第一王子の秘密2
ルゼノ王と王妃レノンの間に生まれた第一子は『古の神聖なる月』と名付けられた。
けれど、『ユエルディーネ』が自分の本当の名前でないことを知った。それは、名も無き偽りの第一王子が八回目の誕生日を迎える少し前の話だった。
『──どういう、こと?』
困惑か、怒りか、呆れか。何とも言い表しがたい混濁とした感情を宿した声音が、ルゼノ王の正妃レノンのものであることを悟ったのは、まだ何も知らない『ユエ』と呼ばれる少年だった。
『どういうことって…嫌ですわ、お姉様』
『王弟殿下、王弟妃殿下。そのような言葉をよく言えたものね』
『事実ですもの』
甘ったるい声が、悪魔の言葉を紡ぐ。
その声の主には覚えがある。少年にやたらと馴れ馴れしい、王弟妃だ。彼女は王妃の実妹で、姉妹揃って王家に嫁いだことでレイビス公爵家は一層権力を拡大することになる筈だった。
しかし、姉である王妃は実に有能で愛国者だった。権力の偏りを是正し、ルゼノ王とともに国政に勤しむ女傑だった為に、レイビス公爵家の一強となることはなかった。
そんな女傑と囁かれる王妃が、珍しくも動揺していた。
『ユエが、私と陛下の間にできた子供ではないと?』
耳朶を打った言葉に、少年は立ち竦んだ。
『えぇ、だって、あの子は私と夫の…王弟殿下の子供ですもの』
『気づかないと言うのも、恐ろしいですな』
くすくすと笑う王弟夫妻の声が、何処か遠くで聞こえる気がした。扉を挟んだ直ぐ側にいるのだろうが、今は何処か遠い。
『ふふっ、お姉様が悪いのよ?』
『何のこと?』
『だって、お姉様ってば、お父様に反抗してばっかり。だからね、お姉様じゃダメだって言うの』
『反抗…ですって?』
『お父様は、ずっとルゼノ王になりたかったの。なれなかったから、娘を王妃にして、王子を産ませて、その王子を操って思うように使いたかったって……お姉様が、ルゼノ王陛下を懐柔していれば、陛下だって操れたのに』
この上ない侮辱だ。王への反逆とも言える言葉を、まるで悪戯に失敗したかのように語る妹に、王妃の声色は一層剣呑さを増した。
『そんなことが許されるとでも?』
『怖いわ、お姉様。だけど、お姉様は陛下にばっかり気を使って、家のことなんて顧みなかった』
『……それが、ユエと何の関係が?』
レイビス公爵家に配慮しなかった。寧ろ、偏った権力を是正する為に三大公爵家の力を削いだ。その自覚も実績も、王妃にはあった。
『だから、ね?お父様ったら、生まれたばかりだったお姉様の子供を殺しちゃったの。お父様ったら、我に返って、慌てていたわ。それじゃあ、折角のレイビス家の血を引く王子がいなくなっちゃうって……代わりに私の子供をあげたの。お姉様の子が生まれた日から私が子を産むまで、そんなに日が空かなくて良かったわぁ……私も、双子だったからどうしようかと思ったもの!』
『何て、ことを…』
何ということを仕出かしたのか。
王妃は出産後に体調を崩していた。王妃が子供と再び顔を合わせたのは、一月以上経ってからだった。つまり、その時には既に入れ替わっていたということか。
『あぁ、王妃殿下。感謝の言葉は要りませんよ?』
『誰が感謝など!!』
王弟の揶揄するような笑いに、王妃は噛みついた。
『おや、我々は親切で黙っていたのですぞ?このことが発覚したら、貴女の大事な弟君はどうなりますかな?』
義弟である王弟の言葉に、王妃は息を呑んだ。
『レイビス公爵家の当主が第一王子を殺め、娘の子供を替玉にした。……どんな処罰で、レイビス家は贖いますかな?』
──決して、公爵一人で贖える罪ではないでしょう?
王弟の言わんとするところを理解して、少年は王妃の心境を察する。
これは、何だ?人間の皮を被った悪魔か。いや、悪魔など、実際にいるかも分からない存在に譬えたところで意味はない。此処にいるのは、紛れもない人間だ。
『貴女はご自身が罰せられることなど厭わないでしょうが、何の罪もない、同志とも呼べる弟君まで罰せられることを良しとできますかな?』
それは、脅迫だった。
『別に何かをしてって話じゃないのよ、お姉様』
『えぇ、変わらず、ユエルディーネ王子殿下を我が子のように扱ってくだされば……今は、ね』
愉快そうに笑い声が響く。その部屋の扉を挟んだ向こう側に、その〈取り替え子〉がいるとは知らず、ただ勝ち誇り、嘲笑うように。
たった一枚の壁の向こうから聞こえる、くすくすと笑う声が何処か遠い。足元がガラガラと音を立て、足場が崩れ落ちた気分だ。〈取り替え子〉の少年は、逃げ出すように脇目も振らず駆け出した。
彼が走り出して向かったのは、緑が生い茂る森だった。意識していなかったが、そこは少年が最も気に入っていた場所だ。しかし、その景色も今は目に入らない。
(どうして…?あの話は本当なのか…?)
息を整えながらも頭の中には先程聞いた話が浮かび、否定しようとしてはまた耳障りな声が鼓膜を揺さぶる。
(僕は、父上と母上の子供じゃない…?)
嘘だ、虚言だ、気にする必要のない雑音だ。
何度そう否定しても、それが確かめることができない内容だということが、少年には分かっていた。
この胸の中でバクバクと鳴り響く鼓動は余りにも煩く喚いた。まるで「違う違う違う!」と叫ぶように、どうやっても証明できない出生の疑惑を、それでも否定したくて哭いている。
『──ユエか』
不意に声が聞こえて、はっと顔を上げる。そこには執務を終えたのか、護衛を遠ざけたルゼノ王の姿があった。それは、少年が今最も会ってはいけない人で、最も会いたい人だった。
『ユエ、どうした?』
少年の姿を認め、王の空色の双眸が、柔らかな弧を描く。
(違う)
声にならない叫びが、音にならない言葉が、喉に張り付いて。
『ユエ?』
何も言わない少年の瞳から溢れ出す涙に、視線を合わせようと腰を屈めた王が、少年を変わらずに『ユエ』と呼ぶ。
(違う、違うのです…!)
信じたくない。
けれど、それが事実かどうかは問題ではない。
真偽を確かめる為には代償が大き過ぎることを、少年は知っていた。
──僕は、貴方の『ユエ』じゃない…!
声にならないまま、行き場のない熱が、あらゆる感情が、瞳から涙として零れ落ちて行く。
泣きやまない少年に王は困ったような顔して、優しく少年を抱きしめた。
『何かあったか?泣いていては分からないよ、ユエ』
抱きしめられたまま、頭を撫でる大きな手が温かい。
年の割に大人びた少年が泣くなんて珍しいからか、困ったようでも少し嬉しそうに「話してくれ」と促す声が、本当は自分に向けられる筈のものでないことが酷く悲しかった。
それでも優しく抱きしめる手を、何時までも覚えておきたい。何時か、その手が正当なる裁きを下すまで。
(貴方を欺くことを、赦して下さいとは言わないから…)
ルゼノ王に縋るように、少年は王の服をぎゅっと握り締めた。
──だから、どうか。どうか今だけは。その温かな手に、貴方に抱きしめて貰うことを赦して下さい。
行き場のない熱を、溢れた涙を、原動力の糧として。
今ある優しくて温かい幸福なる日々を、何時かの決別の日が訪れるまで守るから。
それは温かくて、幸せな夢だった。
どんな苦労があっても、ルゼノ王や周囲から貰った賞賛の言葉があれば、全てが喜びに代わる。その喜びだけで、贖罪の人生だろうと茨の道を歩もうと生きていける。
例え、全てを知った人々が悪意や軽蔑の言葉を投げつけても、己の存在が世紀の詐欺師だと言われても、それが彼らへ贖罪だと思えば怖くはない。
──そう思って、ずっと復讐と償いの為に生きてきた。
「ずっと、何故王弟夫妻が僕に馴れ馴れしいのか、不審に思っていた。まるで甥と叔父叔母という立場を超えていたから。そして、その理由が分かった時には復讐を誓っていた……その後、王妃様が亡くなられたのも、王弟妃とレイビス公爵の仕業だろうと思えば、自分の存在の愚かさが益々赦せなくなった」
いっそ泣き笑いを浮かべるユエに、ルゼノ王は「愚弟どもが…」と王弟に向けていた視線を一層鋭くして、いっそ殺意でも込められているようにすら感じる。吐き出された暴言は一言だが、その目が笑っていないのは言わずもがな。
ルゼノ王陛下の暴言、その声音が非常に恐ろしや。ユエ様のお怒りと哀しみも御尤もなんですけど…それより怒りに燃えるルゼノ王が怖いの。
ねぇ、王弟とその一派。さっさと「ごめんなさい」した方がよくない?したところで赦される問題じゃないけど。俺からすると、ルゼノ王の視線って「うちの子を何苦しませてくれてんだ!?」って感じなの。
ヒカルの解釈はさて置き、未だにシリアスモードな第一王子の独白が続く。
「王弟夫妻の出任せだと思いたかった。でも、当時の乳母や護衛の証言を聞き出したら、僕が王弟夫妻の子である可能性が高まる話しか得られなかった……証言された場所に、何処の誰とも分からない者の骨が埋まっていたことも現実味を帯びさせた」
それは、本来ならば第一王子であった筈の子供の墓なのだろう。墓の主の素性は決して明かすことはできず、ただ過ぎていく時の流れに人知れず埋もれていく筈だった。
「だから、貴方に裁かれたかった。彼奴らの罪を全て曝け出して、この国の、陛下の障害となるあの王弟夫妻諸共、この偽物の第一王子を始末することを、ずっと昔から考えていた」
自分を指して『偽物』と言うユエに迷いはない。寧ろ漸くだと言わんばかりの言葉に、周囲は唖然として誰も口を挟めない。ヒカルはそんな様子を冷めた目で眺めていた。
それにしても〈取り替え子〉か。物語ではあるけど、実際にやるとはねぇ。しかも、生まれて間もない赤子か。そりゃ、正妃様も気づかないわ。実妹と夫の弟の子供だし、血統が近すぎる。
物語では〈妖精の悪戯〉として語られる〈取り替え子〉だが、その多くは血縁関係のない子供を入れ替える為、容姿が異なることで家族内で軋轢が生じ、その混乱を眺めて楽しむ妖精が描かれることもある。今回は血縁が近いが、十分に壮大な問題が生じた。……いや、マジでねぇわ。何やってくれてんの。自発的な行動なだけ質が悪すぎる。
「そんなことを誰が望む」
「僕です。僕は、この事実を知りながら、陛下の第一子を名乗り、ずっと周囲を騙し続けていた。こんなことが赦されるなんて、思っていません」
頑なに処罰を望むユエに、王は困ったように眉を下げる。例え王弟夫妻の子であったとしても、今まで我が子として接してきたユエへの情がなくなる訳ではない。
これを狙っていたのか、と思えば王弟夫妻の策略に虫唾が走る。どのような罪でも、連座で処罰される階級である以上は王弟夫妻の実子である者にまで及ぶ。王妃から王に伝わることを想定し、簡単には処罰できないと目論んでいたとすれば本当に性質が悪い。
王弟の息子として認知されているユオ様は当然巻き込まれるし…何だろう、この生き物は。でも、ユエ様本人がその事を知っていて、自ら処罰を求めたのは想定外だったみたいな?
もう、さっくり殺っちゃえば?と思っちゃうんだけど。腐っても王弟夫妻だから、守れなかったら騎士団的に問題?病死…に見せかけるにも、二人揃って、と言う訳にはいかないのか。序にレイビス公爵も、となると陰謀しか疑われないか。
王家に疑惑を向けられるのは、対外的に宜しくない。しかし、実際に処罰されないことも問題であろう。
疑惑…でも、王弟は王家の人間だし…そもそも遣ること成すことが問題だった訳だし。うーん、俺なら「別によくないか?勝手に自滅しただけだし」と思いますが、ダメなんですかね?面倒な階級だな、本当に。
「お前が赦せないのは、出生に関する疑惑を知りながら公にせず、更には王妃が死に至らしめられたことか?」
「それもありますが…」
改めて確認された事項に、ユエは目を伏せた。生みの母ではなくとも慈しまれた自覚があるからか、どうしても拭えない罪悪感を抱いたまま、彼はずっと自分を苛んでいたのだろう。
「一つ解決しておくか……ロレーユ」
「あら、此処でお呼びになります?」
ルゼノ王に呼ばれて、ひょっこり顔を出した白いローブを纏う妙齢の女性。金色の髪を結い上げ、夜空の様な深青色の瞳が鮮やかな美女である。……ん?何処かで見たことあるような?
「王妃、様…?」
「あ、義姉上…?」
その女性を捉えたユエが、そして王弟が愕然と呟いた。王弟に関しては、まるで化け物でもみたような恐怖さえ滲んでいた。後ろにいる王弟派閥も驚きを隠せない模様。間抜けな顔だ。
え…王妃?先程、亡くなったという話にあった正妃様?いえ、以前から正妃の座が空位という話は聞いていましたが?……いや、いるじゃん!生きてるじゃん!しかも、ライゼルスで会った女性じゃんか!!死んだことにしていただけかよ!
「どうして…?」
呆然と呟くユエに、ルゼノ王とロレーユと呼ばれた王妃は顔を見合わせた。
「そこの愚弟とその妻と、レイビス公爵に命を狙われたのは確かでな……身を隠す必要にかられたのだ」
「序に言うと、私、あれ以降は子供が産めない身体になったみたいでね。流石に、ずっと薬を盛られているとは思わなかったわ……何処でも金に釣られる輩はいるみたいね?子供はこれ以上は無理だから、別の仕事を頂いたのよ」
いや、笑顔で言うことなの、それ。王妃様、それは流石に如何かと思うの。ちょっとステラ様に似た気性をお持ちですか?流石、女傑の王妃様。
「と言う訳で『レノンを死に至らしめた』ということへの罪悪感はなくなったな」
あっさりと言い退けた王に、愕然とするユエと王弟。レーウィスは何処か合点がいったのか「そういうことでしたか」と納得した様子だ。……いや、一体、何に納得したの?レーウィス殿。
えーっと、ユエ様を処罰する理由を無くしていく話でしたよね。でも、王妃様のことって関係あるの?……あぁ、王妃様暗殺にレイビス公爵家及び王弟夫妻が関わっている場合には、その直系(疑惑あり)のユエ様にも処罰があるのか。ユオ様はどうやっても避けられないし。
「詳しい話は色々と終ってからね。貴方が、私のユエに代わりはないの。それとも、ユエは私が母親では嫌かしら?」
「そんなことありません!」
「それなら問題ないわね」
何処か不安そうに探る様な王妃の問いに、ユエは咄嗟に口にしていた。それはユエの嘘偽りのない本心だろう。途端に笑顔になった王妃に、ユエはハッとして軈て罰が悪そうに視線を逸らす。そんなユエに対し、にこにこと笑顔を浮かべる王妃は何処からどう見ても上機嫌で、先程までの極寒地帯の空気の中に場違いにも花が飛んでいるようにすら見える。
……ユエ様の全力否定に嬉しそうですね、王妃様。ユエ様、十年以上も前に亡くされた──ある意味では失踪していた──母君のお顔をよく覚えておいでで。
「嬉しそうだな、レノン」
「当然でしょう、陛下。私、ここ数年はユエ達の成長を遠目に見ることしかできなかったのですよ?日々逞しく聡明に育っていく子達を、抱きしめられないこの気持ちが分かりますか?」
「我が子への抱擁は、早々に拒否されたのだが」
じーっと恨みがましそうな視線を王妃から向けられたルゼノ王は、そのままユエに視線を向けた。
「……此方を見ないで下さい、陛下」
あ、ユエ様が視線を逸らした。ルゼノ王がただの子煩悩な父親にしか見えん。
衝撃を受けている王弟は……まぁ、いいや。仲良し家族の中にお邪魔虫はいらん。そのままフェードアウトしていいよ?寧ろ推奨。




