兄弟の奔走
ルゼノ城で王の審判が下っていた頃、ルゼノ王都にある隠れ家のようにひっそりと佇む喫茶店で、ルゼノ第三王子スカイティアと第二王子クラウディアは一仕事終えて休憩を取っていた。普段であれば疎らでもまだ客入りのある時間帯だが、今はスカイティアとクラウディアの貸し切りである。
「兄上達は、ご無事でしょうか」
「ん?まぁ、あれだけ集めれば、国を割る覚悟があっても中々ユエ兄上達には手を出せないだろう」
ユエから隣国に逃れるように指示されていた筈の二人は王城を抜け出した後、ライゼルスに逃れることなく王都にいた。二人は異母姉のステラと〈黒の予言者〉ルイの策に乗り、王弟の謀反における責任に対して連座処罰される血縁者──ユエとユオの処罰軽減を訴える活動をしていたのだが、思った以上に順調だった。……休憩を挟めるくらいには。とはいえ嘆願書の仕分けと計算をしながら、だが。
「お二人とも、飲み物のお代わりは如何ですか?」
「あ、お願いします」
「俺も、同じものを」
オルバは王子二人の手元から少し離した場所に飲み物を出すと、にっこりと微笑んだ。
テーブルに広がった書類の数々はあの王子達がどれだけルゼノという国に貢献し、王都民に好かれているかという指標だ。元より有名な第一王子であるユエは兎も角、王弟の怠惰な息子として悪評が多いユオですら王都では人気が高い。
(正直、王城内より王都民の方がユオ様に詳しいんじゃないかな?)
王宮でユオの評価が悪いことは知っているし、それが意図的に作られていることもステラ側の者は知っている。
人間は噂が好きだ。それが他人事で、面白い事ならば猶更。王都民は過去に踊らされた例がある分、意図せぬ悪評が広まる時は厄介であるが、それを利用できれば情報操作は可能だ。少なくとも王弟と、王弟子息に対する印象が別物になるくらいには効果を発揮している。
その結果、王弟子息が好意的な票を得ていることで、王城で起きている王弟の謀反に王弟子息への連座の処罰の可能性があることに不満を露わにする意見が多い。オルバは意見書の内容を全て知り得ている訳ではないが、それでもユエとユオを非難する言葉はないし、厳しい言葉があったとしても、それは個人と言うよりも国の政策そのものだったりするのだから有難い意見書には変わりない。さらっと目を通したところで、オルバは二人の王子へと視線を戻した。
「お二人とも、ユエ様達が心配なのですね」
「……ずっと、兄上達は完璧な方だと思っていました」
スカイティアの吐露にクラウディアは口を挟まず、グラスに口をつけた。
「何時も冷静で、頭がよくて、剣術だって近衛騎士に並ぶ程の腕前です。俺はずっと兄上の庇護下にいた…ずっと甘えて生きてきたんです」
「それは、俺も同じだな。幾ら公爵家の血を引くとはいえ、家そのものが俺を疎んでいた。そんな中で、ユエ兄上達が庇ってくれていた」
スカイティアの言葉に同調し、自分もそうだったのだとクラウディアは言う。
「出生が全てを決めるように、この国では髪色が全てを決めていることは、否めません。先代王の御代から徐々に緩和されていた筈なのに、一向に改善の兆しは見られない。そう思っていました…ですが、今この時を以て変わるのですね。貴方達が王子として生まれ、貴方達を守っていくと決めた方々がいる、この時代をもって」
オルバは二人の言葉を受けて、何処か寂しそうに笑って告げる。
過去にオルバを救った〈黒の予言者〉は国を追われた。国を離れた理由は迫害以外にもあったが、彼らが戻ることはないだろうと思うほどに、当時の『黒髪』への忌避は凄まじかった。その黒色に近いというだけで、濃い茶髪を持つ者も遠巻きにされた。
それが、今はどうだろう。髪色を差別せず、二人の王族を救おうとしている。『黒髪』の王子と『赤髪』の王子が王都中を走り回り声を掛けた結果、王都中の民から署名が集まった。ユエとユオ個人の名前を出して『自分達がどれだけ助かったのか』という事柄を具体的に示し、彼らの功績として残っていなかった事すら明確に述べられ、『彼らほど民の言葉に耳を傾けてくれる人達はいない』と記された嘆願書まで集まったのだから、驚く程に簡単だった。勿論、想像以上に、という注釈は付くが。
(署名活動って、どこぞの民主国家なら有効なんでしょうけど、ステラ王女とルイさんは何を考えて始めたのかな)
オルバは情報屋として、そして一人の王都民として過去と現代に思いを馳せる。少なくとも、あの当時──〈黒の予言者〉を忌避した代──の国上層部だったら、受け入れる筈もない。そもそも嘆願書集めなんて、思いついても実行しない。寧ろ、王都民の日頃の不満──『金髪優位』『金髪優遇』への差別問題──をユエとユオに向けられ兼ねなかった。そうなれば、二人は謀反を起こした王弟と同等の扱いまで落とされただろう。
しかし、その結果は余りにもユエとユオを称えるものが多く、オルバの懸念は杞憂で終わった。ステラには確かに勝算があったのだろう。しかし、ルゼノ王と国の上層部を納得させるだけの署名や意見書を集められると、本気で思っていたのだろうか。幾ら今の上層部の過半数は王弟の所業に呆れ果てていたとはいえ、それでも少なからず『金髪優位性』を保つことを主張する王弟を支持していた者がいたのも事実だ。その結果が、未だ変わらないルゼノだと思っていた。
(まぁ、それでも減った方だけどね。ここ数年で〈黒の予言者〉に対する悪し様な噂を流した当時の上層部はその地位を追われていたけど、ステラ王女は全部計算していたのかな…)
それは、あくまでも予測の範囲だ。情報として持ち合わせてはいても、狙ったかどうかは本人に確認してみなければ分からない。それだけ噂に便乗した者達にはあくどい噂があったのだから。
「平坦では、ないでしょうけどね」
「今までだって、平坦ではなかっただろう」
「それも、そうですね。これから始まるんです、きっと」
ある程度、最初から見込まれていた結果とはいえ署名活動は順調だった。寧ろ順調すぎる。その手筈を整えていたのが、もう一人の庇護者──異母姉のアルトステラであることもクラウディアとスカイティアを落ち着かせてはいるのだが、オルバの推察では最近の二人の王子の様子が王都民に好意的に受け入れられていたことも理由だと思っていた。
……もしかして、最近クラウディア様とスカイティア様が王都でよく見かけられるようになったのは、ステラ様の差し金だった?
ここ数か月の変化に、オルバはふと思う。
クラウディアの立場──王子であり騎士でもあるという身分的にも、王都の平民で構成された警邏兵に受け入れられることは難しい筈だったが、クラウディアの他人に厳しい面以上に自分へ厳しい姿勢に惹かれる者は多かった。『金髪優位』の国でも、立場を見失わず腐らず己を律した『赤髪』の王子の存在は大きいのだ。
また、姿が見えなかった『黒髪』の第三王子スカイティアの存在が王都で見かけられるようになったことも好意的だった。元より表に出ないミステリアスな王子という存在であった彼に悪意ある噂の他、憐憫や同情があったことは否めない。それでも彼が笑って城下に現れたことが重要だった。
虐げられている存在だと思われていた髪色の違う二人の王子が国の為に駆け回る姿は、王都で燻っていた思いを託すには十分だったのだろう。噂に踊らされ続ける程、人間は愚かではないという事だ。……その変化に、ほんの少しの寂寞と悲哀と、己の無力さを嘆きたくもなったけれど。
「スカイティア殿下!クラウディア殿下!また百枚ほど集まったんですけど、王宮に届けますか?」
「え、まだあったの?」
オルバの感傷を他所に、唐突に喫茶店へと駆け込んできたのはスカイティアが最初に声をかけた少年だった。鮮やかな赤髪で、翡翠色の瞳が印象的な少年はジェイドという、王都の警邏兵の息子である。クラウディアを通して交流があった王都民は、率先して協力者になってくれていた。
その結果、スカイティアとクラウディアは休憩を取る時間まであったのだが、先程嘆願書を回収しに来たルイを見送った後の追加分であるのに、その嘆願書の量は片手で抱え切れない程である。よく落とさなかったな、と感心する程だ。
「いやいや、王都民が何万人いると思っているんですか!」
「ありがとう、助かった」
スカイティアが直接受け取って頭を撫でると、ジェイドは微笑みかけた顔をキリっと引き締めた。
「言っておきますけど、まだありますからね!」
「それは頼もしいな」
「クラウディア殿下。俺、将来は王都の警邏兵になります!」
「ほう、その年で将来像が明確なのか」
元より父親の背を追うようかのように正義感が強く、以前引っ手繰り犯を捕まえたこともあるジェイドだ。前途ある若者の夢が王都の守護役ならば頼もしいことだ、とクラウディアは笑う。
「その時には前みたいに指導してくださいますか?」
「そうだな、時間があれば見に行こう」
「約束ですよ!」
それだけ言い残すと、ジェイドは喫茶店を出て行った。次に来る時は、また王都中の嘆願書を持って来ることだろう。
「あの子が王都の警邏兵になったら、物凄く王都の犯罪の抑止になりそう」
「〈黒の予言者〉譲りの予言か?」
「だって、今まで纏めて持ってきてくれた協力者の中でも最短記録ですよ。あんな警邏兵がいたら、誰だって捕まりそうではないですか。しかも、第二王子クラウディア殿下と懇意にしている未来の警邏兵ですよ」
『赤髪』とはいえ王子と懇意であるという立場を利用すれば、多少は上の身分であっても気負うことなく権利を行使できるということか。スカイティアも中々身分の使い方を分かって来たようだ。しかし、それはジェイドがクラウディアの命を受けている、或いはクラウディアを納得するだけの材料を揃えていることが前提だが。
「……王都民からの人望、率直に意見を言える度胸、王都を駆け回る体力に俊足。どれを取っても欲しい人材だな」
「でしょ。彼の言質は取りましたよ、数年後が楽しみですね」
にっこりと笑うスカイティアと、ニヤッと笑うクラウディアの後ろでオルバは爆笑していた。笑いのツボが分からない男だと、二人が思っていることをオルバは知らない。
「では、そろそろ戻られますか?白馬の王子様ならぬ、星の姫騎士様のお迎えですよ」
「星の姫騎士、確かにお姫様という枠だけでは収まりきらないですね」
「確かに…」
丁度、喫茶店の前に見えた人影に、異母姉が迎えに来たことを悟る。カラン、と鐘が鳴り、扉を開けて案内をするのは王女の従者──シュテルインだ。見目麗しい青年にエスコートされる王女──アルトステラは身内の贔屓目を抜きにしても、目が覚めるような美女だと言える。三人揃って立って迎えれば、ステラは何処か含みのある微笑みを浮かべて首を傾げた。
「あら、何か私の悪口でも言っていたのかしら」
「まさか、姉上の言葉に異を唱えるような愚者はいませんよ」
「えぇ、ただ相も変わらず物語のお姫様と縁遠いというだけで」
「あら、ありがとう。そうでなければ、私ではなくてよ」
誉め言葉と受け取ったらしいステラは、オルバを振り返った。
「協力感謝するわ、オルバ殿。王城の方は一先ず片付いたみたいだから。帰りましょうか」
「「はい」」
オルバには他にも集まったら預かってくれるように頼み、帰路に着くことにしたのだが。
「取り合えず、第一声が怒号でないことを祈っておきましょうか」
「誰の、ですか?」
不穏な言葉を口にするステラに、スカイティアが聞き返す。
「ユエ兄上とユオの。きっと纏う空気を氷点下まで下げて待っていると思うわ」
「……姉上、不安しかありませんよ」
「そこは皆同罪だもの。腹を括っておいて頂戴」
「「……はい」」
ステラの断言に、やや表情を硬くしながらも異母弟二人は後に続いた。今宵の王都は騒がしい。未だに署名活動は続き、騒動は鳴り止むことはない。
「……本当に予想以上の動きだったわ」
「何が、です?」
不意に呟かれた王女の背に、スカイティアは首を傾げた。
「貴方達が王都中を走り回って嘆願書を集めてくれたことも、王都民がユエ兄上達の功績を知っていてくれたことも」
「え?」
「貴方達には人知れずライゼルスに逃れて、ほとぼりが冷めるまで姿を消している選択肢もあったのに。それを選ばずに私達に手を貸してくれた」
ステラに微笑まれ、スカイティアはその選択肢を選ぶまでもなかったことを思い出して笑った。
「姉上って、天邪鬼ですよね」
「まぁ、酷い」
ふふっ、と笑う異母姉にスカイティアは安堵した。
「ねぇ、姉上。今度はちゃんと兄上に大好きだって言ってあげて下さいね」
「……あら、兄上の事を大嫌いなのは変わらないわ」
「あの顔で大嫌いだって言われても、大好きだっていう意味にしか取れません」
「言うわね…何を言っても信じないなら、捻くれもするわよ」
「捻くれているって自覚があるんですね」
スカイティアがそう言えばステラに頭を小突かれ、クラウディアに「何をやっているんだ」と言う目で見られた。そして漸くスカイティアは肩の力が抜けた気がした。
──ねぇ、ユエ兄上。俺は皆が揃っていないと嫌です。嫌なんです…俺は寂しがり屋なので。
ステラとクラウディアに呼ばれ、スカイティアは王城に戻る馬車に乗り込んだ。




