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悪役令嬢を推すのはやめてください、王太子殿下  作者: 夜凪 蒼


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第26話「二人なら、まだ笑える」

代償の後始末は、思った以上に骨が折れた。


 王太子が慣例を破ったという噂は、社交界を駆け巡りあちこちで尾ひれをつけて膨らんでいく。リオネルの資質を疑う声、ヴァルモア家を遠巻きにする視線。わたしたちは来る日も来る日も、茶会だ夜会だと顔を出しては地道に評判を立て直していった。


 媚びるのは性に合わないけれど、家とリオネルの立場がかかっている。わたしは悪役令嬢の高慢さを引っ込めて、できるかぎりにこやかに振る舞った。リオネルは完璧な王太子の顔で、そつなく場を渡り歩く。二人で手分けして、ひとつずつ味方を増やしていく。


 不思議と苦じゃなかった。一人で背負う社交なら、とっくに押し潰されていた。でも横目で彼と視線が合うたび、『もう少し頑張れる』と思える。戦友というのが、いちばん近いかもしれない。──いや戦友にしては、向こうの視線が甘すぎるけれど。


 たとえば、先日の侯爵夫人の茶会。わたしが少し気の利いた受け答えをしただけで、リオネルは隣で感極まった顔をしていた。あとで聞いたら『社交の場で輝くあなたを、記録に残したかった』のだという。手帳を出そうとするのを、わたしは思いきり足を踏んで止めた。そういう小さな攻防を何十回と繰り返しながら、わたしたちは少しずつ社交界の空気を味方につけていった。地道でばかばかしくて、なぜか楽しい日々。


「疲れた顔、してますね」


 ある夜会の隅で、リオネルがこっそり耳打ちしてきた。


「誰のせいだと思ってるんですか」


「僕のせいです。でも、後悔はしていません」


「その台詞、何度目ですか」


「言うたびに、あなたが少し呆れた顔をするので。その顔も、尊いんです」


「メモするなら今のうちですよ。次の夜会で、わたし、確実に倒れますから」


 軽口を叩き合いながら、わたしは不思議と気が楽になっていた。


 半年前ならこんな状況は、悪夢でしかなかった。社交界中の注目を浴びて、家の存続をかけて神経をすり減らす日々。一人だったら、とっくに押し潰されていただろう。


 でも隣にこの人がいる。間の抜けた軽口を叩いてわたしの呆れ顔を尊いと言う、推し馬鹿な王太子が。それだけでどんなに重たい代償も、不思議と二人なら笑い飛ばせる気がした。


 ある日の午後わたしは思いがけない人物と廊下で鉢合わせる。


 ロザムンドだった。


 家が爵位を返上し彼女自身も表舞台から、姿を消している。すれ違ったその姿は以前の隙のない華やかさとは、別人だった。地味な装い。やつれた頬。けれどその目だけは、まだどこか挑むような光を残している。


「……勝った気でいるの、ヴァルモア様」


「勝ち負けの話だとは、思っていませんわ」


「ふん。きれいごとを」


 ロザムンドは、皮肉に唇を歪めた。けれどその声には、以前のような刺すような毒はなかった。


「言っておくけれど。わたくしも、駒だったのよ。あなたを陥れろと、上から命じられただけ。逆らえば、うちの家が潰される。──結局、潰されたけれどね。あの方はわたくしを切り捨てて、何食わぬ顔で、まだ宮廷にいる」


 あの方。


 その一言に背筋が冷えた。やはり黒幕は、まだ宮廷の中にいる。ロザムンドを使い捨て、証拠を消し平然と。


「その『あの方』が誰なのか。教えていただけませんか」


「言えるわけ、ないでしょう。言った瞬間、わたくしの命が消える。──せいぜい、気をつけることね。あなたも、あなたの大事な王太子殿下も。あの方は、まだ、何も諦めていないわ」


 それだけ言うと、ロザムンドは踵を返した。落ちぶれてなお、まっすぐに伸びた背中。憎い相手のはずなのに、なぜだかわたしは彼女をただの悪人とは思えなかった。彼女もまたもっと大きな何かに、踏みにじられた一人なのだ。


 去っていく背中を見送りながら、わたしはひとつの確信を強めていた。この騒動は、まだ何ひとつ終わっていない。ロザムンドを切り捨てた『あの方』は、平然と宮廷に潜み次の手を考えているはずだ。なぜ、ヴァルモア家だったのか。なぜ、リオネルの立場を揺さぶろうとしたのか。その問いの答えにたぶんこの国のもっと大きな闇がつながっている。


 でも今は、まだ。その影にこちらから踏み込む力は、ない。今夜は、無事を喜ぼう。難しいことは明日のわたしに任せる。


 その夜ジゼルとミラと、ノアがこっそり祝いに来てくれた。


「ミラ、特待生の資格は?」


「無事です! ノアさんが、ずっと、支えてくれて」


 ミラがぽっと頬を染めて、隣のノアを見る。ノアは相変わらず無口なまま、けれどその耳が真っ赤だった。どうやらこちらの二人は、いい方向に転がったらしい。ジゼルがにやにやしながら、わたしに耳打ちする。


「片方の恋は、まとまったわね。さて、もう片方は?」


「……うるさいわよ」


 焼き菓子を投げると、ジゼルはまた器用に口でキャッチした。


「ねえセリーヌ様」と、ミラが、おずおずと口を開いた。「わたし、ずっとお礼が言いたくて。あの査問のとき、わたしのために罪をかぶってくれて……本当に、ありがとうございました」


「もう、いいのよ。それより、あなたとノアのほうこそ、しっかりやりなさい」


「は、はいっ」


 真っ赤になるミラと、隣で目を泳がせるノア。その初々しさにジゼルが「あー、まぶしいまぶしい」とわざとらしく目を覆ってみせる。


 ささやかな、けれどあたたかい夜だった。半年前のわたしには、想像もできなかった光景だ。断罪を待つだけの孤独な令嬢の周りにいつのまにかこんなにも賑やかな顔ぶれが集まっていた。


 ジゼルの軽口。ミラの初々しさ。ノアの不器用な優しさ。そしてここにはいないけれどどこかで観察日記を書いているはずの、推し馬鹿な王太子。こうして並べてみると、わたしの世界はたった半年でずいぶん賑やかになったものだ。黒幕も代償も、まだ重くのしかかっている。それでも、こんな夜が一晩でもあるなら。きっとまた、明日も戦える。


 そう思える自分が半年前からは考えられないくらい、頼もしい。あの頃のわたしは断罪の日を指折り数えて、一人で膝を抱えていた。今はこんなに賑やかな夜を、当たり前みたいに過ごしている。人は、変われるものだ。半年もあれば、こんなにも。


 黒幕は、まだ影の中。代償も、片付いていない。それでも今夜だけは、笑っていられた。二人なら——いや、みんながいるなら。まだ、笑える。


次話:「ずっと一人だった、あなたへ」

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