情報屋と〈黒の予言者〉
「──いらっしゃい…おや、珍しい」
カラン、と軽やかな鐘が鳴り、客が来たことを知らしめる。赤銅色の髪の下から覗く茶色の瞳が捉えた客人は、彼にとって既知の人物であった。
「久しぶり、オルバ。上手く経営してくれているようで、嬉しいよ」
頭から黒いローブを被った壮年男性──ルイは、嘗てこの喫茶店を経営していた者である。とある事件をきっかけに彼がこの地を去らざるを得なくなり、オルバが店を引き継いだのだが、こうして顔を合わせたのは十年以来だ。
「城下とはいえ、此処は貴方の領域でしたからね。救われた命は、今も貴方と共にある」
「……そう。いや、平穏に暮らしてるなら結構。僕も、この地に戻るのはもっと先だと思っていたよ」
嘗てルゼノ王都を襲った災害は、今も爪痕を残している。それは有形も無形も同じこと。
災害を予期し、情報を齎した〈黒の予言者〉の存在を、まるで悪魔の手先のように。彼と同じ色を纏うものを疎んだ。
しかし、それは何も都民の全てではない。直接〈黒の予言者〉から情報を受け取り、無事に逃げ遂せた者も多い。そんな彼らは今も、この〈黒の予言者〉を慕っている。オルバも、その一人だ。
「あれ、帰ってこられる心算だったのですか?それなら嬉しいですけど」
「……復讐が終わったら、一応ね」
「あぁ、それで……情報が錯綜していますよ?」
物騒な言葉も聞き流し、オルバは懸念事項を告げる。
「……その中に、第一王子とアーベント伯爵子息に関する情報はある?」
「え、俺から情報を買うんですか?」
あの〈黒の予言者〉が!?とばかりに眉を突っ撥ねたオルバに、ルイは肩を竦めた。
「あのねぇ…僕だって、世界を見通してる訳じゃないんだから」
「いや、分かっていますけど……これ、話しちゃうと、色々と錯綜している情報の意味がないというか」
「王子と伯爵子息が、とある事を起こそうとしていることは知っているよ?」
「それを既に御存知なのに、何を知りたいんです?」
オルバはすっと目を眇めた。情報を渡す・渡さないはあくまでも個人の采配だ。勿論、虚偽の情報を流すことはしないが、優良客を優先するのが当然である。商売をしている以上、公平性はあっても上客に肩入れしたくなるのが心情だ。
「それなんだけどさ…君はどちらかに加担していたりする?」
「……一介の情報屋が高貴なるお客様を相手にできることなど、たかが知れているでしょう?」
「そうだね…僕は、当時友人の害にならなければ、恩を売りつける意味でも協力していたけど」
当時のルゼノは、まだ『黒』を纏うものに寛容だった。それこそ、彼らが国から追い出されるような事態になるまでは。
「……ま、貴方なら悪い様にはしないでしょう?」
「君にとって、悪い方向にはならないと思うけど」
「それなら何よりです。情報屋として公私混同にはしない心算でしたけど、思うところはあるんで」
それだけ言って、オルバはルイに情報が綴られた紙を渡したのだった。
◆◇◆◇◆
ルゼノ城、王宮の一角。
「……最近、よくお見掛けしますね、ユオ様」
「いやー、正直、王城の一角がこんなに無防備でいいのかってくらい、此処って人気ないよね」
城外から戻るに当たり、第四王子ヴァイスルナハルトの宮殿を通り抜け、第三王子スカイティアの宮殿に向かう道──というか抜け穴であるが──の城壁の上にいたのは、ユオこと王弟子息ユオルディーラ殿下である。
「……本日は何をされているのです?」
「ほら、俺って『放蕩息子』だからさ。仕事をサボって、悠々自適に過ごしてるのさ」
「……そんな観察眼と身体の能力に秀でた『放蕩息子』がいらっしゃいますか」
王位継承権放棄の為の前振りだというが、それはそれで不憫だと思う。能力はあるし、従兄弟達との関係も良好だというのに、上の代で問題がある為に大々的に活躍できないというこの青年は、本日は城壁の上から騎士の配置や巡回時間などを見通しているらしい。……これで『放蕩息子』か。世ノ中ハ厳シイデスネ。
「心配しなくても、俺は生きたいように生きているから、気にしなくていいよ?」
「そうですか…」
そう言われども納得できるかと言われれば、そういう訳にもいかず。肯定の相槌を打ちつつも、ありありと表情で語ってしまう位にはヒカルだって現状は悔しく思っている。
「あ、ただ…これ、内緒ね?」
「え?」
「一応、『放蕩息子』の看板を背負ってるんで!」
シュタッ!と敬礼するように腕を上げた彼を見送り、ヒカルは第三王子の宮殿に戻った。
(……いや、『放蕩息子』の看板って背負うものなの?)
ユオの言葉を反芻しつつ、首を傾げる。内密にする、と言うのはユオが『裏で暗躍していることを知られるな』という警告だろう。勿論、ヒカルの周囲とは第三王子を始めとした王族だが、たまに突っかかってくる貴族は皆無ではない。
(そういえば、話しかけてくる中にユオ様に関して愚痴を零すお貴族様もいたもんなぁ…)
王宮事情とは難儀なもので、とぼやきつつ、目の前に迫った第三王子の部屋に表情を繕った。
「……おや、ユオ様が?」
レーウィスに喫茶店から預かってきた小箱を渡し──勿論、中身は見ていません──ユオに会ったことを伝えると、レーウィスは目を丸くした。
「えぇ、第三王子の宮殿と第四王子の宮殿を隔てる城壁の上にいらっしゃましたよ」
「え、何でそんなところに?」
「……恐らく、騎士様方の非常用通路扱いです」
その言い方も問題だけど、多分、そうだと思う。……ステラ様がいらっしゃった時、従者殿に尋ねたら、俺を第四王子の宮殿から連れ帰った時にも城壁の上を通ったらしいの。今更だけど、皆様、凄い身体能力ですよね。
「外出の予定でもありましたかね……あぁ、ヒカル。外套を」
「え、自分でやりますよ」
「そろそろ新しくしましょうか…使う通路が通路ですし」
「え、すみません!」
まさか、擦り切れていた?枝で引っ掛けた?
抜け穴を使っていい、と御使いをさせる第一王子と、その抜け穴の通り道に該当する庭の主である第四王子には許可を得ているが、思わぬ損害があったようだ。
「お気になさらず…それに、何時もお使いに行って頂けるので、私達も助かっています」
「いいなー、俺も今度行きたい」
「……スカイティア様が行ったら、マスターが恐縮すると思います」
いや、そんな性格ではないか。そもそも第一王子やアーベント伯爵とやり取りをしているのだから。
しかし、王子が頻繁に城下に出るのも問題だろう。勿論、息抜きは大事だし、視察という名目でもクラウディアや他の騎士が時間を割けるならば、そこにスカイティアが混ざっても問題あるまい。
「えぇ…でも、最初は俺も一緒に行く筈だったのに」
そう言えば、とヒカルも思い出した。最初にユエに頼まれた時、スカイティアが前日の乗馬練習で筋肉痛となり、余りにも動き辛そうだったから一人で行ってきたのだった。つい、その延長でヒカルが一人で外出することになっていたが、スカイティアが同行する必要はあったのだろうか。
「……そうですね。ユエ様に相談してから、一緒に行きましょうか」
レーウィスの苦笑に、ヒカルは目を瞬かせた。
今更だけど、この割と頻繁にある喫茶店への届け物は、スカイティア様が外出することに慣れる為の口実だったのでは?…まぁ、今となっては嬉々として外出されているから、一緒に行かなくていいって感じなんですかね。
「うん、ずっと興味があったんだ!」
……そうですか、ずっと行きたかったんですね。何時になく、目がキラキラしていますよ。
「意外ですね」
「引き籠りが?」
「どちらかというと、人見知りの方でしょうか。マスターは確かに気さくな方でしたけど、スカイティア様が人見知りを発揮しないとは、ちょっと驚きです」
引き籠りが自虐ネタになるくらいには落ち着いたスカイティアに、ヒカルは肩を竦めた。
ライゼルス行きには戸惑いがあったというのに、城下の喫茶店には積極的に行きたがるのか、と思ったが公務でない以上、肩肘張らなくていいという点もあるのだろう。
「……ヒカルは、その喫茶店のマスターのこと、どういう風に聞いてるの?」
「十年位前に、先代のマスターが店を離れないといけなくなって引き継いだ、とだけ」
「そう、なんだ…」
何処か期待外れだったのか、キラキラ度が減少した。
「……その喫茶店が、情報屋で〈黒の予言者〉が経営していたって話は?」
「え、情報屋であることは兎も角、前経営者が噂の人だったというのは初耳ですね」
そんな身近な話だったのか。通りでマスターが〈黒の予言者〉の肩を持つ訳だよ!
時折その手の話になると、明朗な表情を曇らせるマスターを思い出し、ヒカルは納得する。
「そうなの?レーウィスから聞いていたんだけど…」
「てっきり、ヒカルはオルバ様からお聞きになっていたのかと」
「マスター…何時も、時機が悪くて」
そうだった。〈黒の予言者〉についての話を聞く機会をずっと逃していたのだ。
何ということだ。雑学の前に、いや、情報料取られてないし、マスターの雑談みたいなものだし…そもそも気にしていなかった俺も俺か。
いや、聞きたいとは思っていたよ?でも、マスターの雑学とかルゼノの歴史とか、興味深いんだもん!
「私も、詳しく聞いている訳ではありませんが…あの喫茶店は隠れ蓑のようなものでしたね」
「隠れ蓑?」
「はい、知る人ぞ知る情報屋です。喫茶店としても機能しておりますので、表向きはただの喫茶店です。何も知らない者からすれば、ただの隠れ家のような喫茶店。しかし、条件を満たした者だけに、情報屋としての顔を見せる、といったところですね」
「条件……地位ですか?お金ですか?」
「直球ですね、ヒカル」
率直に問うたら、レーウィスに笑われた。しかし、『条件を満たす者』と限定されるならば、思いつくのは真っ先にそれらだろう。金を積むことは、貴族でなくとも豪商ならばできるし、逆に貧乏貴族でも、その地位さえあれば──虎の威を借る狐ではないけれど──、平民を脅迫することは可能だろう。
「確かに、己の地位を笠に着て情報を得ようとする方もいたようですね。しかし、あの店の条件はそういったことではありません。確か、とある言葉を言うと、マスターが別室に案内してくれるとか……私はユエ様を通しての知り合いですので、その言葉を使ったことはありませんが」
「あぁ、成程。知人の紹介、または合言葉が必要ということですか」
「えぇ…そもそも〈黒の予言者〉はその昔からルゼノ王陛下のご友人で、諜報員だったのですからね。王と繋がっている情報屋から、そういった荒業で情報を引き出そうとする輩は、そういませんよ。後で発覚して、立場を危うくするのはお客様の方ですから」
嫣然と、何処か妖しく感じる笑みを浮かべたレーウィスに、確かに、と納得する。ルゼノ王陛下の友人という立場は有効だ。
というより、レーウィス殿。それって何か実例がおありですか?物凄く、その微笑みが恐ろしや。
「それに今となっては…〈黒の予言者〉がいない以上、あの店が情報屋としても機能していることを知っている筈もない。後継のマスターが情報屋という看板ごと引き継いでいることを知っている方しか、利用していない筈です」
「確かに、王の耳であった情報屋が国を出たとなれば、その情報屋の拠点が機能しているとは思わないよね」
レーウィスの説明に、スカイティアも納得した様子で呟いた。
〈ルゼノ王の耳〉か。そういえば、亡き正妃様も〈ルゼノ王の耳〉と呼ばれる情報網を持つ方だった。何だか、次々と味方を失っているようだけど…ルゼノ王は大丈夫なのかな?
思い浮かんだ不安を振り払うように、ヒカルは首を振った。
「スカイティア様も〈黒の予言者〉について、気に掛かりますか?」
「自分の伯父と聞けば、余計にね…この国にいた時の伯父と母の話も聞けるかなって。兄上達は忙しいだろうし……城下にいたなら、その方からも聞きたいなって」
「あぁ、先代のマスターが〈黒の予言者〉なら、引き継いだマスターもお知り合いの筈ですもんね」
スカイティアの前向きな姿勢に驚いたものの、それだけ自分のことに向き合う気があるということだ。そんな時に身近にいた、親族の情報を握る人物となれば、接触したいと思うのも当然だろう。
「では、次の機会は絶対に行きましょう!」
「ヒカル、何時になく積極的だね」
穏やかに笑うスカイティアだが、彼も内心は直ぐにでもオルバに会って話を聞いてみたいのだろう。ヒカルも同じだ。
だって、これは重要ですよ。スカイティア様の今後に関係するでしょう?
本っ当に、危うく超重要人物を見落とすところだったじゃないですか!しかも、妹であるスカイティア様の母君を知っている可能性が高いですし!




