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元・奴隷の少年は王宮を駆け回る  作者: 水月
赤の王子
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捻くれ者と正直者

 カツン、と足音が反響する。苛立ちがそのまま足音に反映され、乱暴な音が辺り一帯に響いた。クラウディアは自室へ戻ろうと回廊を進んでいた。

 金糸が紡がれた絨毯が延々と続く回廊。窓から見える景色は鮮やかな青空と手入れの行き届いた緑の庭園。その中に自然界には存在しない『金色』が煌く。


「…ユエ兄上」


 クラウディアは庭園内にユエの姿を見つけた。それと同時にクラウディアの顔に苦渋の表情が浮かぶ。


「…また、スカイティアですか」


 ぽつり、と言葉が落ちる。ユエの姿を捉えると同時にレーウィスの姿を見つけた。レーウィスがいると言うことは、きっとスカイティアも傍にいる筈だ。


 胸が疼いた。傷がある訳ではない。けれど、確かに痛い。


 どうして、スカイティアばかりが特別なのか。クラウディアの髪色もスカイティアと同じように母親譲りなのに、ユエが気に掛けるのは『黒髪』のスカイティアばかりだ。


「……どうして、彼奴ばかりが…」


 ──特別なのですか?


 声にならない言葉が、想いが圧し掛かる。疼く胸を押さえ、服を握りしめた。


 虚しい。哀しい。寂しい。憎い。妬ましい。……羨ましい。


「どうして、スカイティアなのですか…」


 クラウディアは力なく壁に寄りかかると、崩れるように座り込んだ。ひんやりとした空気が冷たい石から伝わってくる。春を迎えたとはいえ、まだ冷える。


「俺は何の為に…誰の為に…生きているのですか」


 呟いて苦笑した。結論など出ているのに。


(……他人に依存して何になる)


 期待しても無駄だと分かっているのに、ユエに対する敬意だけは何時になっても消えなくて。それと同時にスカイティアに対する嫉妬は消える筈もなくて。


(いっそ、何処かへ消えてしまえば楽になれる……?)


 頬に触れる赤髪が視界に映り込む。それが忌々しくて、クラウディアの表情が歪んだ。

 第二王子として生まれ、今迄過ごしてきた生活は不自由なものではなかった。それでも与えられる物の中に欲しい物はなかった。

 癖のある髪を指で梳きながら、欲しいものは何かと己に問う。ユエの信頼か、愛情か。周囲の関心や信頼か。……どれも欲しい。けれど、それが満たされることはない。


 手に入らないから、欲しい。

 けれど、手に入らないと知っているから虚しい。


 胸にぽっかりと空いた穴を埋めてくれる何かを欲しているけれど、満たされることは永遠にない。手に入らないなら、望まなければいい。手に入らないと知っているなら、尚更のことだ。


(……それなのに愚かなものだ)


「──何をしていらっしゃるのです」


 不意に耳朶を打った声音に、クラウディアは弾かれるように視線を上げた。思案に駆られていたとは言え、人の気配に気づかなかったとは失態だ。クラウディアは身構えたが、それは一瞬で消え去った。


「……何だ、餓鬼か」


 クラウディアは深い溜息を吐いた。深青色の瞳に黒髪の少年──シ(・)ュ(・)ヴ(・)ァ(・)ル(・)ツ(・)と呼ばれていた彼だ──を捉えたクラウディアは少しホッとした。これが暗殺を企む輩なら既に命を絶たれていたのだ。……己の敵が多いことは知っている。

 クラウディアは、自分に呼びかけた少年の髪と瞳をじっと見つめた。何故、彼が此処にいるのかとか、クラウディアにはどうでもよかった。

 目の前の少年が、自分の姿を怪訝そうに――或いは心配そうに捉えているという事実さえ、クラウディアの目には映らない。彼の頭には、特徴的な彼の容姿だけで満たされていた。


(……黒い髪と、黒い瞳か)


 ルゼノでは珍しい髪色にして、有り得ない瞳の色。不吉の象徴とされながら、ユエが特別視する『色』だ。それが疎ましくて仕方ない。異母弟にも、目の前にいるこの少年にも非はないと理解しながら、自分が向ける視線も言葉も冷たいものだ。


 どうにもならないと知りながら。

 弟は悪くないと知りながら。

 それでも募る嫉妬が弟を傷つけている。


 ユエがスカイティアに向ける優しさが、クラウディアの中では冷たい感情になっていく。

 この少年は弟ではない。けれど、その髪色がどうしても弟を連想させる。

 弟へと向ける嫉妬や羨望を、ただ髪色が同じだと言うだけで同列に扱ってしまう自分が嫌になるというのに、感情を抑えられない自分に自分自身が冷めていく。


 『もし』と誰もが夢想する。ああなったらいいとか、こうなったらいいとか口にする。嘲笑いたくなるほど滑稽な夢すら思うことができる。


 もし……なんて思っても意味などないのに。

 もし、俺が『黒髪』だったら別の場所にいられたのかと、どうしようもない事すら考えてしまう。


「……お前の『髪色』は誰譲りだ?」


 クラウディアの問いに少年は首を傾げた。その子供らしい仕草さえ、クラウディアには憎らしく映る。ユエが特別視する弟とよく似ているそれが、一層憎悪を掻きたてた。


「……恐らく、母親ですけど」

「恐らく、か」


 クラウディアはククッと喉を鳴らして笑った。どうやら誰もが母親の血に運命を左右されているらしい。そんな歪な笑みを浮かべるクラウディアを、少年は静かに捉えていた。


「東洋の生まれか?」

「恐らく…」


 素直に応じる少年に「曖昧な答えだな」とクラウディアはまた笑う。母親と対立した後だからか、どうにも張っていた緊張の糸は切れてしまったらしい。


「……きっと、スカイティアの母君もそうなんだろうな」

「御存知なのですかっ!?」


 少年が驚いた様子で聞き返してくる。その反応にクラウディアは驚いて目を見開く。次いで、眼を瞬いた。


(……大事に、されているのか)


 スカイティアが自分に似たこの少年をぞんざいに扱うとは思ってはいなかったが、それを認識すると自分との差が浮き彫りにされている気がして、余計に腹が立つ。


「詳しくは知らない」


 クラウディアは居た堪れなさから逃げ出すように立ち上がった。踵を返したクラウディアの外套が翻る。早く、一人になれる場所へ帰ろう。

 一歩を進んだ。けれど、ツン、と引っ張られる感覚に足を止めた。違和感に振り返れば、白い外套を掴んでいる小さな手が見える。

 クラウディアは直ぐに理解できなかった。小さな手。それが少年のものだと理解するまで数秒かかった。


「何だ…?」


 クラウディアはその手を払うことなく問い掛けた。その小さな手を払い除けることすら、思い浮かばなかった。


「スカイティア様のことで御存知のこと、教えて下さい」


 真っ直ぐに見据えられ、黒い瞳が鏡のようにクラウディアの表情を映し出す。そこに映し出された自分の顔が酷く間抜けな表情をしているように見えてクラウディアは溜息を吐いた。


「…随分と無謀な事をするものだ。俺が『赤髪』とはいえ、王子の衣服に気安く触れるか」


 赤髪の王子とはいえ、王族である。王の血を引き、貴族の後ろ盾もある。……先程対立してきたばかりだけどな、現時点では消えた訳ではない。

 まぁ、兎に角、王子に対して誰がこのような行為を働くものか。一歩間違えれば、首が飛ぶ可能性もあるというのに。


「…おかしな子だ」


 馬鹿なのか、度胸があるのか。どちらにしてもクラウディアの周りにはいない類の人間だ。

 少年は呆気に取られたように呆然とすると、眼を瞬いた。黒い瞳に映った自分の像が消えてはまた現れる。


「…スカイティア様にも言われました」

「……そうか」

「で?」


 少年はクラウディアをじっと見上げた。王子に返答を催促する者も珍しい。……阿呆なのか。


「…本当におかしな子だな」


 ふっと、思わず笑みが毀れた。クラウディアの表情の変化に少年は目を丸くする。


「…何だ?」

「やはりご兄弟なのだな、と思いまして」

「……スカイティアに似ていると?」


 少年の言葉が誰を指しているのか聞かなくても分かった。スカイティアの傍にいるのだから、そうに決まっている。しかし、少年の返答にクラウディアは驚いた。


「それにユエ様にも」

「……俺が、兄上に?」


 クラウディアは笑った。一体今までに誰が兄弟と似ているといっただろうか。

 兄弟とはいえ、誰一人同じ母親から生まれた者がいない王宮で、野心が見え隠れするこの王宮で一体誰がそんなことを口にするだろうか。

 そう思うと、笑いが止まらなかった。少年を捉えれば、何が可笑しかったのか、と不思議そうに首を傾げた。


 何も知らない。何も関係がない。

 だから、この少年は思ったことを口にする。


「……なぁ、お前の名前は?」


 思わず、口にしていた。途端に少年の表情が怪訝そうに歪んだ。先日、奴隷に名前など必要ないと言ったことが原因だろう。……後々呼ぶのに不便だということは分かった。


「…あるとお思いですか?」

「スカイティアが名付けたにしろ、本名にしろ、あるだろう?」


 あの後、スカイティアが少年の名前をどうしたか知らない。けれど、スカイティアが奴隷商館で呼ばれていたという『シュヴァルツ』という名を使うとは思えない。


 少年は眼を瞬くと、次いで気が緩んだかのように無邪気にふにゃり、と笑った。……何だ、その顔は。何故、嬉しそうなのだ。俺の前で、お前は何故笑う?


「当ててみて下さい」

「何……?名を当てろとは難しいことを言うな」


 クラウディアは眉を顰めた。赤髪を指で梳きながら苦虫を潰したような表情を浮かべたクラウディアに、少年はにんまりと笑った。


 ……意地が悪い。悪戯盛りの年頃か。それにしても王子に仕掛けるとか、馬鹿だろう。一歩間違えれば不敬罪で首が飛ぶぞ。


「――ユエ様は当てられましたよ」


 ユエの名を聞いて、クラウディアの眉が動く。


 ……兄上にもやらせたのか。何やっているのだ、此奴は。ユエ兄上も何故付き合うのです……しかも、当てたのですか。流石です。


「…お前は本当に…」

「おかしな子でしょ」


 もう何度も聞きました、と少年は笑う。それがクラウディアには不思議だった。悪印象しかなかったであろう自分に、この少年は自然に笑う。半月を画いた黒い瞳に白い光が揺れ動き、黒髪に光の輪が浮かぶのが見て取れた。


(あぁ、そうか……)


 クラウディアは呟いた。黒は光を多く集める。金に輝く髪よりも、髪に反射してできる輪は黒髪の方が美しく映る。


 何処かで見たことがある、か?この光景。


 クラウディアは『黒髪』を間近で見たことがない筈だ。弟のスカイティアを避けていたから。

 それなのに何処か既視感を覚える。微かな違和感を覚えながらも、クラウディアは目の前の問いを向きあうことにした。


(…ライト…リヒト…)


 ユエが口にした単語はどちらも『光』を意味する。


(ヒカリ…ヒカル?)


 東洋の言葉でなら、と思った。


「……ヒカル」


 思った単語を口にすれば、少年の眉間に皺が寄った。余程遠かったのかと思えば、深い溜息を吐かれた。


「何で、一回で当てるのですか」


 ……どうやら当たったらしい。クラウディアは思わず破顔した。


「…お前の方が弟にそっくりだ」


 気が緩んだ。まるで猫か何か、小動物を撫でるかのように少年──ヒカルの頭に触れれば、驚いたのか、彼は目を丸くする。黒い髪を乱暴に掻き乱すと、クラウディアは満足して破顔した。


「…黒髪は御嫌いだったのでは?」


 髪を乱され不機嫌になったかと思えば、ヒカルはきょとんとした表情で問う。……乱れた髪も相まって間抜けだ。


「今更だな…スカイティアを嫌うのは黒髪が理由じゃない」

「…ユエ様が特別だからですか?」

「スカイティアから聞いたのか…お前に嫉妬という感情が分かるか?」


 苦笑を浮かべたクラウディアは窓辺に腰かけ、揶揄するように笑う。


「……馬鹿にしてるのですか?」

「そう聞こえるか……ユエ兄上は俺にとって特別な人だった。赤髪でも認めてくれた特別な人だから、誰にも取られたくなかった……子供のようだと思うが」


 どうにもならないんだ、とクラウディアの顔に苦笑が浮かぶ。眇められた双眸は庭へと向けられ、東屋にいる金髪の青年を映した。


「スカイティア様はクラウディア様と仲良くしたいと思っていらっしゃいます」


 少年の言葉に、クラウディアは一瞬面食らったように眼を見開くと、次いで苦笑を浮かべた。眉尻を下げ、深青色の瞳が半月を画く。


「何故?」

「何故って……?」

「スカイティアには散々な態度を取って来たんだぞ?何故、今更仲良くしたがる?」


 クラウディアには理解できないものだった。クラウディアはずっと人の悪意だけを見て来た。嫉妬や陰口、陰謀を企てる者。そんな人に嫌悪を抱き、避けて来た。それは、スカイティアにとっての自分であるということも分かっている。


 ──俺なら、そんな奴とは縁を切りたいがな。


 敵意しかないのなら二度と姿を見たくもない。自分の考えを他人に押し付ける気など毛頭ないが、スカイティアの考えは理解できない。


 ……俺に執着する理由など、ないだろう?


「兄弟だからでしょう」


 ヒカルの目は相変わらず真っ直ぐにクラウディアを映している。苦笑を浮かべていたクラウディアは二、三度瞬いた。……兄弟だから?


「兄弟は俺だけではないぞ。他にいくらでもいるし……何より、ユエ兄上がいらっしゃるじゃないか。孤独を気にするなら、ユエ兄上を頼ればいいじゃないか」


 言いながら、自分で自分の首を絞めているな、と思った。

 ユエがスカイティアを気に入っているから、最初から自分の入り込む場所がないと分かっていたから、二人が一緒にいると孤独を感じるのだ。

 だからスカイティアに冷たく当たっているのに、尚更自分が孤独になるように仕向けているのだから馬鹿らしい。どうしようもないな、という呟きが音にならないまま波紋を広げた。


「家族なのに随分と冷たいですね」


 睨みつけられたクラウディアだが、少年に睨みつけられても痛くも痒くもない。


 ……家族、家族……ねぇ。王族を家族という言葉でまとめるなんて、なんて幸せな頭だろうか。


「元々冷たい奴が急に優しくなったら気持ち悪いな。信用できん」


 捻くれていると、我がながら思う。けれど、そう育てたのは、間違いなくあの母親だ。

 責任転嫁?何とでも言ってくれ。歪んだ性格は簡単には矯正できない。


 ──歪んだ自覚がある。だから、余りにも正直なこの少年は愛されて育ったのだろう、と思うと、ほんの少し羨ましかった。

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