせず、大人しくしているなんて、誰も言ってませんよ?
取り敢えず、手足は自由。ヒカルは鉄格子を掴んで窓の外を覗く。できるだけ今の場所を正確に把握しなくては行動できない。……月明かりと部屋の明かりで、何と分かりやすいこと。この部屋が暗い分、明るい場所は良く見えるものですね。
うん、王城内であることは確定。腹時計と睡魔──レーウィス殿が時間に細かいから、腹の消化具合で割と正確になった。早寝早起き、正確なご飯の時間、グッジョブ!──によると、時刻は夜七時前後だろう。
ヒカルを始末するにしても、灯が消える頃を狙うだろうか。伯爵が奴隷を手に掛けても罪には問われないが、ヒカルを使って第一王女を脅迫しているのだ。伯爵は態々脅迫の証拠を残さないだろう。死体は人目に付かないようにする筈だ。
「──ヒカル様」
「……?」
鉄格子を掴んだまま外を覗いていると、不意にヒカルを呼ぶ声が聞こえた。
(……この声、何処かで)
不審に思って辺りを見回していると。
「ほわっ!?」
鉄格子の向こう──つまり、窓の外──に逆さまの人の頭が現れた。ひっ、生首!!……いや、ちゃんと胴体と繋がっていました。上の階から顔を覗かせているのだろう彼は無表情のまま、口を開いた。
「ヒカル様、今暫くお待ち下さい。直ぐにお迎えに上がります」
「……えーっと、ステラ様の従者殿?」
無表情で首だけを覗かせるステラの従者の何とも奇妙な状況に、ヒカルは言葉が続かない。驚けばいいのか、呆気に取られればいいのか。……まぁ、どちらにしても言葉が出ないよね。
言葉は物凄く丁寧で案じられているようなのに、表情が伴っていない。……能面ですか、貴方。
普段は前髪で目元が隠れているのに、逆さ吊りの状況ではその紺碧の瞳が──あぁ、両目の色が違うんですね、初めて拝見しましたが綺麗ですね──露になる。
「はい、ステラ様が幼少の頃からお仕えしております。……ご心配なく、全てを終わらせてからお迎えに上がりますので、それまで暫しお待ちください」
「……了解です。えーっと、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
何もするなってことか。まぁ、無駄に足掻いて邪魔しても困るよね。そりゃ釘を刺しておくか。……はーい、大人しくして待ってまーす。
「……いえ、此方こそ、巻き込んでしまい申し訳ありません」
何かを言い淀むようにして、王女の従者は頭を引っ込めた。……それにしてもよくここが分かったな。どうやら、王女様の従者は有能らしい。
「……まぁ、待つとしますか」
ステラ様には申し訳ないことしたな、と思いながら足場にしていた木箱の上に座ろうとしたが、先程漁っていた箱の中の奥底に、ふと書類のようなものを見つけた。
(あの伯爵のことだから、横領とかやってそうだ。勝手なイメージだけど。まぁ、あったとしてもこんな所にある筈ないよね)
……なーんて思いながら書類を取り出した結果。
「……これって」
ヒカルは思わず半目になって脱力する。天を仰いだ。
並ぶ数字と読める語彙だけ拾ってもまごうことなき、裏帳簿。横領の証拠でございます。
何故だろう……何故に人質を捕縛した部屋に、こんなものを置いておくかね。杜撰な拘束と言い、やる気あるのかな?まぁ、読み書き計算できる子供ってそういないらしいけど。俺が計算できるのにレーウィス殿も驚いてたし。
「成程…もしかして、これがステラ様を脅迫する理由?」
王女に横領の証拠を掴まれていたのだろうか。それを臭わされ、伯爵はヒカルを人質にして脅迫したのだろうか。……自業自得な運命だね、あの禿げ頭の何某伯爵。
「……ま、国のことは俺には関係ないしね」
それでは大人しく救助を待つとしましょうか。
横領犯を捕まえるのは国に仕える人のお仕事さ!この裏帳簿は迷惑料代わりに取っておくけどね。
あ、侍従殿に鉄格子の隙間から渡しておけばよかったかな?
◆◇◆◇◆
王城内、某所。
「──くそっ!あの女、何故応じない!?これでは取引が…!!」
ヒカル曰く禿げ頭の何某伯爵──正確にはバッヘン伯爵は焦りを隠せずにいた。王女のお気に入りだという第三王子の奴隷の少年を誘拐して脅迫状を送ったのに、王女は慌てる様子どころか音沙汰一つない。
「……ふむ、王女殿下はあの少年を見限るお心算か。まぁ、王族としては当然の判断だな」
同室にいた伯爵より一回り若い中年の男が納得した様子で感想を述べる。そこに焦りなどなく、それが却ってバッヘン伯爵の癪に障った。
「何を呑気に言うか!あの女を黙らせなければ、我が領地との取引が台無しになるのだぞ!!」
「えぇ、伯爵の横領が発覚すれば、貴国と我が国との信頼関係が揺らぐ上に、アルトステラ王女殿下を迎え入れることができなくなるでしょう」
冷静な、侮蔑さえ孕んだ冷たい瞳に、バッヘン伯爵は目を見開いた。
この男は、バッヘン伯爵領と隣り合わせにある隣国の領主だ。二つの領地間での貿易が破綻するかもしれない、と言って呼び寄せた。男の領地はバッヘン伯爵領が貿易路を拓かなければ、権力も小さく、辺境の小領主で代々終わっていた。つまり、バッヘン伯爵家には多大なる恩があるのだ。それなのに、恩人をまるで咎人のように──!
「貴様っ、何を言う!?」
「いえ、そのままのことを申しただけですよ、伯爵」
激昂する伯爵に、他意はないと男は緩く首を振って否定する。
そう、彼は事実を述べただけだ。伯爵が後に国に仇為す罪人として裁かれることにより、男の領地がある隣国とルゼノとの関係が悪化するという事実を。
「ええいっ!貴殿と話している場合ではない!役に立たんなら、あの奴隷など即刻始末してくれる!!」
頭に血が上ったのか、吐き捨てるように言い放ったバッヘン伯爵はドスドスと重そうな肥満体を揺らしながら部屋を出て行った。少年を監禁している部屋に向かったのだろう。あからさま過ぎるその態度に、男は溜息を吐いた。
「短気な上に浅慮な男……態とですか?アルトステラ殿下」
「……あら、何のことかしら?」
残された男が向けた言葉は、部屋の間仕切りの向こうにいる王女へと送られたものだ。伯爵は全く気付いていなかったが、彼や彼に関わる人間は全員監視されていた。この隣国の領主も、ルゼノに来てからずっとだ。
その事実を知った時のことを思うと、男は再度溜息を吐きたくなる。
国に仇為す可能性のある輩と接触する人間は全員を監視対象にするのが望ましい。後から弾くにも、情報収集と言う点ではまず人員がいる。彼女の指示で割ける人員があることが前提だが、彼女は王女でありながら、まだ多くの手駒を所有しているようだ。
仮に、その手駒が第一王子の支援であったとしても、あの畏怖される第一王子が異母妹の言葉に「はい、そうですか」と簡単には頷く筈がない。王女が明確な情報と証拠を以てして納得させたとするならば、彼女自身の手駒がいることは確実だ。何処に彼女の目となり耳となるものがいるか分からない。それは身震いする程に恐ろしいことなのだ。
王女の手駒の数が多くても少なくても恐ろしい、と男は思う。
手駒の頭数が多ければ人海戦術が取れる。逆に少なくとも、それだけのことができる有能な部隊を所有しているならば、恐ろしいことに変わりないのだ。……そんな王女が味方ならば、とても心強いが。
「……我が国との取引には、応じて下さるのですよね?」
確認する男の言葉に、アルトステラは答えない。此処での会話は非公式とはいえ、第一王女の、王族としての言葉に二言はない。彼女が政に重きを置く女性であるならば尚更だ。うっかり言質を取られるような真似はしないし、温情の有無も否定しない聡明さに、男は思わず苦笑を漏らす。
「本当に、惜しいな。貴女が我が領地に…いえ、国に来て下されば本当に頼もしいのに」
「最大級の褒め言葉ね」
それを最後に男は部屋を出た。
彼女が姿を消したことを感じ取ったから。
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
◇同時に『自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る』を毎週金曜日に更新中です。此方も宜しければお付き合いください。




