第一王女は金髪王女
『──どうして、王女に生まれたのかしら』
記憶の中でぼやく少女の目は酷く冷めていた。
金色の髪を結い上げ、宝飾品を身に着けた、まだ幼い彼女は王女だった。
『母の口癖よ……女の私は要らないみたい。だったら、他で存在を認めさせればいいのかしら?』
王女でありながら自由奔放に振舞う彼女を周囲は咎めた。
しかし、彼女は受け入れない。……受け入れるだけの理由がない。
王女らしくなければならない、と諌める周囲を彼女は歴史の女性偉人を例に挙げ、理論武装で打ち崩す。周囲の言葉は彼女を納得させるだけの材料にならなかった。
王女らしいとは何か。国の駒となるとはどういうことか。……彼女が彼女なりに考えた論理を誰も突き崩せない。それどころか、納得してしまう者さえ出る始末。
勿論、彼女を一番最初に認めたのは異母兄であるユエであったが。
女に生まれたから、母親からは期待されず、その存在さえも疎まれる。
何故、女に生まれたか?……そんなものは知らない。望んだ覚えはない。
「──アルトステラ」
「あら、どういたしました?エトワリス妃」
羽飾りの付いた扇子を鷹揚に構える王の妃の一人が、ステラの元を訪れた。ステラの母親だ。
「……彼の国の王子との見合いは」
「あら、あの方は他のご令嬢と既に関係を持ち、一児の父となった筈では?彼の令嬢が既に妃として擁立されておりますし」
「何故知って…!いえ、それでも貴女が望めば正妃の地位を得られるというのに…!」
母エトワリスの動揺を、ステラは深青色の双眸を眇めて見据えた。
自身の血を引く王女が大国へと嫁げば、その力は実家にも影響を及ぼす。だからこそ、この王の妃は年の頃が同じ王子を探してはステラに話を持ってくるのだ。
娘の嫁ぎ先次第で彼女の実家さえもこの国で権力を拡大させられる。……そんな夢を見ているのか。愚かで浅はかな、王の妃。
「あの方を慕ったことなどありませんし、今は良好な関係に向かっているのでしょう。無理矢理入り込んでもあの国との関係を悪化させるだけですわ。それよりも私は使者の選定を急ぐべきかと。折角落ち着いた貿易摩擦も、波風を立てれば此方に不利になるだけです」
「ユエ殿下の入れ知恵か!」
「いいえ、私の考えですわ。勿論、兄上には賛同頂いておりますし、陛下に進言させて頂き、検討されるとのことです」
王にすら打診し、承認されているとなれば、妃の分際では口出しできない。エトワリスは苦々しい表情を浮かべて踵を返した。
「……相変わらず、凄い剣幕ですね」
「ふふっ、ヴァイスも馴れたでしょう?」
隣室からひょっこりと顔を出したのは、『金髪』に緑の瞳の少年──第四王子のヴァイスルナハルトだ。スカイティアと歳の変わらない異母弟だが、表情がくるくると変わる様は年相応の少年らしい。
「困ったものよ、何時までもユエ兄上を……いえ、今は亡き正妃様の亡霊に勝とうとしているのかしら?」
「…亡霊って」
「兄上はよく似ていらっしゃるわ。あの腹の読めなさがそっくり」
「…その評価も、どうかと思いますが」
ヴァイスはまだあどけなさの残る顔立ちを顰める。腹違いの弟は感情が表に出易い。……何時もしかめっ面の赤髪の異母弟と、覇気の無い黒髪の異母弟よりも分かり易いのだが。
「姉上は、他国に行かれるのですか?」
「そうねぇ、そうなるかもしれないわね」
ヴァイスの問いにステラは微笑んで曖昧に答えた。時折、ヴァイスの瞳の中に見え隠れする思惑がステラを突き刺すようだ。
…恐ろしい子。流石、王位継承権第二位の王子ね。まだ幼いながら、その洞察力は立派なもの。
そう思えば、何も知らずにいられる方が幸福かも知れない。他の兄弟は何も知らなくていい。…策を講じて手を汚すのも暗躍するのも限られた者達だけでいい。
ヴァイスはきっと此方側に引き込まれる。……いや、もう既に引き込まれているかもしれない。
「……姉上は、ユエ兄上の味方ですか?」
「あら、どういう意味かしら?」
「……聞き返しますか」
すっと、緑色の瞳が眇められる。……ヴァイスの思惑は計り知れない。ユエとは違う底知れなさがこの異母弟にはある。
「だって、意味が分からないもの。曖昧な問いには答えられないわ」
「……そうですね。ですが、分かってくださるかと思いまして」
「……さて、何のことかしら?」
ヴァイスが今どのような立場にあるか、ステラは知らない。
だから、『ユエの味方』という言葉が何を指すのか不明瞭なまま答えることはできない。
「姉上、僕はね、兄弟達が好きです」
「そう、よかったわ」
「だからこそ、ユエ兄上のことは嫌いです」
「え?」
ヴァイスの予想外の言葉にステラは目を瞠った。ステラが座る椅子の脇息に両手を付いて、ステラの顔を覗き込む異母弟はその幼い表情を消す。
「──僕が王になる」
「え…?」
「だから安心していいよ……僕がこの国の王になるから。姉上も、皆も」
ヴァイスの真摯な眼差しがステラを射抜く。そのペリドットのような瞳が刃のような鋭さを以て。
「……そう。それは貴方の意思?それとも」
貴方のお母様の意思?と問えば、ヴァイスはふっと笑みを浮かべる。どちらにしても兄弟の対立は避けられないけれど、それが異母弟の意思ならばせめてもの救いだ。……彼自身が意思のない傀儡でないことになるから。
「──だから、姉上は心配しなくていい。僕は、僕の意思で第一王子派や他の勢力と争う」
幼かった異母弟はもういない。もう守られる側ではないのだ、と意志を秘めた瞳が語る。
時は戻らない。何時かは別れる時が来る。
ただ、どうか彼らと笑い合った日々を、穏やかに過ごした日々を忘れないで。
そう願って伸ばした手は拒まれることはなかった。柔らかな金色の髪を撫でれば、猫のように目を眇める。何処か照れを滲ませて複雑そうに受け入れる異母弟の顔を、何時までも覚えておこう。
……何時か、袂を分かつことになったとしても私には可愛い弟達がいたのだ、と。
◆◇◆◇◆
「──どうかしたかい、ステラ」
微睡の中に揺蕩うように何処か不安定な感覚の中、聞こえてきたのは優しく心地よい耳障りの声。ヴァイスに代わってステラの部屋を訪れたのは第一王子のユエだった。
「……ユエ兄上」
「浮かない顔だ」
「……ヴァイスに宣戦布告された気分です」
「おや、そうなのかい。あの子も王子らしくなったものだね」
ステラの心境とは裏腹にユエの明るい声が耳に響いた。ユエはステラの隣に座ると、慰めるように優しく頭を撫でる。
ユエ兄上のマイブーム……?クラウディアの頭を撫でたと言うから、次はスカイティアだと思ったのに……何故、私を二回も撫でるのかしら。
「ユエ兄様…!あ…」
「懐かしいね、君が僕をそう呼ぶなんて」
にっこりと微笑んだ異母兄に、ステラはむっと口を尖らせる。
「兄上…私は頭を撫でられて喜ぶ歳ではないのですけど」
「いいじゃないか。皆、触り心地が違うんだけど、君は僕に似ているね」
「あら、スカイティアの頭を撫でたのですか?」
二週目か、と問えば、ユエに首を振られた。……では、何故。
「思い出したんだ。ヒカルにね、何故ことある毎に頭を撫でるのかと聞かれて、そういえば何故かと思ったんだけど……」
「何故だったんですか?」
ユエが兄弟と戯れることを好む傾向にあるのは、事実だろう。派閥によって対立している今だって、分け隔てなく兄弟の部屋を行き来できるのは、実質的な王太子であるユエくらいなものだ。
「昔……君達が幼い頃、皆の頭を撫でた記憶があるんだ。頭を撫でると、君達がくすぐったそうに笑うんだよ。それが見たくて何度も頭を撫でた……でもね、長くは続かなかったんだ」
「……派閥の対立が明確になった時期ですね」
ユエの瞳が翳り、ステラもぎゅっと唇を噛む。
兄弟が仲良く過ごせた時期なんて、本当に短かった。成人を迎えた今でも比較的ユエやヴァイスとの距離が近いのはステラが王女だから、という理由に過ぎない。ステラが他国に嫁げば二度と会うこともないかもしれない。そんな未来は着実に近づいている。だから、今だけの幸福な時間だ。
「……月は二つもいらない」
「何のお話ですか?」
ぽつり、とユエの唇から洩れた言葉にステラは眉を顰める。この空に星は無数にあれど、月は一つしかない。
「君の名前はステラ……『星』だよね」
「えぇ、そうですね」
「僕とヴァイスにはそれぞれ『月』という意味をする単語が入っていることは知っているだろう?」
「あぁ……そこですか」
ユエルディーネの『ユエ』=『月』。
ヴァイスルナハルトの『ルナ』=『月』。
ユエの指摘にステラは何とも言えない顔になる。ヴァイスに関しては『白夜』の方が印象に強いのだ。『月』を持ち出したのはただユエとの──正確には第一王子派との──対立を煽るためだろう。……ヴァイスだって、自分の名に『月』を意味する言葉が隠れているなんて知らなかったに違いない。ヴァイスの名の由来は『ヴァイス』『ナハト』なのだから。
「だからね、ヴァイスを押す派閥の者はそう言っているんだ。『空の月は二つとしてない』『今こそ、夜を照らす唯一の月とおなりください』って」
「……成る程。唯一の月となるために同じ月を名乗る者を地上に落としなさい、と?」
「そういうことらしいね」
ユエは苦笑する。異母兄の本音は弟達と争いたくもないし、ヴァイスが王位を望むならユエは簡単に退くだろう。……ユエはそれが可能にできる。派閥争いなんて関係ない。彼は誰をも黙らせることができるのだ。
「何時かは別れの時が来る…それが遅いか早いかは、僕らの行動次第だ」
「そうですね…何時までも、このままではいられませんもの」
分かっていても、この微睡の中いるように、微温湯に浸かるように心地よい時間に溺れていたい。
夢なら覚めず、湯に浸かっているなら身体がふやけてしまってでも、何時までもこのままでいたいのに。
「……物語の中には生きられませんわね」
物語は何時だって幸せな結末を迎える。悪者を倒して、主人公が王子様や王女様と結ばれ、誰もが祝福される。……その先は誰も知らない、語られない、紡がれない。
「君は運命の王子様が迎えに来てくれるなんて、思っていないだろう?」
「えぇ、私が知っている王子は何を考えているか分からない、ちょっと怖い王子ですわ」
「……他にもいるだろう?」
自分を指していると理解して、ユエは笑みを引き攣らせる。兄弟は皆、王子に該当するのだ。
「意地っ張りな王子と、寂しがりで陰気な王子……子供っぽくて無邪気なのに一番国を背負う気でいる生意気な王子は知っていますわ」
「理想の王子様には程遠そうだね」
兄弟の誰もが物語に登場する王子に匹敵する美貌を持ちながら、性格は程遠い。ステラが抱く異母兄弟達の印象に、ユエは苦笑を漏らしながらも愛おしそうに異母妹の髪を梳く。
「えぇ、誰も物語の王子には成り得ませんわ」
「君を連れ出してくれるのは物語りの王子なんかじゃないからね」
「……私は物語のお姫様ではありませんもの。王子様の迎えが来ないのは、当たり前…自分で歩いて行けます」
「そうだね、君も守られるお姫様じゃないよね」
何処か寂しそうに、悲しそうに。それでも確かな信頼と愛情を以て、ユエはステラの髪を梳き、頭を撫でる。
──私達の人生に書き手はいない。誰もが定められた役割を知らない。
……あぁ、物語ならどれだけ簡単で楽だっただろう。物語だと知っていたならば、誰かを憎むことも憎まれることさえも、その役割として精一杯演じられるのに。
それでも彼の温もりだけは、ユエの優しさだけは誰かに決められた運命でなくて良かったと思うのだ。誰かの傀儡になんて成り下がりたくはない。……自分で歩み、描くしかない。これは私達の人生なのだから。
それが例え幸せな結末でなくても、精いっぱい足掻いたならば、それは満足のいく人生となるだろう。
何時までもこの優しい手を、温もりを忘れないように、とステラはその身をユエに預けた。
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
◇同時に『自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る』を毎週金曜日、日曜日に更新中です。此方も宜しければお付き合いください。




