ルゼノ王
王城の大広間に着くと、まず目に入ったのは大きなテーブルだった。白いテーブルクロスに紫のライナーが引かれ、中央には花瓶が置かれている。
天井にはシャンデリアが輝き、壁には風景画が飾られていた。価値は分からないが、年代ものなのだろう。入口の扉から真っ直ぐに伸びる長方形のテーブルには既に王の子等が席についていた。豪奢な衣にルゼノに広く伝わる意匠なのか、似たようなデザインが描かれている。
ヒカルは第三王子であるスカイティアの席の後ろにレーウィスと一緒に立っていた。
(…まぁ、確かに居心地は悪いな)
ヒカルは密かに嘆息した。席に着く王族や、その付き人も『黒髪』を忌避し、スカイティアやヒカルと眼を合わせようともしない。稀に目が合ったかと思えば、やはり表情を青褪めさせるか、汚い物でも見たような顔をする。……失敬な。
主人であるスカイティアは、まるで周囲を空気のように扱うが、気分が悪いのは同じか或いはヒカルよりも大きい不快感を覚えているだろう。
スカイティアの右手にはクラウディアの席だ。今は席を外しているが、隣に嫌悪を抱かない人間がいるのは心強いだろう。……本当に昔は仲が良かったんだなぁ、早く元に戻れるといいね。
「──久しぶりね、スカイティア」
不意にスカイティアの名が耳朶を打つ。視線をずらし、スカイティアに声を掛けた人物を捉えて、ヒカルは目を丸くした。
「あ、姉上…御無沙汰しております」
スカイティアは少し上擦った声音で、クラウディアの右手に当たる席に座る『金髪』の女性と言葉を交わした。
「本当よ、滅多に顔を出さないんだもの」
「申し訳ありません…」
何、この人。姉上ってことは王女、だよね?
意外にスカイティア様を気にかけている人って多かったりするのかな……?筆頭がユエ様なのには変わりないだろうけど。
「あ、そうそう!先程から気になっていたのよ、スカイティア!」
ぐるん、と勢いよく振り返った女はヒカルを捉えた。金色の髪を一つに束ね、豪奢な飾りを纏った王女は顔を青褪めさせるどころか深青色の眼を輝かせている。
……何故。嫌悪しろとは言わないが、そのキラキラとした目は何なの。
『金色』の髪に青を基調とした髪飾り、耳には緑柱石、首には黄金のチョーカーに埋め込まれた緑色の石が、彼女が身じろぐ度にキラリと光る。
「この子はスカイティアのところの子よね!」
「え…あ、はい」
「ユエ兄上にお聞きしたとおり可愛い子ね。あら、銀色の飾が似合うじゃない!今度何か見繕いましょうか。絶対に似合うわ!」
口を挟む暇もない彼女のマシンガントークにスカイティアは圧倒され、曖昧な相槌を返す。しかし、王女はお構いなしに話し続けた。
……ユエ様、妹様と一体何のお話をされているのです?俺の話題って。
随分とお元気な王女様とお見受けしますが……上から順に変わり者だったります?
その彼女の言葉が止まったのは、第三者の介入があったからだった。
「ステラ様、スカイティア様がお困りになっています。お話をされるのは一向に構いませんが、時と場合をお選びください」
不意に耳朶を打ったのは、王女の付き人の男の声だった。貴族らしく、高貴な身形で金色の髪から紺碧色の瞳が見え隠れした。
「クラウディア様が先程からお話があるとのことで待っておられます。スカイティア様とのお話は、その後で」
「あら、そう…ごめんなさいね、クラウディア。何かしら?」
王女──ステラはクラウディアに顔を向けると、にっこりと微笑んだ。……うん、この王女様は差別意識がないらしい。上二人がこうなのに、他は何故こうなった?
髪色の異なる王子達に嫌悪や嘲笑を向けてくる他の王族や、そしてそれに追従する者達はステラ王女が二人に当たり前のように声をかけることに驚いたり、バツの悪そうな表情をして目を逸らしたりする。
……この王女が公然でこういった振る舞いをすることは珍しいのか?まぁ、中にはあからさまに王女様すら嫌悪の目で見る輩もいるけど。「金髪の癖に」って。
「ユエ兄上から言伝を預かって参りました。晩餐が済み次第、ユエ兄上のお部屋に参られるように、と」
「あら、ありがとう……兄上が」
微笑むステラは、ユエとよく似ていた。髪色の錯覚かもしれないが、同じ母親から生まれた兄妹でなくとも似ている部分は少しずつあるのだろう。
(……兄妹、だもんな)
ヒカルはポツリ、と呟いた。兄妹や家族といったものはヒカルにはないものだ。昔から分かっていたことなのに、今になって寂しさを抱く。
「ヒカル?」
スカイティアに呼ばれ、視線を上げれば頭をポン、ポン、と優しく叩かれる。手のひらの温もりが伝わり、ヒカルの表情から笑みが毀れる。想っていることが見透かされている様で、けれどそれをどうにか慰めようとしてくれる優しさが嬉しかった。
「それにしても、陛下のご到着は未だかしら?遅いわね」
「陛下もお忙しい御身です。致し方ないことでしょう」
未だ空の、王の席に眼を向けたステラの呟きに、クラウディアが応じた。
しかし、二人の会話に姉弟らしい親密さはないことにヒカルは眉を顰めた。
二人は仲が悪いと言う訳ではなさそうだが、ぎこちない。スカイティアにさえ明朗に話し掛けていたステラだが、クラウディアには若干冷たい。いや、クラウディアの方が委縮しているというべきか。
ステラは『金髪』だが、王女。
クラウディアは『赤髪』だが、王子。
組み合わせとしては、微妙なのだろう。……面倒この上ないな。
クラウディアの、スカイティアへの歩み寄りは予想外だが喜ばしいことだ。しかし、それが公の場で示されないならただの糠喜びに他ならない。
スカイティアが兄妹の中で孤立していることは目に見える。この広間に来てからスカイティアに話しかけたのは、ステラ以外に誰もいない。寧ろ非難の対象だ。
ヒカルは視線をずらした。その先にいたのは第一王子のユエだ。普段なら微笑んでいるだろうユエが珍しく眉間に皺を寄せている。そのせいか、ユエの目前の席にいる大臣らしき貴族や、その周辺の席に座る初老の男達すら表情が硬い。第一王子を差し置いて盛り上がる訳にもいかないのだろう。……ユエ様の存在って大きいな、本当に。
テーブルを囲うのは王族と王族の外戚にあたる役職持ちだろう。クラウディアとスカイティアを除けば、皆金髪であり、シャンデリアの灯が金髪に反射して目がチカチカする。
……目に優しくない、酔いそう。
実際に吐く訳にはいかないので、ヒカルは小さく咳いた。
「…見えるか?第三王子の後ろ。奴隷だろ?何でこの席に…」
「仲間集めじゃないか?引き籠っていると寂しいんだろ」
「まったく…大人しくしているかと思えば…」
クスクスと悪意に満ちた会話が耳朶を打つ。『金髪』から覗く眼から向けられる視線は侮蔑と軽蔑。それから嘲笑。
スカイティアはその視線全てを無視して涼しい顔をしている。けれど、膝上に乗せられた拳が震えていた。ヒカルは袖で隠した唇を噛み、男達を睨みつけた。
もし、本当に『黒髪』の人間が呪詛を扱えるなら、今すぐにでもこの男達を呪うのに。
このお高く留まった男たちが涙を浮かべて地べたに這い蹲っても、スカイティアが良しとするまで地獄を見せる。
──そういう呪いを掛けられたら、この状況も少しは変わるのに。
『黒髪』はただこの地域で珍しいだけで、実際に畏れられるような力を持っている訳ではない。それを理解しているのか、していないのか中途半端に忌避する者達は都合のいいように解釈して『黒髪』を貶める。
(だから大嫌いだ。『金髪』の人間は何時だって…!)
「──ヒカル、ありがとう」
耳朶を打ったのはスカイティアの声だった。何のことかと問えば、スカイティアはにっこりと悲しそうに微笑んだ。
「……意味が解りませんよ」
見透かされている、と思った。スカイティアには何時だって考えていることが隠せない。
それは不思議だったが、理解してくれるのが嬉しかった。
「──よく集まってくれた、我が子達よ」
スカイティアの気遣いに苦笑を浮かべかけた瞬間、その場に轟いた声に誰もが一瞬で口を噤んだ。一瞬で静まり返った広間に現れたのは、高貴な衣装を纏った初老の男だった。
金髪は色素を失いかけ、白金のようだ。金糸や銀糸を縫い付けた衣装は此処に集まる子らと似た意匠である。
(あれが、ルゼノ王…)
年齢は四十代後半くらいだろうが、日に焼けた肌だが、皺は少なく若々しい。重厚な体付きとはいえない華奢な身体に豪奢な衣を纏う。空色の瞳は弧を画き、穏やかな笑みを浮かべるが王の威厳か、何処か鋭さを感じさせる。
「──お久し振りでございます、国王陛下」
最初に口を開いたのは王に最も近い席に座るユエだった。……その顔に穏やかな笑みはないが。
ユエ様、此処からでも貴方が笑っていないのことが丸分かりなのですが。ご機嫌斜めどころか、どん底ですか?怖いのですが。
「久しいな、ユエルディーネ。東洋との貿易はどうだった?」
ユエと呼ばれていた第一王子は『ユエルディーネ』というのが正式名称らしい。長いね。
クラウディア様やスカイティア様の名前に比べて『ユエ』様って短いなとは思ったけど、成程、愛称でしたか。
王は艶然と微笑み、ユエに問い掛けた。王の顔には微笑んだことで皺が刻まれ、穏やかな雰囲気を纏う。しかし、ユエの顔に微笑は浮かばない。ルゼノ王が微笑んだ分、ユエの表情が冷たい印象を与える。
……ルゼノ王は全く気にした様子がないけど、ユエ様って公の場だといつもこういう感じ?ユエ様には笑っていても怖い時あるけど、今は本当に機嫌が悪いと言わんばかりの雰囲気なんだけど。
「はい、先日の会議通りジルーバの品は値が張るとのことで、貿易を見学させて頂きましたがその技術は独自のものであり、希少性から打倒の値段だと考えられます。それから…」
ユエの要点を簡潔に説明した分析・専門用語の多い感想を聞くと、王は満足そうに頷いた。それから視線をずらすと、ステラを捉えた。
「アルトステラ、最近は経営学を学んでいるそうだが調子はどうだ?」
「はい、陛下。先日、ユエ兄上と近隣の街へと赴き、貿易の様子を見学させて頂きました」
王女のステラも愛称で、正式名はアルトステラ。
……何と言うか、名前が長ければ、愛称も付けたくなるよね。そういえばクラウディア様も『クラウ』って呼ばれてたな、一回だけだけど。
そんなことは兎も角、ステラの話も長くなりそうだ、とヒカルは肩を竦めた。家族の団欒とはこういうものか、と。……子等は誰もが自身の功績を父親に認めて欲しいと思うのだろう。
(俺には、多分訪れない時間だな)
故郷には帰れない。もし帰ることができたとしても、母も伯父もいないかもしれない。
哀しいけれど、それがスカイティアに訪れるならそれでいい。ヒカルは王へと視線を向け、次いでスカイティアを見据えた。あと数分すれば、あの王の――父親の視線がスカイティアに向くのだろう、とヒカルは自分のことのように嬉しくなった。
──しかし、その期待は裏切られることになった。
「ヒカル、気にしないで」
「え…?」
スカイティアの言葉が何を意味しているか、直ぐには理解できなかった。
「さて、積もる話はあるだろうが、乾杯するとしよう」
王の言葉に皆が高々とグラスを上げ、隣席の者とグラスをぶつけ合う。軽やかに聞こえる音がやけに鈍く感じた。
涼しげな表情でグラスを傾ける王は、左手に座る大臣と右手に座るユエと会話を弾ませ、その席以降には目もくれない。そして、ヒカルは漸くスカイティアの言葉の意味を理解した。
(あの男…!)
ヒカルはキッと王を睨みつけた。王は明らかに第二王子にして『赤髪』のクラウディアを避けた。つまり、スカイティアとの会話も避けた。
(父親のくせに…!)
ギリ、と無意識に歯軋りする。ヒカルはスカイティアの背を見据えた。椅子の背に凭れた彼は今一体何を考えているのだろう。スカイティアの背が何時もより小さく見える。
(──あぁ、そうだ)
ヒカルは音にならない言葉を呟いた。
あの男はこの国の王だ。『黒』を不吉と見做す、傲慢な国の王なのだ。
(忘れてた…この国は差別国家なんだ…)
髪色で差別する王が支配する王宮で、その主である王が何故優しいなどという夢を見た?
スカイティアの母親を愛したから?
クラウディアの母親を妃にしたから?
だから、髪色を気にしない王だと夢を見た?
(駄目だ…やっぱり此処は…)
ぎゅっと腕に力が入った。
誰もが王を敬う王宮で、ヒカルはただ憎しみを抱いていた。
──だから、ユエの視線が、そして王の目が此方に向いていたことなど、ヒカルは気づかなかった。
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
◇同時に『自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る』を毎週金曜日、日曜日に更新中です。此方も宜しければお付き合いください。




