革命の序章
『──他の色だと、どんな性格なの?』
ヒカルが情報屋を兼ねているという喫茶店のマスターから教えて持ったのだという心理テストは、選択した色で隠れた性格が見えるという、ありふれてはいるが好奇心をそそる内容だった。
身近な人間が選んだ色を一通り解説し終えた後、自分達が選ばなかった色について、ヒカルに尋ねてみた。
『──を選んだ人はですねぇ』
紙に書かれた解説を読みながら、ヒカルの表情が気難しくなっていくのが可笑しかった。
──今思えば、その色は俺に相応しかったのかもしれないけれど。
クツリ、と喉を鳴らすような笑い方。
俺は、大人っぽく見せたかったのだろう。子供っぽいと思われたくなくて、我儘だと思われたくなくて。
感情を抑え込んで、それが彼の為だと思って。結局は傷つくことを恐れて何も聞けないまま、聞こえていた声にちゃんと返せていたのかも分からない。
手放してから後悔しても遅い。それでも、手放さない為にできることなんて思いつかない。
こんな自分を選んで貰えると驕れるほど、俺は己惚れてはいないから。
手放した後悔も、家族との再会を喜べない罪悪感も、全て抱えて生きていくから。
せめて、何時か。また会えるように、と願っていもいいだろうか。
◆◇◆◇◆
赤い陽が傾いて床に伸びる己の影が次第に長く、薄くなっていく。
「ヒカルは、母上とちゃんと再会できたかな…」
スカイティアは第三王子の宮殿の窓辺に腰かけ、ぼんやりと呟いた。
珍しく慌てた様子で部屋を出て行ったヒカルに返事も漫ろになっていたが、あれからどれ位の時間が経っただろうか。
三日前の記憶を辿りながら、スカイティアは何度も溜息を吐く。
ヒカルの伯父を名乗ったルイという壮年の男の登場に、ヒカルは嬉しそうだった。珍しく目を見開いて、子供っぽい表情の変化を見せて。本当なら、もっと沢山、変わっていったのだろう。それこそ、大事にしてくれる家族の元でなら。
伯父だという相手の男性は成る程、ヒカルに似ていた。黒髪に黒い双眸が印象的で、何処か神秘的な印象さえ抱かせられた。
そのよく似た雰囲気に、家族とはこういうものかと、そう思った。ヒカルの伯父と母親は、ヒカルを探して各国を回っていたと言うのだから、尚驚いた。
(凄いな…当てもない旅だっただろうに)
スカイティアはぼんやりと空を見上げていた。視界に映り込む空は格子がついた窓を通したもので、まるで檻の中のようだ。スカイティアは自分が籠の中にいる鳥のように思えた。
何時からだろうか。そんな日々に諦めもついて、空を見上げては海を眺め、何処か遠くにあるだろう書物の中の国々を思い浮かべていた。
それなのに、今思い浮かべるのはたった一人加わっただけの、変わらぬ王宮の中。ヒカルという少年が加わっただけなのに、この第三王子の宮殿は酷く賑やかになった。
幼い子供がたった一人で壊したスカイティアの狭い世界の壁は、開けてみれば広く優しい世界で、誰より守られていたことを知った。
思わぬことを気づかせる、自分よりも幼い少年はその年に不相応な程に酷く大人びていて達観した様子なのに、時折子供じみていている様も見せる。くるくる変わるその表情の豊かさに、自分がつられて表情が変わって行くのが分かった。
そんな思考にふっと自嘲めいた笑みが零れた。
「──スカイティア? 何、辛気臭い顔をしている」
不意に耳朶を打った声音にスカイティアは眼を瞬いた。顔を上げれば、そこには知らぬ間に部屋に入って来ていた異母兄──クラウディアの姿があった。
「どうした?レーウィスが兄上と出かけているとは聞いたが、ヒカルは?」
「すっかりとヒカルを気に入られた様子で。あの冷酷無情なクラウディア殿下とは思えませんね」
くすり、と微笑を湛えるスカイティアに、クラウディアは一瞬頬に朱を散らせた。
図星を突かれると、顔に出るんだよなぁ。ずっと気づかなかったけど、兄上って表情が豊かなんだよね。ヒカルも、それを面白がっているみたいだけど。
何時だって、ヒカルがいたから笑えた。年の割に大人びた、奴隷としてこの王宮に来た筈の少年は、何時だってスカイティアに明るい『光』を齎してくれた。
だけど、彼はもういない。その現実は確りと受け止めて。自分の足で立ち、自分の手で未来を切り開くことを心しておかなくてはならない。
「ヒカルは、もう帰って来ないと思います」
「どういうことだ?」
端的に現状を──まだ推測段階だが──告げると、クラウディアが怪訝そうに聞き返す。何れ分かることだと思っても、説明しようとした途端、口の中が乾いたように舌が張り付いて、声が掠れた。
そんな拙いスカイティアの説明を、クラウディアはずっと黙って聞いていた。
「……ふん、俺には挨拶もなしか」
「俺も面と向かって『帰る』とは言われてませんけど……多分、帰りました。だって、ずっと帰りたがっていた筈なんです」
初めてこの部屋にヒカルが来た時は、ただ早く逃がしてあげたかった。この国で、この王宮で彼は生き辛い筈だから。王子として生まれた自分よりも、遥かに低い身分なのだから。
彼の故郷のことも、容姿と来歴で分かることは調べた。しかし、ヒカル自身の記憶と知識が頼りだったのが事実だ。……スカイティア自身の知識と伝手が乏しすぎたのだ。
だから、ヒカルが望むなら、馬車や船の手配をレーウィスに頼もうとした。それが精いっぱいだった。
けれど、ヒカル自身が此処にいることを望んでくれたから。
俺は甘えていたんだ、あの子の優しさに。何処までも俺は彼に、小さな子供に依存していたんだ。
苦く笑ったスカイティアに、異母兄は眉を顰めた。
「お前は自己完結が好きだな、ティア。そんなんだから、ヒカルに『行くな』とも言えなかったんだろ。彼奴の性格じゃ、止めれば此処に残っただろうに」
「……俺の我儘に突き合わせては、ヒカルが可哀想です」
呆れたと言わんばかりに表情を歪めるクラウディアから、スカイティアは視線を逸らした。
帰郷を望むヒカルに「帰らないで」「傍にいて欲しい」と願うことは、スカイティアの我が儘なのだ。
ヒカルが本当に奴隷として、或いは正式な小姓として、そして何よりスカイティア自身が『黒髪』以外の王子として王宮にいたならば、スカイティアは彼の意思よりも己の意思を主張しても許されただろう。
(……許される?)
繰り返した言葉に、有り得ない、とスカイティアは否定した。
だって、そうあった時点で、スカイティアとヒカルは今のような関係で笑い合えなかった筈だから。
『黒髪』の王子と『黒髪』の奴隷として出会ったから、スカイティアとヒカルは今のような関係になることができて、笑い合えた。何か一つでも変わっていたならば、今のようにならなくて。結局は今の関係に依存して、傍にいたいと思うのはスカイティアの我が儘であり、ヒカルには重荷にしかならないのだ。
「それをお前の我が儘と取るかは彼奴次第だ。彼奴は変わってるから、そうは思わないだろうな」
「それ、褒めてるんですか?」
「そのままの意味だ。褒めても貶してもいないだろう?」
軽く眉を寄せるクラウディアを捉え、スカイティアは笑った。そして、ハッとする。
こうして笑えるのも、ヒカルが来てからだ。今のようにクラウディアと笑って話せるようになったのも、全てヒカルの御蔭。
(俺はあの子に貰ってばかりで、何もしてやってないな…)
ヒカルよりも幾つも年上であるのに、何も出来ていない自分が情けない。
彼はこの王宮での生活に不満がないと言うけれど、それはあくまでも、第三王子の宮殿で過ごすことに対して、だ。この宮で過ごさなくてはいけないという条件下で、衣食住が保障されているから満足していると言うだけだ。
ヒカルの望みは、ずっと前から知っている。彼はずっと親元に、家族の元に帰りたかったのだから。
何も出来ないなら、せめて故郷に帰れること喜んであげないといけないのに、喜べない。いっそ何か不都合が起こればいいのに、とすら思ってしまう。
(……強欲で、愚かな自分が恨めしい)
後悔と自己嫌悪で、如何にかなってしまいそうだ。
「──おい、レーウィスが帰って来たぞ」
不意にクラウディアに呼ばれ、スカイティアは物思いふけていた頭を現に戻す。クラウディアが部屋にいたというのに、ノックの音が聞こえない程、物思いに浸っていたらしい。……兄上、対応させてしまって申し訳ありません。
「失礼致します、スカイティア様。クラウディア様と御一緒でしたか」
「お帰り、レーウィス。君が元気なら、ユエ兄上も無事に業務終了かな」
「はい、勿論でございます」
艶然と微笑むレーウィスに安堵し、スカイティアは笑った。
レーウィスは今朝からユエの手伝いに駆り出されていた。普段ならユエの右腕であるステラが行う処理も、今後は彼女が抜けた穴を補う為に配置換えなどが行われていくのだろう。ステラは東町の催しに臨席して、そのまま隣国へ留学し、もう今までのようにはいかないのだ。
「ヒカルは……もうお休みですか?」
辺りを見回してヒカルを探すレーウィスに、スカイティアは困ったように眉尻を下げた。
「いや、それが……」
「故郷に帰るそうだ」
言い淀んだスカイティアより先に、クラウディアが説明した。レーウィスは特に驚いた様子もなく、ただ「左様ですか」とだけ呟いた。それに不信感を抱いたが、続けられた言葉にスカイティアは言葉を挟めなかった。
「では、仕方ありませんね。ユエ様が皆様をお呼びなのですが」
「ユエ兄上が?」
「はい、大切な御話があるとのことで」
ユエが兄弟を集めるとは珍しい。スカイティアは首を傾げたが、クラウディアはユエからの呼び出しであれば、と何の疑問も抱かずさっさと部屋を出て行こうとした。
「ほら、行くぞ」
しかし、異母弟を確りと待っているのだから、彼も変わったものだとスカイティアは密かに笑う。
ユエが待っているのは、廻廊の先にある角部屋だった。卓と椅子が据えられているが、ユエは窓辺に腰かけていた。遠い何処かに焦がれるように窓辺に寄り添うことを好むのは、スカイティアと一緒だ。
「ユエ様、クラウディア様とスカイティア様をお連れ致しました」
「ありがとう……ヒカルは、いないんだね」
三人に気付いたユエは空色の瞳を三日月の形に眇めたが、次いで首を傾げた。
ユエの問いにスカイティアが答えると、ユエは目を瞬かせたが「そう」とだけ返した。ユエはクラウディアとスカイティアを座らせると、向かいの席に座った。
「ヒカルにも聞いて欲しかったけど、仕方ないな。クラウディア、スカイティア」
席に着いた途端に鋭くなった視線から、クラウディアとスカイティアは話の真剣さを感じ取った。普段は穏やかなユエだが、政に関わる時のユエは何処までも冷静で、時には残酷にも成り得ることをよく知っていた。
「率直に言う、今宵この城は戦場になる」
「は…?」
思わぬ言葉に、スカイティアは目を瞠った。余りにも唐突だ。聞き間違いだろうかとユエを捉えるが、真っ直ぐに見据える青い瞳が事実だと訴える。そして、念を押すようにもう一度口を開いた。
「正確には戦場にさせる、この僕が」
ユエの言葉を合図とするかのように、何処から大地を轟かすような爆音が轟いた。
それが、長い夜の始まりだった。




