近づく距離
海に日が沈む時刻となり、第三王子スカイティアの部屋に一人の金髪の青年──レーウィスが姿を現した。
「レーウィス、お帰り」
側近の帰還に主人は何時もの定位置──窓辺で手を振った。スカイティアの髪は背後の窓の闇に溶け、身じろぐ度にその存在を主張する。
「スカイティア様、遅くなりまして申し訳ございません」
レーウィスはヒカルに視線を向けると、にっこりと微笑んだ。
「ヒカル、今日はご活躍されたそうで」
「何のこと?」
スカイティアの傍で首を傾げるヒカルに、レーウィスはちらり、と背後に視線をやった。そこに誰がいると言う訳でもなく、ヒカルはますます首を傾げる。……何か見えてるの、レーウィス殿。
「そうですね、何れ目に見える結果となるでしょう」
「……良く分からない」
「ふふっ…まぁいいではないですか」
含みのある言い方で流され、ヒカルは納得がいかない状況であったが、スカイティアが立ったので話は途切れた。
「さて、行きたくないがそろそろ時間だ」
「どちらへ?」
「……王族との会食」
はい?と首を傾げるヒカルの頭を、スカイティアは優しく撫でた。クラウディアの乱暴な撫で方とは雲泥の差だ。……でもね、何故に事あるごとに俺の頭を撫でるのです?俺は愛玩動物扱いですか?
「今晩は陛下に呼ばれているんだ。行かない訳にはいかなくて…」
「俺も行くのですか?」
そういえば普段よりも上質な衣を渡されていたが、まさか昨日今日の新参者を王の前に連れて行くとは思えないのだが。
「陛下の命令だから」
「は…?」
ヒカルは眼を見開いた。その瞳に眉を顰めたスカイティアが映り込む。それとは反対に、青い瞳にヒカルの顔が映り込む。
「何故?」
王宮には王子の傍仕えとなる新参者は王に謁見しないといけない規則でもあるのだろうか。
驚愕に目を見開いたまま問えば「分からない」とスカイティアは首を横に振った。心なしか表情が硬い上、青褪めているようにさえ見える。
「俺の予感は余り当たらないけど、取り敢えずいい予感はしないかな…そもそも金髪だらけの場所に『黒髪』の人間がいることは異例だ……ヒカル、君には色々と嫌な思いをさせるかもしれない……いや、絶対に嫌な思いをする」
どうやら彼の表情の暗さはヒカルを心配している故らしい。青白い顔で伏し目がちに言われ、ヒカルは何だか可笑しくなった。
「……笑う所じゃないよね」
「すみません。嬉しかったので」
「嬉しい?」
きょとん、と目を丸くするスカイティアに、ヒカルはまた笑った。気に掛けて貰えるなんて随分久しぶりだ。
「俺は元・奴隷ですよ?辛い事もありましたし、そんな軟弱ではありません。心配無用です」
寧ろ貴方達の方が心配です、とは言わないけど。
何というか、この王宮……いや、スカイティア様もレーウィス殿も優しすぎじゃありません?
前の屋敷の主人と比べるのも烏滸がましい位だけど、奴隷って、そう気遣われることってないよ?……まぁ、場所によっては使用人も奴隷と変わらないところもあるって聞くけど。
スカイティアは申し訳そうに、けれど少しほっとしたように曖昧に微笑んだ。
「そう…じゃ、行こうか」
スカイティアに続いて回廊に出ると、嫌でも侍従や使用人達の姿が目に入る。
『不吉』とされる黒髪の王子が同じく『黒髪』の──元とはいえ奴隷の──少年を連れているのだから噂の種になるのだろうが。
「スカイティア殿下の傍にいる餓鬼、一体何者だ?」
「あぁ、ヴェリーア伯爵から贈られたそうだが……『不吉』なものだ」
「まさか、国王陛下との会食に奴隷を?殿下も随分と勝手な真似をされるものだ」
侍従の話し声に、スカイティアの眉がぴくり、と動く。
レーウィスが動き出そうとするのをスカイティアが首を振って止める。騒ぎにはしたくないってことか。
聞こえていると思わないのか、話を止める気はないらしい。ヒカルはどう思われても痛くも痒くもないが、神経を尖らせているのはスカイティアの方だ。
……お優しいですね、善良ですね。比べるのもどうかと思いますが、クラウディア様みたいに少しくらい捻くれてもよかったのでは?個人的に、お二人を足して二で割ったらちょうど良さそう。……個性は消えるけど。
「……ごめん、ヒカル」
「何が、ですか。気にしてませんよ」
悪し様に言われるだけとか、寧ろ温い……とは言わないけど。
ヒカルは微笑んだ。けれど、スカイティアの表情は晴れるどころか、気を使って無理やり作った微笑み方が痛々しい。
というか、あの男達は分かってるのかな?この会食に俺を呼んだのは、この国の王らしいんだけど?まぁ、知る訳ないか。平気で王子を貶める輩だし。自分から情報に疎いって暴露しているようなもんだと思うんだけど、気づいてる?……気づいてる訳ないか。
でもね、あとで絶対後悔すると思うんだ。レーウィス殿、今は何も言わないけど、明らかに目が坐ってるもの。これって、後でユエ様のところに行くんでしょ。
ヒカルは内心で彼らを嗤う。
告げ口?いいえ、これは正式な報告です。ユエ様がクラウディア様やスカイティア様の行動を正確に知っているのって間違いなく、誰かから報告を受けているからだもん。排除できるかは兎も角、少なくとも第一王子に目を付けられるってことだけど……この先。大丈夫?
悪意に満ちた推測だが、間違いではあるまい、とヒカルは未だに此方に気づかない使用人の声を聞き流す。……そんなことでも考えなくちゃ、やっていられないよ。こんな気分の悪いこと。
(まったく、スカイティア様を悪しざまに言うって馬鹿にも程がある)
「──母親だって、奴隷だったんだろ」
嘲笑が、平然とスカイティアの母親すら貶める言葉が耳に届く。スカイティアの青い目が悲しげに揺らぎ、レーウィスが目を見開いた。こんな侮辱は初めてだったのだろう。
──その瞬間、ヒカルの中で何かが切れた気がした。
「ヒカルっ!?」
スカイティアの驚いた声が響くのと、ヒカルが侍従に向かって床を蹴ったのは同時だった。
その後のことなど、ヒカルに考える余裕はなかったのだ。
「──何て顔をしている」
不意に身体が宙に浮いた。それと同時に緩やかな波が掛った赤い髪が視界に映り込んだ。
「ク、クラウディア様…!?」
『赤髪』の持ち主はクラウディアだ。誰もが、クラウディアの登場に驚いた。話をしていた侍従も例外ではなく、寧ろ侍従達が驚いている様だ。仲が悪い第二王子と第三王子が同じ場所にいるのだから、無理もないだろう。……唖然とした表情は無様だな。
クラウディアの深青色の瞳がヒカルを捉えると、怪訝そうに眉を顰めた。……何故だ。
驚くヒカルに構わず、クラウディアはヒカルの身体を持ち上げたまま「軽いな」と呟く。
……力強いな、クラウディア様。俺、そんなに軽くない筈なんだけど。
「ちゃんと食べているのか?」
「食べてます」
此処に来てからは、と付け足せば、クラウディアは「そうか」と短く返す。すると、クラウディアはヒカルを肩に乗せた。所謂、肩車だ。突然の事態にヒカルは体勢を崩し、クラウディアの頭にしがみ付いた。
「クラウディア様!一体何の心算ですか!?」
怪訝に問うヒカルにクラウディアは「別に」と素っ気無く返す。
……何だ、その態度は。この状況の説明はないのか。
おい、説明くれよ、第二王子様。愛玩動物扱いの次は幼児扱いですか?
「降ろして下さい」
「嫌だ」
クラウディア様、俺は肩車を喜ぶ歳じゃないんだけど。
嫌がらせ?何か機嫌が悪いんですか、第二王子様。でもね、八つ当たりはやめてくれ、俺は関係ない。
クラウディアはそのまま歩き始め、ヒカルはまたクラウディアの頭にしがみ付いた。
突然の出来事に呆気にとられていたスカイティアだが、慌ててクラウディアを追った。
うん、この人と二人にしないでくれ、ご主人様、第三王子殿下、スカイティア様。……悪態を吐いた侍従は未だに呆気に取られているけど、レーウィス殿、思いっきり馬鹿にしてません?綺麗なお顔なのに、悪意に満ちていますよ?
「クラウディア兄上、一体どうされたのですか?」
「……俺がお前の傍にいたら、おかしいか?」
クラウディアに感情の起伏のない声音で問われ、スカイティアは「それは…」と言い淀む。……うん、それは困るわ、そんな問い。クラウディアの肩の上で、スカイティアの様子を眺めてそう思った。
……というかさ、俺の状況は放置?何故、肩車なのですか?クラウディア様。
◆◇◆◇◆
『──お前は俺と仲良くしたいか?』
スカイティアはクラウディアの言葉を思い出した。罰の悪そうに眉を顰めた顔で、必死に何かを耐えるような表情で、絞り出すように聞こえた言葉。
スカイティアの耳に、確かにそれは届いていた。しかし、自信がなかった。都合の良い聞き間違いではないか、と自分の耳が信じられなかった。
(聞き間違えじゃなかった…?)
そう思っても良いのか、とスカイティアの胸には何とも言えない感情が湧きあがった。
クラウディアを嫌っていたことはないのだ。疎まれていても、憎まれ口を叩かれても嫌いになれなかった。
──それが、幼い頃の刷り込みだと言われれば、それを否定することはできないけれど。
記憶にある自分は何時も一人だった。大人達から遠巻きにされ、何故眉を顰められるのか、理由が分からなかった。最低限の仕事をこなした使用人達はすぐさま部屋を出ていき、呼び止めれば嫌悪を示される。理由が分からない子供には、彼らから向けられる視線が恐ろしくて堪らなかった。
『僕が悪いの?いけないことをしたの?』
『行かないで、独りにしないで!』
幼い子供の叫びに応えてくれる声はなく、ただ取り残された冷たい部屋で孤独に怯えていた。
──けれど、そんな時は何時だってユエ兄上とクラウディア兄上が一緒にいてくれたんだ。
(きっと、クラウディア兄上は覚えていないだろうけれど…)
スカイティアには、クラウディアに頭を撫でて貰った記憶がある。一緒に遊んだ記憶もある。それを、ユエが微笑ましそうにしている様子もよく覚えている。
スカイティアにとって、三人でいることが当たり前で幸せな時間だった。
それなのに、何時しかクラウディアが部屋を訪れることなくなって、その理由を後から知った。髪色が原因で彼自身が蔑まれていること、それ以上に己の黒髪が忌避される存在ということ。
一緒にいることを望まれていないのだと知って、悲しくなった。
それからもユエは、彼の時間が許される限りスカイティアの部屋を訪れた。それがスカイティアを守っているという事実とユエの立場を危うくしていること、そして同時にクラウディアを孤独にしていることを知って、己の存在を嫌悪した。
だから、ユエの来訪を拒んだ。ユエの為にもクラウディアの為にもならない己の存在など、彼らの中から消えてしまえばいい、と。
ユエは理由が分かっていたのだろう、だから代わりにレーウィスを寄越した。友人兼、世話係として。
時を経ると、自己防衛も兼ねて他人と関わらないようにすることを選んだ。部屋から出ることをやめて、用事は全てレーウィスに託した。たまに部屋を出るのはレーウィスが「部屋の掃除、換気のため」と部屋を追い出す──強制的なので、表現は正しいと思う──からだ。気晴らしをしろ、ということだと思うが、外に出るのは今でも億劫だ。
偶然にも久しぶりに顔を合わせたクラウディアに嫌悪や憎悪を込められた視線や言葉を向けられるのには驚いたが、怖くはなかった。……ただ悲しかった。もう二度とあの頃には戻れないのだと実感して。
──三人が揃うことなんて、もう二度とないと思っていたのに。
諦めていたことが叶うのかと思うと、嬉しさと気恥ずかしさが一気に込み上げる。
スカイティアは勝手に緩む表情を服の袖で隠しながら後を追った。
◆『元・奴隷の少年は王宮を駆け回る』は毎週水曜日更新です。
◇同時に『自由気ままな王子は異母兄の手のひらで踊る』を毎週金曜日、日曜日に更新中です。此方も宜しければお付き合いください。




