第二王子は赤髪王子
第二王子クラウディア視点から始まります。
──綺麗な髪だね。
鈴の音に似た声音が優しく鼓膜を揺らした。声がした方へと視線を向ければ赤い髪が揺れる。視界一杯に広がった『赤』が消えると、自分とは異なる髪色の少年が微笑んでいた。王族らしい金色に輝く髪は陽光に照らされて一層輝きを増している。
──ユエ兄上。
『赤髪』の少年が『金髪』の少年を呼ぶ。
──貴方の髪色は…。
◆◇◆◇◆
「……何時の夢だ」
ぼやけた世界が鮮明なものへと変わる。
クラウディアの視界には白い天蓋が映った。金糸を紡いだ瀟洒な模様。描かれる全てが金糸で、実に金を美しいと讃える国らしい。部屋の至る所に金をあしらった家具が設えられ、この部屋の価値だけでも庶民の家の二、三軒分にはなるだろう。
寝台から身体を起こして自嘲気味に笑えば、扉を叩く音がした。壁の時計に目をやれば、何時もの起床時刻だ。
「クラウディア様、ご起床のお時間でございます」
決まりきった文句で侍女が時刻を知らせる。代わり映えしない毎日。
「……起きている、下がれ」
普段であれば侍女を食事所まで伴わせるが、今はそんな気分ではなかった。
けれど、部屋の向こうにいる侍女の気配が消えない。
「クラウディア様…」
「何だ!」
起きるのも面倒で声を出すのは以ての外だったが、苛立ったせいで声が荒れた。
「…ク、クラウディア様、本日のご朝食にはカトリーナ様が御一緒に召し上がると仰っております故、お早くお願いいたします」
委縮した侍女の声が扉越しに聞こえ、クラウディアは眉を顰めた。
「母上が…?」
カトリーナとはクラウディアの母の名だ。『赤髪』でありながら王宮に召し上げられた女で、クラウディアの『赤髪』を快く思わない人間の一人である。
クラウディアは布団を握りしめ、舌打ちした。
「ク、クラウディア様…?」
「直ぐに行く!」
何度も名を呼ばれることに苛立ちを憶え、乱暴な応答を返したクラウディアは手早く身支度を済ませた。
瀟洒な意匠の扉を乱暴に開けると、その瞬間に鈍い衝撃と侍女の悲鳴が聞こえ、クラウディアは舌打ちをした。侍女が扉にぶつかったのだ。
クラウディアは侍女を見下ろした。侍女の目が見開かれると同時に顔色が青褪めていく。その様子が、クラウディアの瞳に映り込んだ。彼女が主人の不興を買ったことで怯えているのだと一目で分かった。
チッ、と無意識に舌打ちをする。侍女の顔が一層青褪めた。
「…鈍間が」
クラウディアは乱暴に言い放つと、侍女を押し退けて食事所へと向かった。
金糸が紡がれた絨毯に沿って進めば、回廊の奥に巨大な白い扉が見えてくる。金色で画かれた紋が窓から射し込む陽光に輝いている。
扉の向こうには贅の限りを尽くした広間が広がっている。大理石の床の上に赤い絨毯が敷かれ、壁には絵画が飾られている。広間にあるのは十人掛けの広いテーブルで、毎朝一人で食事を摂るのがクラウディアの日課だ。
しかし、本日は日課通りにいかない。侍女の言葉通り、十人掛けのテーブルの一席には既に中年女性が座っていた。柳眉に切れ長の双眸、白い肌に赤い唇。中年とはいっても、なかなかの美姫である。
緩い波がかった長い金髪を背中に流し、金や銀、真珠、その他様々な宝玉で着飾った母親──カトリーナだ。深青色の瞳は長い睫に侵されながらも陽光に輝き、まるで蒼玉のようである。
「…おはようございます、母上」
クラウディアの呼びかけに、カトリーナは視線だけで応じた。
頭を垂れたクラウディアを不快そうに一瞥すると、カトリーナは素っ気なく座るように促した。カトリーナと向かい合う形に用意された席にクラウディアが座ると、カトリーナはグラスを手に取り、無言で食事を始めた。クラウディアも母に倣い、無言のままフォークとナイフを手に取った。
「……何の御用ですか」
一口咀嚼し、クラウディアはカトリーナに問いかけた。クラウディアの切れ長の深青色の瞳は嫌悪がありありと浮かんでいる。
カトリーナはグラスを傾け、クラウディアを見据えた。深い海を思わせる蒼がクラウディアを映し出すと、柳眉を顰めた。
「母が息子とともに食事をすることに理由が必要か?」
「……何もないとは仰らないでしょう?」
母親の返答に、クラウディアは訝しんだ。この女が用もなく顔を見に来るなど有り得ない。クラウディアの答えは遥か昔から出ていた。
(この『髪色』を見に来たなどとは仰らないでしょう?)
生まれ持った『赤髪』を嫌がり、脱色して金色に染め上げた貴女が。
貴女自身が嫌悪して捨てた赤髪を持つ息子に会いに、理由もなく来る筈もないと分からないほど、俺がまだ子供だとお思いで?……まぁ、あと七、八年くらい前なら希望を持っていたかもしれないけれど。
心の内で侮蔑の言葉を。
カトリーナが溜息を吐くと、髪に結わえられた宝石が煌いた。
「今宵、陛下から何やらお話があるとのこと」
「陛下、から…?」
クラウディアは眼を見開いた。
王族が揃って食事をすることは余りない。何かしらの催しや公表前に知らせる必要性のある時に、王族が挙って晩餐で席を囲む。つまり、重大な発表がある可能性が高い。
王子であるクラウディアよりも先にカトリーナが知ったということは、実家であるシーザス公爵家からの情報だろう。何時だって、この女の実家は権力を欲しているのだから。
……俺はただの駒。この女を国母にするための傀儡であればいいと、そう思われている。
クラウディアの反応を面白そうに窺うカトリーナは、紅を差した口角を吊り上げた。……あぁ、まだ話があったのですか?
「それ故、お前にも話しておこうと思ったのだ。その内容によっては我々の利益になろうぞ」
上機嫌なカトリーナにクラウディアは「そうですか」とだけ返した。会話は終わったとばかりにクラウディアが食事を再開すれば、カトリーナも何食わぬ顔で食事を続けた。
「…近々、ユエ王子殿下が近隣の街へと赴くそうだ」
不意にカトリーナの言葉が耳朶を打った。クラウディアの眉がぴくり、と動く。
「何故、そのような予定に?」
「さてね…あの王子は何を考えているか分からぬ。クラウディア、あの王子との距離に気を付けよ」
「…距離、ですか?」
繰り返して問うクラウディアに、カトリーナは眉を顰めた。眉間に浮かぶ縦皺がカトリーナの苛立ちを確りと表している。
カトリーナが抱くユエに対する感情は、今は亡き正妃レノン──第一王子ユエの母親──へ向けていた感情の延長だろう。欲してやまない美しい金髪を持ち、王の寵愛を最初に得た女の忘れ形見が、当時の正妃と似通っていれば、嫉妬せずにはいられないのだろう。
(……変わらない)
クラウディアは密かに嘆息した。どれだけの時間が経とうともこの母親は変わらない。変わろうとしないのだから変われる筈もない。
──あぁ…それは俺も、か。
思い至って、内心自嘲する。
昔から歪な形の親子だと思っていても、この母親を如何にかできるとは思っていなかった。クラウディアはそんなことを思いながら、グラスに口を付けた。
グラスを呷る息子を、カトリーナは柳眉を顰めたまま見据えた。
「ユエ王子殿下と慣れ合うなよ」
「慣れ合うな、ですか」
ぴくり、とグラスを持つ手が震えた。クラウディアは素知らぬふりをしてテーブルにグラスを戻す。
「当然だ。私の家の利益を損ねる王子と、私の息子であるお前が親しく見えれば、どれだけの不利益を齎すのか、お前も分かっていよう」
カトリーナの実家はルゼノの中でも名家である。しかし、カトリーナは『金髪』でない故に風当たりの強い日々を送って来た。家の対立を含め、敵が多いことをよく知っている。
……彼女は本当に俺を駒としか、自身を国母とする為の、ルゼノ王陛下との子供としか見ていない。
「…結局は御自分の為ですか」
ぽつり、と呟かれた言葉にカトリーナは眉間に皺を寄せた。
図星を突かれて表情が崩れていますよ、母上?
皮肉も罵りも、貴女のお得意とすることではないですか。あぁ、ヒステリックに騒ぐのはやめてくださいね、耳障りなので。
そうそう、ご自分より下に見る者から事実を言われることは気に障りましたか?誇れるものなど多くはないでしょうに、その傲慢なまでの矜持だけはご立派だから。
「……何れはお前の為になることだ」
そう断言するカトリーナに、クラウディアは母親譲りの形の良い眉を顰めた。カトリーナにとって疑いようのない事実も、クラウディアにとっては酷く勝手なものだった。
誰の為だって?俺の為?……ご冗談を。
貴女は俺を王にして、国母になることで貴女自身を蔑んだ輩を見返したいだけでしょう?
蔑まれた恨みを日々、俺にぶつけてくる癖に、まだ足りないのですか?醜悪ですね、本当に。
「……貴女に似たこの『髪色』を、貴女が一番蔑んだのに……今更、私の母親気取りですか?冗談も大概にしてください、馬鹿馬鹿しい」
努めて冷静に振舞った心算でも、やはり日々の嫌悪と憎悪は隠せない。
ガタン、と椅子が倒れることも構わずに、乱暴に席を立ったクラウディアをカトリーナが呼び止めた。テーブルに両手を付いたカトリーナの唇はわなわなと震え、これ以上の侮辱はないというようにクラウディアを睨みつけている。
どれだけ着飾ろうと、どれだけ容姿が整っていようと、結局、腹の黒さは隠せない。
クラウディアはカトリーナを冷やかな眼差しで捉えると、冷淡に言い放った。
「二度と食事をともにするなどと、冗談を仰らないで頂きたい。それと、貴女の家のお世話になる心算は毛頭ないので」
母親とは二度と呼ばない。そう決めた。
「何を馬鹿なことを…後ろ盾がなければお前は王にはなれぬ!」
カトリーナの言葉が耳に届いても、クラウディアは振り返らなかった。振り返る、価値もない。
クラウディアの一定の歩調だけが辺りに響いた。
──誰が、王になりたいと言った?
貴女は『赤髪』を、貴女自身を蔑んだ者達を見返したいだけだろう?今は憧れてやまない金髪を手にしたとしても、元の色は知られていますものね。
その為に利用されるなど御免だ。俺が何の為に政や武術に励んでいると思う?
全ては、俺自身を見てくれたユエ兄上の為だ。
俺を駒としてしか見ない貴女は、俺にとって価値のない存在なのです。
必要ないモノは切り捨てる。……ほら、貴女と同じでしょう?
貴女は赤い髪を捨てたのですから。




