誘拐事件
目の前に広がる床のタイルと、身動き取れない自分の状況。辛うじて視線を動かす範囲で確認すれば、何処かの物置小屋かと部屋の狭さで判断する。天井近くには明かり取りのためか、格子の張られた窓が一つ。積み上げられた木箱で圧迫感があるが、ヒカルの小柄な身体が寝転ぶ分には問題ない。
(……さて、何故こうなったのやら)
ヒカルは寝転がりながら呟いた。
手足は縄で縛られ、床に転がされ。春先とはいえ、底冷えする床は今も触れているだけで体温を下げるようだ。
(ま、奴隷商館よりマシだね。というか遥かに快適。着る物温かいし、隙間風ないし。動けないけど)
取り敢えず、ヒカルは記憶を遡る。
現状に慌てふためいたところでどうにもならないことは、奴隷時代に学んだのさ!
ただし、大人しく現状に甘んじるとは言っていない。まずは振り返りから、だよね。
◆◇◆◇◆
──ヒカルの現在から数時間前、第三王子スカイティアは部屋の長椅子に寝転んでいた。
「……スカイティア様、大丈夫ですか?」
乗馬の練習と筋肉痛との戦いを繰り返すこと、数日。スカイティアの乗馬は形になり、駆け足はまだ無理だが、一人で乗れるようになっていた。しかし、繰り返し堪る疲労からか、午前練習が終わり部屋に戻ると雪崩れ込むように長椅子に倒れ込んだ。……お疲れ様です。
「ヒカルもやってみればいいよ、疲れるから」
「……そうですね、その内。機会があれば」
「それは、やる気がないと言っているのと同義じゃない?」
そうかもしれませんね、と返して、スカイティアが座る長椅子に微温湯を持っていく。……急激に身体を冷やすのは良くないんだって。
「ありがとう……なかなか慣れないね。よく兄上も姉上も乗りこなしているものだ」
「皆様は幼い頃から練習されておりますから、年季が違いますよ」
「そうだね、気長に頑張ろう」
「その意気です、スカイティア様」
昼食を挟んで、午後も馬を馬場で走らせる。レーウィスに補助されながら、スカイティアは馬を危なげなく乗りこなし、あと数日もすれば駆け足もできるようになるだろう。……ヒカルの主観だが。
手摺を足場に馬場に身を乗り出しながら、ヒカルは二人の様子を眺めていた。
「……ん?」
凛、と涼やかな音が耳を掠める。鈴だろうか、とヒカルは視線を巡らせた。王宮の一階の回廊に見えた金の髪の女性──王女アルトステラだ。彼女の方から、だろうか。
(そういえばクラウディア様の件って、何が真実なんだろう)
クラウディアは此処数日、スカイティアの部屋に立寄らない。城下の治安の問題はまだ収まらないらしい。
ヒカルは一度馬場にいるスカイティア達を振り返り、また回廊を見る。彼女から話を聞く機会は、今後ないかもしれない。
(ちょっと離れます!ごめんなさい!)
ヒカルは心の内でスカイティア達に申し出ると、廻廊へ──その先にいる王女アルトステラへと向かっていった。石の床を蹴り、彼女の姿を追う。見失うまいと疾走すれば、彼女が立ち止まっていたことに気付かなかった。
どん、とぶつかるが、抱き止められてヒカルは尻餅を付かずに済んだ。……が、安堵している場合じゃない!
「申し訳ありません…!」
ヒカルは慌てて床に伏せようとしたが、抱き止めた腕がそれを押し止める。顔を上げれば、ぶつかったのは王女ではなく、その従者の青年だった。射し込む陽光にきらきらと輝く『金髪』は貴族の証。
(……先日の会食以来ですが、お元気そうで何よりです。でも、相変わらず冷たいくらい整ったお顔は無表情ですね)
「お気になさらず。しかし、前は見た方が宜しいかと」
「本当に……ヒカル、下位の者の非礼を赦す王族や貴族は少なくてよ?」
「し、失礼致しました…」
青年の後ろから顔を出すステラが微笑む。……怒ってはいないようだ。それにはほっとする。
「何か、お話でも?」
「あ、あの、クラウディア様について…」
「あぁ、矢を射たこと?」
ステラの確認に、ヒカルは頷く。彼女の目は何処か困ったような笑みを浮かべ、何かを言いかけたその時、カツン、と物音が響いた。
すると、ステラとヒカルを庇うように青年が前に出る。青年の纏う雰囲気がぴりぴりしているようだ。
警戒してるのか、とヒカルも気を引き締める。王宮にいる誰もが敵が多いと聞く。ステラが王女であっても条件は同じなのだ。
「──これはこれは王女殿下、ご機嫌麗しゅう」
「あら、伯爵、御機嫌よう」
ヒカルからは青年に背に隠されて見えないが、貴族の一人らしい。ステラは嫣然と微笑みながら応じたようだが、青年は彼女の横や後ろに控える気はないようだ。……この男が警戒対象か。
王女の敵に見つかっても面倒なので、ヒカルは床に膝を着くことで身を屈める。小姓モドキならば、王族や貴族の前で平伏していても不思議はなく、見つかっても顔は見られまい。
「どなたかとお話しされているようでしたが……ただ今、少々宜しいでしょうか?」
「……構いませんわ」
ステラはヒカルに視線を向けることなく、足を進める。身分的にもヒカルが呼び止められる筈もなく、間が悪かったと思うしかない。
(また後で会える奇跡を期待しよう。それにしても、クラウディア様は大丈夫かな?)
三人が立ち去るのを待って、足音も完全に聞こえなくなってから立ち上がった、その時だった。
背後から布のようなもので鼻と口を塞がれ、鼻を突く臭いにクラリ、と視界が傾く。そんな自分に愕然とするが、しかし、ぼやけた頭では思考が働かない。視界に最後に映ったのは、不鮮明な人影だけ。
ヒカルの意識はそのまま遠退いた。
◆◇◆◇◆
以上、回想終了。役に立たない回想だった。……仕方ない、脱出方法でも探るか。
ヒカルは一先ず身体を起こす。大してない腹筋だが、勢いをつければ起きられるものだ。何か縄を切れるものはないかと辺りを見回せば、木箱の上蓋がずれているのを発見した。
(……立たないと無理か。でも、後ろ手に縛られた状態では難しいかな)
「んっ……よっと」
少しでも緩まないかと左右の手首の動かしてみる。
「無理か…」
多少は縄は緩んだが、このまま外すのは無理だ。
ヒカルは息を止め、背面から縛られた腕を尻の下から太ももの裏を通して、最後に踵を通す。抜けた瞬間、息を止めていた分を思いっきり吸って、深呼吸を繰り返す。浅い呼吸は意味がない。
(きつかったぞ、もう!腕が外れるかと……二度と御免だぞ、この野郎!)
内心悪態を吐きながら、兎に角呼吸を整えることを最優先する。無理やり通した腕と折り曲げたりした身体が悲鳴を上げていたこともあって、直ぐには動けなかった。しかし、もがいた分、縄が緩んだ。
(杜撰な拘束、万歳!)
漸く呼吸を整えた所で、ふと、扉が開く音がした。
「……漸くお目覚めか。奴隷の癖に呑気に寝ているなんて、生意気にも程がある」
寝ていたのではなく、気絶させらていたんだけど。……と言うか、何方?いや、明らか俺を拉致監禁している犯人なんだけど。……多分、王女と話してた、何某伯爵かな。
薄暗い部屋の中──恐らく物置──に閉じ込められていたかと思いきや、突然の闖入者登場だ。年頃は五十……いや、六十代か。色を殆ど失った金髪は天辺を避けるようにして申し訳程度に生え、寂しい頭の下には肥えた身体がでん、と存在を主張する。……典型的な貴族像だ、久しぶり。
……いやね?馬鹿にしている訳ではないよ?ただ貴族のレーウィス殿やステラ様の従者の青年とか、めっちゃ引き締まった身体をしているのに、年を取ると何故こうなるかなって思っただけで。……王族は皆細身だよね、その配下の癖に何故肥えるのか。
ヒカルが少し現実逃避をしていると、何か勝手に話し出す。……本当にいるんだね、被害者を前に語り出す奴。
「ふん、余裕をくれているのも今の内だ。用が済んだら始末するだけだからな」
「……もしかして、人質?」
もしかしなくても人質だと思うが、情報は欲しい。
何故、この王宮で奴隷以上小姓以下の身分であるヒカルが人質としての価値を持つのか。仮にヒカルが人質としての価値を持つとしたら、主人のスカイティア、側近のレーウィス……クラウディアにとってだろうか。
しかし、スカイティアは王位継承権がないに等しいから、何かを要求する可能性は低い。レーウィスは貴族としての立ち位置がはっきりしていないので微妙だが、脅迫相手として可能性が高いのは、クラウディアだろうか。
(クラウディア様は実家の権力強いって言ってたし…)
クラウディアが人目も憚らずヒカルを肩車したことに始まり、最近まで第三王子の部屋に通い詰めていた事実、そしてクラウディアと一緒に乗馬をしていたことまで含めれば、見る人によっては、ヒカルが第二王子のお気に入りだと解釈しても不思議はない。
「当然だ……まぁ、何処がいいのかさっぱりだが」
嫌悪する眼差しでヒカルを捉える何某伯爵。まぁ、答えてくれるだけ有難い。
(あぁ、そんなに『黒髪』がお嫌いですか。と言うか、それでよく俺を捕まえる気になったねぇ)
あの時、ヒカルを襲って拉致したのは別人だ。伯爵は王女と従者と一緒に回廊を曲がって行った。そもそも、この男はヒカルに触れるのを嫌がるだろうし、同じ部屋にいるのも嫌悪しているようだが……それでも拉致せざるを得なかった、と。
「……脅迫相手は第二王子殿下?」
「まさか、あんなみすぼらしい髪の王子にそんな価値などあるかっ!」
さらっと王子を貶しおったぞ、この男!……髪色で貶すならスカイティア様も候補から自動的に消去ね。というか、どんだけ『金髪』が好きなんだよ?
「……じゃあ、レーウィス殿か」
「レーウィス……?あぁ、あのアーベント家の倅か。あちらこちらに取り入っているようだが、あんな若造に儂が劣ると?まったく、これだから奴隷は……」
あんたのことなんか知らねえよ、誰だよ。
というか、これで候補消えたんだけど。
嘆かわしいとばかりに首を振る男に、ヒカルは眉を顰めた。仮にユエと接触するところ見られたとしても、ユエはヒカル一人くらい簡単に切り捨てられる。即ち、ユエに対する人質になることはありえない。
「じゃあ、誰?……ユエ様なら、俺を簡単に切り捨てるけど?」
情がない訳ではないだろう、あれだけ兄弟思いなのだ。しかし、ヒカルはその対象外であり、ユエの駒に当たる存在だ。駒の為に取引に応じることはない。
「ふん、あの王子も邪魔だがな!それより邪魔なのはあの王女……アルトステラだ!女の癖に忌々しくも政まで手を出しおって!」
王女の名を呼び捨てにして唾を吐く何某伯爵に、ヒカルはジト目を向けた。
(……あぁ、成るほどね。ステラ様でしたか。何か、険悪な雰囲気だったしね)
納得納得、とヒカルは記憶を辿った。ステラは優秀で政でも結果を出していると聞く。レーウィスもユエとステラが隣国との会談を控えていると言っていた。
ヒカルが思考を巡らせていると、何某伯爵は更に話を続けた。
「貴様はあの女のお気に入りだろう。まさか、あの王女にそんな悪趣味があったとは思わなかったが……道理で、息子の縁談にも良い顔をしない訳だ」
ちらり、と此方に視線を向ける。その顔に浮かぶのは嘲笑。
(……俺が、ステラ様のお気に入り?一体、何の話だ)
少なくともヒカルがステラと接触したのは、会食の時とクラウディアの馬に同乗して矢を射られた時、それから今日の三回だけだ。特別親しいと捉えられるようなものではないだろうに。
彼女が縁談に興味を持たなかったのは、ただ伯爵の息子と縁組みしたくなかっただけだろう。息子は知らないが、この男は御免だ。性格と頭的に。旦那と子供の将来の毛根が心配になる。……個人的な感想だけど。
それは兎も角、標的がステラ様なら余計に助かる可能性か低くなったな。これは自力での脱出を試みた方が良さそうだ。
ステラに情がない訳ではないだろうが、何かと天秤にかけてまでもヒカルの救助を試みるほど甘くもないだろう。ユエとともに外交を担っているなら、猶更だ。
(……ただ、全く考えない訳でもない、だろうから)
そこまで考えて、ヒカルは決心する。相手が伯爵というのは厄介だが、ステラの足手纏いになっても面倒だ。幸い、腕の縄はもがいていた内に緩んでいた。足も話しながら縄を緩められたし、逃げるだけなら不意を突ければ十分だろう。
観察眼甘いよ、何某伯爵……まぁ、逃げる時には伯爵を扉から引き離さないと、だけど。
先に箱の中身を覗いて使えるものを探せればよかった。火の種になるものとか、目潰しになるものとか。
「今は大人しくしておれ、貴様はとっておきの人質だ」
「大人しくしておけば助けてくれるって訳じゃないだろうに」
定番の台詞についつい噛み付いてしまう。……しまった、つい反射で。
案の定、伯爵は目を眇めて、ヒカルの足を蹴った。本人としては顔を殴りなり腹を蹴るなりしたかったんだろうが、『黒髪』には触りたくないだろうし、蹴り上げるには突き出た腹が邪魔で足が上がらないようだ。
(地味に痛いけどな、笑いが込み上げてきて痛みを感じない。グッジョブ、腹の肉!!)
「ふん、本当に可愛げのない!精々、残りの命の時間を惜しむんだな!」
「……バッヘン伯爵、そろそろ参りましょう」
共犯者なのか、部屋の外にいた中年の男が何某伯爵に声を掛けると、伯爵は憎々しげにヒカルを睨み付けて踵を返した。バタン、と音を立てた扉の向こうでガチャガチャと施錠される音がした。……完全に閉じ込められた模様。
そういえば何某伯爵のお仲間の存在、完全に忘れてた。俺を拉致した奴がいるんだよねぇ。
先程、伯爵を上手く躱して部屋を出ていたとしても、あの男がいたんじゃ捕まってたな。……さて、次はどうしようか。
ヒカルは確りと施錠されてしまった部屋の中で、次の手を考えあぐねていた。緩んだ縄は力と手先の器用さで解いて、足元の床に投げ捨ててから辺りを見回した。
──さあ、お宝捜しと行きますか!何かあるといいな!
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
◇同時に『自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る』を毎週金曜日に更新中です。此方も宜しければお付き合いください。




