第7話 帰宅後の2人 ーー由紀sideーー ①
――高野 由紀 side――
私は、男性と二人きりになるのが苦手だった。
話しかけられるだけで、必ず怖くなるわけではない。授業で必要なことを話したり、友達と一緒に会話したりすることはできる。
けれど、相手から好意を向けられると、どうしても身構えてしまう。
いつからそうなったのか、はっきりとは覚えていなかった。
話している途中で、顔から胸元へ落ちる視線。
断っても、何度も繰り返される誘い。
返事をした途端、冷たくなった声。
そういうことが重なるうちに、告白されると、嬉しさより先に不安を感じるようになっていた。
自分の外見が人目を引くことは、わかっている。
身だしなみにも気を遣ってきたし、きれいだと言ってもらえれば嬉しい。
でも、どんな顔をしていても、嫌なことは嫌だ。
それを伝えただけで、どうして怒られてしまうのだろう。
普段から一緒にいる友達は、そんな私の苦手意識を知っていた。
返事に困っていると話題を変えてくれたり、強引に誘われていると間に入ってくれたりする。
そのおかげもあって、高校に入ってからは、比較的落ち着いて過ごせていた。
廊下や食堂で視線を感じることはあっても、直接告白されることはなかった。
――今日、席替えをするまでは。
*
五時間目の初めに、席替えがあった。
くじで決まった場所へ机を移し、椅子へ座る。
隣になったのは、それまで、まともに話したことのない男子だった。
同じクラスなのだから、顔は知っている。
けれど、普段どんなことを話す人なのかまでは、知らなかった。
席へ着いて間もなく、その彼がこちらを向いた。
「こんにちは! 俺は辻龍弥!」
勢いのある自己紹介だった。
けれど、よく見ると、ずいぶん緊張しているようにも見えた。
隣の席になったから、挨拶をしてくれたのだろう。
そう思い、私も返事をしようとした。
その前に、彼が言った。
「付き合ってください!」
何を言われたのか、すぐにはわからなかった。
教室が静まり返る。
いくつもの視線が、こちらへ向いた。
告白された。
そう理解した途端、胸が詰まった。
今、何と返せばいいのだろう。
ほとんど話したこともない相手から、突然、こんな場所で。
戸惑うばかりで、うまく言葉が出なかった。
結局、その場では答えを保留にしてしまった。
近いうちに、きちんとお断りしよう。
そう考えていたのに、席替えのあとの授業中も、時々、彼の顔が頭に浮かんだ。
辻龍弥くん。
自己紹介で聞いた名前を、心の中で繰り返す。
周囲に質問されたり、からかわれたりしているときも、彼はどこか戸惑っているように見えた。
注目されることには、あまり慣れていないのかもしれない。
少なくとも、私へ声をかけたときには、余裕があるようには見えなかった。
それなのに、不思議と覚えていることがある。
彼は、私の目を見て話していた。
緊張しているのはわかった。
でも、伝えようとする言葉は、ちゃんと私に向けられていた。
それだけで、彼がどんな人なのかわかるわけではない。
突然の告白に、困ってしまったのも本当だ。
けれど、いつものように身構えていた私には、その目が少し意外だった。
(……どんな人なんだろう)
隣の席へ目を向けかけ、慌てて黒板へ視線を戻す。
まだ、ほとんど何も知らない。
彼のことを考えようとすると、そのことばかりが気になった。
*
放課後、教室へ一人の先輩がやってきた。
サッカー部で有名な人だと、隣にいた友達が教えてくれた。
先輩は私を呼ぶと、穏やかな口調で言った。
「少し話があるんだけど、一時間くらいあとに、非常階段の下へ来てもらえないかな」
何の話なのか聞こうとして、ためらった。
周囲の友達の反応で、何となく察してしまったからだ。
私が迷っていると、先輩は「待ってるから」と言い残して、教室を出ていった。
『……どうしよう』
小さくつぶやくと、友達が心配そうに顔をのぞき込んだ。
「大丈夫? 一人で行けそう?」
『うん……たぶん』
本当は、誰かについてきてほしかった。
けれど、その日はみんな、それぞれ部活や放課後の用事があった。
私のために予定を変えてもらうのも、申し訳ない。
「あの先輩、評判はいいよね。後輩にも優しいって聞くけど」
「でも、嫌だったら無理しなくていいからね」
友達はそう言ってくれた。
悪い噂を聞かない人なら、きちんと話せばわかってくれるかもしれない。
呼び出しに応じたからといって、付き合わなければならないわけではないのだから。
『……大丈夫。お話だけ、聞いてくる』
そう答えると、友達は少しためらってからうなずいた。
「終わったら、連絡してね」
『うん。ありがとう』
みんなと別れ、私は教室に残った。
参考書を開いてみたものの、なかなか内容が頭に入ってこない。
時計ばかり見てしまう。
約束の時間まで、あと五分。
私は参考書を閉じ、荷物をまとめた。
(お断りするなら、ちゃんと言わないと)
曖昧な返事をした方が、相手を困らせてしまう。
そう自分に言い聞かせながら、教室を出た。
*
非常階段の下には、すでに先輩がいた。
私を見つけると、笑顔で近づいてくる。
「来てくれてありがとう。急に呼び出して、ごめんね」
『いえ……。それで、お話というのは?』
先輩は一度、姿勢を正した。
「わかっているとは思うけど、改めて言わせてもらうよ。君のことが好きだ。僕と付き合ってほしい」
予想していた言葉だった。
それでも、目の前で口にされると、胸が詰まる。
私は鞄の持ち手を握り直した。
返事をしなければ。
そう思って顔を上げたとき、先輩の視線が、私の顔より下へ向いていることに気づいた。
胸元を見られている。
そう感じた途端、肩に力が入った。
もしかしたら、一瞬目が動いただけなのかもしれない。
それでも、一度気になってしまうと、もう落ち着かなかった。
早く話を終わらせたい。
その気持ちが強くなる。
ふと、教室での彼を思い出した。
辻くんは、こちらを見ながら、何かを必死に伝えようとしていた。
私の返事を待っているときも――。
「高野さん?」
先輩の声に、はっとする。
「そろそろ、返事をもらってもいいかな」
『……すみません』
慌てて口を開いた。
今は、目の前の相手に答えなければならない。
『お気持ちは嬉しいんですが、先輩とは、お付き合いできません』
頭を下げる。
言えた。
そう思っても、顔を上げるまでには少し時間がかかった。
先輩からは、返事がなかった。
代わりに、短い息のような声が聞こえた。
「……はっ」
胸が、嫌なふうに縮む。
そっと顔を上げると、先ほどまでの笑顔は消えていた。
「今、なんて言った?」
『え……』
「もう一度、言ってくれないかな」
声は大きくなかった。
けれど、先ほどとはまるで違う響きだった。
私は無意識に、一歩下がった。
『ですから……先輩とは、お付き合いできません』
もう一度、伝えた。
その直後、先輩が距離を詰めてきた。
手首をつかまれる。
『っ……!』
引かれた勢いで体が動き、背中が壁に当たった。
「調子に乗るんじゃねえぞ」
低い声が、すぐ近くでした。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
つかまれた手首が痛い。
逃げようとしても、腕が動かない。
「俺が付き合おうって言ってるんだぞ。それを断っていいと思ってんのか!」
怒鳴られ、体がすくんだ。
さっきまで笑っていた人と、同じ人だとは思えなかった。
『あの、離して……』
「何だよ。聞こえねえよ」
声が出なくなる。
目を合わせるのが怖くて、私はうつむいた。
すると、今度は空いている方の手で顎をつかまれた。
無理やり顔を上げさせられる。
「なんで、俺じゃだめなんだよ!」
近い。
怖い。
息の仕方が、わからなくなる。
何か答えなければ、もっと怒らせてしまう。
そう思うのに、言葉が出てこなかった。
先輩は私を見下ろし、さらに声を落とした。
「お前が俺と付き合わねえっていうなら、俺にも考えがある」
手首をつかむ力が、強くなる。
「俺の親父は、この学園に多額の寄付をしてるんだ。この意味、わかるよな?」
私は、先輩を見つめた。
「お前の返答次第じゃ、高校生活が終わると思え」
『そんな……』
耳に入った言葉を、頭の中で繰り返す。
高校生活が、終わる。
そんなことが、本当にあるのだろうか。
普段なら、疑問に思えたのかもしれない。
けれど、そのときの私は、痛む手首と、目の前の怒った顔だけで精いっぱいだった。
先輩ができると言うことを、できないとは思えなかった。
(学校に、いられなくなるの……?)
友達と一緒に授業を受けて、お昼を食べて。
試験が終わったら遊びに行こうと、約束もしていた。
まだ、入学して一か月しか経っていない。
やりたいことも、楽しみにしていることも、たくさんある。
それを全部、失ってしまうのだろうか。
断っただけなのに。
好きだと言われて、同じ気持ちではないと答えただけなのに。
頬を、涙が伝った。
泣いたら、また怒られるかもしれない。
そう思っても、止められなかった。
(いやだ……)
学校を辞めたくない。
でも、先輩とも付き合いたくない。
どうしたら、ここから離れられるのだろう。
誰かに、気づいてほしかった。
ここにいると、わかってほしかった。
(誰か……助けて)
友達の顔が浮かぶ。
教室を出る前に、心配してくれた声を思い出す。
そして、なぜか。
席替えのあと、緊張した顔で自己紹介をしてくれた彼のことが、頭をよぎった。
そのときだった。
「おい、テメェ!! 女の子は泣かせちゃダメで、大切にしないといけないって、親から教えてもらわなかったんか!」
突然、怒鳴り声が響いた。
先輩の手が、一瞬緩む。
私はその隙に、声のした方へ目を向けた。
換気扇の近くに、一人の男子生徒が立っていた。
こちらを見ている。
たった今、思い出していた顔だった。
辻龍弥くんが、そこにいた。




