第20話 ぼっち陰キャと騒がしい妹
龍弥が由紀へ改めて自分の気持ちを伝えた、その翌日。
土曜日の朝、龍弥はまだ布団の中にいた。
明日は、由紀とのデートだ。
そのため、今日は午後から街へ出て、服を買うつもりだった。
由紀には、朝食や昼食を作りに来てもらわなくても大丈夫だと、前日に伝えてある。
休日くらい、彼女にもゆっくりしてほしかった。
それに、明日着ていく服を買いに行くのだと説明するのは、少し照れくさかった。
昼近くまで寝て、何か食べてから出かければいい。
そう考え、アラームは十二時三十分に設定していた。
ここ数日は、普段より早く起きる日が続いていたうえ、昨夜も、由紀とのやり取りを思い返してなかなか寝つけなかった。
ようやく眠ったあとは、久しぶりに深く眠れていた。
――インターホンが鳴るまでは。
『ピンポーン』
龍弥は布団の中で身じろぎした。
少し間を置き、もう一度、同じ音が響く。
「……誰だよ」
枕元の時計を見る。
アラームまでは、まだ時間があった。
今日は由紀も来ないはずだ。
眠い目をこすりながら起き上がり、インターホンへ向かう。
「……はい」
「おにぃ? 静だけど。開けてよ」
聞き慣れた声に、龍弥は目を瞬かせた。
寝ぼけていた頭が、ようやく相手の言葉を理解する。
「……もう来たのか?」
「もうって何。おにぃ、まさか今起きた?」
「起こされたんだよ」
「やっぱり。メッセージ送っても、全然既読つかないんだもん」
そう言われて、龍弥はテーブルの上のスマートフォンへ目を向けた。
静が今日来ることは、聞いていた。
自分でも、土曜日だなと返している。
けれど、何時に着くのかまでは、ちゃんと確かめていなかった。
「……来る時間くらい、先に決めとけばよかったな」
「そうだよ。まあ、どうせ家にいると思ったけど」
スピーカーから、静の笑い声がした。
「可愛い妹が、わざわざ会いに来たんだから。早く入れてよ」
「はいはい。今、開ける」
龍弥はエントランスのロックを解除した。
それから、寝癖を手で押さえながら玄関へ向かう。
しばらくして、ドアがノックされた。
開けると、荷物を持った静が立っていた。
直接顔を見るのは、およそ一か月ぶりだった。
「おはよう、お兄ちゃん」
満面の笑みを向けられ、龍弥も少しだけ口元を緩めた。
「……おはよう。遠いところ、ご苦労さま」
◇
「本当に、今まで寝てたんだね」
部屋へ上がった静は、龍弥の顔を見て、呆れたように言った。
「今日は午後から出かけるつもりだったんだよ」
「だからって、もうちょっと早く起きてもよくない?」
「休日くらい、寝かせてくれ」
静は持ってきた荷物を置くと、ソファへ腰を下ろした。
部屋を見回し、それから兄へ目を戻す。
「ちゃんと片づいてる」
「何を想像してたんだ、お前」
「床に服とか、コンビニの袋とか」
「そこまでひどくないわ」
返すと、静は楽しそうに笑った。
その声を聞いていると、久しぶりに実家へ戻ったような気分になる。
けれど、今日の予定を考えると、龍弥は少し困っていた。
服は買いに行きたい。
静も、きっとついてくると言うだろう。
それ自体は構わないのだが、妹との外出は、なかなか予定どおりに進まない。
買い物を終えて帰ろうとすると、あっちにも寄りたい、これも見たいと、次々に行き先が増えていく。
久しぶりに会うのだから、付き合ってやりたい気持ちはある。
ただ、明日のことを考えると、今日はあまり遅くまで出歩きたくなかった。
(先に、服を買いたいって言っておくか……)
そう考えていると、静の声が少し小さくなった。
「……おにぃ?」
「ん?」
「やっぱり、何かあった?」
顔を上げると、静がこちらを見ていた。
先ほどまでの笑みが、消えている。
「学校、つらい?」
「……え?」
「無理してない? 連絡だと、よくわかんないし」
龍弥は一瞬、言葉に詰まった。
静が、何を心配しているのか。
その表情を見れば、すぐにわかった。
「……違うよ。今日の買い物、どうしようか考えてただけ」
「買い物?」
「ああ。学校のことなら、大丈夫。友達もできた」
静が、目を丸くした。
「友達って……クラスの?」
「うん。翔っていうんだけど。向こうから話しかけてくれてさ」
口にしてから、少し照れくさくなる。
友達ができたと妹へ報告するのも、ずいぶん久しぶりだった。
静はすぐには笑わなかった。
「……その人とは、ちゃんと話せてる?」
「まあ、ほとんど翔が話してくれるけどな。でも、バスケの話とか、普通にできたよ」
静の指が、膝の上で重なった。
「変に気を遣って、無理に合わせたりしてない?」
龍弥は、少し考えた。
誰かと話すとき、相手の反応を気にしてしまうのは、今も同じだ。
翔が何を思っているのか、全部わかるわけでもない。
けれど、それでも、また話したいと思えた。
「……まだ緊張はするよ。でも、嫌な感じじゃない」
静を見て、言葉を続ける。
「俺が返事に困っても待ってくれるし、無理に何か聞き出そうともしない。今のところ、話してて楽しいと思えてる」
「……そっか」
「だから、そんな顔するなって。何かあったら、今度はちゃんと言うから」
静はしばらく兄を見つめ、それから、小さく息を吐いた。
「なら、いいけど」
まだ少し心配そうだったが、声はやわらかくなっていた。
そこまで気にかけてもらっていたことが、申し訳なくもあり、嬉しくもあった。
龍弥は、ソファの横に置かれた荷物へ目を向ける。
静は今日、自分に会うために、電車に乗ってここまで来たのだ。
少しくらい予定が変わっても、いいかもしれない。
「それで、静」
「何?」
「俺、これから服を買いに行くんだけど。一緒に来るか?」
静の顔が、ぱっと明るくなった。
「行く!」
「ただし、先に俺の服だからな。あちこち寄るのは、そのあとで」
「はいはい、わかってるって」
「その返事、信用していいんだろうな」
「大丈夫。今日は私が、お兄ちゃんに似合う服を選んであげるから」
「……自分でも選ぶぞ?」
静は返事の代わりに、にこにこと笑った。
少し不安にはなったが、先ほどの顔をされるよりは、ずっとよかった。
◇
簡単に腹へ物を入れ、着替えを済ませる。
その間、静はソファに座りながら、学校であったことを話していた。
友達の話や、授業中のちょっとした出来事。
ときどき兄の服装へ口を挟みながら、話題は途切れなかった。
龍弥は相槌を打ち、財布とスマートフォンを鞄へ入れた。
「じゃあ、行くか」
「うん!」
二人でマンションを出る。
建物の前まで来たところで、龍弥は何気なく、向かいの家へ目を向けた。
由紀は、今、何をしているのだろう。
今日は来なくても大丈夫だと伝えたけれど、明日のことを考えているのだろうか。
そんなことを思っていると、隣から顔をのぞき込まれた。
「おにぃ。あの家、何かあるの?」
「……え?」
「今、ずっと見てたじゃん」
言われて、龍弥は視線を戻した。
静が、面白がるように口元を上げる。
「もしかして、好きな人の家だったりして」
からかうつもりなのだろう。
龍弥は少し迷ってから、答えた。
「……まあ、そうだよ」
「え?」
「あそこ、俺の彼女の家」
静が止まった。
歩きかけていた足も、浮かべていた笑みも、そのまま動かなくなる。
龍弥は妹を見て、少し首をかしげた。
「……静?」
返事がない。
顔の前で、軽く手を振る。
「おーい」
「……待って」
ようやく、静が口を開いた。
「彼女って、本当に?」
「だから、言っただろ」
「だって……!」
静が、龍弥の肩をつかんだ。
「本当に付き合ってるの!?」
「声、大きいって」
「そんな話、ちゃんと聞いてない!」
「メッセージで送ったじゃないか。彼女ができたって」
「あれ、本当だったの?」
龍弥は、呆れたように妹を見た。
「お前、まだ疑ってたのか」
「だって、急すぎるもん! この前まで、話す相手もいないって言ってたのに!」
「それは、俺もそう思うけど……」
「友達ができたって言うから、そっちのことだったのかなって思ってたの!」
「翔は男子だよ。彼女とは別」
静が、一度口を閉じた。
何かを考えるように、向かいの家と龍弥を見比べる。
「……同じクラスの子、なんだよね?」
「ああ」
「どんな子? いつから? 告白したの、おにぃ?」
「一個ずつ聞けって」
「それに、家がこんなに近いなんて聞いてない!」
「そこまでは話してないからな」
龍弥は肩から妹の手を外そうとした。
けれど、静はまだ何か言いたそうに顔を寄せてくる。
「ねえ、今日はいないの? 会ったことないし、どんな子なのか――」
「静。とりあえず、ここで大声出すのやめよう。家の前だぞ」
そう言った、そのときだった。
「……ねえ、龍弥?」
背後から、聞き覚えのある声がした。
龍弥の動きが止まる。
ゆっくり振り返ると、そこには由紀が立っていた。
家から出てきたところらしい。
由紀の視線が、龍弥から、すぐ隣の静へ移る。
そして、龍弥の肩に置かれたままの手で止まった。
「私の家の前で、何してるの?」
「ゆ、由紀。これは――」
「知らない女の子と、ずいぶん仲がいいんだね?」
由紀が、胸の前で腕を組んだ。
口元には笑みがある。
けれど、龍弥が事情を説明するのを待っていることは、はっきりわかった。
「まさか、浮気とかじゃないよね?」
「違う! こいつは――」
答えかけたところで、隣の静が龍弥の袖を引いた。
「……おにぃ」
「何だよ」
「この人?」
小さな声だった。
龍弥は、短くうなずく。
静が目を丸くした。
由紀は、そんな二人をじっと見ている。
買い物に出るだけのはずだった。
明日の服を選んで、できれば早めに帰る。
そのつもりだったのに。
龍弥は二人の顔を見比べ、今日の予定が、すでに思いどおりには進みそうにないことを悟った。




