教育の重要性
「──お疲れ、ヒカル」
ルゼノ城──第三王子の宮殿付近の庭園にて、何故だか神出鬼没な第四王子殿下ヴァイスルナハルト様に捕まった。
「…行き成りなんですか、ヴァイス様」
「ライゼルス訪問で暫く会っていなかったのに、随分と寂しい反応だね」
「ご無沙汰して申し訳ありませんが…」
そもそも第四王子殿下たるヴァイス様がこうして気軽に出歩き、第三王子付とはいえ小姓モドキに過ぎない俺に話しかけるのは如何なものかと。
言葉にしなくとも、彼曰く『目は口ほどにものと言う』とばかりにじっと視線をやれば、言いたいことはやはり伝わったらしい。ヴァイスは肩を竦めて笑う。
「今更だね…そもそも陛下に名を覚えられるくらい有能な小姓なら、主人以外の王族と話していたって不思議はないじゃないか」
「……確かに今更ですが」
あれねー、本当に厄介事に成りましたよ。一人歩きした噂に釣られて、次から次へと貴族らしい方の御付からの意味不明なお誘いが。
シュナイザー伯爵以外は適当にあしらっていいとユエが許可をくれたが、それにしても大勢に知れ渡っているものだと驚くのを通り越して呆れた。……というか、何故、シュナイザー伯爵だけ別枠なの。
「端から断ったらしいけど?」
「高が小姓に、何を話したいと言うのです。しかも、遣わされた方々は、明らかに俺のことを小姓という身分以前に、『黒髪』の奴隷風情が!とばかりの眼差しで見下す方ばかりでしたし」
俺が見下されるのは何時ものことだし、正直どうもでいいの。俺が奴隷だろうが小姓だろうが、従うのは主人だけだもの。
まぁ、相手は相手で主人から遣わされているのに、御遣いを果たせなくていいのかな?とは思ったけど、知らない人には付いていかないのは子供の常識ですよ。その後に誰が叱責されようが、俺が知ったこっちゃないよね。
「何だ。思った以上に、主人の使いすらまともにできない使用人が多いようだね?」
「そういえば、同じ人が二度と来ることはなかったですね。どうしたんでしょう?」
「……どうしたんだろうね?」
さぁ?どうしたんでしょうね、本当に。俺の知ったこっちゃないけど。
「いっそ、その態度が清々しいよ」
ヴァイスが苦笑を浮かべるが、それに関してはヒカルが知ったことではない。
「それはそうと、今日は如何されました?」
「…用が無いと、声を掛けてはいけないのかい?」
「そうは申しませんが…」
と言うか、それ以前に結構いらしてましたよね、これといって用事もなく。
「此処の所、ちょっと勉強ばかりで肩が凝ってね。シュナイザー伯爵も、珍しく息抜きして来いってさ」
ライゼルスに同行していたシュナイザー伯爵は、ヴァイスの祖父であり後見人だ。ライゼルス滞在時に第二王子、第三王子との関係を深めた──多分、悪いことにはなっていない筈だ──彼は、隣国訪問前は派閥問題もあり、ヴァイスと他の兄妹と接触させたがらなかったのだが。
まぁ、俺は派閥に関係ないけど、此処は第三王子の宮殿の直ぐ側ですよ?俺がスカイティア様や遊びに来ていたクラウディア様と一緒だったら、どうするの。
ヒカルが一人だから声を掛けたのだろうか。最近は城下への喫茶店──情報屋と発覚した店──に行くことが多く、余り宜しくないが抜け道を教えて貰った。
ユエ様曰く〈黒の予言者〉と課外授業の度に使っていたという抜け道。いや、俺に教えるなよ。というか、そんな抜け道を黙認していていいの?誰にも言わないけどさ。城門を使うと、ヴァイス様と再会した時のようなことが起こりかねないし。
「勉強と言っても、やっていることは君と大して変わらないよ?」
「はい?」
「ユエ兄上達から色々と話を聞いているんだろう?ティア兄様と一緒に。ルゼノの歴史や隣国関係とか…あぁ、最近では経済学も入っているんだよね。元々ティア兄様の得意分野らしいけど、ライゼルスの公爵家の者と熱心に語らっていたって」
えぇ、確かに歴史における地理学的な要素とか、隣国との関係とか、経済的な話もされていますね。スカイティア様が。……俺、本当に聞いているだけですよ?第三王子の宮殿を話の場に使うから、俺にも自然と情報が入って来るだけで。
聞いているだけで学んでいる訳ではない、と告げれば、ヴァイスは困ったように笑う。
「それ、かなり恵まれた環境だからね?」
いえ、分かっていますけど。知ったところで、俺が如何こうする話じゃないですし。
どれだけ学ぼうと、今度に活かすことは無いだろう。時々ユエからの仕事があるが、その程度。何時か、この王宮を離れれば関係なくなる話だ。
「……君は地頭が良いから、わかるだろうけど」
「はい?」
また妙なことを、と首を傾げれば、ヴァイスは至って真剣な目をしていた。
「この国では、まだ教育機関が思うように設立されていない」
「学び舎、ですか?」
東国でいう寺子屋に該当するのだろう。幼少の子供が「読み書き・計算」といった基礎知識を学ぶ場所が東国にはあった。高等教育という学び舎もあると聞いたが、ヒカルの年齢では寺子屋に通うのが一般的だった。
これに関してはちゃんと記憶がある。一時的だが、母と伯父の父──つまり、祖父の故郷だという国に滞在していた際にお邪魔した。しかし、伯父の教育のせいで意味がなかった。寺子屋での学習は基礎レベル過ぎてヒカルの復習にすらならなかったのだ。
……今思うと、伯父は俺をどうしたかったんだろう?多分、そんな押し問答があったせいで明確な記憶があるんだ。俺、それ以外に東国の記憶殆どないし。
まぁ、それはさて置き。ルゼノにはそういった場がないのか、とヴァイスを伺った。
「あぁ、この国の中でも子供に学ぶ機会を与える場所は非常に少なくてね」
「少ないということは、ない訳ではないのですね」
「あぁ、王族貴族は王立の学校があるけど、庶民で学ぶ機会を得るにはファーレン侯爵領か、アーベント伯爵領……或いは、アルセル侯爵領に行くしかない」
聞き覚えのある名に、ヒカルは記憶を辿る。……最初のファーレン侯爵は聞き覚えはないが。
「アーベント…というと、確かレーウィス殿の?アルセル侯爵は、ユエ様の叔父上様ですね」
「そうそう…あの三つの家は特別。王都は栄えすぎた。王都にある商家の生まれや、その業界に縁ある者はその店先で見習いとして働いて学ぶから、特別他の勉強をしてまで、家業以外の職に就こうとは思わないらしい」
「家業を継ぐことが前提というのは、悪いことではないと思いますが」
「悪くはない。だが、前例を引き継ぐだけで向上しない」
ヴァイスの意見には、ヒカルも理解できる。
「例えば新しい技術があるにも拘らず、伝統に拘る余り生産量が上がらない。生産量が伸びないから、売り上げも横ばいになる、とか?」
……今に甘んじて、想定外の危機に備えられないと言うのは問題だな。
「そうだね…懸念しているのは知識不足による恐慌だけど」
「……あぁ、ヴァイス様もご存知なのですね」
ヴァイスの言わんとしていることは、何となく分かった。家業の為の勉強だけでなく、歴史を踏まえた上で将来を見据えた話だ。
言葉にしない部分を補うならば、技術革新を取り入れることも含め〈黒の予言者〉のように世界の情報を持ち、その知識から想定できる災害に対する備えを行うことを周知する為でもあるのだろう。
「知識があれば、できることも増える。救える命もあるだろう」
「……ヴァイス様は〈黒の予言者〉に関して、何か御存知なのですか?」
彼の言葉の端々には、何かを決意したような、覚悟を決めたような意志を感じる。意味深な発言があるのも、彼の中で何かが変わったからなのだろう。
ん?〈黒の予言者〉といえば、シュナイザー伯爵からまだ聞いていないな。というか、お茶会の内容がヴァイス様への愚痴だったからな。あと、ファニエル妃との対面。……あの時間に意味はあったのだろうか、と今になっては首を傾げるしかないけど。
「〈黒の予言者〉…まぁ、聞くには聞いたよ。非常に嫌悪する内容だけど」
「嫌悪?」
「前に言っただろう?僕の最初の教育係の話」
「…その方が何か?」
確か『金髪至上主義』の典型で、ヴァイス様に偏見を教え込もうとした、という方でしたかね。で、シュナイザー伯爵に解雇されたという……シュナイザー伯爵の本家だという辺境伯の推薦でいらした方でしたよね。知らんけど。
「ほら、君も疑問に思っていただろう?曲がりなりにも、王子にはちゃんとした教育係がつく筈だって」
「えぇ、まぁ」
「ユエ兄上とステラ姉上の教育係が〈黒の予言者〉だってことも、知ってるよね。僕に必要以上に『金髪至上主義』を教え込んだ理由が、その〈黒の予言者〉に対する嫉妬だったみたい」
「は?」
おかしな声が出た気がする。いや、だって、おかしいでしょう。
「ね、そう思うでしょ。要するに、彼には彼なりの矜持があって。でも、いくら王位継承権第二位の王子の教育係を務めたといっても、僕と同じ年くらいには才能の開花させていた兄上達に教育した〈黒の予言者〉には敵わないって、誰かに吹き込まれたらしくてさ」
「……ご自分の矜持をへし折っていませんか?」
寧ろ、そこは『金髪至上主義』という価値観は置いといて、教育に力を入れろよ。偏見だけ教えて後は放置とか、一番やっちゃいけないやつでしょ。
「本当にね。その『金髪至上主義』が国外でも通じると思ったんだろうか?おかしいな…一応、留学経験ある筈なんだけど」
「知りませんけど…え、つまり…嫉妬心だけでヴァイス様にそういった教育を?」
「そうみたい。差別する心は自衛みたいなものとはいえ…そこで僕に対する教育に手を抜かれても、困る」
「困るどころか死活問題かと」
「まぁ、確かに」
ルゼノの王位継承権第二位の王子が横柄で差別主義者なんて…そんな教育を平然と受けていたら、絶対にクラウディア様とスカイティア様との間で問題が起こっていたでしょうに。
嫌な想像が頭を頭を過り、そうならなかった現実──目の前のヴァイスの存在が物凄く有り難い存在に思えてきた。
ヴァイス様、非常に真っ直ぐに育って下さり、ありがとうございます。
シュナイザー伯爵、教育係を変更して下さり、心より感謝いたします。
「いや、なんで君が感謝するの?」
「これは、この土地で生きる『黒髪』を持つ民族の代表として?」
「……そうだね、不快だっただろう」
ヴァイスは申し訳なさそうな表情を浮かべるが、これに至ってはヴァイスが如何こうできる問題ではないし、彼に関しては歪まず、真っ直ぐに育ったことに感謝しかない。
「ヴァイス様は本当に真っ白ですよね」
「褒めてるの?」
「えぇ、まだ何色にも染まっていない感じです。これから如何にでもなれる、成りたいようになれる、そんな可能性を秘めた色です」
誘拐事件の時も思ったが、ヴァイスはまだ成長途中なのだ。これから自分の理想を追いかけて経験を積み、ルゼノの王族の一人として自分を形を作っていくのだろう。
「……その理論でいうと、兄上達は何色?」
それを聞いてしまいますか、ヴァイス様。正直、他の方は考えていなかったのですが。
「イメージカラーですけどね…」
必死に絞り出した彼の異母兄達に関するイメージカラーは、彼の印象と違ったようだ。
イメージです!俺の知っている王子と王女なんだから、弟に見せる顔と違って当然でしょ!?と半ば切れ気味に言ったら、ヴァイス様が照れた。解せぬ。




