ルゼノの法
法に対して理解を示さない者がいるというのが逆鱗だったらしいステラは、一般人であるヒカルの伯父に対して遠慮もなく語っている。
……えーっと、いいのかな?いや、伯父さんはそういった話にも理解があるというか、何故だか妙に詳しいけど、そこまで話していいの?
ルゼノ第一王女アルトステラは、何故だが本日初対面であろうヒカルの伯父に熱く──時折、氷点下の雰囲気を纏いながら──語り、それに伯父の方も共感していた。解せぬ。
「え…と、話の腰を折ってすみません。『商業奴隷』と『犯罪奴隷』の差って…?」
そんな区別があったのですか?と、その「理解できない愚物」扱いされるのを恐れたのか──これは異母姉に幻滅されるのが怖いのだろう──、スカイティアは恐る恐る問いかけた。
いや、流石に兄弟大好きなステラ様が、スカイティア様を愚物扱いはされないと思いますよ?
そもそもステラ様の怒りの矛先は「政に関わる立場であり、法の存在を知りながら責を負わぬ」者へですから。「政から遠く関わらない立場であり、そもそも法の存在を知らない」スカイティア様は論外でしょう。
「簡単に言えば、売られた先での労働が『自分を買い上げる為』か『懲役』かの差ね」
案の定、ステラに呆れや蔑みの目はない。その美貌に優しい笑みを浮かべて異母弟の問いに答えたが、スカイティアはその答えに首を傾げた。
「自分を、買い上げる?」
「えぇ、これはアーベント伯爵が先行していたのだけど…ヒカルを例に出してもいいかしら?」
俺も関係するものね。自分の状況が把握できて丁度いいです。
「ヒカルは、以前の屋敷の主が売り払ったことで王都に来たでしょう?それは財産の一部ということで、ヒカル自身には買い上げられる時に値段が着いているの」
ステラはオルバが用意した紙に『屋敷』から『奴隷商館』へと矢印を向けて書き、ヒカルの名を綴った上にルゼノの通貨で値段を書いた。
「ヒカルは、この時点で『商業奴隷』という扱いね。…この奴隷商館から出るには買い手が必要。その時、ヒカルは自分が買い上げられた金額分を働いて返すことで、自由の身になるの」
買い手と書かれた先に矢印を延ばし、またヒカルの名前と値段を綴る。その隣に『対価:労働』と条件を書き加え、最後に値段の部分に罰印を書いた。これで解放、となると。
「だけど、これに関しては健康体であることが条件でしょう?買い上げた主人は勿論、他の者も、ヒカルのような『商業奴隷』を害してはならないの。あくまでも買った金額分を返すまでの、働き手だから。支払い終えれば、一般市民として復権するのよ」
おーっと、その辺りが問題じゃね?『奴隷』って聞くと、何をしても許されるような印象を与えるし。階級意識というものかな。貴族に逆らえない平民からすれば、奴隷は権利を持たぬ弱者だし。
実際に復権した市民が、そもそもいるのだろうか。『奴隷』に身を落とした時点で、全てが終わっている気がする。
「この市民権の回復の為には、身代を完済した証明が必要なの。復権すれば、あとは他の市民と変わりない。国が保証するというのに…この明確にした法すら守れないとは…!」
「あの、姉上?一般労働者との違いは何でしょうか?」
怒りを再熱させかけたステラに、スカイティアが慌てて問いかける。
ステラ様、余りにもお話しし過ぎではないですか?
『聡明で冷静な王女様』の仮面はどちらに捨てて来られたのですか?拾ってきますか?
「自分を買い戻せるまで、他の場所に行く自由がないこと。それから、あくまでも身代金を稼ぐ為だから、支払い給料が全て身代金に消えて、完済したらその場でお別れなんてこともある。……場合によっては、その身一つで追い出されることもあったみたい。アーベント伯爵はその辺りを考慮して、その労働に従事させる前に契約書を作らせたわ。完済の証明書を発行するのも、領主の責任としたの」
おぉ…流石、あのレーウィス殿のお父上というべきか。……いや、有能は有能なんだろうな、聞く限りだと人道的なんだけど。
レーウィスの優しさや誠実さは親にそう育てられたからだと思う。しかし、どうしてもヘラーザの顔が頭に過る。有能で人道的な政策を打ち出している人物である筈なのに、妻であるヘラーザとその子供には別の面を見せていたのか。
……あれか、家庭内暴力的な。仕事が第一で、家族を振り返らない仕事人間とか。でも、そんな人を見て育ったら、レーウィス殿も何処か歪みそう。
日頃は温厚なレーウィスだが、そこに思うところはないのだろうか。ヘラーザとも会っているようだし、父親とも確執があるようには見えない。
「その契約を反故にして逃げたら、逃亡奴隷となり『犯罪奴隷』に落ちるわ。……そういった諸々の法を通した筈なのに、ねぇ?」
クツクツと喉を鳴らして笑うステラが怖い。
えーっと。本来なら、俺は『奴隷』は『奴隷』でも『商業奴隷』だから身体の保証はされている筈だったとなる訳ですね?働いて身代を返せば、自由になれた、と。……幾らだったんだろ、俺。
「姉上、思い出して笑うのは結構ですが、怒りは沈めてください。それで『犯罪奴隷』は?」
「意味はそのままね。法を犯した、死罪以外の沙汰が下った者を労働力として、使う。行先は鉱山や遠海など……そこで働いた分を被害者に賠償するなど、色々と定めたのだけど」
「……成程」
「結局は、目の届かないところでは『商業奴隷』も『犯罪奴隷』も大して差がないみたいだけどね」
深い溜息を吐くステラに、現状の厳しさが感じ取れる。法案は通っても明確な区別はされず、一括りにされた奴隷の扱いは何処までいっても、人間より下なのだろう。
「人間というのは不思議ですね…貴女のように国の為、民の為と奔走する誇り高い王女がいる一方で、自身ばかりを優先し、挙句には己の後始末も付けられない愚者がいるのですから」
グラスを傾けた伯父は、漆黒の双眸を眇めて艶美に笑う。
「人間の本質は変わらないということでしょうね。何時の時代も、どんなに良識ある王が統治しようと、目の届かぬ闇には人間の悪意が住み着いていた」
対して天使のように美しい王女は、深青色の双眸を眇めて妖しく微笑んだ。
「だからこそ、手駒を集めましたか」
「まぁ、人聞きの悪い。駒ではなく、同志ですわ」
……何故だろうか。意気投合が早すぎやしませんか。まぁ、元々社交性のある方々と思えば、そんな感じなんですかね。
「ルゼノが有能なる若者達に支えられるようで、よかったです」
「ふふっ…責を果たせない愚者になる心算はないわ」
……笑っていいのかな、これ?スカイティア様も固まってるんだけど。
高度な政治内容にはついて行けない、と匙を投げたヒカルはスカイティアの袖を引いた。
「スカイティア様、何か追加しますか?」
「え、あ……そうだね」
ステラと伯父は互いにニコニコと微笑んでいる筈なのに、空寒い何かを感じた。逃げるようにスカイティアにメニュー表を渡し、オルバを呼んだ。此処は自主的に退避します。
「──では、ヒカルの所在も確認できたし、今日のところは此処で」
陽が陰りだす頃、ステラとの話の切りが着いたのか、伯父は席を立つ。
「もう帰られるんですか?」
「こっちの友人宅に泊めて貰っているからね。それに何時までも王女様方御一行を引き留めていたら、王族護衛〈影〉に狙われそうだから」
オルバの問いに、伯父は大仰に肩を竦めて見せる。……いや、流石にないよ。
「まぁ!ご心配なさらずとも、害意ある人間以外に危害を加えませんわよ?」
「しかし、暗くなっては大変でしょう?」
何かを含むような笑みを浮かべたステラの返答に伯父はそう言うと、オルバに会計を頼んだ。
「あら、これくらい出しますのに」
「いえ、ヒカルがお世話になっていますので」
「あ、ありがとうござます」
「ご馳走様でした~」
会計をし終えると、伯父はあっさりと店を出て行った。……自分で言うのもなんだけど、あっさりだな。とはいえ、何をするわけではないけど。
「……え、と。ヒカル?」
スカイティアに呼ばれ、ヒカルは振り返って主人を見上げた。
「一緒に行かなくてよかったの?」
「取り合えず、母が戻ってくるのが三日後らしいので。今行っても、意味がないかと」
伯父は友人宅にいるというし、ヒカルが行っても邪魔だろう。
「何時も思うけど、ヒカルってドライね」
「そうですか?」
まぁ、感動の再会となるべきところだっただろう。実際、伯父さんだって分かった時は泣きそうになったし。
でも、真面目に王女と高度な政治話をしているし、伯父さんは通常だなって思えば、あとは母親に会って今後の相談して、と思うくらいだし。……あれ?マジで可愛げねぇな、俺。今更だけど。
自分の冷静さというかドライさに驚きつつ、けれど気掛かりだった母と伯父の所在も判明したことで充分ではないか。
「じゃあ、私達も帰りましょうか」
「そうですね、暗くなる前に帰りましょう」
「マスター、ご馳走様でした」
オルバに別れを告げて、ヒカルはステラとスカイティアの後に続いた。
◆◇◆◇◆
唐突なルゼノ王族組の来店を経て、数時間。すっかりと暗くなり、月が昇っている。
「──さて、と」
店仕舞をしようと表の看板を片付けに出たオルバは、不意に近付いてくる影を見つけて目を眇めた。この喫茶店は「隠れ家のような雰囲気が売り」と言われるように、偶然に立ち寄る場所ではない。
オルバの前に現れたのは、既知の人物であるが故にその訪問時間を訝しむ。
「……閉店時間ですが、如何なさいました?」
「申し訳ない、急ぎの用事ができたもので」
濃い色の外套を纏って現れたのは、アーベント伯爵だ。頭から被っていた外套を払い、その金に輝く髪が風に靡く。深い青い瞳が今の空の色と同じだ。
「急ぎ…?」
アーベント伯爵の言葉の不穏さに、オルバも眉を顰めた。
このアーベント伯爵はそう頻繁に情報屋は利用しない。己の手駒──優秀な人材かつ、伯爵と運命共同体であることを認識している配下──を持ち、彼らだけで処理できる案件ならば、態々王都にいる情報屋を尋ねない。
「──もしかしたら、此処を利用するのは最後かもしれないな」
何処か嘲笑めいた微笑みを浮かべたアーベント伯爵に、オルバは微笑みを浮かべて返す。
「御冗談を。今後もご利用をお待ちしておりますよ」
──あぁ、本当に冗談じゃないね。
ぎり、と歯噛みするオルバを見ない振りをしたのか、アーベント伯爵は静かに微笑むだけだった。




