ルゼノの現状
「──帰っていたのね、ユオルディーラ」
抑揚のない声が響いた、ルゼノ王城の一角。
声の主──王弟妃の視線の先にいたのは長椅子にだらしなく寝転び、テーブルの上に酒瓶を並べたユオルディーラである。
「また城下でお酒でも飲んできたの?娼館通いも、いい加減にして頂戴」
「あー、はいはい。王位を簒奪する気満々のぉ王弟殿下からしたら、堕落した息子なんて、要らないっすもんねぇ?」
くつくつと嗤うユオルディーラに、王弟妃は眉を顰めた。
王弟が、兄であるルゼノ王に並々ならぬ劣等感を抱き、対抗しようとしていることは最早周知の事実だ。そして、その地位を狙っていることも。しかし、幾ら刃向おうとしても流され、未だ大きな問題にはなっていない。
否、大きな問題にならないようにされている。王家の醜聞であることに他ならないからだろう。
ルゼノ王と王に連なる勢力にとって、王弟とその派閥の貴族が起こす問題など、その程度の認識だ。簡単に押さえつけられる。それでも完全な解体をされず罰せられない状態にあるのは、ルゼノ王のアキレス腱を、王弟夫妻が握っているからだ。
しかし、そのアキレス腱が両刃の剣であることも、また事実だ。安易に切り落とすことはできないし、切り札を早々に切ってしまうのは惜しい。
だからこそ、打てる手を思いつくだけ打っているのに。
「どうして、しまったのよ…昔は…」
息子のユオルディーラは優秀だった。それこそ、第一王子ユエルディーネと並ぶほどに。そのまま将来はユエの側近として迎えられるだろう、と言われていた筈なのに。
それなのに何時からか酒と女に溺れ、『放蕩息子』と呼ばれるまでに落ちぶれた。
気づけば、何時もどうしても上手くいかない。先の第四王子誘拐事件も、犯行場所から疑惑を向けられるように仕向けた、忌々しい『黒髪』の第三王子を王宮から追い出し、シュナイザー伯爵から金を撒き上げ第四王子を始末する算段だったのに。
「あ゛?昔が何だって?」
「っ…!」
先程のお気楽な言葉とは裏腹に、重く低い声が王弟妃の耳を劈く。ユオの深い青い瞳が剣呑な光を宿して、王弟妃を射竦めた。
「良いじゃないっすか。大した仕事もせずに王宮で贅沢三昧…これ以上に、何を望んでるんです?」
「それは…!」
ユオの剣呑な雰囲気はそのままに問い掛けられ、吐き出しそうになった言葉は音になる前に消えた。
「……お気楽で、向上心もない放蕩息子の貴方には分からないことよ」
吐き捨てるように言い捨て、踵を返した王弟妃を、ユオはただ眺めた。部屋の外へと消えた背と、聞えなくなった足音、感知できなくなった気配を確認した上で、長椅子に寝転がる。
「向上心?はっ…身の丈に合わねぇ野心だろうが」
それとも、未だに夢と現実を綯い交ぜにした空想の中でに生きているような、お伽噺のお姫様でいる心算か?片腹痛いね。
声に出さないまま、ユオは姿を消した王弟妃を嘲笑う。
王弟夫妻が握っているというアキレス腱の存在そのものが、今か今かとばかりにその首を狙っていると言うのに。それを知らずにいるというのは、何と幸せなことか。
「あー、生きるって、しんどい」
年寄り染みた言葉を呟いて、ユオは目を閉じた。
そして、また悪夢に堕ちる。足掻くことしかできない現実と、知りたくなかったことを知ったあの日を繰り返す夢の中は果たしてどちらが幸せだろうか。
◆◇◆◇◆
ルゼノ王宮内に存在する大図書館。高い本棚にこれでもかとばかりに並ぶ書物でも、何処か息苦しさを感じないのは吹き抜けの構造が開放感を抱かせるからか。
「──それで、ルゼノとゾルドランの関係は深まったの」
図書館の一角を陣取るのは、王族兄妹。ただ今、第三王子スカイティアの為の、第一王子ユエルディーネと第一王女アルトステラによる、大陸の歴史講座を開催中である。
因みに、第二王子クラウディア様はお仕事中です。仲間はずれじゃないよ!
「ネクター公爵はゾルドランとの縁が深いのですね」
「えぇ、だからこそライゼルスとも良い縁になれば、と思って」
大陸の中腹に位置するライゼルスと山脈を挟んで南に位置するゾルドラン。この二か国は標高の高い山脈を迂回して交流するしかなく、迂回ルートの中継地点がルゼノであった。ライゼルスとゾルドランは隣国同士であるにも拘らず、縁遠い国であったというのが、この大陸の歴史である。
……まぁ、その地形のお蔭でゾルドランは過去にライゼルスの前王朝に攻め込まれなかったという話もあるので、一長一短ということらしい。
因みに、何故この話が出て来たかと言うと、先日話にあった隣国ライゼルスの王太子アレクシスが国内外から押し寄せる縁談攻撃に苦悩中である、ということが発端だった。
それを聞いた彼の友人であるルゼノの第一王子ユエルディーネと、第一王女アルトステラ──本当は彼女が一番の有力候補だった──により、最有力候補となる──彼ら曰く防波堤役の──令嬢をルゼノから出そう、となった。
ルゼノからライゼルスの王太子妃候補──もう、王妃候補で良いと思う──を打診するに当たって選ばれたのが、ネクター公爵家のノエル嬢である。
彼女が選ばれた理由は、ネクター公爵家がルゼノ王家の血を引く家系に加え、ライゼルスとは少々疎遠気味な隣国ゾルドラン王家の血を引く上に、父親のネクター公爵がゾルドランに留学経験もあったからだ。
すげぇ、ピンポイントっていうか、好条件の令嬢がいましたね?政略結婚は縁を結ぶ為の、一番手っ取り早い交流方法らしいけど、ネクター公爵令嬢以上に好条件の令嬢っていないよね?
こういった人材の把握と言うか、既に手中に収めている──と言うと語弊があるけど、良好な関係を築いている──王子と王女の、何と恐ろしいことか。
「ゾルドラン側にはお話を?」
「正式にネクター公爵家と話を付けて、アレクも前向きに取ってくれたらね。勿論、ネクター公爵令嬢が個人的にアレクと友好関係を築いた上で、大叔父に当たるゾルドランの公爵と話をするのは自由だけど」
ユエの返答を受け、スカイティアはネクター公爵家の家系図を辿る。スカイティアが指で辿る先にある地図に、ヒカルは目をやった。
……それにしても本当に地理的に狙われやすい場所なんだなぁ、ルゼノって。港の所有は勿論、大陸を分断する山脈の終わりに位置するんだもん。大陸を南北に移動するには、ルゼノを中継するしかないのだよ。立地的に凄い所にありますよね、本当に。それでよくも数百年の歴史を紡げるよ。
机に広がるネクター家の資料と大陸の地図に、ヒカルは改めてルゼノの立地の良さと歴史の長さに感心する。
大陸の最大国家ライゼルスが安定することこそが大陸の平穏に繋がり、またルゼノがライゼルスとゾルドランと友好的な関係にあれば、少なくとも幾度かルゼノに攻め込もうとした国と戦になっても背後から挟み撃ちにされることはない。
「……ヒカル、何か気になる?」
「いえ、お気になさらず」
ユエの問いに、ヒカルは首を振った。
「そう?てっきり、また立地の価値を考えているのかと」
「何故、分かるのです」
何で、俺がそこに目を付けると思うのです。思ったけどさ、立地的に他国が狙いそうだって。実際、過去には幾度となく狙われたって聞いたし。
「視線が地図に釘づけだったから」
「……あぁ、成る程」
俺の視線の先なんて気にしなくていいのに。
ユエ様もステラ様もそういった条件を考えていればこその人選でしょうし…ゾルドランとライゼルスの縁を結びつつルゼノがさらっと介入って……仲を取り持って、三カ国の同盟みたいになっていくのかな。
国の維持というのは、どうやっても利権絡みが影響する。自国と隣国の位置関係は互いの利点を共有できる友好関係を築けなければ、潰し合うだけだ。
「……君のその発想力は本当に歳不相応だよね」
「父親代わりの伯父のせいでしょうね」
うむ、それは断定できる。あの伯父は非常に世の中を客観的かつ現実的に、時に悲観的にも見据えているのだ。母にはそれを止める気はないらしかったが。
「そっか…随分と教育熱心だったんだね」
「熱心というか…常に自分と同じ知識量を求めているようなところがありましたね」
あれは本当に困った癖だ。
『え、前に言わなかった?』
『俺は聞いてない』
『兄さん、それを聞いたのは私よ』
『だって…で?何だっけ?』
そんな会話をすることが何十回とあったか。妹である母に教えたことを、ヒカルに教えたと勘違いして話を進めることが度々あり、何度も話が進まなくなった。
『じゃあ、一から説明しよう』
しかし、その度に生き生きとした笑みを湛える伯父に何時間もの長い時間拘束されて説明された。勘弁して欲しい。
そんなことを思い出していると、周囲から唖然とした空気を感じた。
「それはそれは。私達の教育係とそっくりね」
「本当に…僕達の教育係も、一度説明したら理解したと思って話を進めるからね…それに加え、聞き直す度に別の雑学が出て来るから纏めるのが大変だった」
「…それは随分とスパルタですね」
伯父のような性格の教育係か。それは着いてくのが大変だ。彼らの教育係であった〈黒の予言者〉様は随分と厳しい教育を行う人だったらしい。
「…でも、楽しかった」
「えぇ、楽しかったわ」
ユエとステラは懐かしそうに笑う。
〈黒の予言者〉と呼ばれる彼らの教育係はスカイティアの伯父に当たるが、彼はスカイティアをルゼノ王の元に預けて以降、姿を見せていない。
ヒカル自身は詳しいことまで聞いていなかったが、〈黒の予言者〉たる所以の災害後、ルゼノは隣国──地図上では北東側に位置する国マーシャンドから攻め込まれたという。その際、王宮に出入りしていた『黒髪』を持つ商人達がマーシャンドの間諜疑惑から──勿論、根拠も証拠もなかった。民族的特徴が似ていたと言うだけで──目の敵にされ、迫害されるに至る。そんな状況下では、教育係であった〈黒の予言者〉とその妹──スカイティアの母親も王宮を去らざるを得かった。
臆病な人間的心理といえば、当時の状況は仕方ないのかもしれないけれど。物凄く理由が雑だな。民族的特徴って、何だよ。『黒髪』ってだけじゃん。東に行けば、寧ろ貴方達の方が少数民族。
元々の差別意識が浮き彫りになったとはいえ、証拠もなく迫害って……まぁ、戦争時は何処でもそんなもんだって、伯父は言っていたけどね?根も葉もない噂が一人歩きの果てに勘違いを生むという悲しさ。
話を聞いた瞬間、唖然としたけど、納得もした。まだ十数年前に起こった戦の名残が、恐怖心を煽るのだろう。王都で見かけられた『黒髪』を持つ者の噂だけで、王都がざわつくほどに。
マーシャンドとの戦は、ルゼノ王が国境に向かった所で起きたらしい。そんな条件が、却って王都民には不安だったのだろう。国を守る最高権力者が国境で戦っているとはいえ、自分達の身近にいないのだから。
個人的には、何故辺境まで王が直々に出向くかなって感じだけど。まだ偵察の段階だったらしいんだよね。でも、狙ったように国境で戦になった上に、城でも王弟が権力を振り翳したように見えますが。出所不明の噂って、王弟からじゃない?え、邪推かな?
一度会っただけだが、ルゼノ王と王弟との間には溝があるように見える。権力闘争に敗れ、王弟という地位に落ち着いたように見せかけながら、虎視眈々と王の座を狙っているだろう。派閥も解体されていないし。
「さて、ネクター家の話は此処までにしよう」
「あら、こんな時間ね」
ユエの言葉をきっかけに思考を止める。時計に目をやったステラが手早く資料を集め、片付けた。
「姉上はこのままネクター公爵家へ?」
「えぇ、この件についてとゾルドランの話も聞きたくて」
「ゾルドラン、ですか…」
「あら、興味ある?この間、ライゼルスから帰って来たばかりなのに」
スカイティアの呟きを拾ったステラはニコニコと笑う。ユエも異母弟の反応に関心を示す。レーウィスがニコニコ顔なのは通常運転だが。
そうだよね、この間まで引き籠り生活だったと言うのに、ライゼルス滞在で自信がついたのでしょうか。良いことだ、良いことだ。
「…ヒカル」
突然スカイティアに呼ばれた。何故だか、笑みを湛えられたスカイティアの顔が怖い。
「俺は何も言っていませんが」
「…そうだね」
……だから、何で分かるのです。
ヒカルはスカイティアの物言いたそうな視線から目を逸らしたのだった。
勉強会はお開きとなったが、後日ゾルドランに関する資料でスカイティアの部屋が埋め尽くされたのは言うまでもない。




