月の計画
喫茶店で伯父と母と別れたヒカルは、急いで城へと向かった。途中で、顔見知りになっていた警邏兵──第二王子クラウディアの崇拝者らしい──に会って、道が混雑しているから迂回した方がいいと案内された道は普段よりも遠回りにはなったが、雑踏に埋まることもなく助かった。
(……うん、物凄く遠回りにはなったけど、揉みくちゃにされて更に時間が掛かるよりマシだ)
一本上の高台にある道から見下ろした王都は黒山の人だかりと言うべきか、普段の道筋を辿っていたら帰るまでにどれだけ掛っただろうという位の混雑具合だ。王都に立ち並ぶ建物は高く聳え、隣町の催しの影響か、何時もよりも多くの照明の灯が街路を照らしている。道行く人の身形は煌びやかで、華やかな世界が広がっていた。……賑わいは、自分とは関わらない距離で見るに限るよね。
城下の街並みを暫し見下ろし、王城に着く頃にはすっかりと日が暮れて闇が空を覆っていた。
「うわぁ…もっと早く戻れると思ったのに」
ぼやいても時間は巻き戻らないし、普段と異なる状態の裏通りで滅茶苦茶にされるよりいいと判断したのはヒカル自身だ。
「スカイティア様、心配してるかな…?」
ヒカルはぶつぶつとぼやきながら王城の内へと入った。衛兵に見つからない通路を──第四王子宮殿を通り抜ける為、王子には許可を得ている──教えてくれたのはユエだが、こうした道は何度も使用していいものではないだろう。……使用は止められないけど。
自分の行動の非常識さ──身分的問題と人間の常識的──に遠い目になる。薄暗くなった空を、そして王城を見上げた、その時だった。
ドオォォォン!
大地を轟かすような爆音が響く。揺れる大地に立っていられなかった。辺りを見回せば、少し離れた館から黒い煙が上がっている。
「何が起こって…!?」
驚いたヒカルは人の気配を感じ、一先ず茂みに隠れた。春を迎えた庭園には何処にも緑が生い茂り、隠れる場所は幾らでもある。
(賊か?いや、王城を破壊する賊なんて…)
貴族の屋敷なら兎も角、盗賊が王城に侵入するなんて危険度が高すぎる。政治犯か?などと思考を巡らせていると、数人の人影が──槍を持った衛兵が駆けて来る。ヒカルは隠れたまま様子を伺った。賊や政治犯ではないヒカルには関係ないが、髪色が髪色だけに隠れるのは最早癖とも言える。
「いたか!?」
「いや、先ずは消火に当たれ!…まったく、何時もみたいに引き籠ってりゃあいいのによ!」
「言えてるな、何でこんな日に限って部屋から出てるんだよ、あの黒髪王子は…!」
衛兵達には軽口を叩く余裕があるようだが、苛立ちの滲んだ声音には王子に対する敬意は見られない。軈て幾つかの会話を経た衛兵達は移動し、ヒカルはその衛兵の後ろ姿を見送ると踵を返した。
(スカイティア様がいない…既に脱出したということか?レーウィス殿なら、真っ先に状況把握して脱出させるだろうけど…)
レーウィスは今朝早くからユエの元へ行った筈だ。その代わりに誰かしらユエの配下の者が第三王子の王宮に着いているだろう。それならば、あの衛兵達は何故スカイティアを捜しているのか。この状況で連絡が滞っているのか。
誰とも知れぬ者達の会話は俄かには信じられず、一先ず第三王子の宮殿を目指すことにした。スカイティアが居そうな場所を手当たり次第に探す心算だ。
第三王子の王宮へと向かう道すがら、幾ら進んでも人影がない。爆発に愕いて皆が逃げたのだろうか。人気がないなら却って有り難い。心置きなく主人を探せる。そう思った矢先、複数の影を見つけた。
「見つけたか!?」
「第二王子の宮殿にも第三王子の宮殿にも、王子達の姿はありません!」
人影の会話は宮殿に誰もいないことを示すが、ふと会話が途切れてヒカルがいる方へと視線が走る。
「そこにいるのは誰だ!?」
向けられた視線と声に、ヒカルの心臓が跳ね上がる。その視線と声音に何故だか捕まっていはいけない気がした。本能だろうか。味方ではないと感じたヒカルは背を返して走り出す。逃げて、隠れて遣り過ごさなくては、と何処か奴隷狩りに遭った時と同じ感覚を抱く。
自分が何処へ向かっているのかも分からないまま、兎に角追手を撒くことだけを考えて適当な回廊を反れる。此処が何処で、何処へ行けば逃げ切れるのか。当てもなく彷徨った、あの頃と似ている。
「…んっ!?」
何処かの回廊を曲がった所で、突然身体を誰かに抱き上げられ、足が浮いて口を塞がれる。しまった、と思うと同時に足をバタつかせるが、聞こえた声が既知の人物であることに愕然とした。遠くで「何処へ行った!?」とヒカルを見失った声が聞こえる。
「──落ち着いてね」
ヒカルを抱き上げていたのは、王弟子息ユオルディーラだった。暗がりでも輝く金の髪から覗いた深青色の瞳が弧を描いて、サファイアのように輝く。ヒカルを追う者の声が聞こえなくなって、漸くユオはヒカルを床に下した。
「何で此処にって聞くのも、おかしいかな?ユエから何も聞いていない?」
「何を、ですか?」
ここ数日、ユエとは会っていない。今朝はレーウィスがユエに仕事の手伝いで呼ばれていると聞いただけで、その後は伯父と母の待ち合わせの為に城を空けていた。……そういえば、迂回したせいで帰城時間が遅れたな。心配しているだろうか。
「そっか…時機が悪かったな。今、ルゼノの北西からマーシャンドが攻めてきている」
「は?」
「それと同時に、王弟が反乱を謀った」
「へ…!?」
とんでもない内容を告げるユオに面食らいながら、ヒカルは現状を理解しようとした。
現在マーシャンドが攻めて来ていて、王城は王弟が謀反を起こしている。その二つの問題が同時に起こっているとすれば、答えは簡単だ。
「つまり、王弟はマーシャンドと手を組んでいたんですか?」
「理解が早くて結構」
「王位を諦めていないって、本当だったんですねぇ」
「ね?愚かにも程があるだろう。どうして、あれらが俺の両親なのかな」
溜息を吐く王弟子息。バカ親だと扱き下ろす辺り、ユオは謀反とは関係なく、寧ろ王弟の愚行に呆れつつ鎮圧に当たっている側なのだろう。
「ま、それを利用して王宮から王弟一派を始末する心算でいるユエもユエなんだけどさ…」
「あぁ、謀反になることを察知していたんですね」
見た目はお伽噺の王子様、中身は為政者の王子様の第一王子ユエルディーネ様は、相変わらず有能かつ効率的な計画を立てる策士でございましたか。
「スカイティア殿下とクラウディア殿下は王宮外に出ている。あの二人は反乱が収まるまでライゼルスで匿われるよ」
「え…」
「この前のライゼルス派遣はね、この事態を想定した上なんだよ」
思わぬ国の名が出てきたと思えば、その説明がすんなりと腑に落ちた。
ライゼルスは国の膿を出す為にルゼノの王子を囮にした。ルゼノ側の『髪色の異なる王子二人の今後を見定める為』という理由では、随分とライゼルスに重きを置いた取引──当時は、それだけ差別が根付いているからこその強硬策──だと思っていたが、次に繋がっていたのか。
「詳しいことは後で聞いて。今は脱出することだけ考えてくれる?俺も、まだやらないといけないことがあるからさ」
内乱が起きている状況でスカイティア達がいないとなれば、ヒカルが王城にいる意味はない。寧ろ存在するだけで足手纏いだ。
「では、城下にいますね」
「ごめんな、鎮圧したら迎えに行くから」
王弟子息直々の迎えは止めて。
そんな内心はさて置き、方向性が決まれば後は決行するのみ。
「そこにいるのは誰だ!?」
「見つかったか、急いで」
槍を持った衛兵──ユオの視線が鋭くなった辺り、王弟一派だろう──が此方に向かって来る。ユオは腰に刷いた剣を抜き、迎え撃つ心算のようだ。ユオに背中を押され、ヒカルは戸惑いつつも走り出した。
「──てか、此処は何処だ!?」
ユオに背中を押されるままに走り出したからか、それ以前の逃げ道が問題だったのか。恐らく後者だ。ヒカルの周囲には記憶にない回廊が続いている。しかし、此処から戻ってもユオの足手纏いだろうと思えば、兎に角城外への脱出を優先するしかない。
一本道を走る。その先に回廊の先に一際大きな扉が見えた。荘厳な意匠が施された扉は何処か威圧的だ。ヒカルは扉の前で足を止めた。分厚く頑丈そうな扉だ。その扉からして、何かしらの重要な部屋だということが分かる。
(外の景色が見えれば、方向が掴めるかな)
奥詰まった場所に来たことは理解しているが、兎に角、現在地を把握したい。明らかに豪奢な門構えな部屋に許可なく入る罪悪感と恐怖に暫し逡巡した後、ヒカルは扉に手を掛けた。重厚な扉は軋む音を発て、その部屋の全貌を明るみにする。太い柱が並んだ部屋──此処は、恐らく王の謁見の間だ。爆破の被害が及んでいない部屋は豪奢な飾りに彩られ、国の威厳を感じさせられる。
「お邪魔します…」
窓から外が見えたら即退散!と思いながら、万一にも他人がいたら不味いという恐怖を抱きつつ足を進めた。
王弟一派に見つかったら厄介だ。どう見てもあの王弟は『金髪至上主義』だ。いや、ただ『黒髪』が嫌いなのか。その割にはマーシャンドと手を組んでいるみたいだけど。……見下してるのかな、相変わらず。
先王妃の息子であった、次代の王になる筈だった王弟が、異母兄に負けて玉座を奪われた。その敗因が、異母兄が友人として迎えていた〈黒の予言者〉だと思っているのだろうか。
戦は情報戦ともいわれる時代だ。武力さえあれば勝てるというものではないし、『王』という存在はその個人の能力に左右されるだろう。その中には有能な配下を持つことも含まれる。王弟とて、それなりに配下を持っているからこその、この謀反なのだろう。
いや、甘い汁を吸いたいが為の私利利欲の配下って、役に立つのか?……あ、役には立っているのか。今の謀反だってそれなりに協力者がいなければ成り立たないし。
聞く限り、王弟が王の資質に欠けると判断された理由は、恐らく『王になることを約束された存在であるが故に甘やかされたこと』も理由だろう。勿論、王を自分の傀儡にしたいという理由で愚鈍な王を望む者もいるだろうが、先王はあくまでも国を考えていたということか。
でも、それならさっさと王籍から外せばよかったのでは?と一般市民の俺は思うけど。
それにも、政治的な理由があったのだろう。愚鈍だというだけで王族の籍は抜けさせられなかったのか、多少のことは目を瞑ってでも王家の血を残したかったのか。……ユエ様曰く「王位継承権を持つ王族は少ない」から、そういった面もあるのだろう。
世の中はままならないなぁ、と自分の人生及び周囲の人間の人生も含めて溜息を吐きたくもなる。
「──早く此処から逃げてって言ってるじゃない」
不意に、不機嫌そうな女性の声が耳朶を打つ。その声には聞き覚えがあり過ぎて、ヒカルは「まさか」と目を瞠った。
「お前も強情だな…」
その言葉に返す声にも聞き覚えがある。
「…陛下、貴方が此処で待つことに何の意味があるのです?せめて別の場所で待てばいいでしょう?……私は、まだヒカルに貴方のことを紹介していないの。父親と名乗る心算は、貴方にはないの?」
『陛下』…そう、この声はルゼノ王の声だ。
そして、その王と対峙するのは──。
「…母、さん?」
「ヒカル…!?」
ヒカルの姿を目にした女性──ヒカルの母レイは目を丸くして呟いた。彼女は喫茶店で別れた後、てっきり間借りしてるという友人宅に戻ったと思っていたのに。
「どうして、此処に?」
「母さんこそ、どうして王宮に?」
怪訝に眉を顰めるヒカルに、ヒカルの母親であるレイは困ったように眉尻を下げる。
ヒカルは視線を転じた。母親の視線の先にいるのは、確かにルゼノ王その人だ。少し日に焼けた肌に皺は少なく若々しい。重厚とは言えない体付きに纏うのは高価な衣だ。
「……ヒカル、父として会うのは初めてだな」
王の青い瞳がヒカルを捉える。氷のように冷めた、熱のない眼だ。何処かユエを彷彿させるのは、やはり父親だからだろうか。
「父親…?ルゼノ王陛下が?」
「あぁ、レイが身籠ったと知らなかったから、今まで認知できなかったが…」
『ヒカルの父親はルゼノでも高貴な人』……そりゃ、国王となれば高貴な方だよね。紹介が雑だよ、伯父さん。
愕然としながら、それでもやはり実感が沸かない。ここ数日で色々とあり過ぎた。
「いえ、そのことは後でいいのですが」
「あぁ、そうだな…お前はこの計画を知っていた訳ではないだろう?レイ、ヒカルを連れて行け」
「だから…この頑固者!バカ!」
母さん、少々王様に対して言葉遣いが荒いと言うか。それを許してるのは、公的ではなくて私的な間柄だから?
「レイ、ユエルディーネに加担しているのか?それなら尚の事、私は残らないとならないのだが」
「まさか!あんな計画に乗れますか!」
「じゃあ、どういう訳だ?ユエルディーネの計画は…」
「ちょーっとストップ!」
王の話に割り込むなど無礼千万。しかし、これは聞いておかなくてはならない。回廊にいた衛兵は不審者の取り締まりを──王弟一派の行動と、それに対する王家が対峙──している中、大臣など側近の姿は何処にもなかった。早々に逃げ出したことは明白だ。
どうして?王の安全は自分の身より大事なものだろう?王が倒れれば、王弟が玉座に座ることになるのに…!
「私を捜しているのは、王弟一派だろう。私の首を取ってあの愚弟に献上すれば、地位が約束されるとでも思っているのか…」
それは、王の側近に就いていた筈の者達さえ、王を軽んじていると言うことか。
ルゼノ王は外を眺めながら、まるで他人事のように呟く。熱のない瞳が、先程よりも広がった火の気が王宮に近付いているのを眺めていた。
「レイ、ヒカルを連れてそろそろ行きなさい。言いたいことは言っただろう?危ないぞ…そろそろあのバカが見当をつけて、私を討ちに来るだろう」
「勝手に決めつけないで頂けます?言いたいことはまだまだありますわ、陛下……ヒカル、先に安全な所に行きなさい」
「でも…!」
行くなら一緒に、とは続かなかった。レイは微笑み、ヒカルの前に屈み込んで視線を合わせる。
「ごめんなさいね、復讐計画が始まった以上、やり遂げたいの。後で全部話すから」
母と伯父の、マーシャンドへの復讐計画。それは王を愛し、王の子供を産んだ一人の女性として、王を軽んじ貶めようとする勢力が許せないからなのか。我が母と伯父ながら豪胆と言うか…「愛の力は偉大だ」と何処かの誰かが言っていた気がするけど。
微笑む母にヒカルは背を押され、ヒカルは渋々部屋を出た。王族の隠し通路はどうせ王弟一派が固めているだろうから、お勧めしないと言われた。
妙に冷静だな、王様。計画を知っていた上で、あの場に留まる意味があるのだろうから、まぁ心配はしないけど。あのユエ様の御父上だし。……あ、俺の父親でもあったか。複雑すぎるわ。




