第3話「断罪まで、もう時間がない」
朝、目を覚ますと、侍女が困り顔で枕元に包みを置いていた。
「今朝、城から早馬で届きました。『セリーヌ嬢の安眠を願って』と、殿下から」
濃紺の布。リボンの結び方に妙な几帳面さがある。差出人を尋ねるまでもない。
開けると、手のひらに乗るほどの木彫りの猫が出てきた。丸くなって眠っている猫だ。素朴なのに、毛並みの彫り込みだけは異様に細かい。底をひっくり返すと、小さな字で「快眠の守り」と彫ってある。
(朝から、推しの自作グッズが枕元に届く人生って、何)
前世の感覚で言えば、これはもうファンが推しに貢ぐ側じゃなくて、推しがファンに供給してくる倒錯した構図だ。誰か止めてほしい。止める人が王太子だから誰も止められない。
わたしは木彫りの猫を窓辺に置いて、机に向かった。
引き出しの奥から、自作のカレンダーを取り出す。卒業の建国祭の日に赤い丸をつけてある。今日の日付から数えて——指で追っていく。
「……あと、百八十二日」
半年。
半年で、わたしは断罪されなければならない。されたい。されないと困る。
問題は、進捗だ。
わたしは羽ペンを取って、ここ最近の「嫌われ工作」の戦績を書き出してみた。茶会での冷酷宣言。これは美談に変換された。書面での婚約解消申し入れ。記念品にされた。下級生に高慢な態度を取ろうとしたら、なぜか「気さくに声をかけてくださる優しい先輩」という評判が立った。
全戦全敗。いや、敗けてすらいない。攻撃が全部、回復魔法に化けている。
極めつけは先週だ。わざと舞踏会を無断欠席してやったのに、後日リオネルから届いたのは抗議でも叱責でもなく、『体調を案じる手紙』と消化に良いという薬草茶の包みだった。仮病を使ったことすら、健気な気遣いとして処理された。
もう、何をどうすれば嫌われるのか、見当もつかない。
(このままじゃ、断罪ゲージが一生たまらない)
冷静に考えよう。前世のゲーム知識を、もう一度引っぱり出す。
そもそも『薔薇と棘の誓い』で、悪役令嬢セリーヌはどうやって断罪まで持っていかれた?
答えは、ひとつ。
王太子リオネルが、ヒロインに恋をするからだ。
身分違いのヒロインに王太子が惹かれ、二人の仲を悪役令嬢が引き裂こうとし、その過程の「嫌がらせ」が建国祭の夜に暴かれる。それが断罪の筋書き。つまり——リオネルがヒロインに惚れさえすれば、物語は正しいレールに戻る。
わたしは、自然に断罪される。
「……そうよ。わたしが嫌われようとするから無理があったんだわ」
発想を変える。わたしが頑張るんじゃない。リオネルを、本来の恋に戻してあげればいい。
幸い、ヒロインの正体は知っている。今年、特待生として学園に入ってきた男爵令嬢——ミラ・ティセル。
善は急げ。わたしは午後の自由時間に彼女を探しに出た。
ミラ・ティセルは、図書館の片隅にいた。
窓際の机に本を高く積み上げて、その陰に隠れるように座っている。栗色の髪を一つに結んで指先にインクの染み。真剣な横顔。なるほど、ヒロイン補正というやつか、地味にしていても目を引く愛嬌がある。
「ミラ・ティセルさん、ね」
声をかけると、彼女はびくりと肩を跳ねさせて顔を上げた。わたしを見るなり、その顔がさっと青ざめる。
「ヴ、ヴァルモア公爵令嬢様……っ」
「そんなに怯えないで。取って食べたりしないわ」
「で、でも、わたし、何か粗相を……」
ああ、これも知っている。悪役令嬢セリーヌの悪名は、もう新入生にまで轟いているわけだ。けっこう。その評判は大事に取っておきたい。
でも今は、別の用がある。
「単刀直入に言うわ。あなた、王太子殿下のこと、どう思っていて?」
ミラの肩がまた跳ねた。今度はさっきと違う跳ね方だった。何か、痛いところを突かれたような。
「で、殿下、ですか……」
「ええ。お近づきになりたいなら、わたしが口添えしてあげてもいいのよ」
我ながら不自然なセリフだ。婚約者が、夫候補を他の女性にあてがおうとしている。でも背に腹は代えられない。半年しかないのだ。
ところが、ミラの反応は予想と違った。
彼女は青ざめた顔のまま、ぶんぶんと首を横に振ったのだ。
「いいえ! 殿下は、その、雲の上の方ですし。わたしなんて、とても……それに」
「それに?」
ミラは口をつぐんだ。膝の上で、本の角をきゅっと握りしめる。視線が、ちらりと、図書館のカウンターのほうへ泳いだ。
その先には、本の返却を受け付けている、痩せた青年がいた。地味な眼鏡。インクで汚れた指。図書係だろうか。
ミラの頬が、ほんの少し、赤い。
(……あら)
わたしは、前世のゲーム画面を必死に思い出す。ヒロイン・ミラ。攻略対象は王太子リオネルをはじめ五人。図書係なんて、いた? いなかった気がする。少なくとも、メインの攻略対象には。
「ミラさん」
「は、はい!」
「あなた、誰か……好きな人がいるの?」
ミラの顔が、今度こそ茹で上がった。
「ち、ちがっ、わたしなんかが……っ」
否定が肯定より雄弁だった。
「言わなくていいわ。顔に書いてあるもの」
「か、顔……っ」
ミラは両手で頬を覆った。隠す場所を間違えている。隠すべきは表情じゃなくて、さっきの視線の行き先だ。
「あの図書係の彼?」
「……ノアさんは、関係、なくて」
「名前まで知ってるのね」
「あっ」
墓穴を掘る速度が新入生離れしている。わたしは思わず、ちょっとだけ感心してしまった。こういう子だったのか、ヒロイン。ゲームで見た、澄ました聖女ムーブはどこへ行った。
「……あのね、ミラさん。あなたが誰を好きでも、わたしは構わないの。むしろ応援する」
「えっ」
「ただ、ひとつだけ問題があってね。あなたが王太子殿下に興味がないと、わたしが、すごーく困るのよ」
「は、はあ……?」
困る理由は、口が裂けても言えない。『あなたが殿下に惚れてくれないと、わたしが予定通り断罪されられないの』なんて、出会ったばかりの新入生に打ち明けたら、今度こそ正真正銘の奇人だ。
わたしは天を仰いだ。図書館の高い天井、埃を含んだ午後の光。
断罪の筋書きを取り戻すための第一歩が、いきなり崖から転げ落ちた音がした。
(ヒロインが、王太子に、興味ない……?)
そんなの、ゲームになかった。
半年。あと百八十二日。
時間がない。時間がないのに、レールはわたしが思っていたより、ずっと派手に外れていた。
次話:「それ、ご褒美じゃありません」




