第8話 帰宅後の2人 ーー由紀sideーー ②
――高野 由紀 side――
辻龍弥くんが、そこにいた。
たった今、頭に浮かべていた人だった。
どうして、ここに。
驚いている間にも、彼は先輩へ向かって声を張り上げていた。
すべての言葉を、聞き取れたわけではない。
手首はまだ痛かったし、先輩がすぐ近くにいることも怖かった。
それでも、私は彼から目を離せなかった。
五時間目の席替えのあと、緊張した顔で私に話しかけてきた人。
その彼が今、明らかに怒っている先輩を相手に、立ち止まらずに言葉を返している。
どうして、そんなことができるのだろう。
体格だって、先輩の方が大きいのに。
「んだと!! なら、お前が俺よりどれだけ劣っているか、体にわからせてやるよ!!」
先輩が怒鳴った。
私の手首をつかんでいた指が、離れる。
ほっとしたのは、ほんの一瞬だった。
先輩が、辻くんへ向かっていく。
彼もまた、こちらへ走り出していた。
ぶつかる。
そう思って息をのんだ、そのときだった。
「おっと」
短い声とともに、彼が地面へ倒れ込んだ。
胸が、ひやりとする。
先輩がその髪をつかみ、無理やり体を起こした。
もう片方の手が、振り上げられる。
やめて。
そう言いたかったのに、声にならなかった。
けれど、拳が振り下ろされるより先に、彼の両手が動いた。
砂が、先輩の顔へ飛ぶ。
「うわっ! 目が……!」
先輩が顔を押さえた。
その隙に手を振りほどいた彼が、まっすぐ私の方へ駆け寄ってくる。
何か言わなければ。
そう思ったときには、もう、体が浮いていた。
『ちょっと!! えっ!? えーーーーーーっ!?』
足が地面から離れる。
背中と膝の裏に、彼の腕があった。
何が起きたのか理解した途端、顔が熱くなった。
お姫様抱っこ。
そんな言葉が頭に浮かんで、ますます混乱する。
近い。
顔も、肩も、何もかもが近かった。
思わず身じろぎしてしまったけれど、彼は私を抱えたまま非常階段へ向かった。
揺れる体を支えようとして、私は彼の制服をつかんだ。
「……揺れるけど、もう少しだけ我慢してくれ」
声をかけられ、小さくうなずく。
下からは、まだ先輩の怒鳴り声が聞こえていた。
怖くなくなったわけではない。
追いつかれたらどうなるのか、考えるだけで息が詰まる。
それでも、つかまれていた手首はもう自由だった。
先輩の顔も、すぐ目の前にはない。
そのことがわかってから、私はようやく、少しずつ呼吸を取り戻した。
*
たどり着いたのは、一年A組の教室だった。
彼は私を自分の席に下ろすと、痛いところはないかと尋ねてくれた。
大丈夫だと答える。
すると、彼の表情がほんの少し緩んだ。
けれど、すぐに廊下へ目を向ける。
先輩は、まだ追ってきていた。
彼は私から離れた入口寄りの床へ、ワックスを薄く広げた。
それから、スマートフォンを操作して机の上へ置く。
何をするつもりなのか、すぐにはわからなかった。
ただ、彼の動きを見ていると、私も黙っていなければいけない気がした。
やがて、廊下に足音が響く。
扉が、乱暴に開いた。
先輩の姿を見た途端、私はまた体を固くした。
彼が、私と先輩の間に立つ。
その背中に、視線が吸い寄せられた。
教室でも、先輩は怒鳴っていた。
私を自分のものだと言い、断られたことを認めようとしない。
彼は、それに言葉を返していた。
私が嫌がっていたこと。
断る気持ちを、聞こうとしていないこと。
私自身がうまく言えなかったことを、先輩へ伝えてくれる。
嬉しかった。
同時に、怖くもあった。
そんなことを言ったら、彼までひどいことをされるかもしれない。
先輩の声が荒くなるたび、私は彼の背中を見つめた。
そして、とうとう先輩が殴りかかった。
彼が、一歩引く。
その直後、先輩の足が滑った。
床へ手をつく音が響き、私は肩を跳ねさせた。
彼はすぐに横へ回り、起き上がろうとする先輩の腕を押さえた。
そこでようやく、ワックスを広げた理由がわかった。
殴り合うのではなく、近づいてきたところで転ばせるつもりだったのだ。
けれど、彼が先輩を押さえる声は、先ほどより切迫していた。
暴れる相手を押さえながら、何度も力を入れ直している。
平気なのではないのかもしれない。
そう思ったのは、そのときだった。
録音している。
彼がそう告げると、先輩の動きが止まった。
やがて彼は腕を離し、私と先輩の間へ戻ってきた。
机から取り上げたスマートフォンで、先ほどの声を再生する。
自分の言葉を聞かされた先輩が、黙り込んだ。
それでも、すぐに安心はできなかった。
彼の母親が、あの綾瀬涼子さんだと聞いたときも、驚く余裕はあまりなかった。
ただ、先輩の顔つきが変わっていくことだけは、わかった。
彼は学校にも、家にも話すと言っていた。
一人で抱えるつもりはないのだと。
そして、私を振り返った。
「先生に話すとき、俺も一緒に行く。それで、大丈夫かな」
私は、彼を見上げた。
先生に話していいのだろうか。
もっと大ごとにならないだろうか。
そんな不安は、まだあった。
でも、何もなかったことにして帰る方が、今は怖かった。
『……うん。一緒に、来てほしい』
「わかった」
短い返事だった。
それを聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
先輩が謝っても、すぐに許す気持ちにはなれなかった。
また怒り出すのではないかと思うと、顔を上げるのにも勇気がいった。
それでも、伝えなければ。
彼に任せたままで、終わりたくはなかった。
『告白を断ったことを、謝るつもりはありません』
声が、少し震えた。
私は制服の裾を握る。
『私は、先輩とは付き合えません。これからも、その気持ちは変わりません』
言いながら、すぐそばに立つ彼の姿が見えた。
私が話し終わるのを、黙って待ってくれている。
だから、最後まで言えた。
もう、近づかないでほしい。
彼にも、何もしないでほしい。
今度は、自分の言葉で。
*
先輩が教室を出ていったあとも、私たちはしばらく扉を見ていた。
足音が遠ざかる。
やがて、隣から長い息が聞こえた。
「怖かった……」
彼が、机へ手をついた。
その姿を見て、胸がぎゅっとなった。
やっぱり、怖かったのだ。
それなのに、私を一人にしなかった。
自分も殴られそうになって、髪までつかまれて。
それでも、助けに来てくれた。
彼は私の無事を確かめたあと、少し気まずそうに目をそらした。
そして、自分が先輩を追い詰めたことを、ぽつぽつと話し始めた。
相手が黙ったとき、少しいい気分になったのだと。
「……あんまり、人のこと言えないな」
そんな言い方をされると、悲しくなった。
私を助けてくれたことまで、彼の中で悪いものになってしまいそうで。
床を拭こうと歩き出した彼の裾を、思わずつかむ。
『……待って』
振り返った顔を見て、私は言葉を探した。
何をしてもよかった、と言いたいわけではない。
殴られそうになったときは、本当に怖かった。
転んだのが彼だったらと思うと、今も胸が冷たくなる。
だから、そのことも伝えた。
彼は静かに聞いてくれた。
そのうえで、どうしても言っておきたかった。
『でも、助けに来てくれて、嬉しかった』
彼の目が、私へ向く。
今度は、そらさずに見ていたかった。
『あの人に逆らったら、もっと怒らせるかもしれないって思って……私、何も言えなくなってたから』
少しずつ、言葉が出てきた。
彼が間に入ってくれたこと。
一緒に先生のところへ行くと言ってくれたこと。
だから、自分でも断れたのだということ。
伝えるたびに、彼の表情がわずかに変わった。
『ありがとう。私の代わりに全部決めないで、ちゃんと話を聞いてくれて』
「……俺、そんな立派なこと、考えてなかったよ」
『それでも、聞いてくれたよ』
うまく説明できなくても、そのことだけは譲りたくなかった。
彼は少しうつむき、やがて、小さくうなずいてくれた。
それが嬉しくて、私はもう少しだけ話したくなった。
男性と二人きりになることが怖かったこと。
彼に抱えてもらっていたときには、途中から、その怖さが薄れていたこと。
言いながら、今さら頬が熱くなった。
あんなふうに抱き上げられたのは、初めてだった。
小さい頃、物語の中の王子様に憧れたことはある。
けれど、本当に自分がそんなことをされるなんて、思ってもいなかった。
しかも、今日初めてまともに話した人に。
目の前の彼は、私の話を聞いて、困ったように照れていた。
その顔を見ていると、胸の奥がくすぐったくなる。
もっと、話してみたい。
さっきまで何を考えていたのかも、普段は何をしているのかも。
教室で話しかけられたときには、まだ少し気になるだけだった。
今は、一緒にいたいと思っていた。
助けてくれたことへの感謝だけでは、足りなかった。
『ねえ、龍弥くん』
名前を呼ぶと、彼が顔を上げる。
私からも、ちゃんと伝えなければ。
彼だってきっと、勇気を出して告白してくれたのだから。
『私でよければ、付き合ってください』
言ってしまうと、今度は自分が緊張した。
彼はひどく驚いて、何か言いかけていた。
もしかして、私が助けてもらったお礼で言っていると思ったのだろうか。
それは違うと、伝えたかった。
『もっと、龍弥くんのことを知りたいの。私のことも、知ってほしい。……そう思ったから』
彼が黙っている間、胸が苦しくなった。
返事を待つのが、こんなに落ち着かないことだとは知らなかった。
『……だめ、かな』
「だ、だめじゃない!」
思わず体が跳ねた。
彼も自分の声に驚いたらしく、慌てて口元を押さえる。
それを見て、ようやく笑えた。
嬉しかった。
自分の気持ちを伝えて、受け止めてもらえたことが。
*
恋人になったからといって、急に何でもわかるようになるわけではなかった。
龍弥くんは、本当に自分でいいのかと、何度も確かめてきた。
私も、どう伝えたら信じてもらえるのかわからなかった。
ただ、彼が自分を悪く言うと、それは違うと思った。
私がもっと知りたいと思った人を、本人だからといって、そんなふうに言ってほしくなかった。
その気持ちを伝えると、龍弥くんは、すぐには変われないかもしれないと答えた。
それでも、気をつけてみると。
簡単に約束しないところも、何だか彼らしい気がした。
まだ、彼のことなんて、ほとんど知らないのに。
そんなふうに思ってしまった自分が、少しおかしかった。
もう一つ、気になっていたこともある。
私は彼を名前で呼んでいるのに、彼はずっと「高野さん」のままだった。
呼び方を変えるのが恥ずかしいのかもしれない。
今日話し始めたばかりなのだから、当然かもしれない。
それでも、恋人になったのだから、名前で呼んでほしかった。
素直にお願いすればよかったのに、私は宿題にしてしまった。
気づいてもらえたら嬉しい。
そんな、少し欲張りな気持ちだった。
素敵なご褒美をあげると言ったものの、何をするかまでは考えていなかった。
その場では、彼が真剣に考えてくれそうなことだけで、満足していたのだ。
*
二人で床を拭き、職員室へ向かった。
先生の前では、龍弥くんも何度か言葉に詰まっていた。
教室で先輩に言い返していたときとは、ずいぶん違う。
私も、覚えていることを少しずつ話した。
一人だったら、うまく説明できなかったかもしれない。
それでも、彼が隣にいると、続きを口にできた。
職員室を出たところで、友達に短い連絡を入れた。
無事に終わったこと。
先生に相談して、これから帰ること。
詳しい話は、明日すると伝えた。
隣では、龍弥くんが私を待ってくれていた。
スマートフォンをしまい、顔を上げる。
一緒に帰れる。
そう思ったら、足取りが少し軽くなった。
帰り道では、いろいろなことを聞いた。
休日は勉強をしたり、漫画を読んだりしていること。
中学では、バスケをしていたこと。
高校の部活には、まだ見学へ行けていないこと。
話しかけるたび、彼は少し考えてから答えてくれた。
私も緊張していたけれど、次に何を聞こうかと考えるのは楽しかった。
彼の住んでいるマンションが、うちのすぐ向かいだとわかったときは、本当に驚いた。
『どの部屋なの?』
「四〇五号室」
聞いた番号を、心の中で繰り返す。
こんなに近くに住んでいたのに、今まで知らなかった。
それが少し不思議で、嬉しかった。
明日も一緒に登校できるだろうか。
そんなことまで考えてから、さすがに気が早いかもしれないと思った。
でも、家の場所を聞いたあとは、いつもの道が少し違って見えた。
*
別れ際、龍弥くんは宿題を忘れていた。
私と話すのに夢中だったと言われると、残念だと思うより先に、嬉しくなってしまった。
今日は、ここまでかもしれない。
名前で呼んでもらうのは、また今度でもいい。
そう思って、手を振った。
ところが、彼は挨拶の途中で黙り込んだ。
何かあったのかと尋ねても、何でもないと言う。
そして、もう一度別れの挨拶をしたときだった。
「うん。……また明日、由紀さん」
胸が、跳ねた。
彼の口から自分の名前を聞いただけで、こんなに嬉しくなるなんて。
返事をしなければと思うのに、うまく声が出なかった。
すると、彼が慌てて謝り始めた。
違う。
嫌だったのではない。
もう一度、呼んでほしいくらいなのに。
『戻さなくていい!』
思ったより大きな声が出て、二人で驚いてしまった。
顔が熱い。
私は何とか、宿題は正解だと伝えた。
龍弥くんが、こちらを見ている。
その顔を見たら、もっと嬉しくなった。
そして、考えるより先に、一歩近づいていた。
ご褒美。
口に出してからも、引き返せなかった。
彼の袖に触れ、少しだけ背伸びをする。
頬へ、唇を寄せた。
ほんの一瞬。
顔を離した途端、心臓がうるさくなった。
龍弥くんは、固まっていた。
その顔を見て、ようやく、自分が何をしたのか実感する。
『……これからは、名前で呼んでね』
何とか、それだけ言えた。
でも、もう、彼の顔を見続けることはできなかった。
最後にもう一度手を振って、私は家へ向かった。
走り出さずに歩けたことが、自分でも不思議なくらいだった。
*
『……ただいま』
「おかえり。今日は遅かったのね」
台所から、母の声がした。
顔を見られたら、何か聞かれてしまいそうだった。
『うん。ちょっと、いろいろあって……』
それだけ答え、階段を上がる。
部屋へ入り、鞄を置いてから、ベッドへ倒れ込んだ。
枕に顔を押しつけても、頬の熱が引かない。
(私、何してるの……!)
今日、初めてまともに話した人だ。
付き合うことになったばかりだ。
それなのに、自分からキスをするなんて。
龍弥くんは、どう思っただろう。
びっくりしていたのは、間違いない。
嫌だったのではないだろうか。
そこまで考えて、私は枕を抱き直した。
嬉しすぎて、そこまで気が回っていなかった。
しばらくベッドの上で悩んでいると、扉が軽くたたかれた。
「由紀、入ってもいい?」
『……うん』
入ってきた母が、私の顔を見る。
「どうしたの。何かあった?」
思わず、枕を抱く腕に力が入った。
母は少し首をかしげ、それから、私の赤い顔に気づいたようだった。
「……もしかして、好きな人でもできた?」
『なんで、わかるの……』
言ってから、口を閉じた。
今のは、答えてしまったのと同じだ。
母の目が、少し丸くなる。
そのあとで、やわらかく細められた。
「そっか。話せる?」
私は、枕へ目を落とした。
彼のことを、誰かに話してみたかった。
でも、嬉しかったことだけを説明しようとすると、うまく言葉がつながらない。
少し迷ってから、今日あったことを話し始めた。
同じクラスの人に、告白されたこと。
放課後、別の先輩に呼び出されて、断ったら怖い思いをしたこと。
そこへ、龍弥くんが来てくれたこと。
先輩の話になると、母の表情が変わった。
「けがはしてないの?」
『うん。大丈夫。先生にも、二人で話してきたから』
母は私の手首へ目を向け、しばらく黙った。
それから、隣へ腰を下ろす。
「何かあったら、お母さんにも言ってね。あとから思い出したことでもいいから」
『……うん』
私は小さくうなずいた。
口にしてみると、自分が思っていたより、まだ怖さが残っていたことに気づく。
母は急かさずに待ってくれた。
少し落ち着いてから、私は続きを話した。
龍弥くんが、私の気持ちを聞いてくれたこと。
もっと彼のことを知りたいと思ったこと。
それで、付き合うことになったこと。
「……そう。その子とは、ちゃんと自分の気持ちで決めたのね」
『うん』
そこには、すぐに答えられた。
『助けてもらったから、付き合わなきゃって思ったわけじゃないよ。一緒に帰って、明日も話したいって思ったの』
母が、少し笑った。
「それなら、よかった」
その言葉に、ほっとした。
すると母は、今度は少しだけ楽しそうな顔になる。
「で、そんなに顔が赤いのは、何があったの?」
『それは……!』
枕へ顔を隠す。
母が、隣で小さく笑った。
結局、頬へキスしたことまでは、とても話せなかった。
それでも、彼のことを話す私の様子で、十分だったらしい。
「今度、その子をうちに連れてきなさい」
『えっ』
「お母さんも、会ってみたいから」
龍弥くんが、この家に来る。
母と向かい合って、話をする。
想像しただけで、また顔が熱くなった。
『……本人にも、聞いてみないと』
「もちろん。急がなくていいわよ」
母はそう言って、立ち上がった。
「ご飯、もう少しでできるから。食べられそう?」
『うん』
「じゃあ、できたら呼ぶわね」
扉が閉まってから、私はゆっくり枕を下ろした。
今日は、いろいろなことがあった。
怖いことも、嬉しいことも。
そのどちらを思い出しても、龍弥くんの顔が浮かんだ。
*
夕食とお風呂を済ませ、髪を乾かしてから、スマートフォンを開いた。
友達から、何通も返信が来ていた。
心配する言葉や、明日話を聞くという言葉が並んでいる。
私はお礼を返し、詳しいことは明日話すと、改めて伝えた。
みんなにも、知ってほしかった。
怖いことがあったけれど、一人で抱え込まずに済んだこと。
そして、もっと話したいと思える人ができたこと。
メッセージを送り終えてから、ふと思う。
龍弥くんにも、何か送りたい。
今日はありがとう、とか。
明日もよろしくね、とか。
けれど、そこでようやく気づいた。
(……連絡先、交換してない)
帰り道では、あんなにいろいろ聞いたのに。
家の場所も、部活のことも、休日の過ごし方も。
一番聞いておきたかったことを、忘れていた。
私は、スマートフォンを見つめたまま苦笑した。
明日、聞いてみよう。
それから、名前ももう一度呼んでもらいたい。
頬へのキスが嫌ではなかったかも、確かめたい。
考え始めると、話したいことが次々に増えていった。
今日の課題を済ませて、ベッドへ入る。
目を閉じると、別れ際の声が浮かんだ。
――また明日、由紀さん。
思わず、布団を少し引き上げる。
明日、隣の席で彼に会ったら、ちゃんと顔を見られるだろうか。
少し心配だった。
けれど、それ以上に、会えることが楽しみだった。
私はもう一度だけスマートフォンへ目を向け、それから、ゆっくり目を閉じた。




