情報屋の過去2
王都シルーバの一角にある、隠れ家のような喫茶店。
此処は情報屋を兼営し、店のマスターはオルバという、三十代の男性である。
彼の髪は陽の光を受けると赤く輝くような光沢を持ち、影に入ると、赤を抑えた深みのある銅色の髪にも見えるという、何とも不思議な色合いを持つ。
──そんな彼は茶目っ気もあるが、基本的に落ち着いた紳士である。……が。
「誰がどう言っても、まず〈黒の予言者〉を悪し様に言う方はただの無知無能で取るに足らない部類の人間か、彼に悪事を知られた悪徳人間か、のどちらかだと思います」
「……そう、なのですか?」
「えぇ、彼は何一つ、後ろめたいことはしていません!寧ろ、悪し様に言う奴らほど〈黒の予言者〉にいて貰っては困る人間なんです!!」
熱く語るのはその大人しく紳士的である筈の、店のマスター、オルバである。
スカイティアの母親と伯父に当たる〈黒の予言者〉について尋ねたい、と店を引き継いだオルバの元に漸くスカイティアを連れて来られた。
しかし、過去における彼らの活動について、正確に説明をして貰った後の話し手の勢いが止まらない。
……彼らが大事なのは分かるけど、普段の大人びたマスターは何処へ行ったのでしょうかね。茶目っ気があっても、少なくとも此処まで熱くなる方ではないと記憶しておりましたが。
「オルバ様、落ち着いてください」
レーウィスがどうどう、と宥めた。マスターは馬か、と内心で突っ込んだ。
……というか、俺も初めて聞いたけど、マスター、そんなに先代のマスターのことが大事なのね。それもそうか、熱くなり過ぎて若干スカイティア様が引いていますが。
「失礼致しました…つい、彼らのことになると熱くなり過ぎてしまいます…」
「ふふっ…本当に、凄い方達なんですね。貴方に、そんなにも慕われて…」
「えぇ、そもそも彼らがいなければ、今の私はいませんからね」
忌避され、畏怖されていた存在である〈黒の予言者〉を真っすぐに慕うオルバのような存在は、スカイティアにとって、身内以外では初めてだろう。何より、当時をありのままに知っている人物であることが重要だ。
今ある噂──『黒は災いと呼ぶ』などという迷信に振り回される輩は、この際どうでもいい。しかし、災害を経験した上で噂に振り回される民衆は、やはり当時の上層部に問題があったのだろう。
当時…まだ今の王が即位していなかったんだろうな。王子の身分では、権力は皆無とはいかなくても、当時の王や上層部と呼ばれる側近達に歯向かって意見を通すのは難しいだろうし……当時の上層部を憎むというマスターは正しいだろう。
幾ら有能でも、味方が少なければ容易く折れる。意見は通らないし、最悪の場合は消される。ユエの話にもあったように、ルゼノ王は未だに狙われているのだろう。それが当時の上層部と関係あるかどうかは知らないが、少なくともルゼノ王は自分の子供であるスカイティアの存在は勿論、悪評さえ立てられていた友人〈黒の予言者〉を受け入れている。だからこそ、目障りだと思われているのだろうけど。
というか、何でそこまで〈黒の予言者〉を嫌うかな……そりゃ、シュナイザー辺境伯のような『敵の象徴』扱いなら、まだ分かるけど。当時の上層部にとっては、〈黒の予言者〉は自分達の面子を潰した悪者ってこと?
オルバの話を聞く限り、その可能性が高い気がする。
当時の上層部の情報、気になるなー。
知ったところで如何こう出来ないけど、気になるなー。
「……その、当時の上層部?の方達は、何故そこまで伯父を悪者にしたかったのでしょう?」
ヒカルの内心が届いたのか、スカイティアは複雑そうに眉を顰めつつ、オルバに問い掛けた。
「一番の理由は『その情報網が怖いから』でしょうね。当時の上層部といっても、そこも一枚岩ではなかった。その時も、今と同じように王太子であった陛下と、正妃の嫡男である王弟の派閥に大きく二分され、またどちらとも手を組まない中立派をどうにか陣営に引き込もうとしていたことが理由でしょう。そんな中、王太子であった陛下に、悪評のある友人がいたとしたら?」
オルバの答えは、要するに『〈黒の予言者〉に関する無責任の噂は派閥争いの一環だった』と言うもので、ヒカルは目を据わらせた。
王都民を救った〈黒の予言者〉は派閥争いに巻き込まれたのかよ。何時の時代も派閥争いかよ。面倒な…というか、民を顧みない上層部って何なの?無能なの?上層部の人間だけで生きているお心算ですか?
「伯父は、利用されたのですか?」
「それでも、当時は王太子だった陛下を潰せない陳腐な策ですが、ね。まぁ、これは複数人の王子がいれば必ずと言って良いほど起こりますから。それに、我らの恩人は派閥争い如きには負けませんでしたしね」
「それは…凄いですね」
「えぇ、凄い方です。だからこそ畏怖され続け、迫害される存在になってしまいますが…」
オルバは言葉を探し、思案するように一度目を閉じる。
「彼は〈黒の予言者〉として、その一面だけを取り上げられがちですが、普段の彼は優しく穏やかで…少々悪戯好きの面もありましたね」
「お茶目な方だったのですね…」
オルバの懐かしむような穏やかで温かい眼差しに、スカイティアは顰めていた表情を和らげた。
「あぁ、先程からお出ししている果実水ですが、彼の好物です」
「「え…」」
唐突に告げられたグラスの中身の正体に、スカイティアとヒカルが一緒に声を上げた。
先程から出されているのは、ヒカルが御遣いに来る度に──時々変わるが──奢って貰う飲み物だ。気温の高い日の熱中症対策や、日頃から脱水症状を予防するのに良いらしい。
彼曰く先代のマスター、つまり〈黒の予言者〉が「意識して飲まないと、人間は簡単に脱水症状を起こすから」という理由で、メニューの中にも組み込まれていたのだという。
「それから、このブレンドコーヒーは彼の妹さんが好んで飲んでいたもので、此方の茶葉は彼らの父親の故国から仕入れていた緑茶ですね」
「喫茶店だけあって、飲み物が充実しているのですね」
「えぇ、それが本業ですので。殿下方も、お気に入りの一杯を見つけて頂けたら嬉しいですね」
ドリンクメニュー表を開いたオルバからお勧めの飲み物を聞きながら、それぞれ選択することにした。食事メニューの他にも甘味を置いているが、今日のところは飲み物だけに。
「紅茶だけでも沢山あるのですね」
「えぇ、王宮には敵わないでしょうけど」
「これは聞いたことのない品種、ですね」
「ここは港町ですからね、国外からも多くのものが入ってきます」
殺伐とした過去の話に代わり、港町特有の外国船籍や海の向こうの世界へと話を咲かせる。
「大陸の外、ですか…」
「殿下は、外の世界にご興味が?」
「えぇ……この間、初めて国外に行きました」
流石にライゼルスでどんなことがあったかは言えないが、スカイティアとオルバはライゼルスとルゼノを比較し、特色を語らう。オルバはそんな話から、丁度ライゼルスからの輸入品だという銘柄の紅茶を並べてみたり、と中々話が尽きない。
「……話、終わりそうにないですね」
「スカイティア様は一度熱中すると、寝食を忘れがちですからね」
本 当 に な 。
二人で話を咲かせる主人と喫茶店のマスターを眺めつつ、ヒカルは果実水に口をつける。はちみつを入れたのか、何時も奢って貰うものよりも甘く滑らかな舌触りが、何処か懐かしい。
スカイティアとオルバの世界に入り込む余地はなさそうなので、ヒカルは店内をじっくりと見回した。
マスターの話からすると、此処はスカイティア様の元・自宅になる訳で…。
一階が喫茶店としての機能を持ち、大きな窓が木漏れ日を店内へと招き入れる。森の中の隠れ家を意識した延長なのか木製で、観葉植物が多い内装は落ち着く。
「……ヒカル、どうしました?」
「いえ、ゆっくり見るのは初めてだな、と思いまして」
以前からユエの御遣いで喫茶店に訪れていたが、オルバの話に夢中になっていると、部屋の内装は視界には入っていても認識されていないようである。
「あぁ、オルバ様のお話は興味深いですし、聞き逃せませんよね」
レーウィスも納得したようである。……本当にね、俺は恵まれていると思う。
ヴァイスも言っていたが、この国では貴族の子女は兎も角、一般市民が教養を学ぶ場所がない。商家の生まれならば家で教育がされるだろうし、他の家庭でも既に決まった道への勉強しかさせないだろう。例外はアルセル侯爵領とファーレン侯爵領、そしてアーベント伯爵領だけだ、と。
ヴァイスはシュナイザー伯爵にも相談したらしいが、財源の問題と、教養を学ぶ意味を領民に理解させることが問題だという。
シュナイザー伯爵は領地持ちなのかな?本家は辺境って言っていたけど…辺境なら寧ろ力を入れるなら、武術系か。でも、脳筋だけじゃ領地は守れないだろうし、それなら兵法とか必要な気がする。
人の戦術は、その時代特有だ。その場所や気候、土地柄の作物──これは場合によるが、武器になる可能性もあり──により、本に載っている理論だけでは不十分だが無知よりは役に立つ。「知は力なり」とはよく言ったものだ。昔の人は凄い。
「──すっかり話し込んでしまいましたね。お代りは如何しますか?」
グラスが空になった頃、目敏い店のマスターは新しい飲み物を尋ねてきた。話し込んでいても、客の手元のグラスには目を光らせていた模様。喫茶店のマスターの鏡だ。
「え、もうこんな時間ですか……時間が経つのは早いですね」
はっとした様子のスカイティアは時計を確認する。……そりゃ、熱中していましたもんね。
「そろそろお暇します」
「すみません、長々と…」
「いえ、此方こそお話しできて楽しかったです。是非またお越しください」
オルバに見送られ、三人は揃って喫茶店を後にした。
◆◇◆◇◆
第三王子一行を見送って店内に戻ったオルバは肩を竦めて息を吐く。
「──レイさん、もういいですよ」
カウンターの収納スペースに視線をやり、客人が帰るまで──何故そこを選んだのか謎だが──収納スペースから隠れて様子を伺っていたレイに声をかける。
すると、ドン、と音を立て──壁にぶつかったのか──レイが転がるように出てきた。……頭を押さえているが、ぶつけたのだろうか。
「あー…やっと帰った?」
「その言い方は如何かと」
「だって、余りにも長々といるから、何時バレるかと冷や冷やしたわよ」
確かに、大人しいと有名な第三王子があそこまで長々と、それも興味深い話ができるとは思わなかった。好奇心旺盛な面があることは知っていたが、それよりも記憶にない筈のオルバに人見知りを発揮しないことが嬉しかった。
「普段はヒカル君が一人で来るんですけどね、珍しい…」
「そうなの?」
「えぇ…まぁ、スカイティア殿下に、私を含めた貴方達の記憶がないというのは、残念ですが」
「まぁ、仕方ないわ。それだけの時間、離れていたんだもの」
〈黒の予言者〉に関しては情報が曖昧でも仕方ない。寧ろ正確に知っている者の方が少ないのだから、諦めもつく。だから彼が伯父であることを覚えていれば十分すぎると思っていたが、それも記憶になかったことに少なからず落胆してしまった。
しかし、それはお門違いだろう、と気持ちを持ち直す。まだ幼い頃に別れ、そこから十余年。覚えている方が奇跡に近いだろう。
「ですが、無関心でもなく、嫌われてもいないようで良かったですね?」
興味があるということは、少なくともその存在を意識しているということ。
自分を置いて行った母親や伯父のことを拒絶することもできた筈なのに、彼らを知ろうと動き出すことにしたのは、彼の心境の変化か。
「…………あの人って、子供を育てる才能があるのかしら?」
「それはノーコメントで」
考え込むように指を顎に当てるレイに、オルバは返答を辞退した。
物凄く答えづらいので、返答はしません。だって、これはきっと何と返答しても墓穴になるから。
情報屋の妹…いや、彼女自身が情報集めの一端を担っていたことも事実なのだ。うっかり発言したことから追及され、その時の相手の表情の機微を掴み、真相に辿り着くことはザラにある。
触らぬ神に祟りなし。何も知りません。
藪を突いて蛇を出すような真似も御免です、墓穴も掘りません。
自分に言い聞かせるように内心で「くわばら、くわばら」と唱えながら、オルバは片付けを始めたのだった。……レイさんの視線?気づかない振りですよ。此処はスルーします。




