赤い繋がり
赤く染めた顔を隠すようにして、それでも後を追ってくる異母弟。
それが何処か幼い頃の姿を彷彿させる。……幼い弟は何時だって後をついて来た。
この国の歴史も風習も、己が憎まれる髪色を持っていることすら知らなかった頃、ユエとともにスカイティアの部屋を訪れた。……何故、忘れていたのだろう。ヒカルの頭を撫でて思い出したが。
記憶の中のスカイティアは頭を撫でると、きょとん、と大きな目を瞬かせて、そして笑ったのだ。……何処か照れの滲んだ笑みは変わっていない。
昔のように少し小走りに後を追ってくる異母弟の様子を、クラウディアは横目で捉えると微かに表情を緩ませたが、直ぐに引き締めた。……緩んだ顔なんか見せられない。
「……ヒカル」
「何ですか」
クラウディアの心境など露知らず、何の前触れも理由説明もなく肩車をされ、ヒカルは不機嫌だった。
……子ども扱いの延長?というか、此処は王宮ですよね。礼儀作法はどうした、第二王子。何か言われても俺は無実だぞ、被害者だ。
「……何でもない」
呼んでおいて何だそれは、と言いたい所を呑み込み、ヒカルは溜息を漏らした。
クラウディアの唐突な行動に呆れながらも感謝していた。あの時クラウディアが来なければ、ヒカルは侍従に喧嘩を売っていただろう。
(あのままだったら殴ってたな、絶対)
奴隷の所業は主人の責任となる。ヒカルの行いでスカイティアの名誉を穢す所だった。その点では感謝するが、まさかタイミングを計って出て来たのではないか、と訝ってしまうのは悪い癖だろうか。
「……そうですか、では何時になったら降ろして頂けるのでしょうか」
「俺の気が済むまで」
「それ、何時です?」
「さぁ?」
答えを不明とされ、ヒカルは再度溜息を吐いた。クラウディアの見た目は細いが、日頃の鍛錬のためか肩の上でも安定している。
視界の高さに慣れると、普段では見えない景色に興奮さえ覚えた。普段であれば見上げる高さにあるものを見下ろせるとはなかなか無い貴重な体験である。しかし、何時までもこうしているのは居た堪れない。
この国では知らないが、俺は肩車をされて喜ぶ歳ではない。というか、俺くらいの年齢の子供を肩車をして安定する体格をしているクラウディア様が珍しい。……俺が年齢の割に小柄なの?クラウディア様が鍛えているからなの?
「…スカイティア様」
助けを乞い、主人を振り返れば「まぁ、いいじゃないか」とスカイティアににっこりと微笑まれる。心なしか嬉しそうなのはクラウディアの態度が軟化したことだろうが、この状況は勘弁してほしい。
「レーウィス殿」
主人の少し後ろを歩く側近は穏やかに微笑むだけで何も言わない。レーウィスもスカイティアと同じくこの状況を楽しんでいるのだろう。……此処に俺の味方はいないらしい。
ヒカルは諦める代わりにクラウディアの髪形を崩して報復することにした。煌びやかな簪を落とす訳にはいかなかったが、それでも長く癖のある髪を乱す方法はある。
ふっふっふ……癖のある髪であることを恨むがいい!俺も癖っ毛だ、経験済みだ!
「ヒカル…!」
綺麗に整えられた髪型を崩し始めると抗議の声が上がったが、ヒカルはお構いなしに破壊工作を続けた。その結果、無残な髪形となったクラウディアは眉を顰めたが、ヒカルを降ろそうとはしなかった。
(チッ…さっさと下ろせばいいものを…)
ヒカルがクラウディアから解放されたのは、大広間の回廊に差し掛かった角部屋だった。無残な髪形を鏡で捉えたクラウディアは眉を顰めたが、部屋の隅でスカイティアは肩を震わせて笑い、レーウィスはクスクスと微笑んでいた。
スカイティア様、クラウディア様が物凄い形相で睨んでおられますが、気づいてます?もうすぐ怒号か拳……いや、それはないか?ま、何かしら貴方に飛んでいくと思いますが。
「クラウディア様、直ぐに直させて頂きますので」
スカイティアに何か言おうとしたか知らないが、レーウィスに呼ばれ、クラウディアは彼に意識を向ける。彼は手早くクラウディアの髪を纏めると、外れ掛けていた簪で赤髪を留めた。
早業です、レーウィス殿。流石、引き籠りのスカイティア様の唯一のお世話係!……というか、今更だけど、身分的にお世話係なんてしないよね?
「まったく…」
髪を整え終わり、クラウディアはヒカルを睨みつけた。……おや、俺ですか。さっきまで肩を震わせていた弟君はいいんですか?
「『まったく』は此方の台詞です。降ろして下さらなかったクラウディア様が悪いです」
「相変らず生意気だな」
角部屋から出ると、クラウディアはスカイティアの横に並んだ。スカイティアは何処か落ち着かなそうだったが、クラウディアから離れようとはしなかった。
……うん、何かぎこちないけど、悪くないね。ユエ様からのミッションクリア!後は見守るぞ!
「本当にご活躍ですね、ヒカル」
「何の話?」
「ふふっ……貴方は名前の通り『光』のようです」
「意味わかんない」
レーウィスの言葉の意味は分からないが、先を行く王子の二つの背を見つめながらヒカルもレーウィスとともに大広間へと向かった。
とても幸せそうだね、レーウィス殿。
ユエ様も喜ぶだろうなぁ。何処かで見ていたりして……探さないけど。
◆◇◆◇◆
王宮の回廊──柱の陰に一人の女の影があった。人工的な金色の髪にはこれでもかというほど装飾品を纏い、二人の王子を睨み付けている。
「おのれ…!」
赤い唇からは恨めし気な言葉が漏れ、深青色の瞳には怒りが滲む。幾らか歳は召したが、彼女は王の傍に侍ることが許された令嬢だった女性──今は側妃の一人カトリーナだ。クラウディアの母親である。
「おのれ…クラウディア…!」
紅を付けた赤い唇をカトリーナは噛み締めた。
今朝のクラウディアの様子から嫌な予感はしていたのだ。
「ユエ王子と馴れ合えなければ、『不吉な黒髪の弟』と馴れ合うか…!」
金髪から覗く深青色の目は怒りを纏い、クラウディアを捉えていた。
「──カトリーナ妃」
名を呼ばれ、カトリーナは驚いて振り返った。
「ユエ王子殿下…!」
「お久し振りですね」
カトリーナの前に現れたのは『金髪』の青年──第一王子ユエだった。彼は空色の目を眇めて穏やかな笑みを浮かべているが、その腹の内は読めない。
思考の読めない、恐ろしい王子。彼は敵対する派閥にはそういう印象を抱かれている。まだ成人を迎えて間もない青年が政に参加するや否や、貴族の不正を暴き、他国との貿易量を増加させ、嘗て留学した先の人脈を利用して後ろ盾すら得たように見せたのだ。……恐ろしい、としか言えまい。
「何、か?」
カトリーナは動揺していた。目の前にいるのは第一王子にして『金髪』の青年。何れ、国王となるだろう者に声を掛けられるとは思いもしなかった。ユエは、カトリーナがクラウディアを王位に就けようとしていることを知っている筈だ。
「お元気そうで何よりです……王妃様は病がちでしたから」
「……そう、でしたね」
ユエの気遣うような台詞に、カトリーナは困惑する。ユエにとって、カトリーナは邪魔な存在である筈だ。彼が王位継承権第一位であろうと、カトリーナの血を引くクラウディアを王位に就けようと画策する第二王子派は確かに存在するのだから。
第一王子でありながらユエの地位が盤石でないとされる理由に、『黒髪』の第三王子を庇護下に置いていることが挙げられている。この国の歴史を顧みれば、階級意識が覆るような真似をする王は貴族から反発を受ける。カトリーナの実家ですら、カトリーナが自身の髪色を忌避するように仕向け、脱色させ、金色に染め上げた。……嘗て、赤髪の妾を囲っていたことを棚に上げて、だ。
ルゼノの王族貴族の髪色は『金』であることが常識。
街中で見かける『金髪』は嘗て王族や貴族の落胤──高貴なる血を引いている筈なのに、決して認められない哀れな子らの子孫だ。
貴族が他の髪色の女を妾に囲うことは許されるが、正当な後継とは認めない。それが当たり前なのだ。だからこそ、カトリーナは『赤髪』のクラウディアを疎んだ。
『赤髪』のクラウディアは王の血を受け継ぎながら、余程のことがない限り王位を継ぐことは叶わない。
カトリーナの願いが叶う可能性は、限りなく低い。それでも諦められなかった。クラウディアを王にすれば、カトリーナは国母なのだ。
嘗て『赤髪の姫』と呼ばれたカトリーナは、その髪を自ら捨てた。刷り込みともいえるが、「血の色だ」と「気味が悪い」と蔑まれた髪を持つ自分が酷く疎ましく、赦せなかった。
髪を金色に染めても、生まれたクラウディアの髪は『赤』だった。どうして己が憎む髪色で生まれて来たのか。どうして、王に似なかったのか。
カトリーナが赤髪だったことは周知されていた。だからこそ、純粋たる『金髪』の正妃は勿論、他の側妃よりも扱いは軽い。だから、彼女達を見返すためにはクラウディアを王にしなければならなかった。
だが、現実は簡単ではない。クラウディア自身が反発を見せ、カトリーナとの絶縁を口にしている。クラウディアという手駒を失えば、カトリーナが周囲を見返す機会はない。
クラウディアがユエを盲信しているのは知っている。彼の言うことならば聞くと確信していた。
──それならば、いっそ取り入る方が得策か?
そんな考えがカトリーナの脳裏に過る。カトリーナの脳は忙しなく働いていた。
ユエの母親──正妃であったレノンは既に他界しているが、ユエの後ろ楯は家系である。幾ら留学先の伝手を仕えたとしても、ものを言うのはその血であり、後ろ盾の実家だ。レノンの実家は国の中でも一、二を争う名家であり、ユエの祖父と叔父は国王の側の役職に就いている。そして、ユエの『金髪』。
クラウディアが王位を継ぐ可能性がないならば、クラウディアをユエの側近として立て、カトリーナの実家がより優位になるよう働かせれば良い。
王位を諦め、クラウディアを利用してユエに引き立てて貰うことが何よりの得になる。
それがカトリーナの結論だった。
「──あぁ、そうでした」
パン、と手を叩く音がカトリーナの耳に届いた。心臓の音が高鳴る。己の思考を読まれたのではないかと慌ててカトリーナの目が捉えたユエは胸の前で手を合わせ、変わらずに微笑んでいた。……読めぬ男だ。こういった面こそ、ユエが畏怖される理由であるのだが。
「幼少期にクラウディアの世話をしていた侍女がいましたね」
青い目が優しく細まるが、それとは逆にカトリーナの表情は険しくなる。歪んだ表情を何とか平静に装うとするが、無理だった。
「……あの女のことをよく覚えていらっしゃいますね」
「えぇ……よく覚えています」
ユエは表情を変えることなく、穏やかな笑みを浮かべている。
それと反比例する様に、カトリーナの表情は一層険しくなった。あの女もまたカトリーナが憎むべき対象なのだから。
「彼女は今何処で、何をしているのでしょうね」
ユエの『金髪』が闇夜に光輝く。それはこの国で一番美しいとされる色で、誰もが羨む色だ。しかし、それは同時に嫉妬も買う色である。
「存じませぬ。しかし、何故今になって…」
「いいえ、ただ思い出しただけです」
ユエはふっと微笑むと「それでは失礼」と踵を返した。ふわりと舞う『金髪』が灯りの光を受けて輝く。それがユエの母親レノンのものの様で、カトリーナの嫉妬が表情に浮かび上がる。カトリーナが何より欲した『金色の髪』だ。
「本当に忌々しい……!」
眉を顰め、赤い唇を噛む。赤みが指した頬は怒りや嫉妬を含む、あらゆる負の感情の表れだ。
カトリーナの言葉を聞く者は誰一人いない。握り締められた拳を一層力強く握り締める。
──そんな彼女の心境を知る者は、誰一人としていない。いや、彼女の息子は全てを知っているのかもしれない。ただ、理解者にはならないだけで。
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
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