第4話「それ、ご褒美じゃありません」
建国祭の準備委員会は、講堂の隅で開かれた。
長机を四つ並べただけの即席の会議場に、十数人の生徒が書類を広げている。明かり取りの窓の下で、埃が金色に舞っている。誰かが持ち込んだ焼き菓子の匂いが、インクと古い木の匂いに混じっている。議題は三つ。祭りの飾りつけ、来賓の席次、そして目玉である開会の舞踏。
委員長を務めるわたしにとって、ここは絶好の戦場だった。
開会の舞踏というのは、建国祭の夜、いちばん最初に中央で踊る一組のことだ。例年、王太子とその婚約者が務める。要するに、二人の仲を国中に見せつけるための儀式。だからこそ、ここを崩したい。わたしが踊らなければ、相手は別の誰かになる。その誰かがヒロインなら——物語は、ぐっと本来のレールに近づく。
わたしは扇を膝に置いて、頃合いを計り、努めて事務的に切り出した。
「開会の舞踏ですが」
ざわめきがすっと引く。
「王太子殿下のお相手役は、ミラ・ティセル嬢が適任かと存じます」
机の向こうで、ミラがびくりと肩を跳ねさせた。委員の何人かが、顔を見合わせてざわつく。
長机の中央。リオネルが、書類から顔を上げて、ゆっくりと首を傾げた。銀の前髪が、窓の光を弾いて、さらりと揺れる。
「理由を伺っても?」
「特待生であるティセル嬢を晴れの舞台に立たせること。それは、身分を問わぬという学園の理念を内外に示す好機です。政治的に、極めて有効かと存じます」
完璧な建前だった。本音は『あなたたち二人を踊らせて、なんとか恋に落としたい』なのだけど、それは墓場まで持っていく。
リオネルは、わたしの言葉を一語ずつ確かめるようにしばらく黙っていた。それから、ふっと微笑む。
「素晴らしい提案ですね」
(よし——)
「自分の立場を使ってまで、他者を引き上げようとする。その公平さ、その気高さ。さすがセリーヌ嬢です」
「いえ、そういう話では」
「ですが、お断りします」
即答だった。一片の迷いもない。
「開会の舞踏で僕が手を取るのは、婚約者であるあなた以外にありえません。それが筋というものです」
「筋なんて、どうとでもなります。わたしは殿下に、もっと自由に、お相手を選んでいただきたいのです」
「自由に選んだ結果が、あなたなんです」
講堂の空気がふわりと甘くなった。委員の令嬢たちが、頬を押さえて顔を見合わせている。ミラは——心底ほっとした表情で、机の下で、小さくこぶしを握っていた。
(あの子、本当に殿下に興味ないのね……)
計画がまた一歩遠のいた。わたしは扇を開いて、こめかみを隠す。骨が、指の下で小さくきしんだ。
ふと、刺すような視線を感じた。
長机の端。アシュフィールド侯爵令嬢——ロザムンドが、こちらをじっと見ている。完璧に結い上げた金の髪、隙のない微笑み。彼女は王太子の熱心な崇拝者のひとりで、ことあるごとに『婚約者の格』を測るような目をわたしに向けてくる。
その視線が、今日はいつもより、冷たかった。リオネルが『あなた以外ありえません』と言い切った、あの瞬間から。
目が合うと、ロザムンドは、にっこりと笑った。笑っているのに、目だけが笑っていない。氷を薄く張ったような微笑み。
(……面倒なのに、しっかり見られてたわね)
皮肉な話だ。わたしが王太子に冷たくすればするほど、ああいう人たちの嫉妬の的になる。嫌われたい相手には好かれて、好かれたくない相手には、睨まれる。何もかも、逆だ。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。ここで取り乱したら、それすら『健気』に変換される。この男の翻訳機にかかれば、わたしの動揺すら、永遠に好意へ変わってしまう。
もう一段、踏み込むしかない。
「殿下。はっきり申し上げます。わたくしは、あなたとの舞踏を望んでおりません。当日は、別の方と踊ってくださいませ。これは、わたくしの心からのお願いです」
声は低く。視線は冷たく。突き放すように一語ずつ置いていく。これでさすがに少しは傷つくはず。少しは、わたしを疎ましく思うはず。
リオネルは、胸元から例の手帳を取り出した。
「メモするのやめてください」
「『セリーヌ嬢、自らの晴れ姿より、他者の機会を優先する。委員長として、最後まで公平を貫く。今日も尊い』」
「読み上げるのもやめてください」
「ご褒美をいただいたので」
「それ、ご褒美じゃありません」
わたしは、思わず声を張った。隣の委員がびくりとしたのが視界の端に映る。
「いいですか殿下。今のは『嫌味』です。『拒絶』です。あなたを遠ざけるための、冷たい言葉なんです。ご褒美の、真逆です」
リオネルは、ペンを止めた。
そして、わたしをまっすぐに見た。その目が、ほんの少しだけ、やわらかくなる。
「わかっています」
「……え」
「あなたが僕を遠ざけようとしているのは、ちゃんとわかっています。最初から、ずっと」
心臓が嫌な感じに跳ねた。喉の奥が急に渇く。
「それでも僕には、ご褒美に聞こえてしまうんです。あなたがそうやって、僕のために言葉を尽くしてくれること。その全部が。──困った人ですよね、僕は」
困っているのは、こっちだ。
わたしは何も言い返せなくて、ただ扇の影で唇を噛んだ。鉄の味は、しなかった。代わりに、講堂の窓から忍び込んだ風が、若葉と焼き菓子の匂いを運んでくる。のどかな、平和な午後。当事者だけが戦場にいる。
(わかっていて、なお推してくるって……何なの、この人)
委員会は、つつがなく終わった。開会の舞踏の相手役の欄には、しっかりと「セリーヌ・ヴァルモア」と書き込まれている。インクがまだ乾いていない。
わたしの嫌われ工作は、今日もまた、向こうの観察日記の一ページになっただけだった。
帰り際、ミラがそっと近づいてきて、囁いた。
「あの……ヴァルモア様。殿下、本当に、あなたのことが」
「言わないで。聞きたくないの」
「は、はい。……でも、ちょっと、いいなって思っちゃいました」
いいものか。
すれ違った下級生たちが、ひそひそと囁き合った。『見て、ヴァルモア様よ』『今日も殿下に、あんなに冷たく……なのに殿下、嬉しそう』『素敵……』。
ちがう。冷たくしているんじゃない。振り払っているの。なのに、どうして好感度に変換されるのか。この国の貴族の目は、根っこのどこかが、壊れているのかもしれない。
わたしは、こめかみを押さえた。悪役令嬢の道は険しい。険しすぎて、もはや崖だ。それも、登っても登っても頂上が遠ざかる、いやがらせみたいな崖。
わたしは黄昏の廊下をひとり早足で歩いた。窓の外では茜色の空に、鳥が一羽、線を引いて消えていく。
追いかけても追いかけても、断罪は、わたしから逃げていく。逃げる断罪を追う令嬢なんて、たぶん、この国でわたしひとりだ。
次話:「どうか嫌ってほしいのに」




