孤独な月
ルゼノ城の一角を焼く火の手。金と赤に燃え上がる炎は建物を倒壊させていた。
回廊を進みながら、見覚えのある景色を捉えて外へと出る道を辿る。
(……というか、陛下と母さんは何故あんな場所に留まっているのかな)
王の玉座がある謁見の間は、諸外国の使者などが訪れた時や式典などに使われる場所ではなかっただろうか。執務仕事をする部屋は別にあり、謁見の間は何処か儀式めいた場所だという印象を受ける。王が座する場所ではあるが、それが何か意味があるのだろうか。
窓の外では交戦する複数の影が見える。王の配下と王弟一派の戦いだろう。ユエはこれを機に王弟一派を一網打尽にする心算だとユオから聞いたが、実際のところ何処で何をしているのか。
飛び交うような人影は、確かに一方が圧倒しているようにも見える。様子からして、王弟一派を捕縛しているのだろう。
「……無事に、済むのかな」
敵将さえ打てば、後は芋蔓式だろう。つまり、重要なのは何より王弟の捕縛ではないか。王城外への通路を捜しながら逃げ惑うヒカルだが、案外城内にいる間にあっさりと終わるのではないかとも思っている。
「ヒカル…!?」
不意に名を呼ばれ、はっとしたヒカルは足を止めた。回廊に人影があったことなど気付かなかった。……この状況下で、俺気を抜き過ぎ?
「ユエ様…と、レーウィス殿?って、ユエ様!?その髪は…!」
闇の空に月が浮かぶ窓を背に佇むのはユエとレーウィスだった。ヒカルはユエの髪を捉え、目を瞠った。ユエの髪が短くなっている。今朝まで腰の高さまで伸びていた髪は肩の高さで切り揃えられ、その切り口は真新しく痛々しい。
「あぁ、邪魔だから切ったんだ。それにしても、ユオから聞いてはいたけど…まだ城外に出てなかったのかい?」
真っ直ぐにユエを見据えれば、ユエは表情を綻ばせた。何時もと変わらない柔らかい笑みだ。
「…恥ずかしながら、迷子になりました」
序に言うと、すぐ終わるかなと楽観的に思っています。
馬鹿正直に話すと、ユエは此処から最短で外に出る道筋をヒカルに教えた。
「ちょっと、時間が掛かるかな。城外にいてくれると安心なんだけど」
「そうですか…では、そのようにしようと思いますが」
ユエの指示に、何時もなら従うだけなのに何故か足が動かない。きっと、この先のことが気掛かりなのだ。
「ユエ様は、既に王弟殿下の居場所を?」
「あぁ、ユオ達に見張らせているよ」
「では、言い方は悪いですけど、打ち取る準備はできているのですね?」
ヒカルの率直な問いに、ユエは淡く微笑んだ。何処か困ったような笑みだ。
「できてはいるよ?ただ、そこそこ派閥の規模が大きくて…先に王弟の首を打ち取って、配下に逃げ出されても困るなって」
「王弟を打ち取ることに戸惑いはないのですね?」
我ながら意地の悪い問いをしている自覚はある。一応、相手は肉親なのだ。
「食い下がるね」
「ユエ様が随分と浮かない顔をされているので」
引っかかったのは、多分それだ。今までユエは表情に出さない王子だったから。冷笑にしても嘲笑にしても、何時も笑っていたのだ。
「……そうだね、漸くだと思ったのに」
納得した、とばかりに可笑しそうに笑った。
「ユオに後悔していないかって言われたのは、そういうことか」
「ユオ様に?」
「あぁ、嘘吐きが消えるだけなのに…」
(嘘吐き?)
「ユエ様…?」
「ヒカルはさ、この国のことをどう思う?」
「え?『黒髪を忌避する勢力のある差別国家、時々変わり者がいる国』でしょうか」
何処からか聞こえた悲鳴が鼓膜を劈く。恐怖に、怒りに、震える声が聞こえる。迫る火の手に脅かされる人々の声だろう。しかし、その声に同情する気もなければ、不安を煽られることもない。
パッと見、火の手が上がっている様は派手だけど、実際の被害は局所的なんだよね。あれって、王弟一派に関わる拠点でも潰したんですかね。相も変わらず有能なる王子様です。
「そして、ユエ様が王になれば差別をなくすことが出来るだろう、と希望を抱いている国ですね」
ユエの希望は抜きにして、個人的に思う最適配置はユエが最高権力者になることだ。言い方は悪いが、ユエが王子として政略結婚をした場合、どうしてもバランスが悪い気がする。
ユエに代わりヴァイスが王になったら、常にユエと比べられるだろう。勿論、ユエが兄王殿下として、王となったヴァイスと違った視点で見ることもできるだろうが、正直、今のヴァイスにユエと同等の采配を求めるのは酷だろう。
何より功績が物を言うだろうし、血筋的にもユエが王位継承権第一位なのだ。無駄な争いはない方がいいし、国は割れない筈だ。……まぁ、王はご健勝のようですし、ヴァイス様の今後次第ですかね。
「…確かに、僕が王位に就ければ良かった」
ユエはまた憂いを含むような笑みを浮かべた。
月を、見つめた。青い瞳が月光に照らされ、湖面のように輝く。まるで宝玉のように美しく、けれど何処か直ぐにでも割れてしまいそうな危うさを感じた。
「僕ね、ユエルディーネって名前が嫌いなんだ。ただの『ユエ』になりたかった」
「ユエ…?」
眼を瞬くヒカルにユエは微笑むと、細く白い指で月を指した。
「『ユエ』は東洋で『月』を意味する言葉。月は満ち欠けで形を変えるし、太陽が無ければ輝かない星なんだ。己が不完全でも、仲間と補えればいい。皆で話し合って、国を治めていければいいと思ったよ。でもね、王になる人間に弱点があってはならないんだって…」
ユエはふっと冷笑を浮かべた。ぞっとするほど、何か嫌悪せずにはいられないとでもいうように。
王になるべく育てられる環境、というのは分からない。教育の程度も想像がつかないが、ユエは有能な第一王子でなければならなかった。王太子と言う地位を確固たるものとしなければならなかったからこそ、並大抵の努力だけでは足りなかったのだろう。
……ユエ様本人としては、王太子という地位を得ることが目的ではなくて、きっと髪色の異なる異母弟達を守る為に必要なことだったのだろうけど。
「弱点って何だろうね?どうして『金髪』以外の者と仲良くなることが弱点になるんだろう。僕の祖父もステラが王女として、クラウディアが『赤髪』で生まれたことを喜ぶような男だったし。僕の味方になろう筈も無い……僕が他の髪色で生まれていたら間違いなく死産扱いされてただろうな……いらないって、あっさり捨てそうじゃないか!この国の貴族らしくさ!」
いっそ愉しそうな顔でユエは語る。歪んでいると、何か冷たいものがヒカルの背筋を這う。
「あぁ、ヒカル、ごめんね。これが僕の本性なんだ。僕と君が初めて会った時、僕に怯えた理由はきっと僕の本性を無意識にも感じ取っていたからじゃないかな?」
苦笑を浮かべるユエに、ヒカルは否定できなかった。ユエと初めて会った時、何故だか怖かったのは事実だ。
ユエの身長は大きくないのに、その笑みは優しいのに、伸ばされた手に悪意はなかったのに。
それでも何故か、彼だけに感じた畏怖……何かとてつもないものを抱えているような、そんな感じがした。
「陛下も王妃様も、僕に『金髪至上主義』を強要されなかった。寧ろ、自由意思を尊重してくれたのに……彼奴等は、その陛下の方針すら否定し、王妃様を死に至らしめた…!あの愚者どもが…!」
おっと、言葉が乱暴ですよ…ユエ様、相当鬱憤が堪っていらしたのですね。爆発しましたか。
自分の意思を尊重してくれていた人達と、一方的に否定して己の価値観を押し付けてくる奴らなんか、比べ物になりませんよね。クラウディア様ほどではないけど、ユエ様も結構歪んでお育ちになった模様。
「ふふっ…あれらに復讐を誓ったのは、もう何年前になるかな」
笑い声とは裏腹の、物騒な言葉がヒカルの鼓膜を揺する。
「僕達の教育係だった〈黒の予言者〉は知識が豊富だったから学ぶ事も多かったし、世辞は言わないから全てが肯定された気がしたんだ。……彼の前ではただの『ユエ』でいられたんだ」
それなのに、とユエは表情を歪めた。
「王弟は、僕とステラから教育係を奪った。マーシャンドの間諜だと言い掛かりをつけて、彼らは王宮を離れざるを得なかった」
ふっと、ユエの顔に微笑が浮かぶ。何処か寂寥感漂う微笑がヒカルの瞳に映り込んだ。
「……昔はね、彼が望むような王に成れれば、と思った。だけど、理想は理想なんだ。差別撤廃を主張すれば、間違いなく反対勢力が僕を殺す。今だって、緩和政策をとっている陛下に爪を立ているじゃないか…」
ユエが愉快そうなのは、一周回った怒りか。
本当にな、普通は王の意志に反する行為は咎められる筈なのに何故だ?王弟は、何故今まで許されてきたんだろうか。
「だから、これを機に全ての反乱の芽を摘めば…王の絶対的な権威を見せつけることで、今まで自分が安泰だと思っていた愚物も目を覚ますだろう」
一通り語ったのは、ユエの信念か。国の法ですら軽んじられていたと怒り嘆いていたステラも、最早その者達を人間と見做さないような発言をしていたが、何処までも似ているものだ。
「……さて、この騒動もそろそろお仕舞にしなくては、ね。ヒカル、君はさっさと行きなよ。スカイティアもクラウディアも待っているだろう」
抱いた想いを吐き出したことで落ち着いたのか、再度、ヒカルに王宮から出るように促したユエの手を掴み、ヒカルはユエとレーウィスを見上げた。
「待って下さい、ユエ様とレーウィス殿は?」
「勿論、王弟の捕縛しに行くよ?王の前に引き吊り出さないと…あれ、ルーカス?」
何故だか、ユエが動揺した。ルーカスとは〈影〉の護衛の一人だろう。街中で給仕に変装した王女の護衛だった筈だが、どうやら留学する王女にはついて行かなかった模様。
「──陛下が、見つからない?」
姿を見せないまま、何かしらの方法で伝言をしているようである。……有能と言えば片付くのか。それとも王族と〈影〉のやり取りはこれが普通なのだろうか。
「〈影〉をしても見つけられないって…?」
ユエは珍しく動揺している。……まぁ、確かに王が行方不明とか物凄く不安を感じるよね。何しろ狙われている張本人だし。
「陛下は先程『謁見の間』にいましたよ?」
「は…?」
「本当ですか?ヒカル」
ユエは愕然と目を見開いて、代わりにレーウィスが問いかけてくるので肯定した。
え、何故そんなに驚くの?いや、俺も王が逃げていないというか、大臣達が我が身可愛さに王を捜すこともなく逃げ出したことには驚いたし、貴族らしいなって久しぶりに思ったけど?
まぁ、命あっての物種だし、と思わなくはないけどさ。……普段、貴族階級だからこそ平民に威張り散らしている癖に、有事の際は王を放置して真っ先逃げ出すとか、どうなの。
「……あの、馬鹿王っ!!」
ユエから思わぬ乱暴な言葉が飛びしたかと思うと、脇目も振らずに走り出す。何時もの落ち着いた姿からは想像もつかない程の俊敏さにヒカルは呆気に取られ、思わず伸ばした手は空を切った。
「ユエ様!?」
「ユエ様があのような暴言を吐かれるとは珍しい…」
ヒカルはユエの言葉の変わり様に驚いたが、今まで静観していたレーウィスはぽつり、と呟いただけだった。そこに慌てた様子はなく、寧ろ艶然と微笑んでいるレーウィスにヒカルは驚いた。
「ですが、陛下にも困ったものですね。謁見の間は籠城できるくらい重厚かつ、隠し通路以外には侵入経路も存在しない堅固な場所なのですが…まぁ、陛下御自身はお強いですし、ご無事でしょう」
「レーウィス殿…?」
つまり、それは攻め込まれたらアウト!な場所ってこと?
いや、陛下、何でそんなところにいるのさ!?そりゃ、母さんが逃げろっていうよ…!
「さて、計画は変更ですね。ヒカル、行きましょうか」
レーウィスに背を押され、ヒカルは謁見の間に戻るように促された。冷静だが、本当にルゼノ王は大丈夫なのだろうか。
ユエ様が心配した要素は一体何だ?あと、計画変更って何のこと?王族護衛〈影〉のルーカス殿に何か指示したの?
見上げた先でレーウィスはとても嬉しそうな表情を浮かべていたが、ユエが走り出した瞬間には一瞬だけ泣きそうな顔に見えた。まるで、あの時のヘラーザのように。
レーウィス殿…貴方は何の為に、誰の為に、この計画を実行したの?
進む先に見える窓の外、夜空に浮かぶ月は孤独なように見えて、無数の星に囲まれている。人間の目には見えない所にも輝く星があるように、自分では気づかないものなのかも知れない。
ねぇ、ユエ様。どうしたんです?貴方は孤独な月なんかじゃないでしょう?
貴方が王である父親を尊敬して腹違いの弟妹を愛していたように、貴方も皆から愛されていることに気付いてないなんて、言いませんよね?
ユエ様が願う先に──理由は知らないけど──ユエ様と王弟と刺し違えるようなことがあったなら、泣く人は大勢いますからね?忘れては駄目ですよ。




