城下の警邏兵団
ルゼノ王のお膝元である城下に訪れたのは何度目か。ヒカルは第一王子の御遣いで度々城下に訪れていたが、スカイティアもお忍びの外出に慣れたのか、城下には割と足を運ぶようになっていた。
(ま、それが王子として良い事なのかは微妙だが)
ヒカルは一介の小姓だが、王子であるスカイティアに何かあった時は大問題である。護衛を兼ねたレーウィスは勿論、王族護衛部隊〈影〉が付いていることはヒカルも分かっているが、それでも護衛対象であるスカイティアが王城内の様に──いや、王城内も含めてだが──気軽に出歩くことに無警戒というのは少々危険な気がする。
辺りを警戒するのは、最早ヒカルの癖だ。元奴隷の割に警戒心が薄い、と王弟子息であるユオルディーラに指摘されたこともあって、外出の際にはスカイディアとレーウィスから離れない様に、かつ不審者がいないか警戒する様にしている。
子供の俺が何かするというより、単純にこれ以上誘拐される案件とか、俺がお荷物になることが無い様にしたいと言うのもあるんだけどね…。
「わっ!」
目を逸らした瞬間、ドン、と身体に衝撃が走る。重心がぶれて二歩、三歩と後ろに下がった。
(不注意なのは俺だったか。いや、明らかにぶつかって来たんだけど)
当たり屋でない事を祈りつつ、視線をぶつかってきた輩へと視線を向けた。ぶつかった衝撃で視界が反転したが、雑踏を掻き分けて逃げる輩への怒号が聞こえた。どうやら恐喝目的な訳ではなかったらしい。ほっと息を吐いたのも束の間、ヒカルはハッとした。出掛ける際には何時も付けているブローチが胸から外れ、何処かへと消えていた。
(いや、違う)
ヒカルは慌てて駆け出そうとした。先程ぶつかってきた輩は、引ったくりだ。
「ヒカルっ!?」
後方から、スカイティアの呼び声が聞こえた。しかし、ヒカルは止まれない。奪われたのが自分の所有物ならば兎も角、あれは第一王女から下賜されたブローチだ。おいそれと手放していいものではない。
雑踏を掻き分けて、ヒカルは走った。大人の足の方が速いが、雑踏の中では巨躯の方が邪魔だ。小柄さを活かせば、ヒカルの足でも追いつける。
「待てっ!俺のブローチを返せ!」
追ってくるとは思わなかったのか、一瞬此方を見た男が焦ったように視線を寄こす。自覚している様で何よりだ。
「──いけませんね、他人の物を盗んでは」
聞こえた声音は軽い口調で、ヒカルの真上からだった。上を飛ぶ、小柄な影。ヒカルが追っていた輩の背に飛び掛かったその影は、ヒカルよりも少し上の少年の姿をしていた。
「は…?」
ヒカルは呆気にとられた。城下の少年だろうか。少年に踏み潰された男はくぐもった呻き声を上げ、その男の腕からハンドバックを取り上げた。どう見ても男の腕にはそぐわないデザインである。
(……あれも引っ手繰ったのか)
ヒカルの胸からブローチを掠め取るのだから、手慣れた輩だろうとは思ったが、どうやら余罪がありそうだ。
「えーっと、君は…?」
紅の髪色が翻り、緑色の目がヒカルを捉えて短く問う。その身に纏うのは身軽な装いで、何処かの組織に属する者でもないだろう。
(何処かで見たような…いや、他人の空似か)
その紅い髪と顔立ちに一瞬浮かんだ既視感を否定し、ヒカルは失礼がない程度に外套を整えた。フードの部分は髪を隠しつつも、目を隠しきらない程度に下げ、口元ははっきりと笑みを浮かべる。
「その男に、ブローチを引っ手繰られまして…」
「成る程ね、此奴、引ったくりの常習犯なんだ」
「それはそれは…」
城下の防犯状態は余りに良くなっていないのだろうか。クラウディアが警邏兵とは何たるかを再教育したと言うが、やはり犯罪の抑止力としては不十分のようだ。
「ブローチと言うとこれか……失礼ですが、このまま警邏兵の駐屯所までいらして頂けますでしょうか?」
男の懐からヒカルのブローチを抜き取った少年は一瞬目を瞠り、ヒカルを捉えて姿勢を正した。
(あ、やっぱり高価なのは分かる感じですか?)
一見シンプルな造形で決して派手さはないが、上品ですっきりとした印象を与えるブローチは、ヒカルのお気に入りである。しかし、王女の持ち物であった以上、高価であることは幼子でもわかる。ステラや従者のシュテルインに尋ねても値段は教えて貰えなかったが、寧ろ知らないままの方がいいかもしれないと、あからさまに視線を逸らしたクラウディアとレーウィスに思ったことが懐かしい。
「お手数をお掛けしますが、保護者が…」
「勿論、保護者の方ともお話を…」
「ヒカル…!」
「あ、来ました、保護者」
聞こえた声に保護者、基、スカイティアとレーウィスが姿を見せたことを知る。しかし、関係性は親兄弟でもなければ、直接の雇用主という訳でもないのだがいいのだろうか。
(まぁ、身元引受人と言う意味では合ってるか)
外套ですっぽりと頭から身体を覆うスカイティアは兎も角、レーウィスは青空の下で輝く金髪を惜しげもなく晒している。忌避される『黒髪』と別の意味で目立つ、高貴な髪色を持つレーウィスを捉え、少年は驚くことなくその場で膝を折った。
「……貴方は」
「王都警邏兵団第三駐屯所、サーキット師団長の息子ジェイドと申します」
「あぁ、あのサーキット殿のご子息でしたか」
「レーウィス、知り合い?」
「えぇ、折角ですから、駐屯所にお邪魔致しましょうか」
スカイティアの問いに肯定したレーウィスは有無を言わせず、ジェイドと名乗った少年の案内を元に駐屯所へと向かった。
第三駐屯所という警邏兵団が管轄するのは、城下の南だ。贔屓にしている喫茶店も、その区域にある。第三駐屯所の構造は煉瓦造りの古風な建物で、その年季を感じさせる。余談だが、ひったくり犯はジェイドが手配したらしい警邏兵に引きづられて行った。手慣れている様子。
「ジェイド!」
「サーキット師団長、此方が被害に遭われた方です」
警邏兵団の師団長──第三駐屯所の責任者だという男は、サーキットと名乗った。その男の登場に、ヒカルはジェイドを見た瞬間に覚えた既視感に納得した。
(…前に外食した時に見た警邏兵の一人じゃん)
恐らく、彼もクラウディアが指導した警邏兵の一人だろう。クラウディアと一緒に外出した際にクラウディアに敬礼していた中年の男の顔を、今思い出した。
「この度は引ったくりの被害に遭われたと…」
「えぇ、私ではなく、彼ですが……ヒカル、ステラ様に頂いたブローチは此方でしたよね」
ステラ様、と聞いて、師団長とジェイドの顔が一瞬強張った。自国の王女、それも第一王子の右腕と称される切れ者の名を知らない訳がない。
レーウィスは笑みを浮かべながらも、何処となく凄みを感じさせた。
(あれ、レーウィス殿、ちょっとお怒りだったりします?)
まぁ、一歩間違えれば被害に遭っていたのは、スカイティアだったのだ。気が立つのも致し方ない。
スカイティアは外套こそ纏っている物の、その下には王族らしい仕立てのいい服と装飾品が煌めている。勿論、スカイティアの周囲には護衛がいたので、「もしも」の事態は起きなかっただろうが、城下で犯罪が起きていることに変わりはない。
犯罪そのものが起きないようにすると言うのは難しい。否、不可能だろう。警邏兵団は犯罪の取り締まりを行っている組織だが、犯罪が起きた責任が彼らにある訳ではない。
一方、王城で起こる陰湿な策謀で被害者が出た場合、騎士団のせいではないのだが、被害の規模というか状態によっては護衛対象を守れなかったと判断されて責任を取らされることもざらにある。似たようで似ていない組織だな、とヒカルは思う。
そういえば、クラウディア様が指導した警邏兵団の話って、意識改革もあったっけ?
守る者は違えど、同じく『何かを守る者』であるという意識?……まぁ、その辺の心意気は気の持ち様でもあるからなぁ。その辺の意識を入れ替える為の再教育によって、クラウディア様のシンパができたとか。何をしたかは聞かないけど。
その思考は兎も角、目の前に差し出されたブローチを繁々と眺めて確認する。
「えぇ…無事でよかったです」
「欠けた部分はありませんか?」
「はい、雫型の石にも台座にも傷や歪みはなさそうです」
受け取ったブローチに傷がない事を確認して、ほっと息を吐く。
(もし壊したりしていたら、ステラ様が微笑みながらも別の物を用意しそうだ…)
「……被害届と、形式的な質問なのですが」
「えぇ、時間は構いませんよ。後は王城に戻るだけですので」
受け答えをしているのは、レーウィスだ。ヒカルはレーウィスを見上げつつ、予測を立てた。
クラウディアの教育があったとはいえ、多くの人間が集まる組織は気を抜けば腐敗の一途を辿る。汚職は論外だが、職務怠慢による治安の悪化は王都、国の問題に繋がるのだ。王宮勤めのレーウィスにも関わることになると思えば、釘を刺しているのだろう。
「スカイティア様、このような事は滅多にない事です。折角ですから、見学されますか?」
「……いいの?」
きょとん、とスカイティアは青い目を瞬かせる。
(うーん、レーウィス殿はスカイティア様にもお勉強させたいのかな?)
「第三王子殿下であらせられましたか!大変失礼を…!」
レーウィスの思惑を分析しようとした矢先、その場で師団長とジェイド、その他の勤務している職員までもが一斉にスカイティアに注目して頭を下げる。凄い光景だ。
王城でもスカイティアに対して頭を下げる人間が何人いるだろうか。そもそも人前に出ない以上、こんな光景は見られない。……というか、スカイティア様は嫌がりそう。
「いえ、顔を上げてください。突発的なことだったので、此方こそ気を使わせてしまって申し訳ない」
咄嗟の事でスカイティアも慌てたようだが、その言葉に周囲は安堵した様だった。スカイティアは白いローブで髪色を隠してはいるが、その顔を隠している訳ではない。青々とした澄んだ瞳は穏やかに眇められ、優しい雰囲気を纏っている。顔は出ているのだから『日に焼けやすい』とでも理由をつけて外套を外さないという状況も、身分的にも通るだろう。
(レーウィス殿、これってイメージ戦略の一環?)
そう思いながらジト目でレーウィスを見遣れば、案の定というべきか、何時もの笑みを浮かべていた。美麗な顔に浮かべられた微笑は、それこそ貴公子そのものだ。
(……腹黒いって訳ではないんだけど、意味なく何かをする人ではないんだよね。ユエ様と相性がいいわ、そりゃ)
「ヒカル」
「う、え、はい!」
一瞬思考が読まれたのかと慌てて返事をして見上げれば、食えなそうな顔──正し、標準装備の微笑を浮かべていたレーウィスに、被害届と質問に答えるように促された。……久し振りにレーウィス殿が怖いと思った。
「それでは、此方に氏名をご記入…あぁ、綴りを言って頂ければ代筆も可能ですが」
「いえ、自分で書けます」
「流石、王宮にお勤めされる方ですと、読み書きも問題ないのですね」
ぽつり、と呟かれたようなそれは、問いでも何でもなかった。ただの呟き。答える必要はない。
第四王子から聞いた話によると、王都では基本的に読み書きを習う学び舎がないと言う。ルゼノ全土でも教育機関が発達した地域は三ヶ所の領地のみで、他には実家が裕福ならば家庭教師が着き、また一般家庭ならば商家などの奉公に出た先で必要な分だけ学ぶと言う。
(そう、あくまでも必要と判断されるものだけだ)
ヒカルは読み書きができなければ、ルゼノ王城に来る前にもっと手荒な扱いを受けていただろう。体つきが華奢なヒカルは労働奴隷としての価値が殆どない。価値が低ければ、壊しても大した損害にはならない。そもそも奴隷という存在は消耗品だ。長持ちすればいいが、生産効率にそぐわない奴隷を維持する意味はない。お払い箱ならばまだしも、その場で処分されることもあるだろう。
だからこそ読み書きができたヒカルは体に合わない重労働を課されず、比較的マシな環境に置かれた奴隷だったと改めて思うのだ。
「……名前と、盗難被害はブローチ、とだけで大丈夫ですか?」
「はい、結構です……それから幾つか質問を」
形式的な問いなのだろう。何処で、どの様にブローチを盗まれたか。犯行状況は兎も角、犯人は既に確保され盗難品も無事だった以上、もう聞くことも無いだろう。
サーキット師団長はふと視線を上げた。その瞬間、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「……第二王子殿下っ!?」
「え」
「此方に、俺の弟が来ていると聞いたもので」
不意に聞こえたのは言葉通り、第二王子クラウディアの声だった。駐屯所の入口に立つ、赤い髪を一つに束ねた深青色の瞳が印象的な長身の青年の登場に、駐屯所は色めき立った。
(おぉ、なかなか人気ですね、クラウディア様!)
「クラウディア殿下!」
「邪魔するよ、第三駐屯所の皆さん」
悠々と室内に入ってきたクラウディアは簡単な挨拶をすると、スカイティアの元にやってきた。
「兄上、どうされたんですか?」
「王城に戻るところだったんだが、お前達がいると聞いてな」
「え、態々迎えに来て下さったのですか?」
何処で聞いたのか知らないが、クラウディアは公務帰りの様だ。暫く姿を見ていなかった気がする。
「まぁ、そんなところだ……理由がなければ、駐屯地になんて来ないだろう。何があった?」
「ヒカルが姉上から頂いたブローチを盗まれまして」
「……あぁ、あのブローチか。怪我は」
ブローチの存在はクラウディアも知っている。つい、と眉を顰めたクラウディアは怪我の有無を尋ね、スカイティアは否定した。
「ありません。現行犯で犯人も捕まっています」
「それならいいが……サーキット師団長、お勤めご苦労」
「第二王子殿下がいらっしゃるとは…御足労頂き、ありがとうございます」
「いや、個人的な用事だ。最近、俺の弟は城下探索が趣味なようでな」
師団長に微笑みかけるクラウディアは、正に理想の騎士像だろう。王族でありながら前線に立つことを厭わず、部下に慕われ、城下の人間に対して横柄な対応をしない非常に親しみやすい人物だ。
つくづく初対面の横柄な王子様は何処へ行った感があるけど、こういう親しみやすさって大事だよね。レーウィス殿がスカイティア様を連れてきたのは、クラウディア様と親しい人がいる安牌な所だと思ったからかな?
「趣味と言うほど出てきていませんが」
「ほう?この間、部屋を訪ねたら、お前は城下に出掛けたからいないと言われ、俺は寂しく一人で過ごす羽目になったぞ」
「……そんなこともありましたね」
スカイティアの反論にクラウディアが直近情報を出して拗ねて見せると、そこだけは反論の余地がなく、スカイティアが視線を逸らした。
「仲が宜しいのですね」
微笑ましい光景に、サーキット師団長の表情が綻ぶ。漂っていた緊張感が和らいで、駐屯地の空気も心なしか緩んだ。
「あぁ、俺の自慢の弟だよ」
「自慢して頂けるほど、出来た弟でないと自覚しておりますが」
クラウディアの肯定にスカイティアは呆気に取られたかと思えば、困ったように否定する。……そこは黙って苦笑しておけばいいんですよ、スカイティア様。
「はは、第三王子殿下は謙虚な方なのですね」
「クラウディア様のお話と言えば、普段からご兄弟のお話ばかりですからねぇ。今、紹介できて嬉しいのでしょうか」
「え、兄上、一体何の話を?」
「さぁ?何だろうな」
嫌な予感でもしたのか、表情を引き攣らせたスカイティアに、クラウディアは惚けた振りをする。それにどっと笑い声が響いた室内に咎める言葉は無く、そのまま笑いが広がった。
ヒカルがレーウィスを見上げれば、何時ものように穏やかで優しい微笑を浮かべた美貌があった。
ふーん?これで第三駐屯地はスカイティア様とクラウディア様が仲良し兄弟ってことで認知される訳だ?スカイティア様の為人とか、クラウディア様との掛け合いで分かるもんね。
でもさ、これって何を目指している訳?まぁ、レーウィス殿がスカイティア様を大事にしているのは解かるから、悪い様にはしないだろうけど。
レーウィスの腹の内が読めないのは何時もの事か、とヒカルは賑わう駐屯地をただ眺めていた。




