第21話 ぼっち陰キャと修羅場①
「浮気じゃないって。こいつは、俺の妹だから!」
由紀に説明を求められ、俺は慌てて答えた。
すると、肩に置かれていた静の手に、少しだけ力が入る。
「……お兄ちゃん。こいつって何?」
「今はそこに引っかからないでくれ」
「久しぶりに会いに来た妹に向かって、ひどくない?」
文句を言いながらも、静は俺から手を離した。
由紀が、俺と静を交互に見る。
「妹さん……?」
「ああ。辻静。さっき、実家から来たんだ」
名前を出すと、静は姿勢を正した。
そして、先ほどまでの勢いが嘘のような笑顔を浮かべる。
「初めまして。妹の辻静です。いつも兄がお世話になっています」
「こちらこそ。高野由紀です。龍弥くんと、お付き合いさせてもらっています」
由紀も、少し緊張したように頭を下げた。
二人が挨拶を交わすのを見て、俺はようやく息をつく。
これで、誤解は解けたはずだ。
「……妹さんだったんだね」
由紀がこちらを見た。
「そうだよ。びっくりさせるなって」
「だって、家を出たら、知らない女の子とすごく近いところで話してるんだもん」
「彼女の話、本当だったのかって聞かれてたんだよ」
俺が答えると、静が少しだけ気まずそうに目をそらした。
「……だって、急だったから」
「ちゃんと伝えただろ」
「メッセージだけじゃ、よくわかんないでしょ」
そう言って、静が俺の腕を取った。
「でも、安心しました。お兄ちゃん、学校でも元気にしてるみたいなので」
由紀へ向けた声だけ、妙に丁寧だ。
ただ、その腕が少し近い。
というか、しっかり抱え込まれている。
由紀の視線が、そこへ落ちた。
「……静ちゃんって、龍弥と仲がいいんだね」
「はい。昔から、こんな感じです」
静が、にこりと笑う。
「お兄ちゃん、一人だとすぐ部屋にこもっちゃうので。私が連れ出してあげないと」
「余計なお世話だ」
「今日だって、私が来るまで寝てたでしょ?」
それを言われると、反論しにくかった。
由紀が、小さく笑う。
「朝、ゆっくりできたんだね」
「ああ。おかげさまで……」
今日は来なくても大丈夫だと、自分で言った。
その結果、妹に起こされるまで寝ていたのだから、あまり格好のつく話ではない。
すると静が、俺を見上げた。
「朝?」
「今日は、由紀に朝飯を作りに来てもらうの、休んでもらったんだよ」
答えてから、少し照れくさくなる。
静は一瞬黙った。
それから、由紀へ顔を向ける。
「……ご飯まで作ってもらってるんですね」
「うん。私が作りたくて、そうさせてもらってるの」
由紀はやわらかく答えた。
静も笑っている。
なのに、なぜか俺は、先ほどより落ち着かなくなった。
*
「それで、二人は今からお出かけ?」
由紀が尋ねた。
「ああ。街に服を買いに行こうと思って」
「私も、一緒に選ぶんです。久しぶりなので、帰りにいろいろ見て回ろうかなって」
静が楽しそうに答える。
俺は、先に決めておいたことを念押しした。
「寄り道は、服を買ってからだからな」
「わかってるって」
由紀は俺たちを見比べ、それから少し迷うように口を開いた。
「……私も、一緒に行っていい?」
「え?」
「邪魔じゃなければ。静ちゃんとも、もう少しお話ししてみたいし」
思いがけない申し出だった。
明日は二人で出かける。
だから今日は、それぞれで過ごすつもりだった。
けれど、由紀が来てくれるのを嫌だと思うはずもない。
「俺は、いいけど……」
静へ目を向ける。
遠くから来てもらったのに、勝手に決めるのも悪い。
「静は?」
静は俺を見て、それから由紀を見た。
「……もちろん。私も、お兄ちゃんの彼女と話してみたいです」
返事は笑顔だった。
ただ、俺の腕を抱える手が、少し強くなった気がする。
「本当にいいのか?」
「いいって言ってるでしょ。お兄ちゃん、何回聞くの」
「いや、念のため……」
由紀が、ほっとしたように笑った。
「ありがとう。じゃあ、私も一緒に行くね」
そうして、二人で出かけるはずの買い物は、三人で行くことになった。
*
「でも、龍弥。服を買うんだね」
由紀の言葉に、俺は少しだけ身構えた。
なぜ買いに行くのかと聞かれたら、どう答えよう。
そう思ったところで、静が先に口を開く。
「珍しいですよね。普段、着られれば何でもいいみたいな顔してるのに」
「そこまでじゃないだろ」
「似たようなのばっかり持ってるじゃん」
否定しようとして、やめた。
実際、手持ちの服を見比べても、あまり違いがなかったから今日買いに行くのだ。
由紀が、不思議そうにこちらを見る。
俺は少し迷ってから、口を開いた。
「……明日、デートだろ」
「うん」
「だから、ちょっとくらいは、ちゃんとした服を用意しようと思って」
言ってしまうと、急に恥ずかしくなった。
目をそらした先で、静が俺を見ていた。
「明日、デートなの?」
「ああ。由紀と二人で出かける」
「……ふうん」
静は、つかんでいた俺の袖へ目を落とした。
一方の由紀は、嬉しそうにしていた。
「私とのお出かけのために、選んでくれるんだ」
「……まあ、そういうことになるな」
「そっか」
由紀の笑顔を見ていると、ますます落ち着かなくなる。
もう少し、何でもないことのように話すつもりだったのに。
俺はごまかすように、鞄を持ち直した。
「だから、二人とも。変に気合い入れすぎたのは、やめてくれよ」
「大丈夫。龍弥に似合うの、一緒に探そう?」
由紀が答える。
その横で、静も顔を上げた。
「私だって、お兄ちゃんに似合う服くらい、わかるからね」
「……自分でも選ぶぞ?」
「うん。最後は龍弥が決めてね」
「でも、いつもの無難なのばっかり選ぶのは、なしだから」
二人に続けて言われ、俺は少し考えた。
選ばせてもらえるらしい。
ただし、静の審査は入るようだ。
「着たことないの、急に着こなせる気がしないんだけど」
「じゃあ、試着してから決めればいいじゃん」
静が、当たり前のように言う。
由紀も、隣でうなずいた。
「無理に変えなくても、少し違うのを着てみるだけでいいと思うよ」
そこまで言われると、断る理由もなかった。
「……わかった。見るだけなら」
俺が答えると、二人の表情が同時に明るくなる。
何となく、今の返事で自分の予定より長い買い物になることが決まった気がした。
*
「じゃあ、行こうか」
由紀が言った。
俺が歩き出そうとすると、静もついてくる。
腕を抱えられたままだったことに、そこで気づいた。
「静。そろそろ離してくれないか」
「えー。久しぶりなのに」
「歩きにくいだろ」
「昔は、手、つないでくれたのに」
「何歳の話だよ」
「小さい頃」
「そりゃ、小さい頃はな」
静は少し唇を尖らせたが、腕を離した。
由紀が、そんな俺たちを見て笑っている。
「龍弥って、ちゃんとお兄ちゃんなんだね」
「ちゃんとって、何だよ」
「学校で見るのと、ちょっと違うから」
自分では、よくわからなかった。
静相手なら、考え込まずに言葉を返せる。
けれど、それを由紀に見られていると思うと、急に普段どおりには話せなくなりそうだった。
「お兄ちゃん、昔はもっと優しかったんですよ」
「今も、そんなひどいことしてないだろ」
「私のこと、一番かわいいって言ってくれたし」
思わず、静を見る。
「お前、それも小さい頃の話だろ」
「言ったことは認めるんだ?」
「……言ったかもしれないけど」
由紀が、少しだけ顔を寄せた。
「じゃあ、私は?」
「え?」
「私は、かわいい?」
正面から聞かれて、足が止まりそうになった。
静がいる。
しかも、家の前だ。
そんな場所で、何と答えればいいのだろう。
由紀は返事を待っている。
昨日、自分の気持ちを伝えたばかりなのに、たった一言が、また難しくなっていた。
「……かわいいよ」
どうにか口にする。
由紀の頬が、少し赤くなった。
「ありがとう」
その返事まで照れくさくて、俺は前を向いた。
すると、反対側から静が顔をのぞき込んでくる。
「お兄ちゃん、顔、赤い」
「うるさい」
「へえ。こんな顔するんだ」
「見るなって」
静が楽しそうに笑う。
由紀まで、つられたように笑っていた。
こちらは、まだ落ち着かないというのに。
*
ようやく三人で歩き始めた。
俺の隣に由紀がいて、その反対側には静がいる。
静が街の店について尋ねると、由紀が答えた。
俺より詳しいことも多く、二人の話は思っていたより続いていた。
ときどき、服を選ぶ話になると、妙に張り合うような言い方になる。
それでも、話してくれていることには少し安心した。
遠くから来てくれた静にも、今日一緒に行きたいと言ってくれた由紀にも、楽しんでほしかった。
もちろん、自分の服を買うことも忘れてはいない。
明日、由紀の隣を歩くための服だ。
そう考えるだけで、また少し緊張する。
けれど、昨日までの俺なら、由紀と二人で出かけることだけで、精いっぱいだったはずだ。
今日は、そこに静まで加わっている。
予定とは違ってしまったが、二人の声を聞きながら歩くのは、悪くなかった。
「お兄ちゃん、聞いてる?」
静に呼ばれ、顔を向ける。
「何だよ」
「今日、服は何着くらい買うつもり?」
「……とりあえず、一組そろえばいいかなって」
俺が答えると、由紀が少し考えた。
「じゃあ、合わせ方を変えられるのも見てみようか」
「それなら、上は何枚かあった方がいいよね」
静が、すぐに続ける。
俺は二人を見比べた。
「予算はあるからな?」
「わかってるよ」
「うん。ちゃんと相談して決めようね」
返事は頼もしかった。
その一方で、試着という言葉が、二人の会話に何度も出てくる。
龍弥に似合いそう。
お兄ちゃんなら、こっちも。
そんな言葉が続くたび、俺はまだ見てもいない試着室のことを考えてしまった。
週明け、学校で今日の買い物を聞かれたとして。
俺は、いったいどんな顔で説明することになるのだろう。
少しだけ不安になりながらも、二人に呼ばれ、俺は歩調を早めた。




