第一王女の留学
「──スカイティアの方から連絡をくれるなんて珍しいわね」
スカイティアがレーウィスを通して第一王女アルトステラを連絡を取りつけると、翌日の午前中に訪ねるという話になった。
そして、翌日の午前中にステラは約束通り、第三王子の宮殿を訪ねてきた。淡い金色の髪を編み込み、海の様な深青色の双眸は相も変わらず凛とした心象を抱かせる。
「すみません、お忙しいとは聞いていたのですが」
「私はそこまで忙しい訳でもないわ。ただ周囲は初めて参加する者もいるから、その準備ね」
「でも、どうして留学を?」
既に王宮で政にも関わっている女傑の王女が留学する理由は、国外との繋がりを増やす為か。
「以前から長期留学する先は決まっていたんだけど、時期が中々ね……本当は学生時代に行く筈だったの」
「学校に通われていたのですか?」
「えぇ、授業内容は習ったことばかりだったけど……人脈を作る機会にはなったけれど、それも二年あれば十分。兄上なら一年あれば、上から下まで人脈を広げられたでしょうし」
頬に手を当てて溜息を吐くステラに、ヒカルはそうだろうな、と納得する。
有能なる第一王子ユエルディーネでも、彼の手足となる人材がいなくては今の地位を確立していなかっただろう。今〈影〉と呼ばれる護衛達の中にもユエの繋がりで得た者も多いだろう。
「……半年、ですか」
「長くて半年と言う予定よ。正直、今回も延期になるかと思っていたし」
「え?」
「ほら、此処最近は忙しいでしょう?この状況で、私が国を離れて大丈夫なのかという懸念もあったし」
さらっと、この国の危機的状況を述べていませんか?ステラ様。
王女一人が国を離れ…いえ、それに伴う護衛や侍女の数などを含めれば、かなりの人数でしょうけど。それで国のことを心配されるって、相当ではないですか?どれだけ重要位を占めているんですか、ステラ様。
「……では、不穏分子の力は削げたから、という理由で?」
「まぁ、そんなところね」
紅茶に吹きかけた長い息は、溜息か。
それは、まだ全て不穏分子の全てが排除完了したとは言えない、ということか。
「では、二週間後には国を出られるのですか?」
「一応、その予定よ。式典には隣国の使者もいらっしゃって、そこから一緒にゾルドランに向かうわ」
式典の説明など、頭に入ってこない。ただ、第一王女の別れが迫っていると言うことだけが頭に残った。
何時か来ると分かってはいたけれど、こんなにも早く別れの時が来るとは思わなかった。
「……寂しく、なりますね」
「今生の別れでもないのに大袈裟ね……それに何かあればすぐに帰って来るわ」
「何かなくては帰って来て下さらないのですか?」
スカイティアの縋るような眼差しに、ステラは驚いたように目を瞬かせた。深青色の瞳を丸くした王女の驚いた顔と言うのは、存外幼く見えるものだ。
「……スカイティア、何時からそんなに寂しがり屋になったの?」
「姉上達が俺を甘やかすからですね」
それは確かにあれだけ構い倒しに来た姉上がいなくなったら、そりゃあ寂しいでしょうね。嵐のような勢いで、異母弟を猫可愛がりするんですから。
スカイティアの断言に、ヒカルは納得する。
漸く和解して仲良くなったのに。普通に会って話して一緒に外出するようになってから、たった数十日間しか一緒にいられないなんて、余りにも寂しいではないか。
「……私、ちゃんと甘やかしていたかしら?」
え!?無自覚…?
「えぇ、沢山甘やかされましたよ」
「そう、そうなの…」
何度も繰り返し呟くステラに首を傾げていると、唐突に席を立ってスカイティアの隣に腰掛けた。そのまま異母弟の身体をぎゅーっと抱きしめた。
……甘やかしの延長ですかね。良かったですね、スカイティア様。固まっていますけど、それは自業自得ですよ?
「……あの、姉上?」
「なぁに」
「……いえ、何でもないです」
諦めたのか、スカイティアは異母姉を抱きしめ返す。照れたように赤くなっているが、その表情は何処か嬉しそうだ。
ステラ様は愛情過多ですが、スカイティア様も慣れたようですね。幼い子供同士が、或いは親が子供に愛情を注ぎながら一緒にじゃれている様で微笑ましいですよ。……その年齢を鑑みなければ。若干視線を逸らす俺は悪くないよね?
「……何を、やっているんだ?」
ふと、聞こえた声に視線を向ければ、何とも言えない表情を浮かべたクラウディアが佇んでいた。……本日は赤髪を結い上げて、服装は騎士服ですね。
「あら、クラウディア。お帰りなさい」
「クラウディア兄上、お疲れ様です」
抱き合ったまま異母兄弟であるクラウディアを見つめるステラとスカイティアに、クラウディアは眉間を解すように手を当てて呟いた。……疲れているのだろうか。
「……俺、帰るわ」
「え?どうしてですか?」
何処か疲れた様子のクラウディアに、スカイティアはステラを抱えたまま問い掛けた。
「……この状況で入って行けと?」
「ヒカルとレーウィスは普通ですよ?姉上がいらっしゃるだけで何も変わりませんが」
「……スカイティア、それは姉上を離してから言え」
何時の間にか──多分、振り返るのが体勢的に辛かったのだろうが──、ステラを膝の上に抱えたスカイティアに、ヒカルは何とも言えない。クラウディアが思わず帰ろうとするのも、無理はないだろう。
何で、自然とそうなりますかね?それは婚約者同士なら兎も角、未婚の男女、しかも異母姉弟がすることですか?クラウディア様は固まっていますけど。
レーウィス殿、この場での正しい対応は…って、微笑ましいって話で良いんですか?済むんですか?それで。貴方が何もされないなら、俺は知りませんよ?
「え?駄目ですか?」
「……何故そうなったかは聞かないが、異母姉弟でも余りベタベタするのは良くないだろう」
「そうですか?」
スカイティアは異母兄の苦言の意味を理解していないようで、首を傾げて空色の目を瞬かせている。
そんな異母弟の反応に、クラウディアは苦虫を潰したように表情を歪めた。
「ふふ、部屋の外ではしないから大目に見て頂戴、クラウディア。それとも、貴方にもう一度して貰おうかしら?」
「な…!姉上…」
「冗談よ」
クスクスと笑うステラに揶揄されたと、クラウディアは顔を真っ赤にして唇を尖らせる。しかし、返そうとした踵を戻して異母姉弟の前で膝を折ると、ステラの手を取って彼女の手の甲へと口付けた。……淑女への挨拶ですね。
「ただいま戻りました、姉上」
「えぇ、お帰りなさい、クラウディア。首尾は順調かしら?」
「はい、問題ありません。少々予想よりも多くの観衆が集まるかと思いますが、警備の騎士を増員することで話が付いています」
ステラの前で膝を折ったまま、クラウディアは報告を続けた。内容は東町の催しと、ステラの留学先に関する日程の確認だ。
こうして見ると、姫と騎士を見ているようだね。いや、お二人とも本物なんだけど……物語の中の姫と騎士がリアルにいる感じだ。
「……クラウディア兄上は、姉上が留学されることをご存知だったのですね」
「あぁ、俺が報せを受けた時は既に日程も決まっていて、それが東町に催しの警備変更点にも大きく関わるから忙しくてな……って、拗ねるな!悪かったよ、知らせなかったのは……だから、そろそろ姉上を放せ」
頬を膨らませたスカイティアは膝に乗せたステラの背後から腕を回し、正面にいるクラウディアを不満そうに見下ろした。そんな言葉以上に圧力を放つ異母弟に負け、クラウディアは素直に謝った。
……いや、クラウディア様に非はないと思うんだけど。恐ろしいな、あの物言いたそうな目は。
取り敢えず、ステラを離して三人で席を囲んだ。紅茶を入れ直し、落ち着いたところで昨日買ってきた日持ちする菓子を取り出した。
「……まさか、姉上が留学なんて」
「まだ言っているのか、スカイティア」
落ち着いたと思いきや、スカイティアは心境整理ができていない模様。
「兄上は平気ですか?姉上がいなくなってしまうのですよ?」
「……何を以てして平常心とするかだが」
不服そうなスカイティアに、クラウディアは溜息を一つ落とした。
「姉上が決められた道を進まれることを、邪魔する心算はない。それに姉上、休暇には帰って来られるのでしょう?」
「えぇ、その心算よ」
「本当ですか?では、その時には留学先の話を沢山して下さいますか?」
「えぇ、勿論」
椅子を蹴って身を乗り出す異母弟に苦笑して、ステラは肯定した。その横で呆れたようにクラウディアが再度溜息を吐いた。
「……復活したか。それにしても感情の起伏が激しい」
「いいじゃないですか!ライゼルス滞在は俺にもいい経験になりましたけど、王城外には殆ど出てないですし」
「先程まで姉上がいなくなるって話で落ち込んでいたくせに……ですが、ライゼルスは非常に友好的でしたし、ゾルドランにも姉上達のご友人が多いと聞きました。留学することで貴重な体験ができるでしょうから、俺も土産話を期待していますよ」
「私も、貴方達の話を聞くのを楽しみにしているわ」
クラウディアが微笑むと、ステラは異母弟の頭を撫でた。
仲が良いな、本当に。ほのぼのしていますね、レーウィス殿。
ユエ様がいないのは…気になりますが。この集合率で、何故に長兄がいないのですかね?
「そういえば、ユエ兄上は勿論ご存知なのですよね?」
「勿論、この留学は兄上の提案ですもの」
「ユエ兄上の…?」
第一王子の提案で、彼の右腕である第一王女が隣国へと留学する。ルゼノ王の承諾は当然だが、第一王子の目的は王女の不在による危機的要素の利用だろうか。
ユエ様に利用されることに慣れていると、何でもかんでも敵勢力の排除が絡んでいそうで怖い。いや、未来を見据える第一王子の采配ですから、ハイリスクでもハイリターンなんでしょうけど。
「ヒカル、ユエ兄上のことを怪しんでいるのかしら?」
「へっ!?」
「兄上の第一印象がいけなかったのかしら?最初から巻き込む気満々だったし」
「いえ!そんなことは…」
確かに、ヒカルがユエに抱いている印象は「策士な実質的な王太子殿下」である。
ただ、ヒカルがユエに最初に抱いたのは〈恐怖〉だ。鈴のような軽やかな声音に反して、背後に迫る気配から感じた威圧。振り返ってみれば、そこにいたのは件の第一王子ユエルディーネ殿下。お伽噺を体現した金色の髪に空色の目を持つ、美麗な王子だった。
その威圧感は……単純に、ご機嫌斜めだったというか。言いたくはないけど、兄弟喧嘩の延長だよね。
結果的にその仲を取り持つことになりましたが、そこからご存知なのですね、ステラ様。いや、そもそもお二人は仲が宜しいし、驚くことではないのかな。
「ふふっ、お伽噺の王子様のようだと年頃の令嬢や令息は羨望も僻みも含めて噂するけど、彼らは本当の兄上の姿を見たら、どう思うかしらね?」
くすくすと笑う女傑の王女は、どうやら腹に据えかねた何かがあったらしい。据わった眼がいと恐ろし。
「理解できぬならば、それまでのこと。この王宮に入る資格すらないですよ」
「勝手な理想に幻滅するならば、本質を見破れぬただの愚か者です」
「国の中枢とは何かを学び直せばいいかと」
「……辛辣ですね。同感ですが」
ふっと鼻で笑うクラウディア、紅茶を淹れつつ微笑むレーウィス、守られていた自覚があるからかムッとした表情を隠さないスカイティアに、ヒカルは失笑した。相も変わらず仲良しだ。
「そうね…その通りだわ。まったく、理解に苦しむ……何故、兄上に相手にされないかも理解できず、自分の存在意義を頑なに信じているような夢と現実を混在しているご令嬢達や、兄上の実績から目を背け、王家に生まれたから将来は安泰だのと僻むご令息達には本当に困ったものだわ」
くつくつと嗤うステラが纏う雰囲気は、正しく怒気。
ほう、あのユエ様に纏わりついたご令嬢や、自分の無能を棚に上げたご令息でもいたんですかね。自ら自分の首を絞めに行くなんて、自殺願望者でしょうか。
「気に病まれることがあるのでしたら、お早めにご相談くださいね。姉上」
にっこりと微笑むクラウディアの胡散臭さがこの上ない。
あぁ、これはまだ意地悪顔の方がまだマシ。あれだ、笑みを浮かべたまま暴言を吐くパターンだ。この第二王子、新技(?)を覚えたらしいんだよね。
「あぁ、そうでした。姉上、聞いて下さいよ。この間ライゼルスで知り合ったリズベルト兄妹が呪いを教えて下さったんです」
思い出した、と両手を合わせて進言するスカイティアの無邪気な──内心は別かもしれない──笑顔が空恐ろしい。
話を逸らすのではなく自ら渦中に行きやがったぞ、この第三王子。というか、何を教えているのですかね、リズベルト公爵家の令息令嬢は。呪いが効くかどうかは兎も角、実験台にする気ですよね?
「それはそれは……まぁ、害があれば消されるだけですから。そうお怒りにならずとも宜しいかと」
〈影〉の皆様のお仕事ですからね、とばかりに嫣然と微笑むレーウィスは害虫は駆除されるだけだと言い切った。断言されるだけの信頼があるのは、過去に実例があるのだろう。
……俺は知らない。揃いも揃って兄弟至上主義で、主大事な方々に喧嘩を吹っ掛けるお馬鹿さんなんて、関わりたくもないし、そもそも俺は関係ないし。
「──もう視界にも、入れたくないわ」
絶対零度の王女様、貴女のその発言で消される令息令嬢の数は何人でしょう?あぁ、監督責任の追及で保護者の方も失墜するんですかねぇ、ご愁傷様でした。




