第25話「覆したぶんの、代償」
祭りの熱狂が冷めた、翌朝。
わたしは王宮の一室に呼び出されていた。昨夜断罪を免れたばかりだというのに、今度は別の用件で王家に召し出される。世の中、そんなにうまくはできていない。
通された部屋には、リオネルがいた。隣に国王陛下。そして苦虫を噛みつぶしたような顔の、宰相や重臣たち。空気が、ぴりぴりと張りつめている。
「リオネル」
陛下が低い声で言った。昨夜息子の暴挙を、静かに見守っていたあの陛下だ。けれど今朝の顔は、父というより王のものだった。
「おまえは昨夜、建国祭の場で評議の決定を覆した。王太子が、衆人の前で、定められた慣例を破った。これがどういう意味か、わかっているな」
「はい」
リオネルはまっすぐに答えた。昨夜の推し全開の顔は、どこにもない。背筋を伸ばした、王太子の顔。
「無実の令嬢を無実のまま断罪することのほうが、よほど王家の名を汚すと判断しました。後悔は、していません」
「後悔の有無を、聞いてはおらん」
陛下の声が鋭くなる。
「結果として、おまえは王家の威信に傷をつけた。慣例は軽んじられ、貴族たちは『王太子は情に流される』と囁いている。一部の派閥は、早くも、おまえの資質を問う声を上げはじめた。──おまえの立場は、今ずいぶんと、危うい」
重臣の一人が、進み出て冷ややかに言い添えた。
「殿下。畏れながら、申し上げます。一人の令嬢のために王太子が慣例を覆す。これが前例となれば、王家の決定は、その都度情で揺らぐと軽んじられかねません。次代の王として、いささか——軽率であったかと」
リオネルはその重臣を静かに見返した。反論は、しなかった。できなかったのだ。彼らの言い分にも、一理ある。王太子の立場とは、そういうものだ。個人の情より、国の体面が優先される。それがこの国の、筋というもの。
わたしは、息を呑んだ。
でもリオネルは、顔色ひとつ変えなかった。完璧な王太子の仮面をきちんとかぶり直して、重臣たちの非難をまっすぐ受け止めている。その背筋の伸びた立ち姿が、かえって痛々しかった。彼はこういう場の、耐え方を知り尽くしている。生まれてからずっとそうやって誰かの期待や非難を、たった一人で背負ってきたのだから。
廃嫡。その二文字が頭をよぎる。リオネルはわたしを——わたしの家を守るために、自分の王太子という立場を賭けたのだ。昨夜のあの暴挙は、ただのおふざけじゃなかった。彼の未来を、丸ごと危険にさらす行為だった。
「陛下」
わたしは、思わず進み出ていた。
「すべては、わたくしの責任です。殿下は、わたくしを庇って——」
「ヴァルモア嬢」
陛下がわたしを遮った。
「そなたの家の処分は、再調査となった。告発が捏造であった疑いが濃い以上、当然だ。だが、潔白が完全に証明されたわけではない。そなたの家は、まだ、宙ぶらりんの状態にある。──そして、もうひとつ」
陛下は、眉間に皺を寄せた。
「アシュフィールド侯爵家は、昨夜の証拠を受けて、当主が責を負い爵位を返上した。実行犯は、断たれた。だが——その背後にいたはずの人物の尻尾は、どこにも、残っていなかった。まるで、最初から、いなかったかのように」
背筋が冷えた。
黒幕は、逃げた。ロザムンドの家をトカゲの尻尾のように切り捨てて、自分は影の中へ。証拠は、きれいに消されている。今回わたしたちが暴けたのは、駒の部分だけ。本当の指し手は、まだ盤の外にいる。
「ともかく」と、陛下は、重々しく締めくくった。「この騒ぎの後始末は、おまえたち二人でつけてもらう。覆したぶんの代償は、決して、軽くないぞ」
部屋を辞して、長い回廊を二人で歩いた。
しばらくどちらも、口を開かなかった。昨夜の華やかさが嘘のように、朝の王宮は静かで重たい。
磨かれた廊下に二人ぶんの足音だけがこつこつと響く。昨夜何百人もの貴族の前で、この人はわたしを推し倒した。あの熱狂がまるで夢だったみたいに、今朝の王宮はしんと静まり返っている。祭りのあとの、独特の気だるさ。それでもわたしの胸の奥には、まだ昨夜の温度が確かに残っていた。
「殿下。なぜ、そこまでしたんですか」
わたしはようやく、口を開いた。
「廃嫡されるかもしれないんですよ。王太子の座を失うかもしれない。わたしの家なんかのために」
「わたしの家『なんか』、じゃありません」
リオネルは静かにけれどはっきりと言った。
「あなたの、大切なものです。あなたが守りたいものを僕も守りたい。それだけのことです。──それに」
彼はふっと、いつもの締まりのない笑みに戻った。
「王太子の座とあなたを推す権利。どちらか選べと言われたら、僕は、迷わず後者を選びます」
「選ぶところを間違えてます。国を背負う立場でしょう」
「あなたのいない国を背負っても、つまらないので」
わたしは、言葉に詰まった。
つまらない、で国を語らないでほしい。そう言いたいのに言葉が出てこない。だってその『つまらない』の一言に、彼のすべてが詰まっている気がしたから。完璧な王太子を演じ続けてきた人が、生まれて初めて掴んだ『つまらなくないもの』。それが、わたしだというのなら。
「……殿下。ひとつ、約束してください」
「なんでしょう」
「わたしのために、あなたが全部を失うのは、なしです。それだけは、わたしが許しません。立場も未来も、ちゃんと二人で守る。一人で、背負わないでください」
リオネルは少し驚いた顔をして、それからふわりと笑った。
「……はい。二人でですね。その響き、すごく、いいです」
さっそく手帳を出そうとするので、わたしはその手をぱしりと叩いた。
代償は、重い。黒幕は、まだ影の中。問題は何ひとつ、すっきりとは片付いていない。それでもこの人は、隣で笑っている。
笑っている場合じゃないのかもしれない。廃嫡の声。宙ぶらりんの家。影に潜む黒幕。数え上げれば、不安の種は尽きなかった。けれど、それでも。この人が隣で笑ってくれているだけで、わたしの足はまた前を向ける。半年前たった一人で断罪を待っていた頃には、知らなかった力だ。誰かと並んで立つというのは、こんなにも心強い。
まだ、終わっていない。むしろここからが、本当の始まりなのかもしれなかった。隣を歩く彼の横顔を、わたしはそっと盗み見る。この人となら、その始まりも、きっと悪くない。
次話:「二人なら、まだ笑える」




