第一王子は金髪王子
『君は驚かないんだね』
長い黒髪を項で結んだ彼は、何時も黒いローブを纏っていた。
黒い双眼を眇めて笑う彼はまだ若く、優しげな顔立ちをしている。
それでも、彼はルゼノで畏れられている。いや、彼が畏れられているというのは正しくない。元々、この国の独特な風習と言うべきか、彼のような容姿……黒髪や黒い目、黒を纏うものを、自分とは異なる者として見ている。
彼に関しては、恐れられるべき決定打があるのも事実だが、以前から言い伝えられている伝承故に彼以外に『黒色』を持つ者達も恐れられるのだ。
『どうして、分かったんですか?』
金色の髪に空色の目を持つ少年に、彼はにっこりと微笑んだ。
『僕は情報屋だから』
『本当に?情報屋は何でも知っているの?未来に起こることを?』
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ少年に、彼は苦笑する。
『……そうじゃない。旅をしていた分、他国の文化や知識があるだけだ。勿論、調べて分かる情報を売っているは確かだけど。あの時は未来に起こることが分かったんじゃなくて、起こりうる可能性を示しただけ』
◆◇◆◇◆
ふっ……と目を覚ます。
目を開けてみれば、白い天井が映る。天幕でない、天井だ。つまり、此処は寝台の上ではない。自室の長椅子で転寝ていたようだ。
「お目覚めですか?兄上が転寝なんて、珍しいですね」
「あぁ、ごめん。ステラ、来ていたのか」
眠っている間に来たらしい妹はユエが寝転んでいた椅子の向かいで本を読んでいた。取次の者が入れたのだろう。……こうして自由にユエの部屋にやってくるのはステラくらいだ。
「紅茶でも入れます?」
「あぁ、頼めるかな?……王女なのに、君は何でもできるね」
本を横に置いて、ステラが立ち上がる。部屋には侍女も侍従もいない。ユエのこの部屋は彼だけの、そして彼が許した者だけが立ち入れる私的空間だ。……別にいてもいいんだけどね。
「自分でやらないと、うっかり死んじゃうかもしれないじゃないですか」
「……そうだね」
不穏な言葉とは裏腹に、彼女はにっこりと笑う。
彼女もまた、ユエに劣らず敵の多い王女だ。ただの政略結婚の駒としてあった王女ならば、こんなにも危険と隣り合わせな人生にはならなかっただろうけれど、彼女は敢えてこの道を進んだ。
「あぁ、ご心配せずともユエ兄上のカップに毒など盛りませんよ?」
「そんな心配なんてしてないよ」
「ふふっ……この間、毒蛇を駆除したばかりなんですよ。本当に懲りない方」
微笑んだまま、彼女は馴れた手つきで茶器を用意する。普段から自分で用意しているのだろう。彼女の周りをユエの配下で固めても、これは治らなかったようだ。
全て自分の力で解決しようとする傾向にある妹は、政に始まり、馬術に弓術、最近は体術も護身用に習得したらしい。護衛の意味がない気がするが、それだけ身近に味方が少なかったということ。今も尚、クラウディアと同じように癖となった『毒見』のような食事の一口目も、彼女なりの自衛だった。
「スカイティアとクラウディアの部屋に仕込んだとか?レーウィスからも聞いたよ」
「えぇ、恒例となっていますわ。手を変え品を変え……よくも嫌がらせを思いつくものですわ」
「……そんなにクラウディアやスカイティアが怖いかな?」
ユエがぽつり、と呟けば、ステラは茶器をテーブルに置いた。ほんのりと甘い香りが鼻孔を擽る。
「そうみたいですね。私が女だから、クラウディアほどの武勇は得られない。スカイティアには伝承故に得体の知れない力があるのではないかと恐々として……まぁ、ご自分の地位を確立できない故に恐れているんでしょう」
「正妃の地位は空位となって長い……今更擁立する必要もないだろうが、それが却って地位争いを起こしかねない、か」
「新たに正妃を擁立するならば、それは兄上と敵対を明確にする勢力にことになるでしょう。……例えば、ヴァイスの母君とか?」
「彼女は有り得ないよ、地位が低い」
「それは我々の母達と比べて、ですよね。クラウディアの母君は赤髪故に有り得ないとすれば、私の母ですか?首輪付ですよ?」
ステラの意見を聞きながら、ユエは思考する。
ルゼノ王は、正妃が亡くなってから新たな妃を迎えることも、側妃の中から正妃を擁立することもしなかった。順当にいけばステラの母親が正妃となっただろうに、王はそうしなかったのだ。……ステラが継承権を持たない王女であったことを指摘されたのかもしれないが、今となってはステラが王女であろうと関係ない。
ステラの母親は実家を含めて王に反意を持ちうる危険分子だ。王女の婚姻に口を出すなど、実の母親でも許されない。いや、相談するならまだしも、独断で他国に持ち掛けたのだ。これが王への反意でなければ何と言うのか。
ステラが望んだなら、王とて考慮の余地はあっただろう。しかし、それが国の為どころか、エトワリス妃とミストリア公爵家の権威拡大の為にされたのでは溜まったものではない。
だから、首輪つき。既にミストリア公爵家にも通達もされている。反逆者の一歩手前だ。
「……でも、操り易いと言えば操り易いんだよね」
「兄上なら上手く転がせるでしょうけど、ヴァイスには荷が重いのでは?」
「そうなんだよね……あの子はまだ幼い」
形だけの王妃を、王の横に飾る。それはそれで国の体裁だけを取り繕うことができれば御の字だが、ヴァイスが即位した後に『王妃であった』『王妃を輩出した家』という理由でミストリア公爵家が勢いづくことも予想できる。
それが問題と言えば問題だが、ヴァイスルナハルトは王位継承権第二位の王子だ。うまく操れなくては困る。
──この国の王になる心算なら、尚更だ。
ヴァイスがステラに宣言したからこそ、ユエもその準備をしているのだ。まだ幼い弟には時間が必要だと分かっているが、ユエは時間があるとは思っていない。
「兄上、そろそろ実行するお心算ですか?」
「勿論……君にも苦労を掛けるね」
「私は最初から共犯者ですもの。今更ですわ」
「……ごめんね」
覚悟など遠い昔に決めていると、その為に計画を進めてきたのだと、彼女の真っ直ぐな瞳がそれを物語る。だからこそ、彼女達に背負わせてしまう役割は決して軽くないから、ユエは何時だって彼女らに対する罪悪感が消えない。
「ユエルディーネ兄様、私は……私達は望んで兄上の共犯者になったのですわ。謝るなんて、私達への侮辱ですわよ?」
ステラはユエの思いを掬い上げるように、にっこりと微笑んだ。
「……そうだね」
──でも、ごめんね。
言葉にはしない。彼女の言う通り、誰しもが選んだに過ぎない。ユエは選択肢を与えただけ。ステラを含めて、彼らはユエが示した選択肢の中から己の道を選んだに過ぎない。
……けれど、望みを成し遂げる為に犠牲になることを、それが自身の望みだから犠牲になったと思わないで欲しいと言われた時、僕は自分の選択が、愚かな間違いではないのかと自問せずにはいられなかったんだ。
「迷いがあるのでしたら、まだ先延ばしにしてもいいのですよ?我々は何時でも行動できると言うだけです」
「……ありがとう」
ユエの思考など、ステラには御見通しだ。一番の理解者であるステラに気遣われ、ユエは苦笑するしかない。
聡明で優しい、僕の共犯者。
主犯が迷っていては、計画が立ち行かないよね。
◆◇◆◇◆
「……珍しいですね、ユエ兄上が僕の部屋にいらっしゃるなんて」
まだあどけなさを残した第四王子ヴァイスルナハルトは、唐突な異母兄の訪問に目を丸くした。
「あぁ、ステラを送った序にね」
「姉上を?相変わらず、仲の宜しいことで」
何処か呆れたような、不機嫌そうな表情を浮かべているのは、ステラが最近構ってくれなくて拗ねているのだろうか。
人のことを言える立場ではないけれど、僕の弟妹は皆兄弟が大好き過ぎないかな?ヴァイスは特にステラが好きだよね。
「ステラに構って貰えなくて、寂しいのかい?」
「そ、そんなんじゃありませんよ…!」
ユエの指摘にヴァイスが真っ赤になって否定する。……分かり易い子だ。今後が心配になる。
「そう?それならいいけど……ステラも漸く望まぬ縁談攻撃から解放されて喜んでいるんだから、ヴァイスも祝福してあげてよ」
「……普通は縁談が調って祝福するのでは?」
「普通はね。でも、普通じゃないんだから仕方ないだろう?」
「それは賛同致します。エトワリス妃の様子からしても、あれは姉上のことなど考えていないにも程があります。政略結婚にしても、もっと良い相手がいますよ!」
前回の縁談を思い出したのか、憤慨するヴァイスにユエは表情を引き攣らせた。……大丈夫だろうか、本当に。
「……参考までに、ヴァイスが考えるステラの理想の婚姻相手は?」
「兄上方三名と、レーウィスと……そうですね、護衛のシュテルインの良い所取りをした方でしょうか」
「……それは想像がつかないのだけど」
ヴァイスから見て、三人の異母兄はユエとクラウディア、そしてスカイティア。スカイティアの側近のレーウィスと、ステラの従者シュテルイン。随分と個性豊かなメンバーが出たものだ。
「ユエ兄上の様に頭がよく、クラウ兄上の様に剣術に優れ、ティア兄様の様に穏やかで、レーウィスのように誰とでも仲が良くて、シュテルインの様に姉上を誰よりも愛している方です」
「……最後の項目が重要な気がするけど」
ヴァイスの目から見ても、シュテルインの、ステラへの忠誠を越えた愛情は駄々漏れらしい。誰よりもって言われてるし、間違いないだろう。
「ですね、だから僕はシュテルイン推しです。でも、頭はユエ兄上の方が良いし、剣術はクラウ兄上といい勝負なので及第点とは言えますが……致命的に愛想がない。だから、レーウィスのように誰とも仲が良いとは言えないし、ティア兄様のように穏やかに笑うのは……大体、姉上が見ていない時です」
「……よく見ているね」
ヴァイスの分析力と評価に、ユエも納得している。
シュテルインの頭は悪くないし、剣術の腕もなかなかだ。ステラ自身が護身術を心得ている分、守りながら戦うというよりは共闘する形になるだろうが、ステラの性格からしても大人しく守られる性格ではないから十分だ。
ただ欠点と言えば、愛想がなく、感情が欠落している様に見えることだろうか。まぁ、シュテルインの幼少期の生活を見れば仕方ないのかもしれないが。
「それだけ姉上が僕を気にかけてくれていたということです」
「……ステラも、兄弟が大好きだからね」
ヴァイスは後ろ盾が確りしている分、兄弟の中では比較的安全圏にいるとはいえ高位の王位継承権を持つ王子だ。全く心配がないとは言えないし、実際誘拐事件もあった。だからこそステラは時間を割いて異母弟達と時間を過ごし、彼らの敵を炙り出し牽制し、時には闇に葬ってきた。
「姉上が僕を気に掛けることを、何故と思いますか?」
「いや、理由は見当がついているよ」
ヴァイスが本当の理由を知っているか定かではないが、彼なりの解釈でも構わない。
「まぁ、そうですよね……何と言うか、兄上と姉上はお互いを分身のように思っているような節がありますが、本当に理解し合えていますか?」
「さて?どうかな」
「むぅ…」
曖昧な答えを渡せば、ヴァイスは口を尖らせる。
「何か不満かな?」
「だから、僕はユエ兄上が嫌いなんです!」
「……そう、残念だ」
感情が豊かな第四王子は、王候補としてはまだ未熟かもしれない。それでも、そんな今の彼が愛しい弟であることに変わらない。
「僕はヴァイスが大好きだよ」
「……そうですか」
頭を撫でて告げれば、ヴァイスは抵抗しなかった。代わりに何かを噛み締めるような、堪えるような表情が何の為に抑え込まれているのかは分からなかったが、これ幸いとばかりに頭を撫で回せば、いい加減にしろとばかりに睨まれた。エメラルドのような緑色の瞳は部屋の灯りを受けてより輝きを増すと、何故か泣くのを堪えているように見える。
「もう、いいでしょう、兄上…僕だって、もう子供ではないのですよ」
何かを抱えているのではないかと問う前に、ヴァイスに腕を掴まれて顔を背けられる。やんわりとした、けれど、それが拒絶だと分かって、ユエは苦笑する。
「あぁ、すまない。お休み、よい夢を」
「…お休みなさい。兄上も、よい夢を」
儀礼的な挨拶も、あと何度交わせるだろうか。何れは触れることは愚か、言葉を交わすこともなくなるだろう。
(何時か、そんな日が訪れる)
ヴァイスの部屋を後にしたユエは回廊の途中で今宵の月を見上げた。星の見えない、月の光が強い夜は何故だか無性に泣きたくなる。
「……君に孤独な夜は似合わないよ」
月は無数の星に囲まれているけれど、時々その月の強い光に負けて星は姿を暗ませてしまうのだ。月は陽の光がないと輝かない星だが、受けた光が強すぎれば周囲の星を消して孤高の存在になってしまう。
そんな夜が、ユエは大嫌いだった。
大切な異母弟の未来が、決して孤独な道にならないように。
多くの仲間とともに輝く王となれるように。
──僕が君の兄としてできる最高のお膳立てをしようじゃないか。




