兄弟の距離
『──スカイティアとクラウディアを仲直りさせたいんだけど、協力してくれないかな?』
……なんていう第一王子ユエ様の助力を求める声に、元・奴隷、小姓モドキのヒカルは快諾……とはいきませんが、主人のためという言い分の元──権力に屈したとは言わない。敢えて言うならば、ユエの有無を言わせない威圧だ──にユエのお願いに頷きました。
ということで、第二王子クラウディアを発見、『スカイティア様はクラウディア様と仲良くしたがっています』と告げたところ。
「元々冷たい奴が急に優しく鳴ったら気持ち悪いな。信用できん」
俺だったら疑うぞ?とクラウディアは笑う。……うん、否定はしない。寧ろ同意する。元奴隷であったヒカルからすれば当然、相手の思惑を疑うに違いない。
……が、今回ばかりは眉を寄せた。
「理由はこの際どうでもいいではないですかっ!」
スカイティアやユエのことを思えば、クラウディアの歩み寄りこそ仲良し兄弟の第一歩なのだ。
スカイティアへの反発心からか、クラウディアの言葉の一つ一つが妙に理屈っぽい。……まるでスカイティアと向き合うことから逃げるように繰り出されるこの状況から抜け出すにはどうすればいいのか。
「……可笑しな子だなぁ…そんなにスカイティアが大事か?」
悲しそうに寂しそうに深青色の瞳が問い掛ける。……捨てられた犬みたいな顔。うん、その仲間だ。大人しく拾われろ。
「貴方にとってユエ様が特別なように、俺にとってスカイティア様が特別なだけです」
だからカモン!
心の中では両腕を広げて待ち構える。
「……そうか」
クラウディアは何処か寂しそうな悲しそうな顔で溜息を吐いた。窓辺から腰を上げると、片手を振って踵を返す。
……これ以上話す気はないらしい。畜生、心構えしたのに。むうっと頬を膨らませてもクラウディアの瞳には映らない。
(何で、三人一緒に居られないんだよ…!)
クラウディアが妥協してユエとスカイティアと一緒に過ごせばいい。そうすれば万事解決だ。
それなのに、クラウディアは玩具を独占したがる子供のように頑なに拒む。
そんな兄弟間の問題など「もう放っておこうかな」と思ってから、「でも」と直ぐに迷いだす。
クラウディアの態度が改まらなければ、スカイティアがまた一人ぼっちになる。レーウィスには何かと遠慮するし、ユエの好意に甘えればいいものを、それをしないのはクラウディアにも遠慮があるからだ。
ユエ様だって、兄弟間の関係改善を望みながらその立場から身動きが取れないのだろう。……だから、俺に声をかけたんだ。俺がスカイティア様の望みを知っていると踏んだ上でってのが抜け目ないよなぁ。
(と言うか、俺も、何でスカイティア様を放っておけないんだろう…)
王宮に来てからと言うもの、スカイティアの感情に振り回されっぱなしだ。今更だと思いがならも、ヒカルは唇を尖らせた。
「──ヒカル、何をしてるの?」
不意に耳朶を打った声音に、ヒカルは背筋を凍らせた。振り返れば、黒髪を靡かせた青年の姿があった。
「ス…スカイティア様…!」
「クラウディア兄上に構って貰ったの?無茶するなぁ」
視線をクラウディアに投げると、そのまま頭を垂れた。視線を転じれば、クラウディアが足を止めて振り返っていた。
……お、黙って立ち去らなかっただけでも進歩?以前ならそのままスルーだもんね。
「ヒカルが御世話になった様で、お礼申し上げます」
クラウディアから溜息が漏れる。その瞬間、スカイティアの表情が強張ったのを、ヒカルは見逃さなかった。
なんだ、その溜息は?そうか、そんなに嫌か。つーか、それなら何故立ち止まった?改善する気はないのか、『赤髪』の兄上?
クラウディアの態度に、ヒカルは物があったら投げつけたい気分だった。いっそ同じ部屋に閉じ込めてしまえば、奇跡が起きるのだろうか。ユエなら協力してくれる気がする。いや、嬉々として協力するだろう。と言うか、主犯格だ。
「……スカイティア」
クラウディアが呼ぶと、スカイティアの表情が一層強張った。心なしか色白の顔が一層青褪めている。過去に滅多打ちにされたと笑ってはいたが、面白い話ではないし、その本人を相手にしたら恐怖も舞い戻るだろう。
……うーん、微妙。物凄く複雑。それでも仲良くしたいって、スカイティア様が望んでますよね?
「……お前は俺と仲良くしたいか?」
「は?」
クラウディアの唐突な言葉にスカイティアは目を丸くした。ヒカルも目を丸くしてクラウディアを捉えていた。
果たして、聞き間違いだろうか。ヒカルの目に映るのは眉間に皺を寄せた何時ものクラウディアだ。そんな彼が先程の問答の中で一切譲歩の兆しを見せなかったと言うのに、「仲良くしたいか?」などと口にするだろうか。
「……何でもない」
溜息を吐くと、クラウディアは踵を返した。白い回廊に赤髪が散る。呆けていたスカイティアが慌てて止めた。
「お待ちください、兄上!先程は何と…」
「煩い!忘れろ!」
クラウディアはそう言い放って、乱暴に回廊を進んだ。……しまった、失敗した。言質取れたのに。
反響する足音だけ残された回廊にヒカルとスカイティアは茫然と立ち竦んでいた。
「……ヒカル、兄上に何か言ったの?」
スカイティアに問われ、ヒカルはビクリ、と身体を震わせた。
「スカイティア様が、クラウディア様と仲良くしたがっていると」
余計な事だったかな。いや、でも、状況の改善は望んでいるんだよね。
怒られるかと不安に拳を握ると、不意に笑声が耳朶を打った。顔を上げれば、スカイティアはくすくすと笑っている。
「ス、スカイティア様?」
「凄いな、ヒカルは」
青い双眸が三日月を画く。これ以上にないほど穏やかな笑みに、ヒカルは目を瞠った。
「俺はクラウディア兄上に近寄れないから…兄上の顔、見た?」
スカイティアの問いに首を振れば、スカイティアはヒカルの頭を撫でた。
(またですか…というか、あのクラウディア様にも頭を撫でられたんですが…)
「初めてだよ、兄上があんな表情をされるなんて…」
穏やかな微笑が浮かべられていたが、それが不意に歪んだ。
「クラウディア兄上に嫌われる理由が分かってから、ユエ兄上との距離も分からなくなって…だから兄弟仲良く、なんて出来なかったんだ」
壊してしまったのは俺だ、とスカイティアは呟いた。未だに複雑ではあるけれど、やはり兄弟と仲良くしたいと思っていたのだ。その一歩の背中を押すのは周囲の頑張りだろう。
……スカイティア様、多分、クラウディア様は捻くれ者なだけだと思います。一度、思うところを正せば、あとは割と素直だと思うんだ。名前を当てた時、楽しそうだったし。
それにしてもですね、スカイティア様。いつまで頭を撫でているのでしょうか。貴方方、俺の扱いが同じなんですが。子供好き?動物好き?……平和デスネ。
その調子で仲直りしてください、レーウィス殿とユエ様が喜びます。……俺の扱いは要相談で。
◆◇◆◇◆
カツカツと乱暴な足音が回廊に響いた。それに合わせて揺れる『赤髪』は、クラウディアのものだ。回廊に響き渡る音に回廊を警備する衛兵も、書類を持った侍従も表情を青褪めさせていた。
クラウディアが不機嫌であることは珍しくない。しかし、それ故に周囲の人間の心境は常に穏やかと言う訳にはいかない。
しかし、それはクラウディアも同じだった。注がれる視線が鬱陶しい。クラウディアが歯軋りすれば、それにまた侍従の顔色が強張る。
(…なんて窮屈な場所だろう)
王宮は居心地のいい場所ではない。美しく飾り立てられた部屋も回廊も、それを飾るシャンデリアも絵画もクラウディアには全てがガラクタに見える。透き通る水晶も価値があるとされる陶器の器も、乏しい内面を装う仮面に過ぎない。この城も、その仮面を外せばドロドロとした歴史が浮き彫りにされる。
クラウディアは人気のない場所を探した。回廊の先にあるバルコニーに出れば、青い空が広がっている。燦々と輝く太陽が眩しい。
バルコニーの欄干に肘を付き、クラウディアは溜息を吐いた。
──お前は俺と仲良くしたいか?
スカイティアに言った言葉を思い出し、クラウディアは乱暴に赤髪を掻き上げた。
深い溜息を漏らすと、カツン、と足音が聞こえた。白い石のバルコニーにクラウディアとは別の影が落ちた。
「君が歩み寄りを見せるとはね……どういう心境の変化?」
近づいてきた声音にクラウディアは視線をずらした。青い空に金糸が舞う。日焼け知らずの白い顔に掛る金糸を払い除けると、空と同じ色の瞳が半月の形を画く。兄のユエだ。
「…何でもいいでしょう」
クラウディアは素っ気なく答えた。ユエに対して珍しく冷たい言葉だったが、ユエはにっこりと微笑んだ。
「うん、そうだね。でも、僕は嬉しい」
年齢を感じさせない顔でニコニコと笑う異母兄に、クラウディアは居た堪れない気分になった。ユエが嬉しいのは、スカイティアが大事だからだ。
「…兄上は『兄弟』が仲良くしていると嬉しいのですか?」
「ん?そうだね。僕にとって君達は大切だから」
優しい声音が耳朶を打ち、クラウディアは言葉を失った。驚くクラウディアを捉えたユエの穏やかな笑みが、苦しそうに歪んだ。
「スカイティアだけが特別じゃない。弟妹は皆、僕の大切なものだ。大切だけど、どうしても皆がスカイティアを忌避するから、つい一番気に掛けてしまうのは否定できない……君もこの城では異質だ。君たち二人以外は皆が金髪だしね」
金色の髪が風に揺れ、青い瞳が水面のように揺れる。真っ直ぐに映り込む微笑が痛々しい。
「兄弟なのに、どう守ればいいのか分からなかった…兄弟間でいがみ合うのを見ているのは辛かった……だから、嬉しいんだよ」
さらさらと風に靡く金糸が陽光に照らされ、眩しい程に輝く。
嘗て、その『色』を憎んだ。同時に憧れた。誰一人『赤髪』の王子を認めなかった中で、ユエだけが特別だった。次期国王として偉大な存在で、差別を嫌うユエが『黒髪』のスカイティアを大切に思うのは当然だ。
(今更か…)
ユエの在り方は変わっていない。ただ、それだけなのだ。
クラウディアは溜息を吐きたい気分だった。けれど、ユエの前では失礼だ。
「ありがとう」
「……何故、貴方が私に」
唐突な言葉にクラウディアは戸惑う。けれど、ユエは笑みを深めるだけで何も言わなかった。
クラウディアは「御心配をおかけしました」と頭を垂れた。クラウディアの中には未だに複雑なものがあったが、それでもユエが喜んでくれるならそれでよかった。
「ふふっ…よかった」
三日月の形に細められていた瞳が満月のように開かれると、その青い瞳にクラウディアが映り込む。
「ヒカルは本当に不思議な子だ。僕がやりたかったことを難なく遣って退けた」
バルコニーの欄干に肘を置き、ユエは前屈みの姿勢を取る。金色の髪が肩から流れ落ち、風に揺れてはユエの顔を隠した。クラウディアの眼にユエの表情は映らない。
「俺には、ユエ兄上が以前からヒカルのことを知っていたように思えますが?」
ヒカルの瞳の色から東洋の出身だと言うことは連想できた。けれど、他人が名付けた名を当てることは不可能に等しい。クラウディアが当てられたのは、事前にユエが言っていた言葉があったからだ。
「そう?僕には『光』という名が相応しいと思っただけだよ」
ユエは含みのある笑みを浮かべ、クラウディアを躱す。これ以上追及しても無駄だと言う事は昔ながらの経験から分かっていた。
ユエは非常に躱すのが上手いのだ。深追いして、誘導された先にあるものが問いに対する答えとは限らない。
「……そういうことにしておきます」
ふっと笑えば、ユエが驚いたように目を丸くする。次いで、穏やかに笑った。……もしかして、深追いした方がよかったのか?
「君が笑うのを見たのは久しぶりだ。これもまた嬉しいことだね」
「……優しい方ですね」
思わぬ言葉に目を丸くしたクラウディアは呟いた。
……本当は、クラウディアこそがスカイティアの前でユエのようでなければならなかったのに。幼い弟を守るのは、兄として当然のことなのに。
「そんなことはないよ。結局は僕の為……兄弟が仲良くして欲しいと望んでいるのは、僕だけだ。僕の願いを君達に押し付けている酷い兄だ」
自分は利己的な人間だと、ユエは譲らない。
決して調子に乗らない、過小評価とも言える謙遜。
第一王子として揺るがない地位を持ちながら、彼は一度も権力を利用したことはない。
(ヒカルも変わっているが……やはり兄上ほど変わられている方はいらっしゃらない)
そう言うことにしておきます、と伝えれば、ユエは笑った。
「臣下の間では、僕は何を考えているか分からない不気味な王子だと言われているけど」
「見る目がないのでしょう」
何を考える間もなくきっぱりと断言するクラウディアに、ユエは笑みを深めた。
「君こそ優しい弟だ。僕は優しい弟がいて幸せだね」
ユエはクラウディアに手を伸ばすと、優しく触れた。幼少のころから剣術を学んでいるユエの掌は決して柔らかくはないが、温かな手にまるで赤子を慈しむように撫でられ、クラウディアは驚いた。
「な、何です?」
何でもないよ、とユエはそう答えるだけで暫しクラウディアの髪を撫でていた。
あの、恥ずかしいのですが。俺を幾つだとお思いで?……これはもしかして意趣返しですか?
結局、ヒカルが我々の中を取り持った形になるので、その意趣返しですか?それは逆恨みと言うのですよ、兄上。
それを告げる心算はなかったが、ふと、クラウディアは思いつく。
あれ?兄上からすると、兄弟の不仲さは俺の態度が頑なだったせいだから、意趣返しが俺に来るのは……あって、いるのか?
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