第18話 ぼっち陰キャと本当の気持ち
翔に激励された龍弥は、今まで見て見ぬふりをしてきた自分の気持ちと向き合い、それを直接由紀に伝えるため、彼女を探し始めた。
かなり長い時間、翔と話し込んでいたらしい。昼休みも終わりに近づいていたため、由紀は教室にいるだろうと考えた龍弥は、階段を駆け上がった。
そして三階に着くと、A組の教室のドアを開けた。
そこには普段と変わらないクラスメイトたちの姿があり、その後ろの席には女子たちの輪ができていた。もちろん、その中心にいるのは由紀だ。龍弥が探していた相手だった。
教室に入った龍弥が女子たちの輪に近づいていくと、彼に気づいた女子たちが一斉にこちらを向いた。
その視線を受けながらも、龍弥は輪の中心にいる由紀のもとへ歩み寄り、声をかけた。
「由紀、ちょっとついてきてくれないか。大事な話があるんだ」
そう告げた瞬間、教室内に緊張が走った。
クラス中の視線が二人に集まるなか、由紀は少しだけ龍弥の顔を見つめてから答えた。
「わかった。それじゃあ、屋上に行こうか。みんな、ごめんね。少し行ってくる」
そう言って由紀は教室を出た。龍弥もその後に続き、二人は屋上へと向かった。
背後からは、二人の様子が気になって追いかけようとする声と、それを止める由紀の友達の声が聞こえてきた。
けれど、今の龍弥には、そんなことを気にする余裕などなかった。
(話すことはもう決まっている。その覚悟もできた。あとは伝えるだけだ。たとえ、その結果、彼女を泣かせることになっても。今までの関係が壊れてしまうとしても)
そんなことを考えている龍弥と由紀の間には、まったく会話がなかった。
(そういえば、いつも話しかけてくれるのは由紀の方だったな。俺は由紀のことを、ほとんど知らないんだよな……)
自分の積極性のなさとコミュニケーション能力の低さを恨めしく思う。
とはいえ、今考えるべきなのはそんなことではない。これは今後の課題にすると決め、龍弥は意識を切り替えた。
そうしているうちに、二人はついに屋上へとたどり着いた。
屋上の中央で、二人の男女が向かい合う。
事情を知らない人が見れば、昼休みの屋上で告白でもするように見えたかもしれない。だが、二人の間には、そんな想像とは比べものにならないほどの緊迫した空気が漂っていた。
龍弥の様子がいつもと違うことを感じ取ったのか、由紀の表情も少し強張っていた。
「それで、話って何かな?」
由紀が先に口を開いた。
ついにこの瞬間が来た。
そう思った龍弥は、この二日間の出来事をふと振り返った。
たった二日。それなのに、ずいぶんと濃い時間を過ごしたものだ。
そして今、付き合い始めたときから抱えていた罪悪感に、ようやく決着をつけるときが来た。
龍弥は決意を固め、由紀の目をまっすぐに見つめた。
「由紀。俺と別れてくれ」
その言葉を聞いた瞬間、由紀の顔が泣きそうに歪んだ。
それでも彼女は唇を噛み締め、龍弥の次の言葉を待った。
「二日前の今頃、隣の席になった由紀に、俺は言ったよな。『俺と付き合ってほしい』って」
「うん、そうだね。龍弥は今と変わらず、しっかり私の目を見て告白してくれたよね。あのとき、この人は今までの人とは違うんだなって思ったんだよ」
「そうだな。あのときは必死だったんだ。それに、人の目を見ずに話すなんて、失礼極まりないだろ」
龍弥は一度言葉を切った。
「……でも、あれは本当の意味での告白じゃなかったんだ」
その瞬間、先ほどは必死にこらえていた涙が、由紀の頬を伝った。
こうなることはわかっていた。
だからこそ、翔に背中を押されていなければ、結局何も言い出せないまま、何も知らない由紀を、そして自分自身を騙し続けていたのだろう。
本当は、今すぐこの場から逃げ出したい。
逃げたところで何も得られないことも、失うものがあまりにも多いことも、わかっている。それでも、彼女が悲しむ姿を見ずに済むのなら、それでいい。昼休みが始まる前までの自分なら、きっとそう考えていた。
だが今は違う。
なぜ自分が逃げようとするのか。なぜ、こんなにも自分自身を否定するのか。
その理由を、翔に突きつけられてしまった。
そして、由紀に対してだけ抱いている気持ちにも、ようやく気づいてしまった。
だからこそ、この思いを伝えずにはいられない。
そのためには、何もかも正直に話さなければならなかった。
「本当は、あのとき『俺と友達として付き合ってください』って言うつもりだったんだ」
龍弥は、由紀の目を見つめたまま続けた。
「そのときの俺には、恋愛感情なんてなかった。由紀のことを好きでも何でもなかったんだ。ただ、ぼっちでいることに嫌気が差して、隣の席になった誰かと友達になろうとした。それが、たまたま由紀だった。それだけなんだ」
「それを周りが勘違いして、囃し立てた。その結果、あの告白騒ぎになった。俺の言葉が足りなかったせいで、周りだけじゃなく、由紀にまで誤解させてしまった。本当にすまない」
そう言って、龍弥は深く頭を下げた。
由紀は泣き続けながらも、黙って龍弥の話を聞いていた。
やがて、震える声で問いかけた。
「そ、それじゃあ……なんで、あのとき私を助けてくれたの?」
涙を拭うことも忘れたまま、由紀は続けた。
「好きでもない人のために、なんであんなに必死になって立ち向かったの? 好きでもないなら、あんなに頑張らなくたってよかったじゃん!」
由紀の声が少しずつ大きくなっていく。
「たとえ友達になれたとしても、そこまで深い関係になるつもりがなかったなら、私がどうなったってよかったでしょ? なんで、あんなことをしたの……!」
その目から、また涙がこぼれ落ちた。
「あれがなかったら、私が龍弥を好きになることなんて、たぶんなかったと思う。きっと私は、あのまま先輩と……付き合いたくもない相手と付き合って、ずっとつらい思いをしていたと思う。そんな私を、龍弥は救ってくれたんだよ」
由紀は一度言葉を詰まらせた。それでも、必死に声を絞り出す。
「なのに……本当に好きになった人から、好きじゃなかったなんて、あの告白は間違いだったなんて言われるくらいなら……助けてくれない方がよかったよ!」
(……由紀の言うとおりだ)
彼女の言葉は、もっともだった。
自分が好きになった相手と両思いになり、恋人になれたと思っていた。それなのに、実際はそうではなかったと告げられたのだ。
傷つかないはずがない。
由紀をこんな表情にさせたのは、自分だ。
あのとき、彼女に恐怖を与えた先輩に対しては怒りを覚えた。自分はあんな人間とは違うと思っていた。
なのに、俺は彼女にもっと深い傷を負わせてしまったのかもしれない。
女の子を泣かせるような男を非難しておきながら、自分はそれ以上にひどいことをした。
それでも、ここで口を閉ざすわけにはいかない。
自分のしたことに責任を持つためにも、伝えなければならないことがある。
龍弥は、ずっと下げていた頭を上げた。
そして、もう一度、由紀の目をまっすぐに見つめた。
「ああ、そうだな。俺が由紀を助けたのも、結局は自己満足にすぎなかったんだと思う」
自分の言葉を確かめるように、一つひとつ言葉を紡ぐ。
「あの場を見過ごしたら男が廃るとか、見ていて気分が悪いとか……そんな気持ちで君を助けた。まさか、俺のことを好きになってくれるなんて思ってもいなかった」
龍弥は、苦しそうに顔を歪めた。
「でも、俺は由紀の悲しむ顔を見たくなくて、このことを言い出せなかった。自分の勇気のなさと、自己満足のためにしたことに、君を巻き込んでしまったんだ。だから、由紀に何を言われても、俺は受け入れるつもりだ。俺は、それだけのことをしてしまったんだから」
それから、少しだけ間を置いて続けた。
「……ただ、それでも俺の話を聞いてくれるのなら、聞いてほしい。もちろん、もう俺の顔も見たくないなら、そう言ってくれて構わない。ここから立ち去ってくれてもいい」
これ以上、自分の自己満足のために由紀を巻き込んではいけない。
そう思った龍弥は、これからどうするかを彼女に委ねた。
けれど、由紀はその場を離れなかった。
涙を流したまま、龍弥の言葉を待っていた。
その姿を見て、龍弥は再び口を開いた。
「由紀は、あのとき俺のことをクズじゃないって言ってくれたよな。優しい人だって。それに、俺が『俺なんか』って言ったら怒ってくれた」
あのときのことを思い出しながら、龍弥は続けた。
「正直、あのときは自分を否定しないように頑張るって言ったけど、たぶん無理だとも思っていたんだ。俺は中学のときにあったある出来事のせいで、他人を信じられなくなった。それに、自分自身のことも信じられない」
龍弥は自嘲気味に笑った。
「だから、こんな考え方しかできない自分が嫌いで仕方なかった。こんな俺に好意を向けてくれる人なんて、本当はいないんだろうって思っていたんだ。たとえ好意を向けてくれても、心の中では俺を馬鹿にしているんじゃないか。いつか必ず裏切られるんじゃないかって……ずっと、そう考えていた」
龍弥は一度息を吸い、由紀の反応を確かめるように視線を向けた。
「だから、正直に言うと、昨日の朝までは由紀のことも疑っていたんだ。この子も、自分が困るような状況になったら、きっと俺のことなんて見捨てるんだろうって」
だが、実際は違った。
「君は、あんなに大勢の人が見ているなかで、俺をかばってくれた。そんなことをしたって、自分の評価が下がるだけかもしれないのに、それでも俺のことを肯定してくれたんだ」
龍弥の声が、少しだけ震えた。
「その瞬間、自分が情けなくなった。同時に、由紀を見る目が変わったんだ。この人は、俺なんかのことを本気で好きでいてくれるんだって。周りのどうでもいい人たちの目よりも、自分が大切だと思った人を優先できる人なんだって」
そこまで話したところで、龍弥は小さく息を吐いた。
「……たぶん、あのときからだったんだと思う。由紀のことを、はっきりと意識し始めたのは。もう二度と誰かを信じることなんてないと思っていた俺が、もう一度、他人を信じてみようと思えたんだ」
その言葉を聞いた由紀の表情が変わった。
悲しみに沈んでいた顔が、驚きに目を見開いた顔へと変わっていく。
龍弥は、そんな由紀を見つめながら、さらに言葉を続けた。
「それからは、由紀を悲しませないことばかり考えるようになった。悲しい顔を見たくない。ずっと笑っていてほしい。……でも、こんな俺が君を好きになってはいけないとも思っていたんだ」
龍弥は、今まで目を背け続けてきた自分の気持ちを、ようやく言葉にした。
「だから、ずっと気づかないふりをしていた。自分のなかにある、一つの感情に。でも、さっき翔に本当のことを突きつけられて、ようやく気づけたんだ」
もう、逃げない。
龍弥は、由紀の目を見つめた。
「俺は、由紀のことが好きだ」
今度こそ、迷いのない声で告げる。
「今度は間違いでも、嘘でもない。改めて、俺と付き合ってほしい」
そう言って、龍弥は深く頭を下げた。
あとは、由紀の返事を待つだけだった。
まるで時間が止まってしまったかのように、龍弥には周囲の音さえ聞こえなかった。
どれほどの時間が経ったのだろう。
やがて、由紀の声が聞こえた。
「……ふぅ。やっと落ち着いた」
その声には、先ほどまでの悲しみとは違う響きがあった。
「それじゃあ、これから龍弥の告白の返事をします」
由紀は、涙の残る顔で龍弥を見つめた。
「辻龍弥くん。あなたの告白を、改めて受け入れます。本当に、これからもよろしくお願いします」
その瞬間、龍弥の全身に電流が走ったような衝撃が駆け抜けた。
直後、心臓がうるさいほどに激しく鼓動し始める。
「ほ、本当に……本当にいいのか? こんな俺と、これからも付き合ってくれるのか?」
「もう、龍弥! そのセリフ、前の告白のときにも言ってたよ」
由紀は少しだけ頬を膨らませた。
「もちろん、いいに決まってるじゃん! ……あ、でも、三つ条件があります。それを聞いてくれるなら、だけど」
「な、何だよ、その条件って……」
突然の条件提示に、龍弥は思わず身構えた。
「そんなに身構えなくても大丈夫だよ。難しいことじゃないから」
由紀は指を一本立てた。
「まず一つ目。これからは、私のことをちゃんと信じること!」
「信じる……?」
「そう。私、昨日の朝に言ったよね。絶対に別れないって。それなのに、さっきの告白のとき、龍弥は私に振られるかもしれないって思ってたでしょ?」
由紀は、少し困ったように笑った。
「それって、まだ私のことを信じきれていないってことだよ。……まあ、知り合ってまだ二日なのに、何を言ってるんだって話だけどね」
そう言って、由紀は笑った。
龍弥も、つられるように小さく笑った。
「わかった。頑張るよ。由紀のことを信じられるように。それから、俺も由紀に信じてもらえるように」
「ううん。それは、そんなに頑張らなくても大丈夫」
由紀は首を横に振った。
「私は、あの日に龍弥に救われてから、ずっと龍弥のことを信じてるから。だから、龍弥は自分のことだけ頑張ればいいの!」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
龍弥は照れくさくなり、思わず由紀から視線を逸らした。
けれど、由紀はその顔を覗き込むようにして、逃げた視線の先に自分の顔を持ってきた。
どうやら、簡単には逃がしてくれないらしい。
龍弥は、なんとか話題を変えようと口を開いた。
「そ、それで、二つ目は何?」
「それはね、明後日、私とデートすること!」
「デ、デート!?」
「そうだよ。少しの間でも私を不安にさせたんだから、ちゃんと私をエスコートしてね!」
こうして、龍弥の人生初デートの予定が決まってしまった。
「えっ、えええっ!? 俺なんかとデートしてくれるの?」
「うん、もちろん!」
由紀は即答した。
「あ、それと、その『俺なんか』って言い方も、改めて禁止します!」
「えっ……」
「私が、龍弥に自分のことを好きになってもらうんだから。……まあ、それ以上に、私のことにメロメロになってもらうけどね!」
そう言いながら、由紀は以前にも見せた、男心をくすぐるような表情を浮かべた。
(……本当に、敵わないな)
龍弥は心のなかで降参した。
この調子では、これからもずっと由紀の尻に敷かれることになりそうだ。
それでも、せめて男としての尊厳くらいは保てるように頑張ろう。
そんな決意を胸に、龍弥は最後の条件を尋ねた。
「それで、最後の条件は?」
「ふふっ。それはね……」
そう言いながら、由紀は一歩、龍弥に近づいた。
そして、彼の顔を見上げながら、いたずらっぽく微笑んだ。
「龍弥が、私にキスすることです!」
「……はっ?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
「私は今回のことで、龍弥とのことが不安になっちゃったから。その不安を、ちゃんと払拭してもらわないとね?」
そう言われてしまうと、龍弥には何も言い返せなかった。
(だが、本当にいいのか? 知り合って、まだ二日だぞ……!)
頭のなかで葛藤を繰り広げていると、由紀が待ちきれない様子で急かしてきた。
「もう~、早くしてよ~。また不安になっちゃうよ?」
今回のことは、龍弥に非がある。
ここで逃げるわけにはいかないと、彼は覚悟を決め、そっと由紀の肩に手を置いた。
「……後悔しないんだな?」
「もちろん! ここから、私たちの長い長~いカップル生活が始まるんだから!」
由紀の言葉に、龍弥は小さくうなずいた。
そして、ゆっくりと顔を近づけていく。
やがて、二人の唇がそっと触れ合った。
それは、龍弥にとって人生で初めてのキスだった。
軽く唇を触れ合わせるだけの、短いキス。
けれど、二人にとっては、時間が止まったかのように感じられるひとときだった。
唇を離した二人は、改めて向かい合った。
「これからも、よろしくね」
「ああ。こちらこそ。……必ず、幸せにしてみせるよ」
そう言って、二人は笑い合った。




