第28話「推しの、本当のわけ」
「残りの、半分の理由を。今なら、話せます」
温室の、紫の花の前で。リオネルがぽつりと言った。
あの夜、彼は言った。推す理由は、半分だけ。全部話したらあなたは逃げる、と。あれから、わたしは逃げないと決めた。だから、今聞ける。
「三年前。あなたに『そんなに笑って、疲れませんの』と言われる、少し前から。僕は、おかしな夢を、見るようになったんです」
「夢?」
「ええ。とても、鮮明な夢。──そこでは、僕は、立派な王になっていました。完璧で、隙がなくて、誰からも崇められる王に。でもその僕は、ある令嬢を衆人の前で断罪して、追放していた。冷たい目で。眉ひとつ動かさずに」
心臓がひやりとした。
それは——ゲームの、筋書きだ。悪役令嬢セリーヌを卒業の夜に断罪する、王太子リオネル。わたしが知っているはずの、本来の物語。
「その令嬢の名は、夢の中でも、はっきりしていました。セリーヌ・ヴァルモア。──そして、彼女を断罪したあとの僕は、もう何も感じなくなっていた。からっぽの、完璧な人形。それが、夢の中の、僕の末路でした」
わたしは、ぞっとした。彼の語る『夢』はわたしが前世で知っている、あのゲームの結末と寸分違わなかったから。冷たい目で令嬢を断罪し、感情を失っていく完璧な王太子。それは選択を間違えたときに見る、あのバッドエンドの幕引きそのものだった。なぜ、この人がそれを『夢』として見ているのか。偶然では、片付けられない。何かもっと大きな力が働いている気がした。
ぞくり、と背筋が震えた。同時に奇妙な親近感も、こみ上げてくる。わたしも、同じだ。前世の記憶という形で、この世界の『筋書き』を知っている。彼は『夢』という形でそれを知った。知り方は違えど、二人とも決められた運命を視てしまった者同士。だとしたら、わたしたちは出会うべくして出会ったのかもしれない。断罪する者とされる者。その役を、二人で手を取って放り捨てるために。
リオネルは、静かに続けた。
「目が覚めて、思ったんです。ああこのままだと、僕は、ああなる。あの令嬢を切り捨てて、感情を失って、立派な人形の王になる。──そんなの、嫌だ、と。心の底から、思った。生まれて初めて、自分の運命に、抗いたいと思ったんです」
「それで、わたしを」
「ええ。だから、あなたを探した。陛下に頼んで、婚約者にしてもらった。あの夢の中で僕が断罪する令嬢を、断罪する未来から、引き剥がしたかった。──そうすれば、僕は人形にならずに、済む気がして」
わたしは、言葉を失っていた。
彼の言う『夢』はわたしの知る『ゲームの筋書き』と、寸分違わず同じだった。彼は、知っていたのだ。形は違えど——この世界に、決められた『筋書き』があることを。そしてそれに抗おうとしていた。三年も前から。わたしが自分の破滅を回避しようと足掻くより、ずっと前から。
「……殿下は、その夢が本当になると信じたんですか。たかが、夢でしょう」
「信じました。理屈じゃ、ないんです。あれはただの夢じゃないと、なぜか、確信があった」
彼は紫の花にそっと触れた。
「だからあなたを推すことは、僕にとって、運命への反抗なんです。あなたを断罪する未来を、毎日、塗り替えている。観察日記の一行ごとに。グッズのひとつごとに。──くだらないと笑ってもいい。でも、僕は、本気だった」
くだらない、なんて思えなかった。
わたしは前世の記憶で、この世界が物語だと知っていた。でもそれを『くだらない』と切り捨てず運命に抗う武器にしていたのは——わたしじゃなくて、この人のほうだったのだ。
考えてみれば、おかしな話だ。わたしは前世の記憶という、いわば『答え』を持っていた。だから、破滅を回避できると思っていた。なのに、この人は答えなんて持っていないはずなのに。ただの『夢』だけを頼りに、三年も前から運命に抗い続けてきた。わたしより、ずっと勇気がある。わたしより、ずっとまっすぐだ。前世の知識にあぐらをかいて自分の出口のことしか考えていなかった半年前の自分が、急にひどく恥ずかしくなった。
そして、胸がいっぱいになる。三年間。わたしが彼の存在にすら気づいていなかったその間ずっと、この人はたった一人でわたしを断罪する未来と戦い続けていた。観察日記の一行ごとに。手作りのグッズのひとつごとに。会員一名のばかげたファンクラブの活動の、ひとつひとつが。彼にとってそれは——運命に対する、ささやかで必死の抵抗だったのだ。
胸の奥がじんと熱くなる。わたしが半年で必死に積み上げた『破滅回避』の努力なんて、彼の三年にはとても敵わない。わたしは知識という武器を持っていた。でも彼は丸腰で、たった一つの『夢』だけを頼りに運命の流れへ逆らい続けた。その不器用な執念が観察日記の厚みになり、グッズの山になり会員一名のばかげたファンクラブになる。全部わたしを断罪しないための、彼なりの戦いだったのだ。
ただひとつ、引っかかる。彼の言う『夢』。それは本当にただの予知夢なのか。それとも——わたしと同じ、何か別の『知り方』を彼もしているのか。聞きたい。でも聞くのが少しだけこわかった。
「……殿下。その夢のこと、もっと——」
「さあ、どうでしょう」
リオネルはいたずらっぽく、笑った。はぐらかすときの、あの顔。
「全部話したら、面白くないでしょう。続きは、また、いつか」
ずるい。この期に及んで、まだ隠し玉を持っている。
でも不思議と、急かす気にはならなかった。秘密のひとつやふたつ、抱えたままでいい。だってわたしにも前世の記憶という、まだ話していない秘密がある。お互い手の内を全部は見せないまま、それでも隣にいる。そういう関係も、案外悪くない。いつか、二人とも準備ができたら。そのときは、全部話そう。夢のことも、前世のことも。
二人とも、運命を視てしまった。二人とも、それに抗うと決めた。同じ景色を見て、同じ方向へ走っている。だったら急ぐ必要なんて、どこにもない。秘密は、ゆっくり分け合っていけばいい。これから、いくらでも時間はあるのだから。
でもその『いつか』を一緒に待ちたいと思っている自分がもうここにいる。逃げ出すどころか、その秘密の続きを隣で聞きたいと願っている。我ながら、ずいぶん変わったものだ。
次話:「平穏より、騒がしいほうを」




