第5話「どうか嫌ってほしいのに」
今日こそ、嫌われる。
わたしは決意を胸に、学園の温室へ向かっていた。リオネルから「お見せしたいものがある」と呼び出されたのだ。願ってもない機会だった。二人きりの場でとびきり冷たい言葉を浴びせて、いいかげん愛想を尽かしてもらう。それで断罪が一歩近づくなら、安いものだ。
道すがら、頭の中で悪口の在庫を点検する。昨夜、ジゼルと二人がかりで考えた力作だった。「殿下の話はいつも退屈」「あなたの顔を見ると気が滅入る」——口に出すのもためらわれる破壊力。我ながら、よくここまで意地の悪いことを思いつくと思う。
ゆうべジゼルは焼き菓子を齧りながら、無責任に煽ってきた。
「いっそ、もっと攻めなさいよ。『その手帳、火にくべたら?』とか」
「さすがに、手帳を燃やせとは言えないわ」
「あら、悪役令嬢でしょ? それくらい言いなさいな」
言えるものか。あの手帳を燃やせと言った瞬間、たぶん相手が泣く。泣かれたら、こっちが悪者だ。いや悪者になりたいんだけど、そういう種類の悪者にはなりたくない。
ともかく、在庫はそろえた。あとは、真顔で撃つだけ。
薔薇のアーチをいくつかくぐった先に、温室のガラスが午後の光を鈍く弾いていた。
扉を押す。
湿った土とむせ返るような花の匂いが、どっと押し寄せてきた。何十種類もの花が温かい空気の中で、いっせいに香りを放っている。むっとするほど濃い、生きものの気配。
リオネルは奥の鉢の前に立っていた。
淡い紫の、見たことのない花。彼の白い指が、その花弁にそっと触れている。
「来てくれましたね」
振り向いた顔が、いつもより少しだけ無防備に見えた。
「これ、新しく咲かせた品種なんです。三年、かけました」
「はあ」
「名前をつけました。『セリーヌ』と」
「……は?」
「あなたの瞳の色に、いちばん近かったので」
花にわたしの名前。三年かけた花に。
悪口の在庫が、一瞬で頭から吹き飛んだ。慌てて、いちばん上に積んであったやつを引っぱり出す。
「……殿下。正直に申し上げますわ。あなたの話は、いつも退屈です」
「そうですか。では、退屈させない努力をします」
「あなたの顔を見ると、気が滅入ります」
「では、滅入らせない距離を、研究します」
「……ついでに、お菓子の趣味も最悪だと思います」
「では、あなたの好みを一から勉強し直します」
「わたしの話を、聞いてください」
「聞いていますよ。あなたの声は、いつだって僕の最優先事項なので」
だめだ。この人、何を言っても栄養にして、すくすく育っていく。悪口が、上等な肥料になっている。一本撃つたび、向こうの好感度が一段、伸びる音がした。撃てば撃つほど、相手が元気になる。これでは嫌われ工作ではなく、ただの健康増進運動だ。
暖簾に腕押し。糠に釘。塩を撒けば畑になる、あの現象がここでも健在だった。在庫がみるみる減っていく。手持ちの言葉が尽きていく焦りで頭が回らなくなる。
追い詰められてわたしは——いちばん奥に、しまっておいたやつを口にしてしまった。
「だいたいあなたみたいに完璧に作られた王子様には、人の気持ちなんて、本当のところわからないんですわ」
言ってから、しまったと思った。
リオネルの笑顔がほんの一瞬——本当に、まばたきひとつぶんの間止まった。
花に水をやろうとしていた手が宙でふっと迷う。じょうろの水が一滴土に落ちて、小さな黒い染みを作った。
「……そうですね」
その声がいつもより半音、低い。
「『作られた』。うまい言葉です。たしかに僕は、そう育てられました。完璧であるように。誰の目にも、欠けたところが、ひとつもないように」
「殿下、あの」
「いいんです。あなたの言う通りだ。だからこそ、僕は」
リオネルはそこで口をつぐんだ。
何かを言いかけて、飲み込んだ。喉のあたりが一度上下する。代わりにいつもの微笑みが、ゆっくりと顔に戻ってきた。まるで外しかけた仮面を、もう一度きちんとかけ直すみたいに。
「だからこそ、あなたの言葉が好きなんでしょうね。きっと」
胸の奥がざらりとした。
嫌われたかったはずだ。傷つけて遠ざけて、断罪のレールに戻したかった。なのに今わたしの中にあるのは、勝利の達成感なんかじゃない。もっと居心地の悪い、もっと重たい、別の何か。
言いすぎた。
あの一言は悪口の在庫の中でも、踏んではいけない場所をたぶん踏んでしまった。彼の、いちばんやわらかいところを。
「……殿下。今のは」
「セリーヌ嬢」
リオネルが紫の花を一輪、そっと切り取った。茎を布で包んでわたしに差し出す。
「持って帰ってください。あなたの花ですから」
受け取った花はひんやりと湿っていて、頼りないほど軽かった。手のひらに土と水の匂いが移る。
「……メモは、しないんですか」
わたしが言うと、リオネルは少しだけ目を見開いた。それから、笑った。今度は本物の、子どもみたいな笑い方で。
「今日は、しません。胸に、しまっておきます」
温室を出ると、夕方の風が火照った頬を冷ましていった。日が傾いてガラスの温室が、淡い橙に染まっている。
手の中の花は、まだ少し濡れている。
(どうか嫌ってほしいのに——なんで、わたしのほうが、こんな顔してるのよ)
うまくいかない。何もかも、計画通りにいかない。嫌われるはずが嫌われる代わりに、こっちが棘を呑み込んでいる。
その夜、わたしは寝室の窓辺に小さな花瓶を置いて、紫の花を挿した。捨てればいいのに捨てられなかった。
それが、自分でもいちばん腹立たしい。
翌朝、ジゼルが部屋に来て、窓辺の花瓶を目ざとく見つけた。
「あら、きれいな花。どうしたの、これ」
「……もらったの」
「誰に」
わたしは黙った。ジゼルの顔がにやりと崩れていく。
「ふうん。嫌いな相手にもらった花を、わざわざ飾るんだ」
「捨てるのが、もったいなかっただけよ」
「公爵令嬢が、花一輪をもったいながるの? 笑える」
「……うるさいわね」
ジゼルはそれ以上は突っ込まなかった。代わりに持ってきた焼き菓子をひとつ、わたしの机にことりと置く。
「作戦、うまくいかなかったのね」
「いってない」
「ま、たまには休みなさいな。嫌われるのにも、体力がいるでしょ」
その雑な気遣いが今日はやけに沁みた。沁みてしまう自分がまた少し嫌だった。
次話:「悪事のはずが、また美談」




