第6話「悪事のはずが、また美談」
学園の春の慈善市は、年に一度の大行事だ。
中庭にずらりと屋台が並び、生徒や貴族招かれた商人たちが品物を持ち寄る。売上はすべて、王都の孤児院に寄付される。焼き菓子の甘い匂い果実水の酸っぱい香り、客のざわめき。お祭りの空気が中庭いっぱいに、ぱんぱんに膨らんでいた。
わたしはここで悪事を働くと決めていた。
(慈善市を台無しにする悪役令嬢。これ以上わかりやすい悪名はないわ)
狙いは、市の目玉だった。今年は名のある商人、ボルツ商会が特産の蜂蜜酒を樽ごと寄贈している。試飲の列ができるほどの人気だ。これを公衆の面前でこき下ろし、「ヴァルモア公爵令嬢が慈善市を侮辱した」という醜聞を作る。寄付の善意に水を差す、最低の振る舞い。完璧な悪役ムーブだ。
わたしは人混みをかき分けて、ボルツ商会の屋台の前に立った。胸の中で何度も台詞をさらう。震えるな。高慢に。冷酷に。
「あら。これが噂の蜂蜜酒? ずいぶんと——安っぽい色を、しているのね」
周囲がしんと静まり返った。
屋台の主人ボルツがにやけ顔のまま、ほんの少しだけ目を泳がせる。その一瞬の動揺を、わたしの目は勝手に拾ってしまった。
よしこのまま侮辱を重ねて——と思いながら、わたしは試飲の一杯を手に取りなんとなく香りを嗅いだ。
あれ。
前世で、それなりに酒を飲んだ記憶がある。残業帰りの一杯が、数少ない楽しみだった。だからわかる。この香り、薄い。蜂蜜の甘さの奥にあるはずの、とろりとした発酵の深みがない。
口をつけて舌の上で転がして、確信した。
「……これ、水増ししてるでしょう」
「な、何をおっしゃいます、公爵令嬢様!」
「とぼけないで。本物の蜂蜜酒は、もっと舌に絡みつくものよ。これは三割——いえ、半分近く、水で薄めてある。寄付の品で原価を浮かせて、差額を懐に入れたのね」
ボルツの顔から、にやけがすうっと消えた。
わたしは止まれなかった。悪役令嬢のつもりだったのに、舌が勝手に正論を並べていく。困ったことにわたしは昔から、ごまかしを見ると黙っていられない質なのだ。
「孤児院に渡るはずのお金をあなたは中抜きした。慈善の名を借りた、ただの詐欺よ。子どもたちの食事から、お酒の水増し分を盗んだの」
屋台の周りにいつのまにか、人だかりができていた。誰かが「保安官を呼べ」と叫ぶ。ボルツは何か言い返そうとしてけれど集まった客たちの冷たい視線に押されて、がっくりと肩を落とした。
——その瞬間、中庭がわっと沸いた。
「ヴァルモア様が、悪徳商人を見抜いてくださったぞ!」
「さすが公爵令嬢様だ! 孤児院の寄付を、守ってくださった!」
拍手が波のように広がっていく。
(……は?)
わたしは蜂蜜酒の杯を片手に、人波の中で呆然と立ち尽くした。
まただ。またこうなった。
慈善市を台無しにするはずが、慈善市を救った令嬢になっている。悪名どころか、これは——名声だ。ぴかぴかに磨かれた、まばゆいやつ。
気づけば、屋台の店主たちが、口々に礼を言いながら品物を押しつけてきた。焼き菓子。果実水。花の苗。『お礼です!』『どうか、受け取ってください!』。差し出される手が、後から後から伸びてくる。両腕が、みるみる埋まっていく。
悪役令嬢が、慈善市で特産品を山ほど抱えて立ち尽くしている。字面だけで、もう完全な敗北だった。
隣ではリオネルが、その光景まで嬉しそうに手帳へ書き留めている。『民に慕われるセリーヌ嬢。両手いっぱいの感謝。今日も尊い』——心の底から、やめてほしい。
「セリーヌ様、すごいです!」
近くの屋台から、ミラが駆け寄ってきた。栗色の髪を弾ませて、両目をきらきらさせている。
「わたし、感動しました。あんなふうに、堂々と悪を暴くなんて。やっぱりセリーヌ様、噂と全然ちがう」
「暴きたくて暴いたんじゃないの。むしろ、わたしは——」
言いかけて、やめた。「むしろ慈善市を潰したかった」なんて、この純真な目に向かって言えるわけがない。
人垣の向こうから、聞き慣れた声がした。
「やはり、あなたは僕の自慢の婚約者です」
リオネルだった。いつのまにか、すぐそこに立っている。例の手帳をもう開いている。羽ペンが、嬉しそうに紙の上を滑っていた。
「メモはやめてください」
「『慈善市にて。セリーヌ嬢、その鋭い舌で、弱き者の取り分を守る。悪を見過ごせぬ正義の心。本日、最高に尊い』」
「だから、わたしは、悪事を働こうとしていたんです!」
「結果として善を為したのなら、それは善です。あなたの本質は、ごまかせません。蜂蜜酒の水増しと違って」
「うまいこと言わないでください」
本質。
この人はいつもそうやってわたしの悪事の上澄みだけをすくって、勝手に「善」というラベルを貼る。撒いた塩が畑になるどころか、もう果樹園がたわわに実っている。
「殿下。ひとつ、お願いがあります」
「なんでしょう」
「わたしが何かするたびに、それを『良いこと』に翻訳するの、いいかげんやめてもらえません?」
「善処します。──でも、たぶん、無理です」
迷いのない、清々しいほどの即答だった。
保安官に連れていかれるボルツの背中を見送りながら、わたしは深いため息をついた。
悪いことをしようとしたのだ。本当に。慈善市を、めちゃくちゃにするつもりだった。なのに舌が勝手に正しいことを言って、手が勝手に弱い者を守ってしまう。前世からこの性分だけは、どうしても抜けない。残業帰りに、レジのつり銭間違いを指摘して回るタイプだった。
「セリーヌ嬢」
「……まだ何か」
「今、少しだけ、悔しそうな顔をしましたね。悪人になりきれない自分が、もどかしいんだ」
「人の顔を、読まないでください」
「あなたの顔は、僕にとって、世界でいちばん面白い読み物なので」
失礼な。そして否定できないのがなお腹立たしい。
果実水の屋台から、甘酸っぱい匂いが流れてくる。守られた寄付で孤児院の子どもたちは、今日も腹を満たすのだろう。悪役令嬢としては大失敗だけど——まあ、悪い結果ではないのかもしれない。
なんて絆されかけて、慌てて首を振った。絆されている場合じゃない。わたしには断罪されるという、重大な予定があるのだから。
その日わたしの名声は、また一段磨かれた。後日孤児院から、丁寧な感謝状まで届くらしい。
遠い。悪役令嬢への道は、果てしなく遠い。
次話:「会員はあなた一人ですか」




