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悪役令嬢を推すのはやめてください、王太子殿下  作者: 夜凪 蒼


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第7話「会員はあなた一人ですか」

もう、根本から潰すしかない。


 わたしはそう決意して、王城に乗り込んだ。目的はただひとつ。『セリーヌ・ヴァルモア応援会』の即時解散である。会員一名のファンクラブ。会長にして唯一の会員がこの国の王太子。それが存在するかぎり、わたしの悪名は永遠に磨かれ続ける。


 応接の間で待っていると、リオネルは満面の笑みでやってきた。


「あなたのほうから城に来てくれるなんて。今日は、僕の生誕祭でしたっけ」


「ちがいます。抗議に来たんです」


「抗議も、あなたからなら贈り物です」


「その思考回路をまず疑ってください」


 わたしは単刀直入に切り出した。応援会を解散してほしい、と。あんなものがあるから、社交界でわたしが妙な目で見られる。会員一名のために、わたしの平穏が脅かされている。


 リオネルは少し考えて、思いがけないことを言った。


「では、活動内容を一度ご覧になりますか。そのうえで判断していただければ」


 断る理由もなかった。むしろ証拠を押さえる好機だ。わたしは案内されるまま、城の奥へと進んだ。


 通されたのは、北棟の小さな一室だった。


 扉を開けた瞬間、わたしは絶句した。


 壁一面の棚。そこに革表紙の手帳がびっしりと並んでいる。背表紙には几帳面な字で番号が振ってある。第一巻から、ずっと。机の上には木彫りの小物がいくつも。わたしの横顔を彫った文鎮。去年のリボンと同じ色に染めた栞。乾かした紫の花を丁寧に挟んだ、押し花の標本まで。


「これは……」


「活動の、記録です」


 部屋の隅には、小さな鉢植えが日の当たる場所に置かれていた。あの紫の花だ。わたしの名前の。蕾が、また新しくひとつ膨らんでいる。


 わたしは、めまいがした。前世の感覚で言っても、これは個人の収集の域を完全に超えている。神殿だ。ご神体不在の、私設の神殿。


 棚の手帳は、ざっと数えて十冊以上。一冊ごとに季節を表す副題がついていた。『初雪の章』『新緑の章』。背表紙の革はよく手入れされて、しっとりと黒光りしている。机の引き出しを、リオネルがそっと開けて見せた。中にはわたしが過去に落としたらしいハンカチや、髪を結んでいたリボンの切れ端が、聖遺物みたいに白い布で包まれて並んでいる。


「これ、いつのですか」


「二年前の、秋の園遊会で、あなたが落とされたものです」


「拾ったなら、返してください」


「お返しすると、僕の手元からあなたが減るので」


 減る、という言い方に背筋がぞわりとした。この人にとって、わたしに関するものは、増えることはあっても減ってはいけないものらしい。コレクションの理屈は前世でも理解できなかったし、推される側に回った今は、なおさらわからない。


 棚の下段に、見覚えのある布が畳んであった。手に取って、固まる。去年、刺繍の練習でさんざん失敗して、くしゃくしゃに丸めて捨てたはずのハンカチ。ゴミ箱に放り込んだものまでなぜここにある。


「殿下。これ、わたしがゴミ箱に捨てたものでは」


「『セリーヌ嬢が初めて針を持った、記念すべき一枚』として、保管しています」


「人のゴミを、回収しないでください」


「ゴミではありません。第一級の宝物です」


 真顔で言い切られて、反論する気力が少し削れた。ゴミ箱は、もはやこの人にとって、宝物の供給源らしい。わたしの生活そのものが、巨大な貢ぎ物の鉱脈にされている。


「殿下。ひとつ、伺います」


「はい」


「会員は、あなた一人ですか」


「ええ。会則で定員一名と定めていますから」


「なぜ」


「あなたを推す資格があるのは、世界で僕だけでありたいので」


 即答だった。しかも、妙に真剣な目で。


 わたしは、棚に並んだ手帳の背を指でなぞった。古い紙の乾いた匂いがする。一冊抜き出してぱらりと開くと、几帳面な字がびっしりと並んでいた。日付。天気。その日のわたしの、些細な仕草。「今日は左の靴紐がほどけかけていた」なんて、どうでもいい記述まで。


 どうでもいいのに——その一行が、なぜか、胸の奥に小さく刺さった。


 誰も、こんなふうにわたしを見ていない。両親も侍女も、ジゼルでさえ、わたしの靴紐のことなんて知らない。


 悪役令嬢として社交界では遠巻きにされ、家ではただの『公爵家の娘』だった。誰もわたしの中身を見ない。それが当たり前で、寂しいとも思っていなかった。——思っていなかった、はずなのに。


 なのに、このどうでもいい一行の集まりを前にすると、胸の奥が変なふうにざわつく。見られていなかったものが、ここではこんなにも丁寧に見られている。気味が悪いはずなのに、なぜか、それだけじゃない感情が混じってくる。


「殿下は」


「はい」


「ほかに、趣味とか、ないんですか。狩りとか、剣術とか、王太子らしい何か」


 リオネルは少しだけ目を伏せた。窓の外で、城の旗が風にはためく音がする。


「『王太子らしいこと』は、全部、得意ですよ。誰よりも上手にできます。そうあれと育てられたので。──でも得意なことと、好きなことは、ちがうでしょう」


 彼は押し花の標本をそっと指先で撫でた。


「これだけが、誰にも命じられず、僕が自分で選んで好きでやっていることなんです。だから、解散は、できません」


 その声には、いつもの軽さがなかった。


 わたしは、解散しろ、ともう一度言うつもりだった。でも、言葉が出てこない。


 代わりに手帳を棚に戻して、部屋を出た。気まずさと、もやもやと、名前のつかない何かを抱えたまま。


(趣味がわたし……って。それ、解散させたら、この人、何も残らないってこと?)


 部屋を出る間際、リオネルがあの紫の花の鉢から、新しく咲いた一輪をそっと切って差し出した。


「解散はできませんが、これは、差し上げます」


「……また、ですか」


「あなたの花が咲いたら、あなたに渡す。それが、会の活動方針なので」


「会員一名の会で、勝手に方針を増やさないでください」


「会長権限です」


 受け取った花を、わたしは断れなかった。前にもらった一輪が寝室の窓辺でまだ枯れずに咲いていることは、口が裂けても言わない。手のひらに、また土と水の匂いが移った。


 帰りの馬車に揺られながら、わたしは窓辺の景色をぼんやり眺めた。


 悪役令嬢になるための一歩は、今日も踏み出せない。それより、もっと厄介なものを持ち帰ってしまった気がする。


次話:「塩対応に、栄養はない」

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